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畠山義里

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畠山 義里
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 元和7年(1621年
死没 元禄4年2月13日1691年3月12日
官位 下総守[要出典]飛騨守従四位下侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
氏族 能登畠山氏
父母 父:畠山義真
正室松平真次の娘
義寧辰丸
娘(上杉長之正室)、娘(内藤勝長正室)、娘(曾我祐興正室)、娘(鵜殿藤兵衛正室)、娘(松平康直正室)、娘(松平乗次養女)、娘(諏訪頼隆正室)
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畠山 義里(はたけやま よしさと)は、江戸時代中期の高家旗本畠山義重とも[1]下野守飛騨守[1]従四位下侍従[1]

略歴

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畠山義真の次男。大和国宇智郡河内国交野郡摂津国豊嶋郡の計3120石を領する。

寛文3年(1663年)1月15日、高家に就任した[1]。本家筋の河内畠山家・基玄より早く高家に列していたことになる。なお、この年の武鑑では猿楽町に居住していたとある。

貞享3年(1686年)3月27日、高家を辞任した[1]。家督を長男の義寧に譲った。

脚注

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参考文献

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