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畠山義有

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
畠山 義有
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 永享11、12年(1439年1440年)頃
官位 治部少輔阿波守
幕府 室町幕府
氏族 能登畠山氏
父母 父:畠山義忠、母:不明
義統政国
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畠山 義有(はたけやま よしあり)は、室町時代中期の大名治部少輔阿波守[1]。妻は竹内氏

生涯

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能登畠山氏畠山義忠の嫡男として生まれる[2]

文人大名として有名で、石清水八幡宮和歌百種の奉納を行った。また、自邸で歌会を催すだけでなく、北野社で歌会を行うなどその歌名は高く[3]、のちの能登畠山家の文化的成熟の礎を築いた。

永享11、12年(1439年1440年)頃[4]大和国方面に出兵した際、陣中で病没した[5]。父に先立っての死去であった。家督は、義忠から義有の嫡子・義統に継がれた[2]

系譜

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脚注

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  1. ^ 東四柳 1986, pp. 59, 61, 69.
  2. ^ a b 東四柳 1986, p. 59.
  3. ^ 『國學院雑誌』(1965年)66ページ
  4. ^ 東四柳 1986, pp. 61, 69.
  5. ^ 東四柳 1986, p. 69.

参考文献

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