畠山義有
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永享11、12年(1439年、1440年)頃 |
官位 | 治部少輔、阿波守 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 能登畠山氏 |
父母 | 父:畠山義忠、母:不明 |
子 | 義統、政国 |
畠山 義有(はたけやま よしあり)は、室町時代中期の大名。治部少輔、阿波守[1]。妻は竹内氏。
生涯
[編集]文人大名として有名で、石清水八幡宮に和歌百種の奉納を行った。また、自邸で歌会を催すだけでなく、北野社で歌会を行うなどその歌名は高く[3]、のちの能登畠山家の文化的成熟の礎を築いた。
永享11、12年(1439年、1440年)頃[4]、大和国方面に出兵した際、陣中で病没した[5]。父に先立っての死去であった。家督は、義忠から義有の嫡子・義統に継がれた[2]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東四柳史明 著、山本大、小和田哲男 編『戦国大名系譜人名事典』《西国編》新人物往来社、1986年1月10日 。(要登録)