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甲波宿禰神社 (渋川市行幸田)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甲波宿禰神社
所在地 渋川市行幸田673
位置 北緯36度28分41.0秒 東経138度59分42.8秒 / 北緯36.478056度 東経138.995222度 / 36.478056; 138.995222 (甲波宿禰神社 (渋川市行幸田))座標: 北緯36度28分41.0秒 東経138度59分42.8秒 / 北緯36.478056度 東経138.995222度 / 36.478056; 138.995222 (甲波宿禰神社 (渋川市行幸田))
主祭神 速秋津彦命
速秋津姫命
社格 村社
創建 文安年間(1444年~1449年)
本殿の様式 一間社流造
例祭 9月19日
地図
甲波宿禰神社の位置(群馬県内)
甲波宿禰神社
甲波宿禰神社
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甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)は、群馬県渋川市行幸田にある神社。祭神は速秋津彦命、速秋津姫命の2柱。旧社格は村社[1]

由緒

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渋川市川島の甲波宿禰神社の社記によれば、文安年間(1444年 - 1449年)に同社から当社を分祀したとされている[2]

上野国神名帳一宮本に見える「従五位上 甲波明神」を当社にあてる説もあるが[1]、「赤波明神」とする異本があることや、甲波宿禰神社を「宿祢神社」と略した例はあっても「甲波神社」と略した例がないことが指摘されている[3]

『神明考証』では賀袁真稚命(かおのまわかのみこと)・大水口宿禰命(おおみなくちのすくねのみこと)を社名の由来とし、宝永4年(1707年)の創建とするが、神社所有の古筆写に元和8年(1622年)「湯上村に神定仕候」とあることからこの時に分社されたとも考えられる[4]

天明6年(1786年)に書かれた紀行本『山吹日記』(奈佐勝皐)には、「湯の上のひたりのかたに、いと陰たかくふりにし社あるはハ甲波宿祢のやしろと聞ゆ」と記述がある[2]

現在の本殿・幣殿・拝殿は元治元年(1864年)の造営である[4]

社格

  • 従五位上 甲波明神(『上野国神名帳』一宮本)
  • 宝永4年(1707年)11月 宗源宣旨[5]
  • 明治6年(1873年) 村社
  • 明治39年(1906年)12月 - 神饌幣帛料供進指定神社[1]

祭神

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主祭神

鳥居
本殿

境内社

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石尊大権現

甲波宿禰神社の社殿左側奥に鎮座する境内社

合祀石碑

石尊大権現の石碑の奥に鎮座する境内社

  • 東諏訪神社、西諏訪神社 - 明治42年2月16日に合祀した。なお、東諏訪神社、西諏訪神社に奉納されていた行幸田の獅子舞は、現在は甲波宿禰神社に奉納されている[9]
  • 稲荷神社(束田窪、前田窪、後田窪、二本木)
  • 八坂神社、北野神社、白皿神社、大名持神社

甲波宿禰神社の社殿の周辺を囲むように鎮座する石祠群

  • 天満宮、稲荷社、日枝社、淡島大明神

甲波宿禰神社の社殿の周辺を囲むように鎮座する石碑群

  • 天満神
  • 少毘古那神、大名牟遅神
  • 御嶽神社、阿蘇神社、古御嶽神社
  • 八坂大神

行事

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神輿殿
  • 春祭(4月17日に近い日曜日)[4]

文化財

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渋川市指定重要無形民俗文化財

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  • 行幸田の獅子舞(昭和50年1月30日指定)[10] - もとは東諏訪神社・西諏訪神社の神事として伝わったもので、悪魔払いや五穀豊穣を祈願する。腰太鼓の胴の内側に安永2年(1773年)の紀年がある。鹿島流と伝えられる一人立ち獅子で、雄獅子2、雌獅子1、棒使い2、かんかち1、ささら1、笛師、謡方から構成される[9][11]

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e 群馬県群馬郡教育会 1925, pp. 635–636.
  2. ^ a b 渋川市市誌編さん委員会 1993, pp. 933–934.
  3. ^ 尾崎, 喜左雄『上野国神名帳の研究』尾崎先生著書刊行会、1974年12月10日、309-310頁。doi:10.11501/12266236 (要登録)
  4. ^ a b c d 群馬県地域創生部文化財保護課 2022, pp. 46–50.
  5. ^ 『渋川市誌 通史編 別冊 渋川市の歴史年表』
    [編集] 渋川市市誌編さん委員会
    [出版社] 渋川市
    [発行日] 平成5年3月
  6. ^ a b c 渋川市市誌編さん委員会 1984, p. 547.
  7. ^ 渋川市市誌編さん委員会 1986, p. 53.
  8. ^ 渋川市市誌編さん委員会 1984, p. 513.
  9. ^ a b 渋川市市誌編さん委員会 1984, pp. 644–647.
  10. ^ 旧渋川市地区の指定文化財”. www.city.shibukawa.lg.jp. 2024年8月21日閲覧。
  11. ^ 渋川市市誌編さん委員会 1986, pp. 297–298.

参考文献

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  • 群馬県群馬郡教育会『群馬県群馬郡誌』群馬県群馬郡教育会、1925年10月20日。doi:10.11501/1020918 
  • 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121895NCID BC14492681https://sitereports.nabunken.go.jp/121895 
  • 渋川市市誌編さん委員会 編『石造物と文化財』渋川市、1986年3月31日。doi:10.11501/12424075 (要登録)
  • 渋川市市誌編さん委員会 編『渋川市誌』 第2巻 通史編・上 原始~近世、渋川市、1993年3月31日。doi:10.11501/9644681 (要登録)
  • 渋川市市誌編さん委員会 編『渋川市誌』 第4巻 民俗編、渋川市、1984年10月1日。doi:10.11501/9643284 (要登録)