田阪登紀夫
田阪登紀夫 |
獲得メダル |
||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授[1]。
経歴
[編集]東山高校で今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて[2]、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した[3]。
1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満、伊藤繁雄、井上哲夫、笠井賢二がメンバーであった。)。1971年の第31回世界卓球選手権名古屋大会で団体銀メダル(長谷川、伊藤、河野、田阪、井上)、長谷川信彦とのペアで銅メダル、1973年の第32回世界卓球選手権サラエボ大会で団体銅メダル(長谷川、河野、田阪、今野裕二郎、高島規郎)、1977年の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で団体銀メダル(河野、田阪、高島、井上、前原正浩)、混合ダブルスで横田幸子とのペアで銀メダルを獲得した[4]。
全日本卓球選手権大会でも今野裕二郎とのペアで1973年、1974年と男子ダブルスを制した[5]。
1970年に早稲田大学社会科学部を卒業し、1983年大阪体育大学体育学部体育学科を卒業した。
現役引退後は指導者として国民体育大会で3度優勝[6]、同志社大学卓球部監督を務めたこともある[7]。
スキー指導も行っており[8]、クロスカントリースキーに関連した論文も書いている。
所属学会
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “研究者基本情報”. 同志社大学. 2011年5月13日閲覧。
- ^ “商品の説明「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」”. Amazon.co.jp. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “栄光の記録 全日本選手権 男子ダブルス”. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “世界選手権における日本の入賞(3位以内)記録一覧表”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “全日本卓球選手権大会”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “PROFILE”. 同志社大学. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “同志社大学体育会卓球部HP設立にあたって”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。
- ^ “クラブ紹介”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。