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田阪登紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田阪登紀夫
基本情報
生年月日 (1947-09-04) 1947年9月4日(77歳)
選手情報
フォア面ラバー 表ソフト
ITTFサイト WTTプロフィール
獲得メダル
日本の旗 日本
男子卓球
世界卓球選手権
1969 ミュンヘン 男子シングルス
1969 ミュンヘン 男子ダブルス
1971 名古屋 男子団体
1971 名古屋 男子ダブルス
1973 サラエボ 男子団体
1977 バーミンガム 男子団体
1977 バーミンガム 混合ダブルス
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授[1]

経歴

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東山高校今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて[2]、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した[3]

1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満伊藤繁雄井上哲夫笠井賢二がメンバーであった。)。1971年の第31回世界卓球選手権名古屋大会で団体銀メダル(長谷川、伊藤、河野、田阪、井上)、長谷川信彦とのペアで銅メダル、1973年の第32回世界卓球選手権サラエボ大会で団体銅メダル(長谷川、河野、田阪、今野裕二郎高島規郎)、1977年の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で団体銀メダル(河野、田阪、高島、井上、前原正浩)、混合ダブルスで横田幸子とのペアで銀メダルを獲得した[4]

全日本卓球選手権大会でも今野裕二郎とのペアで1973年、1974年と男子ダブルスを制した[5]

1970年に早稲田大学社会科学部を卒業し、1983年大阪体育大学体育学部体育学科を卒業した。

現役引退後は指導者として国民体育大会で3度優勝[6]同志社大学卓球部監督を務めたこともある[7]

スキー指導も行っており[8]クロスカントリースキーに関連した論文も書いている。

所属学会

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脚注

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出典

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  1. ^ 研究者基本情報”. 同志社大学. 2011年5月13日閲覧。
  2. ^ 商品の説明「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」”. Amazon.co.jp. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 栄光の記録 全日本選手権 男子ダブルス”. 2011年5月14日閲覧。
  4. ^ 世界選手権における日本の入賞(3位以内)記録一覧表”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
  5. ^ 全日本卓球選手権大会”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
  6. ^ PROFILE”. 同志社大学. 2011年5月14日閲覧。
  7. ^ 同志社大学体育会卓球部HP設立にあたって”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。
  8. ^ クラブ紹介”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。

外部リンク

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