田村春吉
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田村 春吉(たむら はるきち、1883年(明治16年)4月28日[1][2] - 1949年(昭和24年)5月17日[3])は、日本の医学者。名古屋帝国大学・名古屋大学総長。
経歴
[編集]東京府出身。府立一中[4]、第一高等学校を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学医科大学を卒業[1][5][6]。同大学副手、助手を経て、1916年(大正5年)に愛知県立医学専門学校教授に就任し、愛知県立病院皮膚科部長を兼ねた[1]。1918年(大正7年)、医学博士の学位を得た[1]。1919年(大正8年)より皮膚科学研究のためスイスに留学し、チューリッヒ大学で学んだ[1]。1923年(大正12年)に帰国し、医学専門学校の大学昇格に伴って県立愛知医科大学教授となり、1926年(大正15年)には同附属病院院長となった[1]。1931年(昭和6年)に大学の官立移管に伴って名古屋医科大学教授となり、翌年には学長に就任した[7]。1939年(昭和14年)、名古屋医科大学が名古屋帝国大学に改組されると教授・医学部長を務めた[5]。戦後に総長に就任した[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 大日本博士録 1926, pp. 313–314.
- ^ 『大衆人事録 第11版』では4月15日。
- ^ 『1950年版 朝日年鑑』朝日新聞社、1949年。
- ^ 『東京府立第一中学校五十年史』巻末「如蘭会員及現在生徒名簿」(東京府立第一中学校、1929年)参照
- ^ a b 人事興信録 1941.
- ^ 『大衆人事録 第11版』『人事興信録 第15版』では1911年卒業。
- ^ 大衆人事録 1935.
- ^ 人事興信録 1948.
参考文献
[編集]- 井関九郎『大日本博士録 第参巻』発展社、1926年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版(下)』人事興信所、1948年。
外部リンク
[編集]- 田村春吉(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)春光同門会編、名古屋大学医学部皮泌科春光同門会