田島達策
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田島 達策(たじま たつさく[1][2] / たっさく[3]、1858年6月13日(安政5年5月3日[4][5])- 1938年(昭和13年)2月5日[1][6])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。ミツウロコ創業者。衆議院議員。
経歴
[編集]上野国緑野郡神田村[2][3](群馬県[1]緑野郡美九里村、多野郡美九里村[6]を経て現藤岡市[2]神田)で、田島長十郎の二男として生まれた[5]。東京小石川の芳野塾、塩谷塾で学ぶ[2][3]。1883年(明治16年)専修学校(現専修大学)を卒業[1][2][3]。同年3月、家督を相続した[5]。
1886年(明治19年)多野郡新町駅前に運送店を開業[2][3]。明治運送取締役、日本逓業取締役に就任[1][2][3]。また、三鱗運送、三鱗石炭、群馬電力などを設立して取締役社長に就任した[3][2]。
1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、無所属)で当選し[2][3][7]、衆議院議員に1期在任した[1][2][3]。
郷里の文化振興に関心を持ち、美九里小講堂、多野会館などの公共施設整備に多額の寄付を行った[2][3]。
著作
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『群馬県百科事典』上毛新聞社、1979年。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。