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田原仁左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田原仁左衛門(たはら じんざえもん)、文林軒、田原文林軒は江戸時代の京都の有力な出版業者[1]慶長年間から元和寛永正保年間にかけて、整版での出版のほかに木活字で多くの書籍を出版した。

京都二条通鶴屋町、寺町西入に店を構えていた[1][2]が『新鐫時用通式翰墨全書』(寛永20年、1643年)の奥書には二条柳馬場東入町[3][4]とあり、名所・買物案内書『京羽二重』巻6には「二条富小路 禅書 田原仁左衛門」[5]、『國花萬葉記』(元禄10年、1697年)には物之本屋、住所は二条富小路とある[6]

木活字出版

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活字印刷の衰退

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正保慶安年間(1645 - 1652年)を区切りとして文禄慶長以來発達した 活字印刷がいちおうの使命を果して、印刷文化の技術面は再び整版印刷が主流となり、正保・慶安以後、元禄以前の間に行なわれた活字印刷の遺品は極めて少ない[1]。それも藩校漢学私塾などで教科書を提供するためのものがほとんどであった[1]。そのような状況の中で目立つのが禅宗関係のもので、寛文4年に京都の書肆、田原仁左衛門が印行した仏光国師と仏国国師との両禅師の語錄である[1]

整版・活字両方で印刷

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川瀬一馬は、

田原仁左衛門という出版元は、元和年間に『伊勢物語闕疑抄』と『平家物語(一方流本)』とを同種の平仮名活字で出版しているのが初見で、『伊勢物語闕疑抄』には、「御幸町通二條 仁右衞門活板之」、また平家物語には「河原町 仁衛門」との刊記があり、これは同種の活字を使用しているのであるから、同人とみるべきであろう。であれば、慶長15年に節用集(整版)を刊行している小山仁右衛門永次も同人でなければならず、そして、仁右衛門は寛永後半から正保にかけて殊に禅籍を多く整版で出版している(寬永15年 禪苑蒙求、同17年 景德傳 統錄、同18年 尚直編・尚理編、正保3年 大慧普覺 禪師普說 など)。 然るに、この仁右衛門は、正保頃から、二條通鶴屋町 田原仁左衛門と名乘り、正保4年(祖庭事苑、大慧普覺 禪師年譜等の整版出版)以下多数の出版を行なっており、また、活字印行でも、正保3年に新編晦庵先生語錄等を 出している。この整版印刷を盛んにやつている中に、活字印行をも併せているという点を特に注意したいのであるが、要するに仁右衛門から仁左衛門と改まつたのは、 恐らく代がわりということを示すものであろう。

としている。

この田原仁左衛門はその後、少なくとも江戸中期まで、京都では有力な出版書肆の一つとして數多くの刊行実績を残しており、殊に禅籍に力を注いでいたのが出版作品リストからも分かる。寛文4年(1664年)に出版した仏光(無学祖元)・ 仏国両国師の語錄の活字の書体様式は、の新しい唐本の版式によるもので、古活字本の活字様式の書体から全く脱却した体になつている。即ち、筆画に書写体の筆致が存しない直角的な筆線のみの書体である。奥付には二條通鶴屋町田原仁左衛門道住再刊 の刊語がある。

活字印刷の空白期

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これから元禄の初年までおよそ30年間の活字印行は、元禄5年の「紫栢老人詩集」(石田茂兵衞 出版)まで延宝貞享年間に若干のものがあるが、殆ど空 白に近い狀態である[1]。巻末に次の刊記がある。元禄5年6月以唐本考之 山城州常樂亭石田茂兵衛植。次いで元禄15年(1702年)から正徳3年(1713年)の12年間に行なわれたのが、寶永2年(1705年)刊「佛光禅師語錄」 (13冊)「同拾遺集錄」(1冊)である[1]

作品

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 川瀬『植工「常信」活字印行の禅籍』、22 - 23頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3431389/1/14 
  2. ^ 佐藤貴裕. 易林本節用集研究覚書六題. pp. 243 -. 
  3. ^ 新鐫時用通式翰墨全書』、奥書頁https://dl.ndl.go.jp/pid/13393613/1/114 
  4. ^ 井上隆明『近世書林板元総覧』、347頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12277408/1/196 
  5. ^ 京羽二重 巻6』光彩社〈新修京都叢書 第6巻〉、1968年、220頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2989608/1/114 
  6. ^ 井上和雄『慶長以来書賈集覧』、48頁https://dl.ndl.go.jp/pid/925835/1/36 
  7. ^ 川瀬一馬『日本書誌学之研究』大日本雄弁会講談社、1066頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1122823/1/573 
  8. ^ 惺窩文集 / 承応3 田原仁左衛門尉”. 国書データベース. 2024年8月6日閲覧。

参考文献

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関連項目

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