万治
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万治(まんじ、旧字体:萬治)は、日本の元号の一つ。明暦の後、寛文の前。1658年から1661年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。江戸幕府征夷大将軍は徳川家綱。
改元
[編集]朝廷は「貞正・安永・康徳」の3つの案を提示していたが、幕府はこれに不満を抱いて選外となっていた「万治」を強硬に推したために朝幕間で紛糾したが、幕命によって押し切られたとされる[1]。
出典
[編集]『史記』の「衆民乃定、万国為治」と『貞観政要』の「本固万事治」から。
万治年間の出来事
[編集]- 元年 土佐藩にて、香川県仁尾町出身の丸亀弥三兵衛が高知城下の種崎町で髪付油を販売し、それまでサネカズラを用いていた整髪料が伽羅油にとって替わられる[2]。
- 3年1月 万治の大火
- 3年5月2日 土佐藩にて、藩史上初の米価調節令が野中兼山によって提示される[3]。
誕生
[編集]死去
[編集]西暦との対照表
[編集]※は小の月を示す。
万治元年(戊戌) | 一月※ | 二月 | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月※ | 十二月 | 閏十二月 |
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グレゴリオ暦 | 1658/2/3 | 3/4 | 4/3 | 5/3 | 6/1 | 7/1 | 7/30 | 8/29 | 9/27 | 10/27 | 11/25 | 12/24 | 1659/1/23 |
ユリウス暦 | 1658/1/24 | 2/22 | 3/24 | 4/23 | 5/22 | 6/21 | 7/20 | 8/19 | 9/17 | 10/17 | 11/15 | 12/14 | 1659/1/13 |
万治二年(己亥) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
グレゴリオ暦 | 1659/2/22 | 3/23 | 4/22 | 5/21 | 6/20 | 7/20 | 8/18 | 9/17 | 10/16 | 11/15 | 12/14 | 1660/1/13 | |
ユリウス暦 | 1659/2/12 | 3/13 | 4/12 | 5/11 | 6/10 | 7/10 | 8/8 | 9/7 | 10/6 | 11/5 | 12/4 | 1660/1/3 | |
万治三年(庚子) | 一月 | 二月※ | 三月※ | 四月 | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1660/2/11 | 3/12 | 4/10 | 5/9 | 6/8 | 7/8 | 8/6 | 9/5 | 10/5 | 11/3 | 12/3 | 1661/1/1 | |
ユリウス暦 | 1660/2/1 | 3/2 | 3/31 | 4/29 | 5/29 | 6/28 | 7/27 | 8/26 | 9/25 | 10/24 | 11/23 | 12/22 | |
万治四年(辛丑) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 閏八月※ | 九月 | 十月 | 十一月※ | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1661/1/31 | 3/1 | 3/31 | 4/29 | 5/28 | 6/27 | 7/26 | 8/25 | 9/24 | 10/23 | 11/22 | 12/22 | 1662/1/20 |
ユリウス暦 | 1661/1/21 | 2/19 | 3/21 | 4/19 | 5/18 | 6/17 | 7/16 | 8/15 | 9/14 | 10/13 | 11/12 | 12/12 | 1662/1/10 |
脚注
[編集]- ^ 久保、1998年、P68.
- ^ 『武市佐市郎集 風俗事物編』、平成7年3月15日発行、武市佐市郎、高知市民図書館、P17、24。
- ^ 武市佐市郎、『武市佐市郎集 風俗事物編』、高知市民図書館、平成7年3月15日発行、P214。
参考文献
[編集]- 久保貴子「朝廷の再生と朝幕関係」第三節〈改元制度にみる幕府権力〉『近世の朝廷運営』岩田書院、1998年 ISBN 4-87294-115-2 P57-70.(原論文は『民衆史研究』38号、1989年)