田中秀治郎
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田中 秀治郎(たなか ひでじろう、1863年11月30日(文久3年10月20日[1])- 1922年(大正11年)8月30日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]筑前国怡土郡、後の長糸村(現福岡県糸島市)で[1]、田中喜蔵の二男として生まれる[3]。福岡の正木昌陽、豊前中津の大久保啓蔵から漢籍を学ぶ[1]。1902年(明治35年)東京法学院を卒業した[2]。
大阪で染色を学び福岡市東中洲で染色業を営んだ[1]。その後帰郷して、長糸村役場に就職し兵事係となる[1]。1892年(明治25年)長糸村会議員に選ばれ、さらに学務委員、福岡県会議員、糸島郡会議員、同参事会員、糸島銀行常務取締役などを務めた[1][2]。1902年8月、第7回衆議院議員総選挙(福岡県郡部)で当選し、衆議院議員を1期務めた[2]。
1905年(明治38年)から1907年(明治40年)まで朝鮮で活動し、1910年(明治43年)に再度朝鮮に渡り、所有地の開発事業を行うとともに、釜山居留民団議員、学校組合会議員、釜山府庁協議会員などを務めた[1]。
1919年(大正8年)病のため帰国し、九州鉄道監査役となるが、1922年に死去した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 糸島郡教育会、福岡県糸島郡教育会編『糸島郡誌』福岡県糸島郡教育会、1927年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。