生駒致長
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 延宝7年11月1日(1679年12月3日) |
死没 | 元文6年1月16日(1741年3月3日) |
改名 | 利宗、致知 |
別名 | 主水、求馬、大膳、主計、因幡(通称) |
戒名 | 俊徳院殿義大操忠居士 |
墓所 | 久昌寺 |
主君 | 徳川継友、宗春、宗勝 |
藩 | 尾張藩士 |
氏族 | 生駒氏 |
父母 | 父:生駒宗勝、母:石河正光娘 |
兄弟 | 致長、正周 |
妻 | 阿部正寛娘 |
子 | 致稠 |
生駒 致長(いこま むねなが)は、江戸時代の尾張藩士、第8代尾張生駒家当主。
概要
[編集]父生駒宗勝の家督を継ぎ、尾張藩主に仕え大番頭、大寄合となる。宗春の守役も勤めた。元文6年に没する。家督は、子の致稠が継ぐが早世し、弟・正周の子周房がその跡を継いだ。
参考文献
[編集]- 尾張群書系図部集第1巻(加藤国光著、八木書店) - 誤植多数有り、注意。