生駒宗勝
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 元禄13年11月27日(1701年1月5日) |
別名 | 山三郎、頼母、主計、因幡(通称) |
戒名 | 霜輪院殿向雲秀寒居士 |
墓所 | 久昌寺 |
主君 | 徳川綱誠 |
藩 | 尾張藩士 |
氏族 | 生駒氏 |
父母 | 父:生駒利勝、母:阿部正致娘 |
兄弟 |
利章、宗勝、 寸美(松平千之助妻、後高木清長妻) |
妻 | 石河正光娘 |
子 | 致長、正周 |
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生駒 宗勝(いこま むねかつ)は、江戸時代の尾張藩士。尾張生駒家第7代当主。生駒利勝の次男。
兄の利章が寛文10年(1670年)12月21日に早世したために嫡男となる。家督を継ぎ尾張藩主徳川綱誠に仕えて大番頭となる。元禄13年(1700年)11月27日に没する。