琴村
表示
きんむら 琴村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 豊崎町、琴村 → 上対馬町 |
現在の自治体 | 対馬市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 上県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,973人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 上県郡豊崎町、佐須奈村、仁田村 |
琴村役場 | |
所在地 | 長崎県上県郡琴村大字琴692番地 |
座標 | 北緯34度33分19秒 東経129度27分21秒 / 北緯34.55525度 東経129.45581度座標: 北緯34度33分19秒 東経129度27分21秒 / 北緯34.55525度 東経129.45581度 |
ウィキプロジェクト |
琴村(きんむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に北隣[1]の豊崎町と合併し、上対馬町となった。
現在の対馬市上対馬町の南部にあたる。
地理
[編集]対馬島の北東部に位置する。
- 山:金山、香ノ木山、鳴滝山、樫岳、イビタ山、白岳、城岳、小白岳、天頭山、茶屋隈峠
- 島嶼:銭島、千鳥島、松島、京島
- 河川:舟志川、琴川、芦見川、久留栖川
- 港湾:舟志湾、小鹿漁港、一重漁港
沿革
[編集]当村域の一帯について、中世は「伊奈郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「伊奈郷」および「豊崎郷」の各一部に属した[2][3][4][5][6]。また『津島紀事』によれば、伊奈郷内には枝村4村を含む20村[7]、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[8]が属していたとされる[6]。伊奈郷と豊崎郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[6]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、琴村・葦見村・一重村・小鹿村・五根緒村・舟志村・中原村が合併し上県郡琴村が発足[9]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 豊崎町と合併して上対馬町が発足し、琴村は自治体として消滅。
地名
[編集]大字を行政区域とする。
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1954年4月1日
- ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「伊奈郡」
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「伊奈郷」
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郷」
- ^ 伊奈・志多留・越高・御園(みそ)・犬ヶ浦・瀬田・樫瀧・飼所・鹿見(ししみ)・久原・女連(うなつら・おなつら)・琴・葦見・一重・小鹿・中原(なかばる)・苅生・田浜(たのはま)・下里・中栗栖の各村からなる。幕末から明治初期までに苅生村と田浜村は志多留村に、下里村は樫瀧村に、中栗栖村は瀬田村にそれぞれ含まれたものとみられる。
- ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
- ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
- ^ 「葦見」とも表記。
- ^ 上対馬町発足時に舟志に統合され、大字としては廃止された。