佐須奈村
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さすなむら 佐須奈村 | |
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廃止日 | 1955年4月15日 |
廃止理由 |
新設合併・町制施行 仁田村、佐須奈村 → 上県町 |
現在の自治体 | 対馬市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 上県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,584人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 上県郡上対馬町、仁田村 |
佐須奈村役場 | |
所在地 | 長崎県上県郡佐須奈村大字佐須奈乙981番地 |
座標 | 北緯34度38分25秒 東経129度23分47秒 / 北緯34.64039度 東経129.39636度座標: 北緯34度38分25秒 東経129度23分47秒 / 北緯34.64039度 東経129.39636度 |
ウィキプロジェクト |
佐須奈村(さすなむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に南隣[1]の仁田村と合併し、上県町となった。
現在の対馬市上県町の北部にあたる。
地理
[編集]対馬島の北西部に位置する。
- 山:御岳(雄岳、雌岳、平岳)、香ノ木山、太田隈山、七本松山、天狗山、千俵蒔山(井口岳)、ガウチ山、大久間山、念仏峠
- 河川:佐護川、仁田ノ内川、中山川、美止々川、深山川、白石川、大江川
- 港湾:佐須奈港、佐須奈湾
沿革
[編集]当村域の一帯について、中世は「佐護郡」および「豊崎郡」の各一部、近世は「佐護郷」および「豊崎郷」の各一部に属した[2][3][4][3][4]。また『津島記事』によれば、佐護郷内には8村[5]、豊崎郷内には枝村1村を含む18村[6]が属していたとされる[3][4]。佐護郷と豊崎郷は対馬島内の他の各郷とともに1872年(明治5年)に廃止された[3][4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、佐須奈村・西津屋村・佐護村が合併し上県郡佐須奈村が発足[7]。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 仁田村と合併し町制施行。上県町が発足し、佐須奈村は自治体として消滅。
地名
[編集]大字を行政区域とする。
名所・旧跡
[編集]佐須奈村出身の著名人
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月1日
- ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐護郡」
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豊崎郡」
- ^ 深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊・佐須奈・玖須(久須)の各村からなる。上記のうち深山・仁田ノ内・恵古・井口・友谷・湊の6村は1876年(明治9年)に統合され、佐護村となった。
- ^ 西津屋・河内・左河内・大浦・鰐浦・豊・泉・西泊・古里・比田勝・網代・富浦・津和原(つわばる)・唐舟志・浜久須・大増・五根緒・舟志の各村からなる。幕末から明治初期までに左河内村は河内村に、津和原村は唐舟志村にそれぞれ統合されたものとみられる。
- ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 1908年(明治41年)3月25日付号外
- ^ 地内は東里・西里・南里・北里に分かれる。
- ^ 室町時代の文書には「佐須那」の表記も見られる。また現在の大字佐須奈において「佐須奈甲○○番地」「佐須奈乙○○番地」のように、住所上の地番の先頭に十干が付加されている。これは『津島紀事』に記載されている江戸時代までの佐須奈村の枝里である日吉(ひよし)と大地(おおち)の名残とみられ、甲はかつての大地とその周辺山間部、乙はかつての日吉とその周辺山間部の区域に比定される。