仁田村
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にたむら 仁田村 | |
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廃止日 | 1955年4月15日 |
廃止理由 |
新設合併・町制施行 仁田村、佐須奈村 → 上県町 |
現在の自治体 | 対馬市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 上県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,354人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 上県郡上対馬町、佐須奈村、峰村 |
仁田村役場 | |
所在地 | 長崎県上県郡仁田村大字樫滝510番地 |
座標 | 北緯34度32分02秒 東経129度20分47秒 / 北緯34.53378度 東経129.34647度座標: 北緯34度32分02秒 東経129度20分47秒 / 北緯34.53378度 東経129.34647度 |
ウィキプロジェクト |
仁田村(にたむら)は、長崎県上県郡にあった村。1955年(昭和30年)に北隣[1]の佐須奈村と合併し、上県町となった。
現在の対馬市上県町の南部にあたる。
地理
[編集]対馬島の北西部に位置する。
- 山:御岳(雄岳、雌岳、平岳)、太田隈山、丸倉山、ハナタカ山、高野山、鹿之内山、山田山
- 河川:仁田川、宮原川、大谷川、飼所川、仏坂川、伊奈川、志多留川
- 溜池:仁田ダム
- 港湾:伊奈漁港(伊奈・志多留)、仁田港、鹿見港、仁田湾
沿革
[編集]当村域の一帯について、中世は「伊奈郡」の一部、近世は「伊奈郷」の一部に属した[2][3][4]。また『津島記事』によれば、伊奈郷内には枝村4村を含む20村[5]が属していたとされる[4]。伊奈郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、志多留村・伊奈村・越高村・御園村・犬ヶ浦村・女連村・久原村・鹿見村・瀬田村・飼所村・樫瀧村が合併し上県郡仁田村が発足[6]。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 佐須奈村と合併し町制施行。上県町が発足し、仁田村は自治体として消滅。
地名
[編集]大字を行政区域とする。
- 伊奈(いな)
- 犬ヶ浦(いぬがうら)
- 女連(うなつら)
- 飼所(かいどころ・かいどこ)
- 樫滝(かしたき)[7]
- 久原(くばら)
- 越高(こしたか)
- 鹿見(ししみ)
- 志多留(したる)
- 瀬田(せた)
- 御園(みそ)
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月1日
- ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「伊奈郡」
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「伊奈郷」
- ^ 伊奈・志多留・越高・御園(みそ)・犬ヶ浦・瀬田・樫瀧・飼所・鹿見(ししみ)・久原・女連(うなつら・おなつら)・琴・葦見・一重・小鹿・中原(なかばる)・苅生・田浜(たのはま)・下里・中栗栖の各村からなる。明治初期までに苅生村と田浜村は志多留村に、下里村は樫瀧村に、中栗栖村は瀬田村にそれぞれ統合されたものとみられる。
- ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
- ^ 「樫瀧」とも表記。
関連項目
[編集]- 長崎県の廃止市町村一覧
- 古谷惣吉連続殺人事件 - 1965年に発生した事件