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猪瀬乙彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

猪瀬 乙彦(いのせ おとひこ、1883年明治16年)9月14日[1] - 1951年昭和26年)4月10日[1])は、大日本帝国海軍大佐福島県平市(現・いわき市

来歴

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福島県磐前郡内郷村(のち石城郡内郷町→内郷市、現・いわき市)生まれ[1]。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、1902年(明治35年)12月、海軍兵学校に入る[1][2]1905年(明治38年)11月、同校を卒業(33期)し[2]少尉に任官する[3]。任官後は各方面に勤務する[1]第一次世界大戦にも参加した[1]。在外公館で海軍駐在武官としての経験があり[1]、1924年(大正13年)には上海で勤務、総領事の矢田七太郎、陸軍の岡村寧次と連携して業務を進めた[4]。大佐で退役となる[1][2]。退役後は住友銀行軍人会館講道館などに勤務する[1]1942年、平市長に就任した[1]1945年(昭和20年)終戦直前に平市長を辞職、その後、公職追放となった[5]。1951年に死去した。

著書

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  • 『最近に於ける「ソ聨」の情況』帝国在郷軍人会本部、1936年
  • 『選挙粛清に関する質疑応答』帝国在郷軍人会本部、1936年
  • 『日本の環境』帝国在郷軍人会本部、1936年
  • 『新編 入団準備読本』良国民社、1943年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『福島県史 第22巻』51頁。
  2. ^ a b c 『海軍兵学校出身者(生徒)名簿 3版(改定版)』72頁。
  3. ^ 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録.第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年、福島3頁。NDLJP:1229896 
  4. ^ 舩木繁『支那派遣軍総司令官岡村寧次大将』(復刻新版)河出書房新社、2012年、48, 54-55頁。ISBN 978-4-309-22576-0 
  5. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛平市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、159頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録.第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 小野崎誠編『海軍兵学校出身者(生徒)名簿 3版(改定版)』海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年。