「イオン新座店」の版間の差分
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| 座標右上表示 = No |
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| 開業日 = [[1979年]][[11月23日]]<ref name="shopping-center-list-1988-324"/><ref name="maki-nichii-total-life-1980-10">牧大門 『ニチイ トータル・ライフを売る』 [[朝日ソノラマ]]、1980年3月31日。 pp10</ref> |
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| 開業日 = [[1979年]][[11月23日]] |
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| 閉業日 = 2024年2月29日 |
| 閉業日 = 2024年2月29日 |
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| 店番号 = A038(特殊店舗扱い) |
| 店番号 = A038(特殊店舗扱い) |
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| 正式名称 = 新座ショッピングデパート |
| 正式名称 = 新座ショッピングデパート |
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| 建物名称 = |
| 建物名称 = |
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| 土地所有者 = 神谷東太郎 |
| 土地所有者 = 神谷東太郎、イオンリテール株式会社、三井不動産株式会社 |
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| 施設所有者 = 神谷東太郎<br />株式会社尾張屋チェーン不動産事業部→株式会社ニチイ→株式会社マイカル→ |
| 施設所有者 = 神谷東太郎<br />株式会社尾張屋チェーン不動産事業部→株式会社ニチイ→株式会社マイカル→イオンリテール株式会社 |
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| 施設管理者 = |
| 施設管理者 = |
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| 設計者 = |
| 設計者 = |
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| 施工者 = |
| 施工者 = |
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| 敷地面積 = |
| 敷地面積 = 7,625 |
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| 敷地面積脚注 = <ref name="shopping-center-list-1988-324">『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 [[日本ショッピングセンター協会]]、1988年12月27日。pp324</ref> |
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| 敷地面積脚注 = |
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| 敷地面積備考 = |
| 敷地面積備考 = |
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| 建築面積 = |
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| 延床面積脚注 = |
| 延床面積脚注 = |
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| 延床面積備考 = |
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| 商業施設面積 = 17,561 |
| 商業施設面積 = 17,561 |
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| 商業施設面積脚注 = <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/15236/05zyouimenseki.pdf |title=大規模小売店舗面積上位一覧(店舗面積10,000㎡以上) (130店舗) |format=PDF |publisher=埼玉県 |accessdate=2023-11-23}}</ref> |
| 商業施設面積脚注 = <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/15236/05zyouimenseki.pdf |title=大規模小売店舗面積上位一覧(店舗面積10,000㎡以上) (130店舗) |format=PDF |publisher=埼玉県 |accessdate=2023-11-23}}</ref> |
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| 商業施設面積備考 = |
| 商業施設面積備考 = |
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| 店舗数 = |
| 店舗数 = |
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| 中核店舗 = |
| 中核店舗 = |
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| 営業時間 = 9:00 - 22:00(地下1階のみ7:00 - 23:00)<ref>{{Cite web |url=https://www.aeon.com/store/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%BA%A7%E5%BA%97/shop_info/hours/ |title=営業時間 |work=イオン新座店 |publisher=イオンリテール |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231122162714/https://www.aeon.com/store/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%BA%A7%E5%BA%97/shop_info/hours/ |archivedate=2023-11-22 |accessdate=2024-11-02}}</ref> |
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| 営業時間 = 朝7時-夜10時 |
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| 駐車台数 = |
| 駐車台数 = 約600 |
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| 駐車台数脚注 = <ref name="shopping-center-list-1988-324"/> |
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260 |
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| 駐車台数脚注 = |
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| 駐車台数備考 = |
| 駐車台数備考 = |
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| 駐輪台数 = |
| 駐輪台数 = |
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| 駐輪台数脚注 = |
| 駐輪台数脚注 = |
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| 駐輪台数備考 = |
| 駐輪台数備考 = |
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| 前身 = 尾張屋志木店→ニチイ新座ショッピングデパート |
| 前身 = 尾張屋志木店→ニチイ新座ショッピングデパート→新座サティ |
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| 後身 = |
| 後身 = |
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| 商圏人口 = |
| 商圏人口 = |
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| 書式 = サティ |
| 書式 = サティ |
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| 閉店日 = 1969年12月20日 |
| 閉店日 = 1969年12月20日 |
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| 土地所有者 = 神谷東太郎 |
| 土地所有者 = 神谷東太郎、株式会社尾張屋、株式会社ニチイ |
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| 後身 = ニチイ |
| 後身 = ニチイ |
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| 施工 = 大栄施工株式会社 |
| 施工 = 大栄施工株式会社 |
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'''イオン新座店'''(イオンにいざてん)は、[[埼玉県]][[新座市]]にかつて存在していた[[イオンリテール|イオンリテール株式会社]]運営の[[総合スーパー]](GMS)。新座市内唯一のイオンであった。 |
'''イオン新座店'''(イオンにいざてん)は、[[埼玉県]][[新座市]]にかつて存在していた[[イオンリテール|イオンリテール株式会社]]運営の[[総合スーパー]](GMS)。新座市内唯一のイオンであった。 |
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[[2024年]][[2月29日]]をもって閉店し、45年の歴史に幕を下ろした<ref name="toshoken-202312">{{Cite web |url=https://toshoken.com/news/27156 |title=イオン新座店、2024年2月29日閉店-半世紀近くの歴史ある旧ニチイ・サティ、老朽化で建替えめざす |website=都商研ニュース |publisher=都市商業研究所 |date=2023-12-21 |accessdate=2024-11-02}}</ref>。 |
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5階・6階に[[コナミスポーツ (企業)|コナミスポーツクラブ]]を併設していた。 |
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[[2024年]][[2月29日]]19:00を持って閉店。45年の歴史に幕を下ろした<ref>{{Cite web |title=イオン新座店 |url=https://www.aeon.com/store/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%BA%A7%E5%BA%97 |website=www.aeon.com |access-date=2024-03-17}}</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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{{出典の明記|date=2024年11月|section=1}} |
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=== 前史 === |
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[[ファイル:Niiza SATY 001.JPG|サムネイル|サティ時代の外観]] |
[[ファイル:Niiza SATY 001.JPG|サムネイル|サティ時代の外観]] |
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[[ファイル:ニチイ新座.jpg|サムネイル|ニチイ時代の全体図(1979年撮影)|156x156ピクセル]] |
[[ファイル:ニチイ新座.jpg|サムネイル|ニチイ時代の全体図(1979年撮影)|156x156ピクセル]] |
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かつてこの地には「尾張屋」という埼玉県に地盤を持つローカルチェーンがあ |
かつてこの地には「[[尾張屋 (不動産)|尾張屋]]」という埼玉県に地盤を持つローカルチェーンがあり、このイオン新座店は尾張屋志木店をルーツに持つ。尾張屋志木店は、[[1963年]]10月1日<ref>1964年 株式会社尾張屋 広報資料4月版 No.68 よりp.5を抜粋</ref>現在のグランフォート(旧サトームセン)の場所に開業。[[1965年]]頃に後にイオン新座店の位置に移転するが、[[1969年]]に閉店した。 |
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* [[1963年]]10月1日<ref>1964年 株式会社尾張屋 広報資料4月版 No.68 よりp.5を抜粋</ref>現在のグランフォート(旧サトームセン)の場所に尾張屋志木店開業 |
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* [[1965年]]前後(正確な期日不明)現在のイオン新座店の位置に尾張屋志木店が移動 |
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* [[1969年]] 尾張屋志木店閉店 |
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尾張屋の閉店後、[[西友]]や[[ダイエー]]、[[長崎屋]](実現せず)などが相次いで出店を発表した。これを受け既に尾張屋のスーパー事業を吸収合併していたニチイは地盤のある新座市での店舗展開を決定。71年に西友、74年にダイエーが開店する中急ピッチで建設を進めることとなった。西友、ダイエー共に旗艦店扱いの店舗であり、特にダイエーは「ショッパーズプラザ」を冠する主力旗艦店であった。長崎屋は北口への出店を計画していたが浦和方面への店舗展開を決定し白紙撤回。計画予定地を[[三井不動産]]が取得し後の[[ららぽーと志木]]へと繋がることとなる。 |
尾張屋の閉店後、[[西友]]や[[ダイエー]]、[[長崎屋]](実現せず)などが相次いで出店を発表した。これを受け既に尾張屋のスーパー事業を吸収合併していたニチイは地盤のある新座市での店舗展開を決定。71年に西友、74年にダイエーが開店する中急ピッチで建設を進めることとなった。西友、ダイエー共に旗艦店扱いの店舗であり、特にダイエーは「ショッパーズプラザ」を冠する主力旗艦店であった。長崎屋は北口への出店を計画していたが浦和方面への店舗展開を決定し白紙撤回。計画予定地を[[三井不動産]]が取得し後の[[ららぽーと志木]]へと繋がることとなる。 |
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* [[1978年]]([[昭和]]53年)4月1日付で大規模小売店舗法の届け出完了 |
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=== 年表 === |
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* '''''<u>[[1979年]]([[昭和]]54年)[[11月23日]] - 「ニチイ新座ショッピングデパート」として開業。</u>''''' |
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* [[1979年]]([[昭和]]54年)[[11月23日]] - 「ニチイ新座ショッピングデパート」として開業<ref name="shopping-center-list-1988-324"/><ref name="maki-nichii-total-life-1980-10"/>。 |
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* [[1980年]]([[昭和55年]]) 8月1日 - ピープルスポーツクラブが5,6階にオープン。 |
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** 開業時に本格的な温水プールや屋上テニスコートなどを併設して注目された<ref name="jdsa-report-1982-7-10">山口貴久男 “大型店出店規制とこれからの百貨店のあり方”. 日本百貨店協会会報 1095号 ([[日本百貨店協会]]) (1982年7月5日).pp10</ref>。 |
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当時としては非常に珍しい室内温水プールや本格的なテニスコート、空調完備の武道場を備え本格的なスポーツを体験できる施設として話題となった。 |
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* [[1988年]] |
* [[1988年]](昭和63年)[[3月4日]] - 「フレッシュニチイ ~今度のニチイは面白い~」を掲げリニューアルオープン。店名を「ニチイ新座店」に変更。 |
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* 1992年-[[西宮サティ|ニチイ西宮店]]と共に年商140億円を |
* [[1992年]]([[平成]]4年) - [[西宮サティ|ニチイ西宮店]]と共に年商140億円を記録。 |
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GMS全盛の最終期となった92年度は |
** GMS全盛の最終期となった92年度は西友、ダイエーも全国トップクラスの売上を計上し、志木駅周辺はGMS激戦区となった。しかし、この頃から[[バブル崩壊]]が重なり、志木駅周辺のGMSは衰退の道を歩むこととなる。 |
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* [[1995年]]( |
* [[1995年]](平成7年) 10月7日- 「[[サティ (チェーンストア)|サティ]]」へ業態転換し店名を「新座サティ」に変更。 |
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* [[1996年]](平成8年)- ニチイからマイカルへの社名変更に伴い建物左側の「nichii」ロゴが取り外され新たに「MYCAL」ロゴが設置された。また、店舗名称を「ニチイ新座サティ」から「新座サティ」に変更。 |
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* [[2011年]](平成23年)2月28日 - GMS事業の再編に伴い、運営会社の[[マイカル]]が[[イオンリテール]]に吸収合併され運営会社がイオンリテールに移管。 |
* [[2011年]](平成23年)2月28日 - GMS事業の再編に伴い、運営会社の[[マイカル]]が[[イオンリテール]]に吸収合併され運営会社がイオンリテールに移管。 |
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* [[2011年]](平成23年)3月11日 -「[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]」へ業態転換し「イオン新座店」に名称変更。 |
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* [[2019年]]([[令和]]元年) - 立体駐車場が老朽化のため解体<ref name="toshoken-202312"/>。一部看板なども撤去<ref name="toshoken-202312"/>。 |
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* [[2024年]](令和6年) |
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** [[2月29日]] - 一時休業の形で閉店。店内に入居する[[コナミスポーツ|コナミスポーツクラブ]]は同日をもって営業を終了した。 |
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** [[4月8日]] - 解体工事が開始。[[2026年]](令和8年)[[1月31日]]に完了予定。 |
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** 4月 - 土地の所有者がイオンリテール株式会社から「中央日土地株式会社」及び「東武鉄道株式会社」に移行。 |
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なおイオンの閉店により、70年代に開業した志木駅周辺のGMSは全て姿を消した。 |
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* [[2011年]](平成23年)3月11日 -「サティ」から「イオン」へ業態転換し「イオン新座店」に名称変更。 |
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**裏側駐輪場のとんがり赤屋根が撤去された |
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== フロアとテナント == |
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* [[2019年]]([[令和]]元年) - 旧ニチイ店舗の象徴でもあった立体駐車場が老朽化のため取り壊された。駐車場敷地内の駐輪場に設置されていたとんがり赤屋根も撤去された。 |
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=== フロア概要 === |
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** 屋外大型看板が劣化により破損し撤去された。 |
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* [[2024年]](令和6年)2月29日 - 「一時休業」の形で閉店。店内に入居する[[コナミスポーツ|コナミスポーツクラブ]]は同日をもって営業を終了した。 |
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* [[2024年]] (令和6年) 4月8日から、[[2026年]] (令和8年)1月31日の間に建物の取り壊しが行われる予定。 |
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* 2024年(令和6年)4月 - 土地の所有者がイオンリテールから「中央日土地株式会社」及び「東武鉄道株式会社」に移行。 |
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イオンの閉店により、70年代に開業した志木駅周辺のGMSは全て姿を消し、一時代の終わりを告げた事になる。 |
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== フロア構成 == |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
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! style="color:#fff; background:#ae1072"|階!!style="color:#fff; background:#ae1072"|フロア概要 |
! style="color:#fff; background:#ae1072"|階!!style="color:#fff; background:#ae1072"|フロア概要 |
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|- |
|- |
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!6階 |
!6階 |
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|rowspan="2" |コナミスポーツクラブ |
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|- |
|- |
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!5階 |
!5階 |
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!コナミスポーツクラブ |
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|- |
|- |
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!4階 |
!4階 |
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|住まいと暮らしと手芸のフロア |
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|- |
|- |
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!3階 |
!3階 |
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|子供と玩具・文具・雑貨のフロア |
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|- |
|- |
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!2階 |
!2階 |
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|紳士服と肌着のフロア |
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|- |
|- |
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!1階 |
!1階 |
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|婦人服と服飾雑貨・化粧品のフロア |
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|- |
|- |
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!地下1階 |
!地下1階 |
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|総合食料品・日用雑貨・薬局とフードコートのフロア |
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|- |
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|} |
|} |
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1階には[[カメラのキタムラ]]やイオンバイク、合鍵リペアサービスなど |
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=== 主なテナント === |
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2階には100円ショップmeetsや時計の誠美堂など |
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'''1階''' |
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* [[カメラのキタムラ]](カメラ) |
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* グリーンボックス(靴) |
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* [[イオンバイク]](自転車) |
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'''2階''' |
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* シネマクラブ(婦人服) |
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* 誠美堂(宝飾・腕時計・補聴器) |
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* [[ワッツ (企業)|meets.]]([[100円ショップ]]) |
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'''3階''' |
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* アミュージアム ([[ゲームセンター]]) |
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* スタジオシエル (写真館) |
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* パティズ(雑貨) |
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'''4階''' |
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* [[未来屋書店]](書籍) |
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* [[ヤマハ音楽教室]](音楽教室) |
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'''5 -6階''' |
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* [[コナミスポーツクラブ]](スポーツジム) |
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<small>※テナント情報は2023年11月時点</small> |
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出店テナント全店の一覧および営業時間は公式サイト「[https://web.archive.org/web/20231122162714/https://www.aeon.com/store/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%BA%A7%E5%BA%97/shop_info/specialty_store/ 専門店営業時間]([[ウェブアーカイブ]])」「[https://web.archive.org/web/20231122162722/https://www.aeon.com/store/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%BA%A7%E5%BA%97/shop_info/floor_guide/ フロアガイド](ウェブアーカイブ)」を参照。 |
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3階にはゲームセンターアミュージアムやスタジオシエル、雑貨屋パティズなど |
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4階には[[未来屋書店]]、[[ヤマハ音楽振興会|ヤマハ音楽教室]]などが入居している |
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5,6階は[[コナミスポーツ (企業)|コナミスポーツクラブ]]が入居している、1980年開業でありPeople時代から営業を続けている。 |
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かつては4階にレストラン街が存在したが現在は地下1階のフードコートに「ラーメン匠亭」が残るのみである。 |
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各フロアには階段、エレベータ、エスカレータのいずれかの手段を用いての移動が可能である。詳しくはイオン公式ホームページを参照されたい。 |
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== 機材 == |
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旗艦店として開店したこともあり、当時の最新かつ最上位クラスの機材が投入されていた。 |
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エレベーター :[[東芝]]エレメイトセレブラムEM9-MKII -16人搭乗可,最大積載1060kg,人荷用 1基配備。→東芝エレメイトセレブラムEM7-MKIII -20人搭乗可,最大積載1350kg,乗用。開店当時のエレベーターは現存せず、二代目を経て2016年に新型と入れ替わる形でエレメイトセレブラムは姿を消した。 |
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エスカレータ:[[東芝]]スカイエスカレータシステム79 -部分照明全透明型,蛍光灯照明搭載 16基配備。78年生産モデルであり、東芝筆記体ロゴから横長ロゴ変更の一号機。ボディ横に制御盤を内蔵しておりモード切替と照明ONOFFが可能。88年の大規模改装の際に一括制御方式に変更されボディ内制御盤は無効化された。 |
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従業員用エレベーター:[[オーチス・エレベータ・カンパニー|OTIS]] Spec5 VF-1985年に故障のため撤去された。サーボドライブ機構搭載。建物外より非常階段横に外部制御盤の跡が確認可能。裏口に存在した。表口の東芝製エレベーターとは異なり全階従業員用フロアに直結運転を行っていた。 |
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エアコン:[[ダイキン工業]] UC20JA-88年の大規模改装の際に設置された。冷媒はR22。4基配備。現在も稼働中。当時の最上位モデルであり、エアコン本体で空気内組成の割合が検知可能。内蔵されたセンサーにより室内温度を自動調整。 |
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== ライバルの消滅 == |
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かつての志木駅周辺はスーパー激戦区であり、在りし日の[[ダイエー]]志木店(2013年閉店、現存せず。店舗ナンバー280)や[[ららぽーと志木|ららぽーと志木店]](2005年閉店、現存せず。店舗ナンバー001)、[[西友]]志木店(現在の[[たいらや]]志木店、2016年に建て替え工事実施)などとしのぎを削っていたが、ららぽーとの閉店やダイエーの閉店などで事実上の一人勝ち状態となっている。同市内でイオン新座に匹敵する大規模小売店舗として「[[Olympicグループ|OSCデオシティ新座]]」「[[ロヂャース (小売店)|ロヂャース]]新座野火止店」が挙げられるが距離が離れているため競合とは言えない。 |
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== ニチイ/サティの痕跡 == |
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* 旧ニチイ店舗の見分け方として屋上広告塔の形が正方形よりの上向き長方形になっている事が挙げられる。これは中心に「鳥マーク」下側に「nichii」あるいは「ニチイ」と記載するためである。旧[[ジャスコ]]店舗は横長広告塔のためこの傾向は見られない。 |
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* エスカレータに貼られているシールの殆どは79年の開店当時から変わっていない。 |
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* 建物一階のエレベータホール内と建物外側自販機コーナーの[[公衆電話]]周辺では「elevator」「telephone」と書かれた看板を見ることができる。これはニチイ時代から使われている看板である。このフォントはPeopleと共通のものである。またPeopleのロゴもエレベータホール内に残されている。 |
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* 一階、エレベータホール入り口には「AEON」マークと大規模小売店舗表示板が存在する。AEONマークの下には「MYCAL」のロゴが隠されている。2010年のGoogleMapsストリートビューでも確認可能。 |
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* 建物三階、左側エスカレータ横のダイキン製エアコンには「[[イオンディライト|ジャパンメンテナンス]]」と書かれた管理シールを見ることができる。「ジャパンメンテナンス」はかつてのマイカルの子会社である。また、建物内部の階段左側では「[[イオンディライト]]」と書かれたテプラの下にジャパンメンテナンスの旧ロゴが付いた看板を見ることができる。 |
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* 建物地下入り口のカートドックではサティ時代に使用されていたカワジュン製の「カートシステム」が現役で使用されている。ボディには「SATY」と書かれたロゴが残されている。また子供向けカートには「MYCAL」と書かれたロゴがそのまま残されている。こちらも現役である。 |
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* 建物裏口横のマッサージ機コーナーの配電盤にはニチイ最初期の「nichii」と書かれたシールを確認できる。このシールに描かれた鳥マークと旧旧ロゴが現存するのは全店舗中新座店のみである。また、このシールの存在はニチイ新座ショッピングデパートの電装部分が78年には完成していたことを示す証拠となる。 |
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* 建物4階ではガス制御盤を見ることができる。これはニチイ時代4階にフードコートがあったことを示している。また、床の色分けにより当時の店舗区画を見分けることができる。 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
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{{出典の明記|date=2024年11月|section=1}} |
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* 1979年のオープンの際、オープニングイベントとして[[ビートたけし]]が招かれた<ref>1979年11月17日配布宣伝チラシより</ref>。 |
* 1979年のオープンの際、オープニングイベントとして[[ビートたけし]]が招かれた<ref>1979年11月17日配布宣伝チラシより</ref>。 |
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* オープン初日、当時最新型だった[[東芝]]製エレベーターが重量オーバーで動かなくなった。また、地下入り口に置いてあった馬の乗り物(子供用)が混雑により破壊された<ref>1999年渋井丸裕哉著「新座史 私の名も無き記憶」より104p17行目を抜粋</ref>。 |
* オープン初日、当時最新型だった[[東芝]]製エレベーターが重量オーバーで動かなくなった。また、地下入り口に置いてあった馬の乗り物(子供用)が混雑により破壊された<ref>1999年渋井丸裕哉著「新座史 私の名も無き記憶」より104p17行目を抜粋</ref>。 |
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* 1988年のリニューアルオープンの際にオープニングセレモニーとして[[青山孝史|青山孝]]のミニショーが行われた他、翌日には[[坂上忍]]のミニコンサート、その翌日には[[世界忍者戦ジライヤ|磁雷矢]]TVキャラクターショーが行われるなど |
* 1988年のリニューアルオープンの際にオープニングセレモニーとして[[青山孝史|青山孝]]のミニショーが行われた他、翌日には[[坂上忍]]のミニコンサート、その翌日には[[世界忍者戦ジライヤ|磁雷矢]]TVキャラクターショーが行われるなどのイベントが行われた<ref>1988年3月3日配布フレッシュニチイ~今度のニチイは面白い~生活美人'88より裏面を抜粋</ref>。 |
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* 同時期に旗艦店として開業した[[イオン海老名店|海老名店]]や[[そよら東岸和田|東岸和田店]]とは同じA0xx系の店舗番号を持つ特殊店舗の扱いであるが、前言の二店舗が[[ワーナー・マイカル・シネマズ|ワーナーマイカル]]併設であったのに対し新座店は非併設であるなどトップクラスの売上を誇る店舗にもかかわらず対応の差が見られた。奇しくも新座店は二度の転換構想([[マイカルタウン]]化と建て直し計画)が頓挫し全イオン店舗の中でも珍しい存在となってしまった。88年の改装以降サティ転換時、イオン転換時と大きな改装を挟むこと無く存在し続けている。 |
* 同時期に旗艦店として開業した[[イオン海老名店|海老名店]]や[[そよら東岸和田|東岸和田店]]とは同じA0xx系の店舗番号を持つ特殊店舗の扱いであるが、前言の二店舗が[[ワーナー・マイカル・シネマズ|ワーナーマイカル]]併設であったのに対し新座店は非併設であるなどトップクラスの売上を誇る店舗にもかかわらず対応の差が見られた。奇しくも新座店は二度の転換構想([[マイカルタウン]]化と建て直し計画)が頓挫し全イオン店舗の中でも珍しい存在となってしまった。88年の改装以降サティ転換時、イオン転換時と大きな改装を挟むこと無く存在し続けている。 |
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* [[2005年]]2月に「サティが閉店する」という噂が拡散され客が押しかけたが、実際に閉店したのは[[ららぽーと志木]]だった。 |
* [[2005年]]2月に「サティが閉店する」という噂が拡散され客が押しかけたが、実際に閉店したのは[[ららぽーと志木]]だった。 |
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* ららぽーと志木が閉店した2005年にワーナーマイカル併設の計画が持ち上がったが後に控えるはずだったマイカル新座計画への影響を考慮し白紙となった。 |
* ららぽーと志木が閉店した2005年にワーナーマイカル併設の計画が持ち上がったが後に控えるはずだったマイカル新座計画への影響を考慮し白紙となった。 |
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* [[ヤマダホールディングス|ヤマダ電機]]の閉店時、イオン本体と隣のカミヤプラザ、[[ヤマダホールディングス|ヤマダ電機]]の店舗を含む建物を合併し[[マイカルタウン|大型旗艦店]]に転換する構想(この3店舗の土地所有者比率の50%以上を神谷家が握っていたため十分実現可能な構想であった。)が新座市に提出された。核テナントを[[サティ (チェーンストア)|サティ]]とし、副テナントに[[ビブレ]]、[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]、[[ノジマ]]、未来屋書店を盛り込んだこの構想はマイカル社内で「マイカル新座計画」と呼ばれ、新座市側とも誘致協議段階にまで話が進んでいたが、イオンのGMS事業再編により白紙撤回された。イオン新座店のこの構想が練られていた当時([[2009年]])の年間売上金額は約137億円であり、大型旗艦店として生まれ変わらせるにはもってこいの店舗であった。また、当時の志木駅周辺のGMSの動きは非常に複雑であり、ららぽーと志木の閉店やダイエー志木店の一部フロア閉鎖、[[フォーシーズンズ志木]]へのマルイ出店決定などで客を確保する狙いがあった。ヤマダ電機(旧サトームセン)の建物はマイカルの所有物件(1999年にサトームセンより有償譲渡)であり、2010年にサティに業態転換後2012年まで営業し2013年に取り壊された<ref>2009年株式会社マイカル 「新座サティにおけるマイカルタウン化計画計画書及び展開予定書」</ref>。 |
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* [[ヤマダホールディングス|ヤマダ電機]]の閉店時、イオン本体と隣のカミヤプラザ、[[ヤマダホールディングス|ヤマダ電機]]の店舗を含む建物を合併し[[マイカルタウン|大型旗艦店]]に転換する構想(この3店舗の土地所有者比率の50%以上を神谷家が握っていたため十分実現可能な構想であった)が新座市に提出された。核テナントを[[サティ (チェーンストア)|サティ]]とし、副テナントに[[ビブレ]]、[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]、[[ノジマ]]、未来屋書店を盛り込んだこの構想はマイカル社内で「マイカル新座計画」と呼ばれ、新座市側とも誘致協議段階にまで話が進んでいたが、イオンのGMS事業再編により白紙撤回された。イオン新座店のこの構想が練られていた当時(2009年)の年間売上金額は約137億円であり、大型旗艦店として生まれ変わらせるにはもってこいの店舗であった。また、当時の志木駅周辺のGMSの動きは非常に複雑であり、ららぽーと志木の閉店やダイエー志木店の一部フロア閉鎖、[[フォーシーズンズ志木]]へのマルイ出店決定などで客を確保する狙いがあった。ヤマダ電機(旧サトームセン)の建物はマイカルの所有物件(1999年にサトームセンより有償譲渡)であり、2010年にサティに業態転換後2012年まで営業し2013年に取り壊された<ref>2009年株式会社マイカル 「新座サティにおけるマイカルタウン化計画計画書及び展開予定書」</ref>。 |
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== 事故 == |
== 事故 == |
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* [[1978年]]7月16日 - ニチイ建設中に作業員一名が地上13メートルの高さから落下したが、無傷で生還した。 |
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* [[1994年]]10月23日- 新座サティ時代、大川興業に所属していたお笑い芸人「[[ピグモン勝田]]」が店頭特設ステージで行われていたパフォーマンス公演中に木から転落し後頭部を強打し、後に死亡する事故が発生した。享年29歳<ref>[http://minnashinda.seesaa.net/article/447638757.html ピグモン勝田死亡事故-seesaaBLOG]</ref>{{出典無効|date=2024-11-02|title=個人サイトは出典として無効です。}}。 |
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* [[1978年]]7月16日-ニチイ建設中に作業員一名が地上13メートルの高さから落下したが、奇跡的に無傷で生還した。 |
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* [[2010年]]6月16日 - 新座サティ時代末期、入居していた歯医者「にいざデンタルクリニック」で女児(当時2歳)の虫歯治療中に脱脂綿が口腔内から脱落し気管を詰まらせる事故が発生した。女児は後に死亡が確認された<ref>[https://www.sankei.com/article/20150703-Y6GSKMCWGBMKPL2OSXEFESDP64/ 女児死亡事故和解成立-産経新聞]</ref>。 |
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* [[1994年]]10月23日- 新座サティ時代、大川興業に所属していたお笑い芸人「[[ピグモン勝田]]」が店頭特設ステージで行われていたパフォーマンス公演中に木から転落し後頭部を強打し、後に死亡する事故が発生した。享年29歳<ref>[http://minnashinda.seesaa.net/article/447638757.html ピグモン勝田死亡事故-seesaaBLOG]</ref>。 |
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* [[2010年]]6月16日-新座サティ時代末期、入居していた歯医者「にいざデンタルクリニック」で女児(当時2歳)の虫歯治療中に脱脂綿が口腔内から脱落し気管を詰まらせる事故が発生した。女児は後に死亡が確認された<ref>[https://www.sankei.com/article/20150703-Y6GSKMCWGBMKPL2OSXEFESDP64/ 女児死亡事故和解成立-産経新聞]</ref>。 |
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== ギャラリー == |
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* [https://web.archive.org/web/20010417110123/http://www.mycal.co.jp/saty/shop/niiza/niiza.html 新座サティ-SATYONLINE] |
* [https://web.archive.org/web/20010417110123/http://www.mycal.co.jp/saty/shop/niiza/niiza.html 新座サティ-SATYONLINE](ウェブアーカイブ) |
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* [http://nationalmaclord.web.fc2.com/annex/shop/saty/niiza.html イオン新座店-昭和なスーパー巡り] - FC2 |
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* [http://www.ne.jp/asahi/miyachi/yayoi-koubou/mysite2/risk01.pdf 国内発生イベント事故一覧] |
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2024年11月2日 (土) 11:29時点における最新版
イオン新座店 ÆON NIIZA SHOPPING DEPART | |
---|---|
イオン新座店 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒352-0001 埼玉県新座市東北2-32-12 |
座標 | 北緯35度49分12秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.82000度 東経139.57444度 |
開業日 | 1979年11月23日[1][2] |
閉業日 | 2024年2月29日 |
店番号 | A038(特殊店舗扱い) |
正式名称 | 新座ショッピングデパート |
土地所有者 | 神谷東太郎、イオンリテール株式会社、三井不動産株式会社 |
施設所有者 |
神谷東太郎 株式会社尾張屋チェーン不動産事業部→株式会社ニチイ→株式会社マイカル→イオンリテール株式会社 |
施工者 | 大成建設株式会社 |
敷地面積 | 7,625 m²[1] |
商業施設面積 | 17,561 m²[4] |
営業時間 | 9:00 - 22:00(地下1階のみ7:00 - 23:00)[3] |
駐車台数 | 約600台[1] |
前身 | 尾張屋志木店→ニチイ新座ショッピングデパート→新座サティ |
最寄駅 | 志木駅 |
イオン新座店(イオンにいざてん)は、埼玉県新座市にかつて存在していたイオンリテール株式会社運営の総合スーパー(GMS)。新座市内唯一のイオンであった。
2024年2月29日をもって閉店し、45年の歴史に幕を下ろした[5]。
沿革
[編集]前史
[編集]かつてこの地には「尾張屋」という埼玉県に地盤を持つローカルチェーンがあり、このイオン新座店は尾張屋志木店をルーツに持つ。尾張屋志木店は、1963年10月1日[6]現在のグランフォート(旧サトームセン)の場所に開業。1965年頃に後にイオン新座店の位置に移転するが、1969年に閉店した。
尾張屋の閉店後、西友やダイエー、長崎屋(実現せず)などが相次いで出店を発表した。これを受け既に尾張屋のスーパー事業を吸収合併していたニチイは地盤のある新座市での店舗展開を決定。71年に西友、74年にダイエーが開店する中急ピッチで建設を進めることとなった。西友、ダイエー共に旗艦店扱いの店舗であり、特にダイエーは「ショッパーズプラザ」を冠する主力旗艦店であった。長崎屋は北口への出店を計画していたが浦和方面への店舗展開を決定し白紙撤回。計画予定地を三井不動産が取得し後のららぽーと志木へと繋がることとなる。
年表
[編集]- 1979年(昭和54年)11月23日 - 「ニチイ新座ショッピングデパート」として開業[1][2]。
- 開業時に本格的な温水プールや屋上テニスコートなどを併設して注目された[7]。
- 1988年(昭和63年)3月4日 - 「フレッシュニチイ ~今度のニチイは面白い~」を掲げリニューアルオープン。店名を「ニチイ新座店」に変更。
- 1992年(平成4年) - ニチイ西宮店と共に年商140億円を記録。
- GMS全盛の最終期となった92年度は西友、ダイエーも全国トップクラスの売上を計上し、志木駅周辺はGMS激戦区となった。しかし、この頃からバブル崩壊が重なり、志木駅周辺のGMSは衰退の道を歩むこととなる。
- 1995年(平成7年) 10月7日- 「サティ」へ業態転換し店名を「新座サティ」に変更。
- 2011年(平成23年)2月28日 - GMS事業の再編に伴い、運営会社のマイカルがイオンリテールに吸収合併され運営会社がイオンリテールに移管。
- 2011年(平成23年)3月11日 -「イオン」へ業態転換し「イオン新座店」に名称変更。
- 2019年(令和元年) - 立体駐車場が老朽化のため解体[5]。一部看板なども撤去[5]。
- 2024年(令和6年)
- 2月29日 - 一時休業の形で閉店。店内に入居するコナミスポーツクラブは同日をもって営業を終了した。
- 4月8日 - 解体工事が開始。2026年(令和8年)1月31日に完了予定。
- 4月 - 土地の所有者がイオンリテール株式会社から「中央日土地株式会社」及び「東武鉄道株式会社」に移行。
なおイオンの閉店により、70年代に開業した志木駅周辺のGMSは全て姿を消した。
フロアとテナント
[編集]フロア概要
[編集]階 | フロア概要 |
---|---|
6階 | コナミスポーツクラブ |
5階 | |
4階 | 住まいと暮らしと手芸のフロア |
3階 | 子供と玩具・文具・雑貨のフロア |
2階 | 紳士服と肌着のフロア |
1階 | 婦人服と服飾雑貨・化粧品のフロア |
地下1階 | 総合食料品・日用雑貨・薬局とフードコートのフロア |
主なテナント
[編集]1階
2階
3階
- アミュージアム (ゲームセンター)
- スタジオシエル (写真館)
- パティズ(雑貨)
4階
5 -6階
- コナミスポーツクラブ(スポーツジム)
※テナント情報は2023年11月時点
出店テナント全店の一覧および営業時間は公式サイト「専門店営業時間(ウェブアーカイブ)」「フロアガイド(ウェブアーカイブ)」を参照。
エピソード
[編集]- 1979年のオープンの際、オープニングイベントとしてビートたけしが招かれた[8]。
- オープン初日、当時最新型だった東芝製エレベーターが重量オーバーで動かなくなった。また、地下入り口に置いてあった馬の乗り物(子供用)が混雑により破壊された[9]。
- 1988年のリニューアルオープンの際にオープニングセレモニーとして青山孝のミニショーが行われた他、翌日には坂上忍のミニコンサート、その翌日には磁雷矢TVキャラクターショーが行われるなどのイベントが行われた[10]。
- 同時期に旗艦店として開業した海老名店や東岸和田店とは同じA0xx系の店舗番号を持つ特殊店舗の扱いであるが、前言の二店舗がワーナーマイカル併設であったのに対し新座店は非併設であるなどトップクラスの売上を誇る店舗にもかかわらず対応の差が見られた。奇しくも新座店は二度の転換構想(マイカルタウン化と建て直し計画)が頓挫し全イオン店舗の中でも珍しい存在となってしまった。88年の改装以降サティ転換時、イオン転換時と大きな改装を挟むこと無く存在し続けている。
- 2005年2月に「サティが閉店する」という噂が拡散され客が押しかけたが、実際に閉店したのはららぽーと志木だった。
- ららぽーと志木が閉店した2005年にワーナーマイカル併設の計画が持ち上がったが後に控えるはずだったマイカル新座計画への影響を考慮し白紙となった。
- ヤマダ電機の閉店時、イオン本体と隣のカミヤプラザ、ヤマダ電機の店舗を含む建物を合併し大型旗艦店に転換する構想(この3店舗の土地所有者比率の50%以上を神谷家が握っていたため十分実現可能な構想であった。)が新座市に提出された。核テナントをサティとし、副テナントにビブレ、ワーナー・マイカル・シネマズ、ノジマ、未来屋書店を盛り込んだこの構想はマイカル社内で「マイカル新座計画」と呼ばれ、新座市側とも誘致協議段階にまで話が進んでいたが、イオンのGMS事業再編により白紙撤回された。イオン新座店のこの構想が練られていた当時(2009年)の年間売上金額は約137億円であり、大型旗艦店として生まれ変わらせるにはもってこいの店舗であった。また、当時の志木駅周辺のGMSの動きは非常に複雑であり、ららぽーと志木の閉店やダイエー志木店の一部フロア閉鎖、フォーシーズンズ志木へのマルイ出店決定などで客を確保する狙いがあった。ヤマダ電機(旧サトームセン)の建物はマイカルの所有物件(1999年にサトームセンより有償譲渡)であり、2010年にサティに業態転換後2012年まで営業し2013年に取り壊された[11]。
事故
[編集]- 1978年7月16日 - ニチイ建設中に作業員一名が地上13メートルの高さから落下したが、無傷で生還した。
- 1994年10月23日- 新座サティ時代、大川興業に所属していたお笑い芸人「ピグモン勝田」が店頭特設ステージで行われていたパフォーマンス公演中に木から転落し後頭部を強打し、後に死亡する事故が発生した。享年29歳[12][出典無効]。
- 2010年6月16日 - 新座サティ時代末期、入居していた歯医者「にいざデンタルクリニック」で女児(当時2歳)の虫歯治療中に脱脂綿が口腔内から脱落し気管を詰まらせる事故が発生した。女児は後に死亡が確認された[13]。
ギャラリー
[編集]-
四階レストラン街の様子。1979年撮影
-
オープン当日の垂れ幕。1979年撮影
-
裏口
-
イオンロゴと大規模小売店舗表示板
-
側面非常階段
-
裏側非常階段
-
搬入口
-
地下入り口の様子
-
四階の様子。2023年撮影
-
定礎看板
出典
[編集]- ^ a b c d 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp324
- ^ a b 牧大門 『ニチイ トータル・ライフを売る』 朝日ソノラマ、1980年3月31日。 pp10
- ^ “営業時間”. イオン新座店. イオンリテール. 2023年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ “大規模小売店舗面積上位一覧(店舗面積10,000㎡以上) (130店舗)” (PDF). 埼玉県. 2023年11月23日閲覧。
- ^ a b c “イオン新座店、2024年2月29日閉店-半世紀近くの歴史ある旧ニチイ・サティ、老朽化で建替えめざす”. 都商研ニュース. 都市商業研究所 (2023年12月21日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ 1964年 株式会社尾張屋 広報資料4月版 No.68 よりp.5を抜粋
- ^ 山口貴久男 “大型店出店規制とこれからの百貨店のあり方”. 日本百貨店協会会報 1095号 (日本百貨店協会) (1982年7月5日).pp10
- ^ 1979年11月17日配布宣伝チラシより
- ^ 1999年渋井丸裕哉著「新座史 私の名も無き記憶」より104p17行目を抜粋
- ^ 1988年3月3日配布フレッシュニチイ~今度のニチイは面白い~生活美人'88より裏面を抜粋
- ^ 2009年株式会社マイカル 「新座サティにおけるマイカルタウン化計画計画書及び展開予定書」
- ^ ピグモン勝田死亡事故-seesaaBLOG
- ^ 女児死亡事故和解成立-産経新聞
外部リンク
[編集]- イオン新座店(ウェブアーカイブ)
- 新座サティ-SATYONLINE(ウェブアーカイブ)