「最高神祇官」の版間の差分
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伝説によると、[[王政ローマ]]二代目の王[[ヌマ・ポンピリウス]]が自身が出征した場合などでも祭祀が中断されないように、常任の祭祀役として[[ユーピテル]]や[[マールス]]、[[クゥイリーヌス]]神に仕える神官 ([[フラーメン]]) や、[[ウェスタの処女]]、神に奉献する踊りを行う[[サリイー]]などを設置した。更に全ての祭祀の詳細な手順や経費を管理し、[[葬儀]]や[[鎮魂]]の方法を教示する職として神祇官 (ポンティフェクス) を定めたという{{Sfn|リウィウス|loc=1.20}}。 |
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<!--ローマには伝統的な[[ローマ神話|ローマ神]]については専任の神官が存在せず、その職は高い[[権威]]と人格を認められた一部のエリートが市民集会の投票で選出された。宗教的権威を統治機構の権威の源泉としていたローマでは、政務官として選ばれるに足る人物でなければ神官職に選ばれることはなく、また神官職の権威は、選ばれた者に政務官としてふさわしいとの権威を与えた。--> |
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こうした神官職の頂点に立つポンティフェクス・マクシムス |
こうした神官職の頂点に立つポンティフェクス・マクシムスは他の官職と比べ大きな権力を持たない代わりに、権威は非常に絶大で、神官団の中で最も権威と実績を持ち、かつ[[政務官 (ローマ)|政務官]]への就任経験がある高齢者が就任することが通常であった<ref>[http://abacus.bates.edu/~mimber/Rciv/public.relig.htm Roman Public Religion] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110318050320/http://abacus.bates.edu/~mimber/Rciv/public.relig.htm|date=March 18, 2011}} Roman Civilization, bates.edu retrieved August 17, 2006</ref>。ポンティフェクス・マクシムスには[[フォロ・ロマーノ|フォルム・ロマヌム]]にあった公邸([[レギア]])が与えられた。 |
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ローマ帝政の基礎を築いた[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]は自らの政治的成功のためにポンティフェクス・マクシムスの権威を利用しようと目論み、大量の借金で行なった買収工作により異例の若さでこの神職に就任している。この後、ユリウス・カエサルの権威を継承した[[アウグストゥス]]も[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]の死後に、ポンティフェクス・マクシムスに就任し、その神聖な権威を元首政の確立に利用した。 |
ローマ帝政の基礎を築いた[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]は自らの政治的成功のためにポンティフェクス・マクシムスの権威を利用しようと目論み、大量の借金で行なった買収工作により異例の若さでこの神職に就任している。この後、ユリウス・カエサルの権威を継承した[[アウグストゥス]]も[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]の死後に、ポンティフェクス・マクシムスに就任し、その神聖な権威を元首政の確立に利用した。 |
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ローマ教皇の正式名称である「ロマヌス・ポンティフェクス(Romanus Pontifex)」は、この官職に由来する<ref>"In the matter of hierarchical nomenclature, one of the most striking instances is the adoption of the term pontifex for a bishop" ([http://links.jstor.org/sici?sici=0009-8353(196602)61%3A5%3C193%3AMUOA%3E2.0.CO%3B2-B Paul Pascal: ''Medieval Uses of Antiquity''] in The Classical Journal, Vol. 61, No. 5 [Feb., 1966], pp. 193–197).</ref><ref>[[宗座年鑑]] (Libreria Editrice Vaticana, 2008 [[Special:网络书源/9788820980214|ISBN 978-88-209-8021-4]]), p. 23*</ref>。 |
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ポンティフェクス・マクシムスは、現在もローマ教皇の称号の一つである。 |
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== 共和政ローマ最高神祇官一覧 == |
== 共和政ローマ最高神祇官一覧 == |
2023年11月25日 (土) 14:12時点における版
最高神祇官(さいこうじんぎかん)またはポンティフェクス・マクシムス(ラテン語: Pontifex Maximus)は、古代ローマの国家の神官職のひとつである。
通常は神官団長[1][2]、大神官[1][2]、神官長[1]、大神祇官長[3] などと訳され、公の場で最高神祇官なる表記が使われることは希である。共和政ローマにおいては全ての神官の長として神官団 (Pontifices) を監督した。閏月を決定する権限を持つ。任期は終身で、他の官職との兼任も可能。
概要
伝説によると、王政ローマ二代目の王ヌマ・ポンピリウスが自身が出征した場合などでも祭祀が中断されないように、常任の祭祀役としてユーピテルやマールス、クゥイリーヌス神に仕える神官 (フラーメン) や、ウェスタの処女、神に奉献する踊りを行うサリイーなどを設置した。更に全ての祭祀の詳細な手順や経費を管理し、葬儀や鎮魂の方法を教示する職として神祇官 (ポンティフェクス) を定めたという[4]。
こうした神官職の頂点に立つポンティフェクス・マクシムスは他の官職と比べ大きな権力を持たない代わりに、権威は非常に絶大で、神官団の中で最も権威と実績を持ち、かつ政務官への就任経験がある高齢者が就任することが通常であった[5]。ポンティフェクス・マクシムスにはフォルム・ロマヌムにあった公邸(レギア)が与えられた。
ローマ帝政の基礎を築いたガイウス・ユリウス・カエサルは自らの政治的成功のためにポンティフェクス・マクシムスの権威を利用しようと目論み、大量の借金で行なった買収工作により異例の若さでこの神職に就任している。この後、ユリウス・カエサルの権威を継承したアウグストゥスもマルクス・アエミリウス・レピドゥスの死後に、ポンティフェクス・マクシムスに就任し、その神聖な権威を元首政の確立に利用した。
アウグストゥス以降もローマ帝国においてはローマ皇帝が兼ねるのを常としたが、4世紀以降の皇帝はポンティフェクス・マクシムスへの就任を拒むことが多くなり[6]、その地位をキリスト教の総大司教に譲った。
ローマ教皇の正式名称である「ロマヌス・ポンティフェクス(Romanus Pontifex)」は、この官職に由来する[7][8]。
共和政ローマ最高神祇官一覧
- 紀元前509年: ガイウス・パピリウス[9]
- 紀元前449年: クィントゥス・フリウス (ガイウス・フリウス・パキルス・フスス?) [10]
- 紀元前431年: アウルス・コルネリウス (アウルス・コルネリウス・コッスス?) [11]
- 紀元前420年: スプリウス・ミヌキウス[12]
- 紀元前390年: マルクス・フォリウス (マルクス・フォリウス・フラッキナトル?) [13]
- 紀元前332年: プブリウス・コルネリウス・カルッサ[14]
- 紀元前304年: ?・コルネリウス・バルバトゥス[15]
- 紀元前254年: ティベリウス・コルンカニウス (初のプレブス出身最高神祇官) [16]
- 紀元前243年: ルキウス・カエキリウス・メテッルス (紀元前251年の執政官)[17]
- 紀元前221年: ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス[18]
- 紀元前213年: プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス[19]
- 紀元前183年: ガイウス・セルウィリウス・ゲミヌス[20]
- 紀元前180年: マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)[21]
- 紀元前150年: プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム[22]
- 紀元前141年: プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ[23]
- 紀元前132年: プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス・ムキアヌス[24]
- 紀元前130年: プブリウス・ムキウス・スカエウォラ (紀元前133年の執政官)[25]
- 紀元前115年: ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクス[26]
- 紀元前103年: グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官)[27]
- 紀元前89年: クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ (紀元前95年の執政官)[28]
- 紀元前81年: クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス[29]
- 紀元前63年: ガイウス・ユリウス・カエサル[30]
- 紀元前44年: マルクス・アエミリウス・レピドゥス[31]
脚注
- ^ a b c 『世界大百科事典 第2版』
- ^ a b 『ブリタニカ国際大百科事典』
- ^ 『日本大百科全書(ニッポニカ)』
- ^ リウィウス, 1.20.
- ^ Roman Public Religion Archived March 18, 2011, at the Wayback Machine. Roman Civilization, bates.edu retrieved August 17, 2006
- ^ 例えばキリスト教を国教化したテオドシウス1世。
- ^ "In the matter of hierarchical nomenclature, one of the most striking instances is the adoption of the term pontifex for a bishop" (Paul Pascal: Medieval Uses of Antiquity in The Classical Journal, Vol. 61, No. 5 [Feb., 1966], pp. 193–197).
- ^ 宗座年鑑 (Libreria Editrice Vaticana, 2008 ISBN 978-88-209-8021-4), p. 23*
- ^ Broughton Vol.1, p.4.
- ^ Broughton Vol.1, p.49.
- ^ Broughton Vol.1, p.64.
- ^ Broughton Vol.1, p.71.
- ^ Broughton Vol.1, p.96.
- ^ Broughton Vol.1, p.142.
- ^ Broughton Vol.1, p.168.
- ^ Broughton Vol.1, p.210.
- ^ Broughton Vol.1, p.218.
- ^ Broughton Vol.1, p.234.
- ^ Broughton Vol.1, p.268.
- ^ Broughton Vol.1, p.381.
- ^ Broughton Vol.1, p.390.
- ^ Broughton Vol.1, p.457.
- ^ Broughton Vol.1, p.478.
- ^ Broughton Vol.1, p.499.
- ^ Broughton Vol.1, p.503.
- ^ Broughton Vol.1, p.532.
- ^ Broughton Vol.1, p.565.
- ^ Broughton Vol.2, p.37.
- ^ Broughton Vol.2, p.78.
- ^ Broughton Vol.2, p.171.
- ^ Broughton Vol.2, p.333.
参考文献
- ティトゥス・リウィウス 著、岩谷智 訳『ローマ建国以来の歴史 1』京都大学学術出版会、2008年。
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association