プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ
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プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ P. Cornelius P. f. P. n. Scipio Nasica Serapio | |
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出生 | 紀元前183年頃 |
死没 | 紀元前132年 |
出身階級 | パトリキ |
一族 | スキピオ家 |
氏族 | コルネリウス氏族 |
官職 |
トリブヌス・ミリトゥム(紀元前149年) 法務官(紀元前141年) 最高神祇官(紀元前141年頃-132年) 執政官(紀元前138年) レガトゥス(紀元前132年) |
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ(ラテン語: Publius Cornelius Scipio Nasica Serapio, 紀元前183年頃 - 紀元前132年)は、共和政ローマの政治家、軍人。元老院議員であり、紀元前138年に執政官をつとめた。一般にはスキピオ・ナシカ(Scipio Nasica)として知られる。
一族
[編集]父方
- 祖父:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ
- 父:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ
- 息子:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ (紀元前111年の執政官)
- 孫:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ
- 息子:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ (紀元前111年の執政官)
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ
- 父:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム
母方
- 祖父:スキピオ・アフリカヌス
- 母:コルネリア
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ
- おば:コルネリア・アフリカナ
- 従兄弟:ティベリウス・グラックス
- 従兄弟:ガイウス・グラックス
- 母:コルネリア
略歴
[編集]スキピオ・ナシカはポエニ戦争後、ローマ社会が疲弊する中でも古来の元老院の権威を保持しようとした保守派に属し、ティベリウス・グラックスの進めたセンプロニウス法案に反対する立場、すなわちティベリウスの政敵の中心人物であった。
また彼は恐らくティベリウスの殺害に関わったか、少なくともティベリウス殺害のきっかけを作った人間として考えられている。ティベリウスが報復のために殺された時に、彼はローマ社会の権威秩序を護るはずの最高神祇官であるにもかかわらず、元老院から偽装のためにアシア属州への視察に出かけ、見殺しにしたという。その際に彼は「ティベリウスは王となろうとしたのだ」と言ったと伝えられる。
ティベリウスが殺された後、暴動を見逃したことから民衆の怒りを買い、自発的に国外退去する。そしてすぐにペルガモンにて没した。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 グナエウス・カルプルニウス・ピソ マルクス・ポピッリウス・ラエナス |
執政官 同僚:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・カッライクス 紀元前138年 |
次代 マルクス・アエミリウス・レピドゥス・ポルキナ ガイウス・ホスティリウス・マンキヌス |
宗教の称号 | ||
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先代 プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム |
ローマの最高神祇官 紀元前141年 – 紀元前132年 |
次代 プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス・ムキアヌス |