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「仔羊のいる聖家族」の版間の差分

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本作では、傾斜した丘、小さな木、人間の存在の兆候が点在する魅惑的な田園風景の中で、聖家族は横方向に[[ピラミッド]]型の構図を形成している。構成上、[[聖アンナ]]と[[聖母子]]、仔羊を描いたレオナルドの現存しない[[素描]] (複製が[[ジュネーヴ]]の個人コレクションにある) に着想を得ているが、レオナルド作品の[[聖アンナ]]は、本作では聖ヨセフに取って代わられている<ref name="ReferenceMP" />。左下の仔羊の上に幼子イエスが乗り、聖母マリアはキリストを仔羊から引き離そうとしている。[[聖ヨセフ]]は聖母の後ろで杖を握り、腰を曲げて立っている。[[X線]]による調査では、仔羊の位置とイエスの手に変更が加えられたことと、聖ヨセフの背後の木が後に加えられたことが明らかになっている<ref name="ReferenceMP" />。
本作では、傾斜した丘、小さな木、人間の存在の兆候が点在する魅惑的な田園風景の中で、聖家族は横方向に[[ピラミッド]]型の構図を形成している。構成上、[[聖アンナ]]と[[聖母子]]、仔羊を描いたレオナルドの現存しない[[素描]] (複製が[[ジュネーヴ]]の個人コレクションにある) に着想を得ているが、レオナルド作品の[[聖アンナ]]は、本作では聖ヨセフに取って代わられている<ref name="ReferenceMP" />。左下の仔羊の上に幼子イエスが乗り、聖母マリアはキリストを仔羊から引き離そうとしている。[[聖ヨセフ]]は聖母の後ろで杖を握り、腰を曲げて立っている。[[X線]]による調査では、仔羊の位置とイエスの手に変更が加えられたことと、聖ヨセフの背後の木が後に加えられたことが明らかになっている<ref name="ReferenceMP" />。


仔羊はキリストの犠牲の象徴であり、レオナルドの『聖アンナと聖母子』などの他の同様の絵画にも描かれている。また、構図の明快さや聖母マリアの顔立ちなど、いくつかの詳細は究極的にはレオナルドの作品を参照している<ref name="ReferencePG />。一方、聖ヨセフの描写には[[フラ・バルトロメオ]]の影響も指摘されている<ref name="ReferenceMP" />。しかし、ラファエロはレオナルドとは異なり、人物の容貌と態度のより明白な自然さ、そして豊かで明るい色彩に対する好みを画面に付与している。さらにキリストの未来の「[[受難]]」を示唆しつつ、聖母と聖ヨセフが我が子であるキリストと視線を交わしあうことで聖家族の慈愛に満ちた絆を表している。この点でラファエロは、当時のほかの画家とは一線を画す特質を示しているのである<ref name="ReferencePG />。
仔羊はキリストの犠牲の象徴であり、レオナルドの『聖アンナと聖母子』などの他の同様の絵画にも描かれている。また、構図の明快さや聖母マリアの顔立ちなど、いくつかの詳細は究極的にはレオナルドの作品を参照している<ref name="ReferencePG" />。一方、聖ヨセフの描写には[[フラ・バルトロメオ]]の影響も指摘されている<ref name="ReferenceMP" />。しかし、ラファエロはレオナルドとは異なり、人物の容貌と態度のより明白な自然さ、そして豊かで明るい色彩に対する好みを画面に付与している。さらにキリストの未来の「[[受難]]」を示唆しつつ、聖母と聖ヨセフが我が子であるキリストと視線を交わしあうことで聖家族の慈愛に満ちた絆を表している。この点でラファエロは、当時のほかの画家とは一線を画す特質を示しているのである<ref name="ReferencePG" />。


風景は、ラファエロの同時代のほかの作品にも見られる建築物に満たされているが、それらはイタリアのものではなく、おそらく北方の[[エングレービング]]から採られたものであろう<ref name="ReferenceMP" />。自然の緻密な描写、とりわけ前景の植物の描写は、若いラファエロが当時[[フィレンツェ]]にあった[[ハンス・メムリンク]]の絵画、特に『[[パガニョッティ三連祭壇画]]』 (ウフィツィ美術館) を研究していたことを示唆している<ref name="ReferenceMP" />。
風景は、ラファエロの同時代のほかの作品にも見られる建築物に満たされているが、それらはイタリアのものではなく、おそらく北方の[[エングレービング]]から採られたものであろう<ref name="ReferenceMP" />。自然の緻密な描写、とりわけ前景の植物の描写は、若いラファエロが当時[[フィレンツェ]]にあった[[ハンス・メムリンク]]の絵画、特に『[[パガニョッティ三連祭壇画]]』 (ウフィツィ美術館) を研究していたことを示唆している<ref name="ReferenceMP" />。

2023年9月29日 (金) 00:17時点における版

『仔羊のいる聖家族』
イタリア語: Sacra Famiglia con l'agnello
英語: The Holy Family with a Lamb
作者ラファエロ・サンティ
製作年1507年ごろ
種類板に油彩
寸法29 cm × 21 cm (11 in × 8.3 in)
所蔵プラド美術館マドリード
レオナルド・ダ・ヴィンチ聖アンナと聖母子』(1508年ごろ) ルーヴル美術館パリ
ハンス・メムリンクパガニョッティ三連祭壇画』(1480年ごろ) ウフィツィ美術館フィレンツェ

仔羊のいる聖家族』(こひつじのいるせいかぞく、西: Sagrada Familia del cordero: The Holy Family with a Lamb)は、ラファエロ・サンティによる板上の油彩画である。「RAPHAEL URBINAS」と署名されており、1507年ごろに制作された。作品はマドリードプラド美術館に所蔵されている[1][2]

この作品の最初の所有者は知られいていないが、1703年にローマのファルコニエリ・コレクションにあったことが知られている[1]。その後すぐにスペインの王室コレクションに入ったが、1724年にイタリアの画家カルロ・マラッタフェリペ5世のために購入したラファエロの『エジプトへの逃避途上の休息』が本作にあたるとみなす研究者もいる[1]。実際、本作の画面中景左側には、聖家族のエジプトへの逃避の情景が描かれている[1]。作品はおそらく18世紀にエル・エスコリアル修道院に移され、1837年に王室のコレクションとともにプラド美術館に入った[1]

オックスフォードアシュモレアン博物館には、準備素描が残っている[1]。数多くの古いコピーからも明らかなように、この作品は非常な成功を収めた。

作品

聖母マリアと幼児イエス・キリストのモティーフの新しい構成を考えることは、16世紀初頭におけるレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロ、ラファエロの3巨匠の主要関心事であった[3][3]。ミケランジェロは『聖家族』 (ウフィツィ美術館) に見られるように、幼い洗礼者ヨハネだけでなく聖ヨセフも加えた。一方、レオナルドは『聖アンナと聖母子』 (ルーヴル美術館) に聖アンナを加えている。ラファエロは、本作や『聖母子と髭のない聖ヨセフ』 (エルミタージュ美術館) にミケランジェロ同様、聖ヨセフを加えている[3][4]

本作では、傾斜した丘、小さな木、人間の存在の兆候が点在する魅惑的な田園風景の中で、聖家族は横方向にピラミッド型の構図を形成している。構成上、聖アンナ聖母子、仔羊を描いたレオナルドの現存しない素描 (複製がジュネーヴの個人コレクションにある) に着想を得ているが、レオナルド作品の聖アンナは、本作では聖ヨセフに取って代わられている[1]。左下の仔羊の上に幼子イエスが乗り、聖母マリアはキリストを仔羊から引き離そうとしている。聖ヨセフは聖母の後ろで杖を握り、腰を曲げて立っている。X線による調査では、仔羊の位置とイエスの手に変更が加えられたことと、聖ヨセフの背後の木が後に加えられたことが明らかになっている[1]

仔羊はキリストの犠牲の象徴であり、レオナルドの『聖アンナと聖母子』などの他の同様の絵画にも描かれている。また、構図の明快さや聖母マリアの顔立ちなど、いくつかの詳細は究極的にはレオナルドの作品を参照している[2]。一方、聖ヨセフの描写にはフラ・バルトロメオの影響も指摘されている[1]。しかし、ラファエロはレオナルドとは異なり、人物の容貌と態度のより明白な自然さ、そして豊かで明るい色彩に対する好みを画面に付与している。さらにキリストの未来の「受難」を示唆しつつ、聖母と聖ヨセフが我が子であるキリストと視線を交わしあうことで聖家族の慈愛に満ちた絆を表している。この点でラファエロは、当時のほかの画家とは一線を画す特質を示しているのである[2]

風景は、ラファエロの同時代のほかの作品にも見られる建築物に満たされているが、それらはイタリアのものではなく、おそらく北方のエングレービングから採られたものであろう[1]。自然の緻密な描写、とりわけ前景の植物の描写は、若いラファエロが当時フィレンツェにあったハンス・メムリンクの絵画、特に『パガニョッティ三連祭壇画』 (ウフィツィ美術館) を研究していたことを示唆している[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k The Holy Family with a Lamb”. プラド美術館公式サイト (英語). 2023年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c プラド美術館ガイドブック、2009年、228項参照。
  3. ^ a b c ジェームズ・H・ベック 1976年、102項。
  4. ^ 三浦朱門・高階秀爾 1985年、84項。

参考文献

  • 『プラド美術館ガイドブック』、プラド美術館、2009年刊行 ISBN 978-84-8480-189-4
  • ジェームズ・H・ベック 若桑みどり訳『世界の巨匠シリーズ ラファエㇽロ』、美術出版社、1976年刊行
  • 三浦朱門高階秀爾『カンヴァス世界の大画家 10 ラファエㇽロ』、中央公論社、1985年刊行 ISBN 4-12-401900-9
  • Pierluigi De Vecchi、 Raffaello 、Rizzoli、Milan1975。
  • Luitpold DUSSLER、 Raphael、彼の写真の重要なカタログ、壁画とタペストリー、Phaidon、ロンドンとニューヨーク、1971年、 ISBN 0-7148-1469-5
  • JürgenM。LEHMANN、 Raffael、die Heilige Familie mit dem Lamm von 1504、das Original und seine Varianten 、Arcos Verlag、Landshut 1995、 ISBN 3-9804608-1-9

外部リンク