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「中銀カプセルタワービル」の版間の差分

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| 用途 = 集合住宅
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| 階数 = A棟地上13階、B棟地上11階[[地下室|地下]]1階{{Sfn|前山|2014a|p=104}}
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| 解体 = 2022年<ref name=東京新聞20230524>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/252040 走れ!カプセルタワー:銀座にあった名建築 車に再生/黒川紀章氏の思想載せ西へ東へ]『[[東京新聞]]』朝刊2023年5月24日26面(同日閲覧)</ref>
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| 所在地郵便番号 = 104-0061
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| 所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]8-16-10<ref name="kurakata57">[[#倉方 2017|倉方 2017]] 57頁</ref>
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| 経度秒 = 48.402
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| 座標右上表示 = yes
| 座標右上表示 = yes
| 位置図種類 = Tokyo city
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'''中銀カプセルタワービル'''(なかぎんカプセルタワービル)は、[[黒川紀章]]が建築設計[[松井源吾]]が構造設計をした、世界初め実用化された[[カプセル]]型の[[集合住宅]](分譲[[マンション]]<ref name="読売20220721"/>)である。1972年([[昭和]]47年)、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]で竣工。量産や複製を重視する[[日本]]発の建築理論・運動「[[メタボリズム]]の代表的作品であった<ref name="読売20220721"/>。2022年に解体され、構成していたカプセル140個のうち、保存・再生プロジェクトが23個を取り外した<ref name=東京新聞20230524/>。
'''中銀カプセルタワービル'''(なかぎんカプセルタワービル)は、[[黒川紀章]]が建築設計した[[集合住宅]]である。2本の主柱に合わせ140個の[[カプセル]]型居住空間が取り付けられ、単身者向け都心のセカンドハウスとしてデザインされた<ref name="nikkei162">[[#日経 2009|日経 2009]] 162頁</ref>。一方、利用者のニーズにより事務所としても活用された<ref name="tanabe165"/>。1972年([[昭和]]47年)、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]で竣工老朽化により2022年に解体された<ref name="archi"/>。世界で初めて実用化されたカプセル建築であることに加え[[メタボリズム]]の象徴的建築であり、黒川紀章の代表的作品であった<ref name="sawaragi254">[[#椹木 2015|椹木 2015]] 254頁</ref><ref name="magenuma528">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 528頁</ref>。


== 概要 ==
== 歴史 ==
=== 依頼 ===
「中銀」と冠されているが、これは「東京都'''中'''央区'''銀'''座」に由来して名付けられた管理会社の「[[中銀グループ|中銀(なかぎん)グループ]]」のことであり、[[中部銀行]]や[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]などとは一切関係ない。
施主は中銀マンシオンの渡辺酉蔵<ref name="magenuma321">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 321頁</ref>。渡辺は貸しビルの案件を担当したことをきっかけに弁護士から不動産業に転身し、'''中'''央区'''銀'''座から名前を取った中銀建物と中銀マンシオンという2つの会社の社長をしていた<ref name="magenuma321"/><ref name="magenuma322">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 322頁</ref><ref name="2022suzuki10">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 10頁</ref>。アメリカ旅行でセカンドハウスに触発された渡辺は別荘の民主化を提唱し、別荘が作りや値段において一般的な住宅と同様の売られ方をしていた時代に、大衆に手が届きやすいものを提供しようとしていた<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=別荘の民主化と大衆化|title=実業往来|author=清水馨八郎、渡辺酉蔵|volume=1968年7月号|publisher=実業往来社|pages=76-79}}</ref>。


一方、建築運動・[[メタボリズム]]グループの中で、最低限の機能のみで構成された居住空間「カプセル」という手法に強い関心を持っていたのが[[黒川紀章]]だった<ref>[[#新建築 2011|新建築 2011]] 307頁</ref><ref>[[#八束 1997|八束 1997]] 252頁</ref>。黒川は機能を分割したカプセルを組み合わせた「カプセル建築」で建築を捉え直し、メタボリズムの生命の原理、代謝といった考え方を表現しようとした<ref>[[#内井 2000|内井 2000]] 317頁</ref><ref>[[#内井 2000|内井 2000]] 318頁</ref>。カプセル建築のプロトタイプである、黒川の設計による[[日本万国博覧会|大阪万博]]の「空中テーマ館」や「タカラ・ビューティリオン」に感心した渡辺は、新しく建築予定だった銀座8丁目のマンションの設計を黒川に依頼することにした<ref name="magenuma323">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 323頁</ref>。特別な建物を所望する依頼主に対し、黒川は都心型のセカンドハウスをカプセル建築で実現しようとした<ref name="magenuma325">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 325頁</ref>。
[[鳥]]の[[巣箱]]を積み重ねたような、また日本国外からの見学者はドラム式の「[[洗濯機]]を積み重ねたような」と表現する特異な外観は、[[ユニット]]製のマンションで、[[事務所]]としての利用も可能だった。こうした機能をダイレクトに表現し、メタボリズムの設計思想を明確に表現したデザイン性は高く評価されている。2006年には、[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選ばれている。1つのカプセル(1部屋)の面積は 10 m{{sup|2}} (4000mm × 2500&nbsp;mm) である<ref>{{Citation|和書|author=塚本由晴+西沢大良|date=2004|title=現代住宅研究|publisher=[[INAX]]出版|isbn=4-87275-117-5|page=99}}</ref>。また、[[ビジネスマン]]の[[セカンドハウス]]またはオフィスとして想定されたその内装は、ベッド、[[エア・コンディショナー|エアコン]]、冷蔵庫、回転ダイヤル式電話機、アナログ式テレビ、フルサイズコンポーネントの[[レシーバー]]、[[オープンリール]]式[[テープレコーダー]]からなるステレオ、収納、[[ユニットバス]]などが作りつけで完備されている一方で、[[台所|キッチン]]や[[洗濯機]]置き場はない<ref name="itmedia181114">{{Cite web|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1811/14/news007_2.html |title=築46年なのに、なぜ「中銀カプセルタワー」に人は集まるのか (2/7)|publisher=[[ITmedia]]ビジネスオンライン |date=2018年11月14日|accessdate=2018-12-18 }}</ref>。これは、寝たり余暇を過ごしたりするためだけの場所として使い、食事は外で済ませて、洗濯は[[コンシェルジュ]]に頼むことができたからであった<ref name="itmedia181114"/>。


社内ではコストが通常の2倍かかることから強い反対意見があったものの、渡辺の伝記「空を買った男」には「個人財産を費やしてでも実現する」という強い思いを持っていたことや、社員を説得するために「カプセル一つで広告費はいくらになるだろうか」と問いかけたと記述されており、最終的にチャレンジ精神を重んじる社風が優先されている<ref name="tanabe164"/><ref>[[#渡辺 1992|渡辺 1992]] 141頁</ref><ref>[[#渡辺 1992|渡辺 1992]] 144-145頁</ref>。
それぞれの部屋(カプセル)の独立性が著しく高く、カプセルごとに交換することも技術的には可能な設計になっていたが、実際には一部のカプセルが交換困難だったことなどから、実施されずに終わった。計画では竣工から25年毎(最初が1997年)に交換されるはずだった<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASP4N54K1P3WUTIL01X.html 銀座の「宇宙船」ビル、住人の退去進む 名建築が岐路に] [[朝日新聞デジタル]](2021年4月21日)2022年7月24日閲覧</ref>。


=== 設計 ===
[[#建て替え問題|後述]]のように老朽化や、人体に有害なアスベスト([[石綿]])が使われていることなどを理由として取り壊し・建て替えが計画され、2022年3月13日に最後の入居者の退去が終わり、2022年4月12日から解体工事が始まった<ref>「[https://www.asahi.com/articles/DA3S15264169.html 中銀カプセル、いつかまた タワー解体始まる]」朝日新聞デジタル(2022年4月13日)2023年5月24日閲覧</ref>。
まず黒川がデザインしたスケッチを元に、事務所スタッフの阿部暢夫と上田憲二郎が詳細な設計図作成を担当した<ref name="magenuma324">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 324頁</ref>。建物のコアの部分は下沢康二、カプセルは茂木愛子が担当した<ref name="zadankai164">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 164頁</ref>。工場から輸送できる限界の大きさを逆算しカプセルの寸法が決まると、最大で140個のカプセルが取り付けられることが分かり、渡辺が重要視する採算性もクリアできると確信した<ref name="magenuma325"/><ref name="magenuma328">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 328頁</ref>。若いスタッフが担当していたこともありカプセルの重量に苦労していたが、事務所を訪れていた[[松井源吾]]が構造設計を手助けすると重量は半分まで削減された<ref name="zadankai164"/>。阿部と上田らスタッフが模型の製作をしていくうちに、見た目も美しいカプセルの組み合わせ方が固まっていき、黒川の承認を得たことでデザインが確定した<ref name="magenuma328"/><ref name="magenuma329">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 329頁</ref><ref name="magenuma330">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 330頁</ref>。実際に製造されるカプセルが140個ということもあり、量産化のための金型を作るわけにもいかず製造を請け負う会社を見つけるのに苦労したが、海上用コンテナを製造していた[[アルナ工機]]がカプセル本体を、内装は[[YS-11]]も手掛けたことがある[[大丸]]装工部が担当することに決まった<ref name="magenuma330">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 330頁</ref><ref name="tanabe164">[[#日経 2009|田辺 2009]] 164頁</ref>{{Efn|設計担当の阿部がクルーザー好きだったことから、百貨店に船舶の内装を請け負う部署があることを知っており大丸装工部への依頼につながった<ref name="magenuma330"/>。}}。施工を担当する[[大成建設]]はエレベーターや配管の設置が特殊なこともあり、カプセルタワーのためだけの技術委員会を新たに設置し対応しようとした<ref name="magenuma332">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 332頁</ref><ref name="magenuma333">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 333頁</ref>。


設計中には、渡辺の心変わりにより予定地に自社ビルを建てることになり、建設中止の連絡が来たことがあった<ref name="magenuma334">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 334頁</ref><ref name="magenuma336">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 336頁</ref>。渡辺と直接話し合う中で黒川はカプセルタワー内にオフィスフロアを新しく盛り込むことを提案し、その案に渡辺が納得したので建築計画は続行されることになった<ref name="magenuma337">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 337頁</ref>。建築許可を得るため都庁や建設省との折衝を担当していた上田は、この修正により設計案の見直しをしなければならなかったが、既に申請から1年半経過していることもありなんとか承認を得て着工できることになった<ref name="magenuma334"/><ref name="magenuma337"/>。申請に時間がかかった理由について建築の特殊性があり、階数や床面積をどのように定めるかの検討、防火認定を得るための実証実験、防災・避難計画の策定が行われた<ref name="tanabe164"/>。また建築関係以外にも、税金や保険、カプセルを取り外した場合の所有権がどうなるのかといった法律面の課題や、カプセルが工場で完成した時点から発生する金利を誰が負担するのかといった論点があった<ref name="tanabe164"/>{{Efn|実際にカプセルが取り外されることはなかったので、2009年時点で課題は未解決のままだった<ref name="tanabe164"/>。}}。
美術館での展示保存や宿泊施設としてのカプセル再利用などが検討されている<ref name=":0">{{Cite web |title=黒川紀章の代表作、銀座「カプセルビル」を来月解体…一部は美術館へ |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220328-OYT1T50124/ |website=読売新聞オンライン |date=2022-03-28 |accessdate=2022-03-28 |language=ja}}</ref>。全140個カプセルのうち23個のカプセルは、美術館での展示保存や宿泊施設としての再利用するため[[千葉県]]内の工場へ輸送され、内装・外装ともに運用開始直後を再現する形へと再生されたほか、[[デジタルアーカイブ]]でデータを保存する動きもある([[#芸術的価値と継承の動き|後述]])。


=== 建設 ===
{{gallery
あらかじめ工場で作成されたコンクリートパーツ、エレベーター、階段などを現地へ輸送し、軸となる2本のシャフトが完成すると1971年11月8日からカプセルの取り付けが始まった<ref name="magenuma338">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 338頁</ref>。カプセルは、450キロ離れた滋賀の工場からその日ごとに取り付ける分だけ順次輸送されていった<ref name="magenuma338"/><ref name="ueda296">[[#植田 2004|植田 2004]] 296頁</ref>。カプセルの保存場所に余裕がなく、輸送に使う大型車両の通行時間の規制もあったため、前日の夕方に出発し当日の朝に到着する段取りだった<ref name="magenuma338"/>。クレーンで吊り上げられたカプセルはボルトでシャフトに固定されていった<ref name="magenuma339">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 339頁</ref>。作業員も最初は固定作業に1時間ほどかかっていたが、カプセルの固定は反復作業なので慣れると15分ほどに短縮されていた<ref name="magenuma339"/>。大成建設は、工期短縮を図りながらも全行程の15万5000時間を無事故で完遂している<ref name="kaihatsu">{{Cite book2|df=ja|chapter=反響呼ぶ「中銀カプセルマンション」 黒川紀章氏の"カプセル宣言"を初めて商業化|title=都市開発|author=|volume=1972年6月号|publisher=都市開発研究会|pages=65-68}}</ref>。1971年12月24日に最後のカプセルが取り付けられると、残りの配管や内装工事は1972年4月5日に終了しついに竣工した<ref name="magenuma341">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 341頁</ref><ref name="magenuma342">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 342頁</ref>。
|width=170
|height=150
|File:Nakagin_Capsule_Tower_2008.jpg|外観
|File:Nakagin Capsule Tower (51474714434).jpg|室内
|File:Nakagin Capsule Tower (51473888806).jpg|浴室
|File:Nakagin Capsule Tower.ogv|動画
}}


== 建て替え問題 ==
=== 入居開始 ===
全体工事終了の2日後には早速住民の入居が始まった<ref name="magenuma342"/>。カタログの挿絵は、[[カーグラフィック]]で車の内装を担当しているイラストレーターに依頼し、ベッドに横たわりながら電話をかけるビジネスマンの写真が使われ、キャッチコピーの「ビジネスに遅れをとらない」ことが強調されたものとなった<ref name="magenuma343">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 343頁</ref><ref name="zadankai164"/>。1日1000件の問い合わせが来る大反響で、年末には100室ほどが売約、予約済となった<ref name="tanabe165">[[#日経 2009|田辺 2009]] 165頁</ref><ref name="magenuma346">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 346頁</ref>。土地は中銀マンシオンが所有しており、カプセルの所有権が380万から486万円で分譲された<ref name="magenuma344">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 344頁</ref>。管理費は月額で1万3900円ほどだった<ref name="magenuma344"/>。
=== 2000年代 ===
竣工後30年が経過し、設備の老朽化と外壁内側の壁・天井・床全面にふき付けアスベストが使用されていることが問題となり、建て替えが検討されることになった。6階のある部屋は2005年4月7日の東京労働安全衛生センターのアスベスト濃度測定で300f/L(リッター中のアスベストが300本空気中に存在する)と、許容値の10倍といった高濃度の結果が出た。それに対して設計者の黒川は、メタボリズムの設計思想に基づいてカプセルの交換によって問題を解決することを居住者側に求めたが、[[2006年]]9月に開催されたマンションの区分所有者の総会で建て替えが決まったと報道された。しかし、実際には過半数の所有者が賛成したに過ぎず、[[建物の区分所有等に関する法律|区分所有法]]で定められている[[議決|議決権]]及び区分所有者の80%以上の賛成を得ていないため、建て替えるか否かは決まっていなかった<ref>{{Cite news |title=TOKYO発 プレーバック 話題その後は |newspaper=『東京新聞』朝刊 |publisher=[[中日新聞東京本社]] |page=26 |date=2006.12.29 }}</ref>。


売れ行き好調の理由について雑誌「都市開発」では、[[銀座]]、[[新橋 (東京都港区)|新橋]]、[[東京国際空港|羽田空港]]に近く交通の便が良いこと、オフィス街に近く会社の会議室や休憩室としての需要もあったと分析されており、分譲についても好意的に取り上げられている<ref name="kaihatsu"/>。中銀マンシオンによると購入者の74%が男性、平均年齢が42.9歳、7割が会社員であり、利用目的では、半数以上が「寝る場所」としていた<ref name="magenuma346"/>。当初予測では、都内在住者の購入は20~30%ほどだろうと考えていたが、目論見とは違い60%の購入者が都内在住者であった<ref name="kaihatsu"/>。また、都内のマンション建築は一定数投資目的で購入されるものの、カプセルタワーはそれらと比較して著しく低い割合だった<ref name="kaihatsu"/>。
その後、2007年4月には区分所有者の80%以上の賛成を得て建て替えが決議され、地上14階建てのビルに建て替えられる方向で計画された。しかし、跡地にマンションを建築する予定だった[[ゼネコン]]が倒産。建て替えのないまま2年が経過し、決議は2009年に無効となった<ref>{{Cite news |title=カプセルビル、揺れる存続…黒川紀章氏が設計 |newspaper=読売新聞 |date=2015-11-30 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20151130-OYT1T50082.html |accessdate=2015-11-30}}</ref>。


建設当初は、郊外や遠方に住んでいる利用者の事務所機能や、本社が地方都市にある企業の宿泊施設として利用されることが多かったものの、バブル期には投資物件として注目が集まった<ref name="tanabe165"/><ref>{{Cite book|和書|page=96|editor=SD編集部|title=黒川紀章 (現代の建築家)|year=1979|publisher=鹿島出版会|isbn=4306041069}}</ref><ref name="project112">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 112頁</ref>。1987年に行われた管理会社である中銀ハウジングへの取材では、オフィス利用者が半数で残りは投機目的であり住居としてほとんど使われておらず、年間1割の所有者が入れ替わることで地価が高騰し、当初の販売価格から3倍に上昇していることが語られている<ref name="tanabe165"/>。また、不動産データを扱う東京カンテイによれば、1990年にはカプセルの面積10&nbsp;m<sup>2</sup>あたり4000万円まで価格が上昇した記録が残っている<ref>{{Cite web|和書|title=プログレ・マンションは死ぬのか? ー“この種のマンションはなぜ消えたのか”中銀カプセルタワービルから読み解くー|url=https://mansionlibrary.jp/article/30161/|author= 井出 武|publisher=マンション図書館|date=2022年11月04日|accessdate=2023年11月19日}}</ref>。
==== 『週刊新潮』との訴訟 ====
この建て替えに際し、『[[週刊新潮]]』が[[2005年]]9月8日に掲載した内容について、黒川との間で訴訟となった。記事の内容は、アスベストによって建物が汚染されているという問題を軽視して、黒川が中銀カプセルタワービルの保存を求めており、さらにその際、中銀カプセルタワービルは「[[世界遺産]]候補である」という虚偽の説明をしたというものである。黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し、謝罪広告の掲載と損害賠償を求めたが、[[東京地方裁判所]]は2007年4月20日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し請求を棄却した<ref>{{cite web |url=http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |title=中銀カプセルタワー報道をめぐる黒川紀章氏の賠償請求を棄却、東京地裁 |accessdate=2016-03-04 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304120253/http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |publisher=[[日経BP]] |archivedate=2016-03-04 |df= }}</ref>。黒川はその判決を不服として[[控訴]]し、審理は高等裁判所に持ち越されることになったが、同年10月12日に死去。11日後の10月23日に、[[東京高等裁判所]]は地裁判決を支持し控訴を棄却している。


=== 2010年代 ===
=== 建て替え決議 ===
バブル崩壊後に老朽化が進み配管設備の漏水が深刻化し、隣のビルの増築の影響で日が射さなくなると屋根の腐食で雨漏りにも悩まされることになった<ref name="magenuma543">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 543頁</ref><ref name="project112"/>。設計上カプセルを取り外さないと共用部の配管の交換が行えなかったため、修繕も行われなかった<ref>{{Cite web|和書|title=解体が進むメタボリズム建築「中銀カプセルタワービル」が残したもの|url=https://wired.jp/gallery/nakagin-capsule-tower-building/|author= DAISUKE TAKIMOTO|publisher=wired|date=2022年6月26日|accessdate=2023年11月12日}}</ref>。1997年の植田実の取材によると、オーナーの所在地がそれぞれ全国に散らばっていることや、カプセル所有者間で維持管理への関心の違いにより対応に苦労し、管理組合を設立したカプセル所持者の弁護士が管理会社である中銀ハウジングを巻き込む形で話し合いの場を設けた<ref name="ueda300">[[#植田 2004|植田 2004]] 300頁</ref>。集中冷暖房や24時間対応の給湯設備を一括で管理会社が請け負うのはコストに見合わず、個人で冷房を導入する対応が必要になり、スラム化の危機と隣り合わせだった<ref name="ueda300"/><ref name="ueda301">[[#植田 2004|植田 2004]] 301頁</ref>。
2014年、取り壊しに反対する保存派の所有者・住人を中心に「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が結成された。[[クラウドファンディング]]で[[寄付]]を集めた際には、目標150万円に対して最終的に200万円以上が集まるなど、取り壊さず保存すべきとの意見も根強くあった<ref>{{Cite web
| url=https://motion-gallery.net/projects/nakagincapsule2015
| title=「中銀カプセルタワービル」を未来へ! 世界遺産になりうる建築の保存・再生に直結する、ビジュアル・ファンブックの出版
| publisher=MotionGallery
| accessdate=2015-10-04
}}</ref><ref name=nikkei20150921>{{Cite news
| url=http://www.nikkei.com/article/DGXKZO91907700Y5A910C1H56A00/
| title=「カプセルタワー」人気再燃 エアビーアンドビー、老朽ビルに光
| work=日経電子版
| newspaper=[[日本経済新聞]]
| date=2015-09-21
| accessdate=2015-10-04
}}</ref>。


多数のオーナーが建て替えに賛成する中、法改正された建築基準に適合しないことから解体されれば同じような建築は不可能なため、黒川は修繕案を提案し建て替えに反対した<ref name="magenuma543"/><ref name="magenuma544">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 544頁</ref>。建て替え推進派の試算によると、建築申請を再び提出しなければならないものの費用は一戸あたり511万円になる一方、黒川の修繕案ではカプセルの交換に一戸あたり880万円が必要になり部屋の広さも変わらなかった<ref name="magenuma544"/>。一方、黒川の試算ではカプセル交換の方が安く、建て替えに5年ほどかかるのに比べ工期も8カ月で終わるとしている<ref name="tokyojin">{{Cite book2|df=ja|chapter=黒川紀章インタビュー 世界に誇るメタボリズム建築 中銀カプセルタワーの行方は?|title=東京人|author=松葉一清|volume=2007年2月号|publisher=都市出版|pages=70-75}}</ref>。2006年9月に行われた臨時総会では、所有者119人のうち委任状を含む81人が参加し、その内61人が建て替えに賛成した<ref>『朝日新聞』2006年9月25日 夕刊18面 黒川紀章さん「中銀カプセルタワービル」「交換」して保存かなわず</ref>。2007年4月に行われた決議では80%以上のオーナーが賛成し建て替えが決定したものの、その後のリーマンショックの影響で解体業者が倒産し実施までいかず、決議も無効になった<ref name="nikkei161">[[#日経 2009|日経 2009]] 161頁</ref><ref name="project122">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 122頁</ref><ref name="morita20215"/>。
2014年12月の管理組合総会において、建て替えか大規模修繕かの決議が再度行われる見込みであったが大規模修繕は否決された。


黒川は生前のインタビューで問いかけられた「メンテナンスについての話し合いはなかったのか」という質問に対し、1997年から黒川と大成建設でカプセル交換の要望書を提出していたと答えている<ref name="morita20172">{{Cite book2|df=ja|chapter=保存か建て替えか 中銀カプセルタワービル④ カプセルのセルフエイド|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2017年2月号|publisher=テツアドー出版|pages=88-94}}</ref>。黒川は個人でもカプセルを買い取り、可能ならば全ての所有権を手に入れて改修を成し遂げたいという思いを持っていた<ref name="morita20172"/>。一方、2003年に発足した建て替え推進委員会は、2004年9月に黒川事務所と大成建設に補修案の提出依頼を打診しているが、回答は無かったと答えている<ref name="shincho">{{Cite book2|df=ja|chapter=住民を激怒させた「黒川紀章」の「アスベスト汚染」マンション|title=週刊新潮|volume=2005年9月8日号|publisher=新潮社|pages=145-147}}</ref>。
2015年には管理組合は禁止している[[Airbnb]]を利用したカプセルの利用に人気が集まった<ref name=nikkei20150921 />。


=== 2020年代 ===
==== 訴訟 ====
2005年9月号の[[週刊新潮]]に掲載された、カプセルタワーが[[石綿|アスベスト]]に汚染されているという記事に対して、黒川は名誉棄損の訴訟を起こしている<ref name="magenuma542">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 542頁</ref>。記事では、住民の一人の要望により行われた調査により、露出したアスベストがエアコンの風で部屋中に飛散していた可能性が指摘され、テーブルや床にも落ちていたことが確認されている<ref name="shincho"/>。カプセルは鉄骨構造だが、内側の腐食を防ぐためアスベストの1種である「アモサイト」が吹き付けられていた<ref name="flash">{{Cite book2|df=ja|chapter=都会の「限界マンション」 住んだら地獄!|title=FLASH|volume=2014年5月6日号|publisher=光文社|pages=100-101}}</ref>。2005年6月の[[クボタショック|クボタ]]の情報公開により[[アスベスト問題]]が全国的に大きく取り上げられていた時期だが、カプセルタワーは吹付アスベストが禁止される1975年、アスベストが含まれた素材の利用が禁止される2004年より以前に建てられているので、法的に問題はなかった<ref name="magenuma542"/><ref name="shincho"/>。黒川は話し合いの場で「カプセルタワーは世界遺産候補になっているから、一時的な補修で済ませたい」と発言したが、候補になるには築50年以上で文化財になっていることが条件なのだから間違っていると強く批判する記事だった<ref name="shincho"/>。黒川は記事に協力したカプセルの所有者が、アスベスト問題の象徴として悪評を広めようとしているのではないかと疑い訴訟に踏み切った<ref name="magenuma542"/>。
2020年10月頃に、解体・建て替えを計画している買受企業にほとんどの住民がカプセルの所有権を売却した。


黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し1億円の損害賠償と謝罪広告を求めたが、[[東京地方裁判所]]は2007年4月11日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し週刊新潮側の全面勝訴で終わった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |title=中銀カプセルタワー報道をめぐる黒川紀章氏の賠償請求を棄却、東京地裁 |accessdate=2016-03-04 |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304120253/http://www.nikkeibp.co.jp/news/const07q2/531566 |publisher=[[日経BP]] |archivedate=2016-03-04 |df= }}</ref><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=都知事選と民事裁判で連敗 めげない黒川紀章「敗戦の弁」|title=週刊朝日|volume=2007年4月27日号|publisher=朝日新聞社|pages=144}}</ref>。
2021年3月、解体・建て替えを計画する不動産業者への売却が決議され、住人の退去が進んだ<ref>{{Cite news |title=建築家・黒川紀章の代表作、銀座の「中銀カプセルタワービル」売却決定…老朽化で耐震補強難しく |newspaper=読売新聞 |date=2021-5-4 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210503-OYT1T50199/ |accessdate=2021-5-4}}</ref>。


=== 老朽化・解体 ===
2022年2月時点で隣接する中銀本社ビル・城山ビルの解体工事が始まっていた。現地の標識によると「(仮称)中銀カプセルタワー解体工事(I期:中銀本社ビル・城山ビル)」となっており、中銀カプセルタワー自体も解体工事の計画に含まれていることが確認された<ref name=":0" />。
[[File:Nakagin Capsule Tower (51473994218).jpg|thumb|カプセル間のすき間]]
一旦は解体決議が無効になったものの2010年ごろに給湯管が破裂し、配管が張り巡らされていたこととカプセル間が狭いことから修理ができず、建物全体で給湯機能が停止した<ref name="project121">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 121頁</ref><ref name="project117"/>。1階にある簡易的なシャワースペースを交代交代で使わなければならず<ref name="flash"/>、浴槽は洗濯機置き場にして近くの銭湯に通う利用者も複数いた<ref name="project89">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 89頁</ref><ref name="2020project50">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 50頁</ref><ref name="2020project78">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 78頁</ref><ref name="2020project84">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 84頁</ref>。セントラルヒーティングも故障しているため、カプセルの5面が外気と接していることからカプセル内は熱しやすく冷めやすい状態で各部屋で対処が必要だった<ref name="project117"/>。元住人の証言では、雨漏りで垂れてくる水には[[錆|サビ]]が混じっている状態で、景気が上向いていたことから中止された建て替えの声が再び大きくなり、管理組合側の買い増しが進められた<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=黒川紀章の有名建築「お湯が出ない!」で解体騒動|title=FRIDAY|volume=2014年11月7日号|publisher=講談社|pages=10-11}}</ref><ref name="yomiuri20210504">『読売新聞』2021年5月4日24面「カプセルビル保存厳しく」</ref>。


一方、2008年に住民による「中銀カプセルタワー応援団」というブログが開設されると、メディアから注目を集め取材を受けるようになっていった<ref name="project92">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 92頁</ref>。2010年から2011年にかけてブログを通して連絡を取った前田達之がカプセルを購入していき、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」を立ち上げた<ref name="project93">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 93頁</ref>。前田は、カプセルを手放すオーナーから買い取ることで所有カプセルを増やし、建て替えに反対できる数を得ようとしていた<ref name="gakkai24">[[#建築学会 2018|建築学会 2018]] 24頁</ref>。
2022年4月12日から解体工事が始まった<ref>「[https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/25437 中銀カプセルタワービル、解体工事が開始。今後の行方は?]」[[美術手帖]](2022年4月12日)2023年5月26日閲覧</ref>。[[#デジタルアーカイブ|後述]]するように[[設計図]]から作成した3次元データに基づいて再建する権利を販売する[[オークション]]が同年8月31日まで行われていた<ref name="読売20220721">[https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220721-OYT1T50164/「黒川紀章設計 カプセルビル再建権利販売/3次元データ 1人限定」]『[[読売新聞]]』夕刊2022年7月21日8面(2022年7月24日閲覧)</ref>。


[[File:Nakagin Capsule Tower (51472988782).jpg|thumb|屋根にダメージのあるカプセル]]
== 芸術的価値と継承の動き ==
保存・再生プロジェクトの2015年の調査では、140のカプセルの内使用されているのは半分ほどで、35名が住居として利用していた<ref name="project117">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 117頁</ref>。プロジェクトが行ったアンケートによると、メリットとして交通の利便性が挙げられ、デメリットには特に空調やエレベーターの不具合を挙げる利用者が多かった<ref name="project88">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 88~89頁</ref>。改善点については、洗濯機の設置{{Efn|建設当初はコンシェルジュに洗濯物を頼めるサービスがあり、洗濯機を置くスペースが用意されていなかった<ref>{{Cite web|和書|title=【ラララ中銀カプセルタワー1カ月滞在記/前編】生まれてからずっと、中銀カプセルタワービルに帰りたかったのかもしれない|url=https://san-tatsu.jp/articles/95195/|author= 福井晶|publisher=散歩の達人|date=2021年04月27日|accessdate=2023年11月18日}}</ref>。}}、女性用シャワー、Wi-Fiのような共用設備の充実と大規模修繕が望まれていた<ref name="project88"/>。平成17年からカプセルタワーを扱っていた不動産会社のメイツホームでは、雨漏りが酷く給湯や空調に問題があることを事前に伝えた上で物件紹介をしていた<ref name="project108">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 108~115頁</ref>。

住居と事務所の利用率は半々ほどで、毎日の住処にしている住人や気分転換のために月に4~5回しか使わない利用者もいれば、カプセル解体の危機感から部屋でパフォーマンスや展示を行ったりする利用者もいた<ref name="project117"/><ref name="project65">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 65頁</ref><ref name="project77">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 77頁</ref><ref name="project74">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 74~75頁</ref>。知人・友人にカプセルを体験してもらいたいと積極的に来客を招く所有者もいれば<ref name="2020project60">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 60頁</ref>、オリジナルに近い形で残っているカプセルで、外国人向けの見学ツアーも開催された<ref name="2020project71">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 71頁</ref>。保存・再生プロジェクトは所有するカプセルをマンスリーで貸し出し体験できる取り組みを行い、その中には[[良品計画|無印良品]]がインテリアコーディネートしている無印カプセルと呼ばれる一室もあった<ref name="2020project5">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 5~6頁</ref><ref name="2020project96">[[#プロジェクト 2020|プロジェクト 2020]] 96頁</ref>。2016年には7人の所有者が、合計11個のカプセルに対し独自で防水工事を行った<ref name="morita20172"/>。掛かった費用は1カプセル30万円ほどで、損傷個所をシーリング材、ブチルテープ、板金を用いて塞ぎ、カプセル屋根部分にはウレタン材で防水加工を施した<ref name="morita20172"/>。保存・再生プロジェクトが運営する[[Facebook]]ページには工事終了の報告と共に、修繕のための積立金1億円が使用されないとして、1/3の議決権を持つ中銀グループを批判するメッセージが発信された<ref name="morita20172"/>。

2018年に中銀グループが建物と敷地を売却し、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナ]]の流行をきっかけに経済的な理由で所有者がカプセルを手放していった<ref name="archi">{{Cite book2|df=ja|chapter=有名建築その後 中銀カプセルタワービル 「メタボリズム」の新たな船出|title=日経アーキテクチュア|author=橋本剛志|volume=2022年8月25日号|publisher=日経BP|pages=74-81}}</ref><ref name="2022suzuki216">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 216頁</ref>。2021年3月22日に管理組合は臨時総会を開き売却を決議し、2022年4月21日に解体が始まった<ref name="archi"/><ref name="yomiuri20210504"/>。解体は東京ビルドが担当し、まず内装を解体しカプセル内のアスベストを除去してから、骨組みだけになったカプセルを取り外していった<ref name="archi"/>。カプセル間は非常に狭く、解体作業は困難だった<ref name="archi"/>。カプセルは比較的状態の良いものから崩壊寸前のものまで老朽化具合は様々であり、状態の悪いものの中には「床板を剥がしたら、外壁が外れていたカプセルもあった」と東京ビルドの荒川課長は語っている<ref name="archi"/><ref name="morita20227"/>。

== 構造 ==
=== シャフト ===
[[File:Nakagin capsule arrangement (06F,09F) rA.svg|thumb|中銀カプセルタワービル6階の平面図]]
コアとも呼ばれる建物の中心となる縦長のシャフトは、メタボリズムにおける居住空間を支える枝の役割を果たす人工土地にあたり、エレベーターシャフトと階段、配管スペースのみで構成される[[ラーメン (骨組)|ラーメン構造]]だった<ref name="seisan">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービルの計画と工法|title=建築生産|author=上田憲二郎|volume=1972年1月号|publisher=工業出版|pages=1-19}}</ref><ref name="shinkentiku1972"/><ref name="bunka"/>。地下階には電気室と空調室、受水槽があり、2階は中銀のオフィスフロアが割り当てられた<ref name="seisan"/><ref name="magenuma337"/><ref name="tanabe166"/>。接続階の6,9,12階はブリッジで接続されA棟とB棟を行き来でき、避難ハシゴが配置されていた<ref name="seisan"/>。基準階では各シャフトに8つずつのカプセルが接続され、ブリッジ階では7個のカプセルが接続された<ref name="tanabe166"/>。それぞれの合計個数は、A棟で76個、B棟で64個である<ref name="project116">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 116頁</ref>。

地下階から2階までが普通コンクリートで、3階から上は軽量コンクリートが材料に使われた<ref name="shinkentiku1972"/>。建設時に階段室が早い段階で利用できるように、床板とエレベーターシャフトの周囲の壁には[[プレキャストコンクリート]]が使われた<ref name="shinkentiku1972"/><ref name="bunka"/>。エレベーター工事は昇降口3方枠やアンカーを先に埋めていたので、早く運転を開始することができた<ref name="bunka"/>。

排水は省スペースのため、2本の配管を一つにまとめられるソベント方式が採用された<ref name="shinkentiku1972"/><ref name="magenuma333"/>。一方、水流音が発生するデメリットがあった<ref name="magenuma333"/>。配管もプレハブ化されて搬入され、配管工事はシャフトの進捗具合に関係なくカプセル内部で行われた<ref name="bunka"/>。一般的にはシャフトの中に納められる配管だが、シャフト内の構成を最小限にするためにカプセル間に露出することになった<ref name="shinkentiku2008"/>。また、配管を通すことができる最小の隙間でカプセル間の大きさは決まった<ref name="shinkentiku2008"/>。

=== カプセル ===
{| class="wikitable floatright" style="font-size: 70%;"
|+
! カプセル部位<ref name="seisan"/> !! 作業者
|-
! 施工
|| (株) 大丸装工部
|-
! 鋼体
|| アルナ工機(株) 姉川工場
|-
! 床版
|| シポレックス販売(株)
|-
! 耐火被膜
|| [[バルカー (企業)|日本バルカー工業]](株)
|-
! 内装・家具
|| 大丸木工(株), あき もく工業
|-
! 硝子
|| 小谷ガラス(株)
|-
! ガスケット類
|| 興国ゴム工業(株)
|-
! 電気設備
|| 吉沢電気工事(株)
|-
! オーディオ製品
|| [[ソニー|SONY]] ほか
|-
! バスルーム FRP部
|| [[INAX|伊奈製陶]](株)
|-
! 空調機
|| [[ダイキン工業]](株)
|-
! 配管設備
|| 大崎設備工業(株)
|-
! 外装
|| 富田工業(株), [[三井金属鉱業]](株)
|-
! 照明器具
|| [[パナソニック電工|松下電工]](株)ほか
|-
! 小型冷蔵庫
|| [[三洋電機]](株)
|-
! カプセル運送
|| 鈴与自動車(株)
|}

カプセルは初期の構想段階では複雑な構造をしていたが、単純化により最終的にシンプルな立方体となった<ref name="seisan">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービルの計画と工法|title=建築生産|author=上田憲二郎|volume=1972年1月号|publisher=工業出版|pages=1-19}}</ref>。カプセル本体は軽量鉄骨の全溶接[[トラス]]箱であり、各トラス面は平面[[治具]]で組み立てられ改造したコンテナ用治具で固定し溶接作業を行った<ref name="shinkentiku1972"/>。外板は、ボンデ処理鋼板にリブ補強したパネルの組み合わせである<ref name="shinkentiku1972"/>。加工後に防錆塗装の焼き付けと、耐火と断熱のため石綿のケニテックスが主構造は45mm以上、外板部は30mm以上吹き付けられた<ref name="shinkentiku1972"/><ref name="bunka"/>。

カプセルとシャフトは別工場で作られたため、接合の精度には注意がなされている<ref name="shinkentiku1972"/>。特にカプセルは全数検査が行われ、構造部24ヶ所、ジョイント部9ヶ所、外板6ヶ所、入り口周りの6ヶ所が点検箇所とされた<ref name="shinkentiku1972"/>。それぞれの公差は、構造体部分で0~3mm以内、ジョイント部では±1mm以内である<ref name="shinkentiku1972"/>。その他にも、内装、外装、装備類について工場搬出時と取り付け後にチェックが行われた<ref name="shinkentiku1972"/>。カプセル内が狭いことや間違いを減らすため、カプセル内での切断や加工作業を減らし、アッセンブリ化した部品を組み合わせるようにする工夫が取られた<ref name="bunka"/>。

採光や見晴らしから、取り付け位置や窓位置それぞれに縦と横の種類があるが、8種類のカプセルの大きな違いは、長辺、短辺どちらにドアがついているかである<ref name="shinkentiku2008"/>。

シャフトと接続するジョイント部分はカプセルが低い階から取り付けられていることから、下部側から作業することができない<ref name="shinkentiku1972"/>。したがって、下部部分はブラケット2ヶ所に乗せ、上部2ヶ所のみをシャフトにボルト止めし軸力と引っ張りを持たせたキャンティレバーになっている<ref name="shinkentiku2008"/>。シャフトとの接続後にジョイント部は、耐火性・耐久性のため軽量コンクリートで覆われている<ref name="shinkentiku1972"/>。

=== 内装 ===
[[File:Nakagin Capsule Tower (51473177487).jpg|thumb|円窓と備え付けの機器]]
広さは10&nbsp;m<sup>2</sup>で、幅2.3&nbsp;m、奥行き3.8&nbsp;m、高さ2.1&nbsp;m<ref name="project117"/>。カプセルにはオフィス、ホテル、マンションの3タイプがあり、グレードも、スーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種類が用意され、色も白、黒、オレンジ、青の4色から選ぶことができた<ref name="tanabe164"/><ref name="kaihatsu"/>。ベッドとバスが不可欠な装備品として最初に導入が決まり、バスルームはできるだけスペースが小さくなるようにデザインされた<ref name="bunka">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービル〔設計・黒川紀章建築・都市設計事務所〕|title=建築文化|author=上田憲二郎|volume=1972年6月号|publisher=彰国社|pages=128-130}}</ref>。窓やブラインド、ベッドマッドは特注されており、中でも特徴的な円窓は黒川お気に入りの意匠で、都知事選に立候補した際の選挙カーでも用いられている<ref name="shinkentiku2008">{{Cite book2|df=ja|chapter=空間表現のディテール(第7回) 都市居住の単位 - 中銀カプセルタワービル|title=新建築|author=山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟|volume=2008年2月号|publisher=新建築社|pages=140-149}}</ref><ref>[[#倉方 2017|倉方 2017]] 58頁</ref><ref name="project98">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 98頁</ref>。窓は2重で外側部分が嵌め殺しになっており、カプセル内の環境は空調設備の調子に左右された<ref name="iso240">[[#磯 2019|磯 2019]] 240頁</ref><ref name="ueda300"/>。

[[File:Nakagin Capsule Tower (51473888806).jpg|thumb|バスルーム]]
サラリーマンに必要なものを揃えた完結型ユニットで、ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備となり、ステレオレシーバー、テープデッキ、ステレオスピーカー、空気清浄機、流し台、テーブルライト、卓上計算機などがオプションとして用意された<ref name="Zukowsky225">[[#Zukowsky 2018|Zukowsky 2018]] 225頁</ref><ref name="sawaragi254"/><ref name="kaihatsu"/><ref name="shinkentiku1972"/>。標準装備のみのスタンダードと、オプション15種類の組み合わせによってデラックスとスーパーデラックスとの差別化されたが、利用者それぞれが好みのオプションを発注していたため、実際には組み合わせは3種類以上あった<ref name="shinkentiku1972"/><ref name="seisan"/>。販売価格には歯ブラシや毛布の料金も含まれており、身一つでカプセルを利用開始することができた<ref name="kaihatsu"/>。内部に関しては設計する時間に余裕がなく、詳細にデザインできたわけではなかったと阿部は振り返っている<ref name="shinkentiku2008"/>。また、インテリアについて黒川から詳細な指示が無く、装備品については阿部の好みが反映されている<ref name="shinkentiku2008"/>。

施主の「ビジネスマンション」という構想により、用途が限定され厨房設備、リビングルームは不要とされた<ref name="shinkentiku1972"/><ref name="seisan"/>。ガスが通っておらず調理することは想定されていないが、保存・再生プロジェクトによる「中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟」には、独自にミニキッチン設備を作った利用者やIHコンロ、ホットプレートを使用している例が紹介されている<ref name="project53">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 53頁</ref><ref name="project118">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 118頁</ref>{{Efn|火気厳禁だったという利用者の証言がある<ref>{{Cite web|和書|title=〈243〉退去1週間前。中銀カプセルタワービル、最後の“台所”|url=https://www.asahi.com/and/article/20211110/411142187/|author= 大平一枝|publisher=朝日新聞デジタル|date=2021年11月10日|accessdate=2023年11月18日}}</ref>。}}。

== 設計思想 ==
[[File:CAPSULE HOTEL, TOKYO.jpg|thumb|隙間なく配置されたカプセル]]
[[高度経済成長]]下の日本では都市拡張、人口増加が進み、住宅難に対応するためミニマムで機能主義的な住宅が求められ、1971年の「セキスイハイムM1」のような直方体のユニットを現場で組み合わせて完成する[[プレハブ工法|プレハブ]]住宅に注目が集まっていた<ref name="sawaragi254"/>{{Sfn|五十嵐|2014a|p=6-8}}。

黒川は方向性を同じにしながらも、進んでいく開発を憂慮し地球の資源は有限であると警鐘を鳴らし、新しい未来像を提示することを目指した<ref name="1994kurokawa140">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 140頁</ref><ref name="1994kurokawa146">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 146頁</ref><ref name="1994kurokawa147">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 147頁</ref>。

黒川が[[日本万国博覧会]]において設計した「空中テーマ館 住宅カプセル」ではカプセルの組み合わせによって住環境を作るというアイディアが実現されており、カプセルタワーの原型になっている<ref name="shinkentiku194">[[#新建築 2011|新建築 2011]] 194頁</ref>。住宅カプセルは博覧会展示のためショー機能の要素が強く、カプセルタワーは実用的なカプセル建築の第一歩といえる<ref name="bunka"/><ref name="kentikukai">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセル・タワービル|title=建築界|volume=1972年7月号|publisher=理工図書株式会社|pages=9-16}}</ref>。

カプセル建築は、画一のものを量産化しコストダウンすることがメリットと考えられがちだが、黒川の目指したものは量産化による多様性という一見矛盾したものだった<ref name="1994kurokawa178">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 178頁</ref>。一定期間で変容していくメタボリズムのコンセプトでは、建築家は建築後も主体性を持ち続けることができない<ref name="1994kurokawa195">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 195頁</ref>。カプセルそれぞれの持ち主が主体性を持ち、新しいものや異質なものが取り込まれていくことで住民が建築に参加することができた<ref name="1994kurokawa195"/><ref name="1994kurokawa196">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 196頁</ref>。黒川にとってカプセルタワープロジェクトの意義は個の空間を創り出すことだったが、末期にはビジネスマンからクリエイティブ系の職種の利用者が増え人の新陳代謝が起こり、それぞれの解釈で多様なカプセルの利用がなされた<ref name="gakkai25">[[#建築学会 2018|建築学会 2018]] 25頁</ref><ref name="2022suzuki222">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 222頁</ref>。

=== メタボリズム ===
[[メタボリズム]]のグループの中でも、黒川は生物の[[新陳代謝]]という概念に最もこだわった建築家だった<ref name="yatsuka13">[[#黒川 2011|八束 2011]] 13頁</ref>。メタボリズムの「代謝する建築」という考え方を実現するため、カプセルを細胞の一つに見立てて、カプセルの交換によって新陳代謝を表現しようとした<ref name="1994kurokawa178"/><ref name="1994kurokawa179">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 179頁</ref>。

技術の進歩や生活を取り巻く変化が急激になっていくと設備の技術更新が追い付かず、電気系統の4~5年からコンクリートの50~60年といった異なる耐用年数が同じ建物に混在し、短い耐用年数が建築全体の寿命も短くしてしまうことが増えていっていた<ref name="2011kurokawa15">[[#黒川 2011|黒川 2011]] 15頁</ref><ref name="2011kurokawa29">[[#黒川 2011|黒川 2011]] 29頁</ref>。建築素材の耐用年数に余裕があっても、電気や水道システムの老朽化により解体される建築物がある一方、自動車はエンジンなどの部品を交換して長期間使用することが想定されて設計されている<ref name="1994kurokawa103">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 103頁</ref>。そこからヒントを得た黒川は、予め寿命を25年とし交換していくことを想定したカプセルで、コントロールの主体を人間に取り戻し、社会や個人のニーズによる「社会的耐用年数」にも対応し変化していく建築を目指した<ref name="Zukowsky225"/><ref name="1994kurokawa104">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 104頁</ref><ref>{{Cite book|和書|author=黒川紀章|chapter=現代建築の墓標|page=9|editor=SD編集部|title=黒川紀章 (現代の建築家)|year=1979|publisher=鹿島出版会|isbn=4306041069}}</ref>。

=== ホモ・モーベンス ===
高度経済成長により都市の移動が容易になると、価値観の変化、人や物の移動、情報の流れという新しい流動性が発展していき、黒川は「動」という価値観に従って生きる人間を「ホモ・モーベンス」と名付けた<ref name="1969kurokawa13">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 13頁</ref><ref name="1994kurokawa186">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 186頁</ref><ref name="1969kurokawa10">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 10頁</ref>。黒川は著書「ホモ・モーベンス」の中で「カプセル宣言」を発表し、第二条で「カプセルとは、ホモ・モーベンスのためのすまいである。」と規定した<ref name="1969kurokawa13"/><ref name="1969kurokawa145">[[#黒川 1969|黒川 1969]] 145頁</ref>。一つの家に縛られることなく、1日24時間のうち都心の様々な施設にアクセスし豊かなライフスタイルを送るため、オフィス、またはセカンドハウスとしてカプセルタワーは提案された<ref name="tanabe163">[[#日経 2009|田辺 2009]] 163頁</ref><ref name="1994kurokawa194"/>。

個々人それぞれが自らのヤドカリを持ち移動可能であることがカプセルタワーのコンセプトであり、長期休暇にリゾート地やスキー場へトレーラーで運んでいくことを想定していたことから、カプセルはシャフトに止められているだけだった<ref name="1994kurokawa187">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 187頁</ref><ref name="1994kurokawa194">[[#黒川 1994|黒川 1994]] 194頁</ref>。しかし、実際に移動可能であっても、現地の電気やガス、通信などのライフラインと接続できないため、あくまでも構想であった<ref name="1994kurokawa194"/>。カプセルタワー建築後の雑誌[[新建築]]1972年6月号では、給湯給水設備を移動可能にした「ムービング・コア」や「レジャー・カプセル」が発表されている<ref name="shinkentiku146"/>。

カプセルタワー以後ホモ・モーベンスの考え方が定着することはなかったが、コロナ禍によりオンラインで場所を選ばずに仕事をしなければいけなくなり、黒川の思想が再注目されることとなった<ref name="suzuki14">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 14頁</ref><ref name="morita20227"/>。

== 評価・影響 ==
世界で初めて実用化されたカプセル建築で、メタボリズムの代表的な作品であり、世界的に著名な建築だった<ref name="shinkentiku146">[[#新建築 2011|新建築 2011]] 146頁</ref>。外国人旅行者もしばしばカメラを向けるほどで、2015年に来日した映画監督の[[フランシス・フォード・コッポラ]]は、カプセルタワーに関心を持っており実際に建物を見学している<ref name="tokyojin"/><ref name="morita20215">{{Cite book2|df=ja|chapter=証明できなかったメタボリズム 中銀カプセルタワー いよいよピンチ|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2021年5月号|publisher=テツアドー出版|pages=52-64}}</ref>。
建築直後から[[はとバス]]では黒川紀章の名前と一緒にカプセルタワーが紹介されており、「近代建築辞典」の日本の項目には、[[丹下健三]]の[[国立代々木競技場]]とカプセルタワーだけが戦後建築の象徴として掲載されていた<ref name="magenuma344"/><ref name="1994kurokawa194"/>。2006年には、[[DOCOMOMO|DOCOMOMO JAPAN]]による[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築|日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選定されている<ref name="sawaragi254"/>。建て替えの声が大きくなってきた2005年から2006年にかけて建築学会、建築士連合会、建築家協会、DOCOMOMO Japanの4団体それぞれが管理組合に対し保存要望書を提出しており、建築学会の要望書には「世界の戦後建築史に欠かせない」、「イギリスをはじめ諸外国から保存を望む声がある」ことが書かれていた<ref name="morita201610">{{Cite book2|df=ja|chapter=保存か建て替えか 中銀カプセルタワービル|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2016年10月号|publisher=テツアドー出版|pages=84-88}}</ref><ref name="morita20227">{{Cite book2|df=ja|chapter=3トン140個のカプセルが空を飛ぶ : 黒川のカプセルと、茅葺の新陳代謝と、蓑虫山人というホモ・モーベンス|title=月刊リフォーム|author=森田喜晴|volume=2022年7月号|publisher=テツアドー出版|pages=40-56}}</ref>。

[[イギリス]]の前衛建築家集団の[[アーキグラム]]、ドイツのヴォルフガンク・デーリンク、オーストリアのギュンタードメニクらが、1960年代に相次いでカプセル建築のアイデアを発表していたものの、アーキグラムのデザイン案は実現可能性が考えられたものではなかった<ref name="iso241">[[#磯 2019|磯 2019]] 241頁</ref><ref name="magenuma325">[[#曲沼 2015|曲沼 2015]] 325頁</ref>。その中で唯一建築物として実現に至ったのが中銀カプセルタワーだった<ref name="iso241"/>。メタボリズムという思想を純粋に体現した唯一の建築で、全てのユニットは交換可能であり中心のコアを建て増せば増殖していく構想もあった{{Sfn|建畠|2014a|p=4-5}}。実際にはユニットは下から積み上げているため、どこか一つだけ交換するということが不可能であり、カプセルの交換が行われなかったことからメタボリズム建築の失敗例ともいえる{{Sfn|建畠|2014a|p=4-5}}<ref name="iso241"/>{{Efn|黒川らは設計中、どこからでも取り外しが可能な設計を本気で考えていた<ref name="shinkentiku2008"/>。}}。カプセル交換の作業性よりも耐久、耐火性が優先されているのは、頻繁に交換されることを想定せずに交換することが"できる"レベルにとどめているからである<ref name="shinkentiku1972">{{Cite book2|df=ja|chapter=中銀カプセルタワービルの概要|title=新建築|author=上田憲二郎|volume=1972年6月号|publisher=新建築社|pages=192-195}}</ref>。また、分譲によりカプセル所有者それぞれが権利を持っていたため、管理側による一括のカプセル交換が不可能だった<ref name="nikkei161"/>。黒川の当初の構想では賃貸物件であり、カプセルの耐用年数である25年が経過したら交換することを想定していた<ref name="magenuma342"/>。一方、渡辺は分譲することで一気に資金を回収し、カプセル建築を増やしていく野心を持っていた<ref name="magenuma342"/>。

カプセルタワー完成後も、黒川事務所、中銀マンシオン、大丸装工部の共同でレジャー向けのカプセル開発が続けられた<ref name="tanabe166">[[#日経 2009|田辺 2009]] 166頁</ref>。[[静岡県|静岡]]のリゾート地、[[宇佐美]]にカプセルビレッジを作る構想があり、開発された「LC-30X」タイプのカプセルはガスレンジ、調理台、換気ファンが標準化され、オプションで冷蔵庫やボイラーの追加ができた<ref>[[#コールハース 2012|コールハース 2012]] 392頁</ref><ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=LC-30X|title=新建築|author=植木尚武|volume=1972年6月号|publisher=新建築社|pages=204-205}}</ref>。リビング、寝室、給水設備の3種類のカプセルを、敷地の大きさに合わせて組み替えられるようになっており、大丸装工部は「万博やオリンピックのような大規模イベントの宿泊施設に使えるのではないか」と期待を寄せた<ref name="diamond1972">{{Cite book2|df=ja|chapter=未来住宅の本命? ”レジャーカプセル”|title=週刊ダイヤモンド|volume=1972年5月6日号|publisher=ダイヤモンド社|pages=10}}</ref>。価格は150万円ほどでホテル業界にも注目されたが、受注生産ということもあり20棟ほどしか売れなかった<ref name="diamond1972"/><ref name="tanabe166"/>。
中銀マンシオンの有藤常務は、建築直後の反響に比べニーズがそこまで伸びず、[[オイルショック]]や時代の移り変わりによる価値観の変化により後継カプセル建築が作られなかったと語っている<ref name="tanabe165">[[#日経 2009|田辺 2009]] 165頁</ref>。大丸装工部は経験を活かし、ベッド、テレビ、ラジオ、アラームを一体化したカプセルベッドを開発し、1000万個が売れる大ヒット商品になった<ref name="tanabe166"/>。大成建設ではその後カプセル建築に取り組むことはなかったが、特殊な工法に挑戦したことから大手建設会社の中でプレハブ技術が向上したと当時の現場所長が振り返っている<ref name="tanabe167">[[#日経 2009|田辺 2009]] 167頁</ref>。

設計を担当した阿部暢夫は個人用カプセルが備わっていることから、カプセルタワーよりも大阪万博の「住宅カプセル」を黒川が提唱したホモ・モーベンスのコンセプトを体現した建築と位置付けている<ref name="zadankai162">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 162頁</ref>。黒川は一つ屋根の下という家族観の解体を目指していたが、カプセルタワーでは家族の構成員それぞれがカプセルを持ち合わさって住むという構想は実現に至っていない<ref name="1994kurokawa187"/><ref name="1994kurokawa194"/>。建築された第1期のカプセルタワーではカプセルが螺旋状に配置されていたが、実現しなかった第2期の構想ではカプセルは水平に配置され、連続したカプセルにより家族や個性的な使い方が期待されていた<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=カプセルは個を目覚めさせるためのインキュベータか?|title=TITLE|author=Noriyoshi Suzuki|volume=2005年10月号|publisher=文藝春秋|pages=30-33}}</ref>。[[近江榮]]は、ワンルームマンション、カプセルホテル、ユニットバスが一般化する前から建築として実現しているところを評価しながらも、黒川が提示したコンセプトが投機対象になるなど正統継承されなかったことを残念だと話している<ref name="tanabe167"/>。建築ジャーナリストの田辺明子は、黒川の問題提起が真正面から受け止められなかった理由に法規制や行政の怠慢など社会にも問題があるとし、カプセルタワーは都市の歪みを測る「原器」と表現している<ref name="tanabe167"/>。

2008年に雑誌・[[新建築]]紙上で行われた山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟による座談会では、メタボリズムを現実の建築として実現した功績が讃えられ、カプセルの工業的な完成度が高く、建築の付属品としてではなくカプセルが重要な構成要素になっていることが評価されている<ref name="shinkentiku2008"/>。高橋は、カプセルという特殊な制約があるため、建築として今一つな部分もあり記念碑的だとしている<ref name="shinkentiku2008"/>。また、[[ル・コルビュジエ]]のドミノシステムの最小単位である「メゾン・ドミノ」の連結していくユニットというコンテクストの延長にありながら、カプセルが並んでいるだけで関係性は生まれていないのではないかと問いを投げかけている<ref name="shinkentiku2008"/>。それを受けて石黒は、カプセルがフレームの外側に配置されていることに注目し、カプセルを閉じた一つの単位として表現したかったのではないかと答えている<ref name="shinkentiku2008"/>。山本の考えでは、関係性はカプセルではなく都市や環境とのネットワークに表現されているのではないかとしている<ref name="shinkentiku2008"/>。石黒は、様々な方向を向いたカプセルの異なった景色を所有している「ここにいる」という感覚を体験し、ホテル的なカプセルが個人の居住空間足りえる理由に窓と扉を挙げ、インフラとプライバシーが最小構成要素なのではないかと分析している<ref name="shinkentiku2008"/>。山本は、カプセルだと意識できるのは外観からで、内側に妥協が見られることから黒川は外へのプレゼンテーションの意識が強かったのではないかと分析し、カプセルをバランスよく配置しなければならないという制約がある一方、カプセルを徹底的に並べることで集合体の建築として成り立たせていると評した<ref name="shinkentiku2008"/>。1階部分にロビーやテナントスペースが十分に設けられていないのは、黒川からの「外へ出ろ」というメッセージなのではないか、という発言もあった<ref name="shinkentiku2008"/>。「今自分がカプセル建築を作るとしたら」という問いに、山代は個人用ではなく、パブリックな空間に音楽や図書のカプセルを配置することに興味があると答えている<ref name="shinkentiku2008"/>。

== 保存活動 ==
[[File:Capsule_of_Nakagin_Capsule_Tower_In_Kita-Urawa_park.jpg|thumb|北浦和公園に展示されている中銀カプセルタワービルのプロトタイプカプセル]]
[[File:Capsule_of_Nakagin_Capsule_Tower_In_Kita-Urawa_park.jpg|thumb|北浦和公園に展示されている中銀カプセルタワービルのプロトタイプカプセル]]
建物玄関に置かれていたモデルルーム用のカプセルは、2011年から2012年にかけて開催された「メタボリズムの未来都市展」において六本木通り沿いに展示された<ref name="suzuki132">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 132頁</ref>。開催終了後に[[森美術館]]は黒川が設計をした[[埼玉県立近代美術館]]へ寄贈した<ref name="suzuki132"/>。さいたま市の[[北浦和公園]]彫刻広場に美術品として配置され、内装が綺麗な形で残っており、外から観賞することが可能となっている<ref name="suzuki132"/><ref name="project34">[[#プロジェクト 2015|プロジェクト 2015]] 34頁</ref>。美術館側は月に1回アスベスト濃度を検査しており、不安の声に対応している<ref name="2022suzuki220">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 220頁</ref>。
2011年9月17日から2012年1月15日に[[森美術館]](東京都[[六本木]])で開催された「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」<ref>{{Cite web|url=http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/info/index.htm|title=メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン|publisher=森美術館|accessdate=2012-01-16}}</ref>で、中銀カプセルタワービルの一室としてビルの1階に展示されていた住居用モデルカプセルが展示された<ref>{{Cite web|date=2012-01-16|url=http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011601001274.html|title=埼玉の公園にカプセルビル一室 黒川紀章氏の代表作、寄贈|publisher=[[共同通信]]|accessdate=2012-01-16}}</ref>。この展示物件はその後、[[埼玉県立近代美術館]]に寄贈され、2012年1月16日から[[北浦和公園]]で公開されている。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ近代美術館]]のように海外の美術館にカプセルが収蔵された事例もある<ref name=":1">{{Cite web |title=中銀カプセル、サンフランシスコ近代美術館が収蔵…元住人ら保存の23個が各地に |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230610-OYT1T50239/ |website=読売新聞 |date=2023-06-11 |access-date=2023-06-11}}</ref>。


保存・再生プロジェクトは、中銀グループから地権を買い取ったCTB合同会社と交渉し、解体の際にカプセルを保存用に取り外し活用していくことに合意し23基のカプセルを確保した<ref name="2022suzuki218">[[#鈴木 2022|鈴木 2022]] 218頁</ref><ref name="archi"/><ref name="yomiuri20230611">{{Cite web|和書|title=中銀カプセル、サンフランシスコ近代美術館が収蔵…元住人ら保存の23個が各地に |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230610-OYT1T50239/ |website=読売新聞 |date=2023-06-11 |access-date=2023-10-01}}</ref>。これら23のカプセルのうち、9室が内装を全て取り外し、外枠だけを保存したスケルトンタイプ、14室が設備の新調などによりできるだけオリジナルに近い状態を保ったオリジナルタイプとして保存された<ref>{{Cite web |title=黒川紀章さん代表作「中銀カプセルタワー」のカプセル2室、常設展示へ - 社会 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202304270001052.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=中銀カプセルタワービルのカプセル展示について |url=https://www.momaw.jp/information/2023kurokawa/ |website=和歌山県立近代美術館 |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref>。2024年現在、これら23基のうち12カプセルの再活用が公開されている<ref>{{Cite web |title=中銀カプセルタワービルの解体が始まってから約2年。救出した23カプセルのうち12カプセルの再活用が公開されています。 |url=https://x.com/nakagincapsule/status/1779659816451088620 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2024-05-30}}</ref>。
解体に際して取り外された23個のカプセルのうちの1個は[[淀川製鋼所]]によって、[[トレーラーハウス|車載型]]に改造された。[[道路交通法]]改正による規制緩和により、[[公道]]も走行可能である<ref name=東京新聞20230524/><ref name=":1" />。また、2個は[[松竹]]が購入した上で東京・東銀座に新設予定のイベントスペースとして活用すると報じられている<ref name=":1" />。


2023年には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ近代美術館]]への収蔵が決まったほか<ref name="yomiuri20230611" />、2基が[[松竹]]が新しく創設するイベントスペース「SHUTL」へ展示された<ref>{{Cite web|和書 |title=中銀カプセルタワービルのカプセルを再活用した「SHUTL(シャトル)」、10月にオープンへ |url=https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/27640 |website=読売新聞 |date=2023-08-13 |access-date=2023-10-01}}</ref>。SHUTLに設置された2基のカプセルはひとつがオリジナルタイプ、もうひとつがスケルトンタイプであり、美術館に保存されている観賞用のカプセルとは違い展示やワークショップに利用できるのが特徴となっている<ref>{{Cite book2|df=ja|chapter=黒川紀章のカプセルが、東京・東銀座に2基着陸!|title=Casa BRUTUS|volume=2024年1月号|publisher=マガジンハウス|pages=179}}</ref>。8月24日からは、[[和歌山県立近代美術館]]がオリジナルタイプのA908を収蔵した<ref name=":0" />。[[淀川製鋼所]]はカプセル1基を取得して[[トレーラーハウス|トレーラー]]に改造し、自社のデザインブランドである「YODOKO+」のシンボルとして利用している<ref>{{Cite web |title=CLT CAPSULE – YODOKO+ |url=https://yodokoplus.com/clt-capsule/ |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref>。[[GINZA SIX]]もカプセルを取得し、11月10日から12月25日にかけて、アートユニット「YAR」によりモニュメントとして改造されたものが展示された<ref>{{Cite web |title=中銀カプセルが銀座に帰還 リスニングルーム仕様で「GINZA SIX」 :東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/291785 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=<GINZA SIX Xmas 2023 クリスマスプロモーション情報> |url=https://www.ginza-web.com/travel/travel/news/PressRelease-15755.html |website=銀座なび |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref>。2024年4月13日から、INAXライブミュージアムでカプセル1基の展示がはじまった<ref>{{Cite web |title=世界初の「カプセル型住宅」 黒川紀章さんの70年代名建築「中銀カプセルタワービル」の1室がINAXライブミュージアムへ 愛知・常滑市 {{!}} 東海地方のニュース【CBC news】 {{!}} CBC web |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/1111817?display=1 |website=CBCニュース |date=2024-04-12 |access-date=2024-05-30 |language=ja}}</ref>。[[鎌倉市]]の不動産会社エンジョイワークスは、保存・再生プロジェクトから5つのカプセルを借り受け、2024年秋から、[[横須賀市]]の[[長井海の手公園 ソレイユの丘|ソレイユの丘]]にて宿泊施設としてオープンさせる計画を発表した<ref>{{Cite news|和書 |title=「中銀カプセル」が宿泊施設に 横須賀・ソレイユに5個設置へ 秋に開業 |newspaper=神奈川新聞 |date=2024-04-11 |page=21 |url=https://www.kanaloco.jp/limited/node/1069846 |accessdate=2024-04-23}}<!-- https://web.archive.org/web/20240423115211/https://www.kanaloco.jp/limited/node/1069846 --></ref><ref>{{Cite press release|title=〈2024年秋〉世界で唯一「中銀カプセルに泊まれる」施設が横須賀市に誕生|publisher=株式会社エンジョイワークス|date=2024-04-09|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000019.000061795.html|和書|accessdate=2024-04-23}}<!-- https://web.archive.org/web/20240410012056/https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000019.000061795.html --> </ref>。
=== デジタルアーカイブ ===

[[ファイル:AR of Nakagin Capsule Tower.jpg|サムネイル|[https://motion-gallery.net/projects/3dda-nakagin 3Dデジタルアーカイブプロジェクト] によって制作されたARで表示した中銀カプセルタワービルと解体前の同ビル実物]]
2013年から会員制のシェアオフィス「B908プロジェクト」を運営していた いしまるあきこは、活動に理解を示した所有者の協力でA606号室を借り受け、2017年にシェアオフィスとレストアを目的とした「A606プロジェクト」を立ち上げた<ref name="arts">{{Cite book2|df=ja|chapter=解体予定の中銀カプセルタワービルへーその思いと未来をつなぐもの|title=Arts and Media|author=秋田奈美、西本まり|volume=2022年12月号|publisher=松本工房|pages=98-118}}</ref>。オリジナル状態のカプセルが残らない危機感からリフォームではなくレストアにこだわり、残っている機器類は修理し、失われていた部分については他のカプセルを参考にしながらプロに製作を依頼した<ref name="arts" />。2018年に元所有者が買い受け企業に所有権を売却したが、弁護士の力を借りて606号室の使用を継続することができ、その後の話し合いで解体時にカプセルを譲り受けることにも合意した<ref name="arts" />。解体作業では状態の良いカプセルがその場で壊されているのを目の当たりにし、交渉の結果合わせて7つのカプセルを保存することになった<ref>{{Cite web|和書|title=【いしまるあきこさん】建てたがらない建築士が選んだ2つの道。「猫との住まいの専門家」と「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」 |url=https://www.yaruki-lab.jp/ishimaruakiko/|author=タニタ・シュンタロウ|website=やる気ラボ |date=2023-04-05 |access-date=2023-11-16}}</ref>。
その建築的価値を残すため、建物全体を3Dデータで保存する「[https://gluon.tokyo/projects/3d-digital-archive-nakagin-capsule-tower 3Dデジタルアーカイブプロジェクト]」が始動、制作費用のクラウドファンディングが行なわれた。同プロジェクトでは、ミリメートル単位で正確な距離を計測するレーザースキャンデータと、[[一眼レフカメラ]]や[[無人航空機|ドローン]]で撮影した2万枚以上の写真データを組み合わせて、建物全体をスキャン。中銀カプセルタワービルを[[スマートフォン]]で見ることができる[[拡張現実]](AR)も公開された<ref>{{Cite web|date=2022-04-14|url=https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/nakagin-capsule-tower-3d-digital-archive-project-041422|title=銀座の中銀カプセルタワービルがついに解体、3Dデジタルアーカイブ化始動|publisher=TimeOutTokyo|accessdate=2022-04-14}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-15|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2204/15/news189.html|title=解体始まる「中銀カプセルタワービル」を丸ごと3D化 保存プロジェクトがスタート|publisher=ITmedia|accessdate=2022-04-15}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://www.axismag.jp/posts/2022/04/463277.html|title=黒川紀章設計の「中銀カプセルタワービル」3Dスキャンで記録に残すプロジェクトが始動|publisher=AXIS|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://www.adfwebmagazine.jp/en/architect/nakagin-capsule-tower-3d-digital-archive-project|title=黒川紀章設計のメタボリズム建築「中銀カプセルタワービル」を3Dデータで記録に残すプロジェクトが始動|publisher=ADFwebmagazine|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-13|url=https://mag.tecture.jp/culture/20220413-57356|title=3Dデジタルアーカイブで名建築を未来へ!

|publisher=TECTURE|accessdate=2022-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-19|url=https://cgworld.jp/flashnews/2204-3argluon.html|title=黒川紀章氏設計の「中銀カプセルタワービル」をデジタル技術を活用して3次元で保存、スマホで表示できるARも先行公開|publisher=TECTURE|accessdate=2022-04-19}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-12|url=https://www.moguravr.com/nakagin-capsuletower-digital-archive|title=解体のはじまった「中銀カプセルタワービル」をデジタルアーカイブ化するプロジェクトが始動|publisher=MoguLive|accessdate=2022-04-12}}</ref><ref>{{Cite web|date=2022-04-26|url=https://www.japandesign.ne.jp/news/2022/04/64901/|title=黒川紀章設計の名建築「中銀カプセルタワービル」を3次元で保存する|publisher=JDN|accessdate=2022-04-26}}</ref>。
黒川事務所は、不動産クラウドファンディングを運営するLAETOLI株式会社と共同でカプセルタワーの設計情報に紐づいた[[非代替性トークン|NFT]]を販売した<ref name="archi"/>。購入者はカプセルタワーの3次元データに基づき自由に建設が可能で、設計側が再建を公認する例は世界的に珍しかった<ref name="yomiuri20220721">『読売新聞』2022年7月21日 夕刊8面「カプセルビル再建権利販売」</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}<references/>
<references group="注釈" />

=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}


== 関連項目 ==
== 参考文献 ==
{{Commons category|Nakagin Capsule Tower}}
* [[モジュール]]
* [[静岡新聞・静岡放送東京支社ビル|静岡新聞・静岡放送(SBS)東京支社ビル]] - 同じ銀座8丁目にある[[丹下健三]]設計のメタボリズム建築。
* [[スケルトン・インフィル住宅]] - 外装はそのままで、内装を交換することで同様の効果を得る手法。
* [[エンパイア・ステート・ビルディング]] - メタボリズムという言葉が定義される前から同様のコンセプト(内装のみ交換することで時代のニーズに対応する)で成功している建築物。


== 外部リンク ==
=== 和書 ===
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{{Commonscat|Nakagin Capsule Tower}}
<!-- br -->* {{Cite book|和書|editor=五十嵐太郎|year=2014|title=戦後日本住宅伝説 ─挑発する家・内省する家|publisher=新建築社|isbn=9784862550446}}
* {{facebook|NakaginCapsuleTower}}
** {{Cite book|和書|author=前山裕司|chapter=中銀カプセルタワー/黒川紀章|ref={{SfnRef|前山|2014a}}|editor=五十嵐太郎|year=2014|title=戦後日本住宅伝説 ─挑発する家・内省する家|publisher=新建築社|isbn=9784862550446}}
* [https://motion-gallery.net/projects/3dda-nakagin 中銀カプセルタワービル 3D Digital Archive Project]
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* {{facebook|NakaginCapsuleRenovation|中銀カプセルリノベーション}}
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* {{twitter|nakagincapsule|中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト}}
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**「メタボリズム連鎖」という「近代の超克」 八束はじめ 10~16頁
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**「中銀カプセルタワービルの解体後の展開 前田達之氏に聞く」 聞き手 鈴木敏彦 216~222頁
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2015|title=中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟|publisher=[[青月社]]|isbn=978-4810912883 |ref=プロジェクト 2015}}
**「中銀カプセルタワービル -黒川紀章的「家出のすすめ」」 曲沼美恵 40~43頁
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2020|title=中銀カプセルスタイル|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4810912883 |ref=プロジェクト 2020}}
<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト 編|year=2022|title=中銀カプセルタワービル 最後の記録|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794225597 |ref=プロジェクト 2022}}
**「中銀カプセルタワービル~半世紀の先へ~」 松下希和 76~79頁
**「未来のホモ・モーベンスの住まいとは」 鈴木敏彦 152~157頁
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<!-- br -->* {{Cite book2|df=ja|author=日経アーキテクチュア 編|year=2009|title=有名建築 その後|publisher=[[日経BP]]|isbn=978-4822266660 |ref=日経 2009}}
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=== 雑誌記事 ===
{{Normdaten}}
*『月刊リフォーム』(テツアドー出版)
*『都市開発』(都市開発研究会)
*『[[新建築]]』([[新建築社]])
*『建築文化』(彰国社)
*『[[週刊新潮]]』([[新潮社]])
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*『日経アーキテクチュア』([[日経BP]])
*『建築界』(理工図書株式会社)
*『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』([[光文社]])
*『[[週刊朝日]]』([[朝日新聞社]])
*『[[FRIDAY (雑誌)|FRIDAY]]』([[講談社]])
*『TITLE』([[文藝春秋]])
*『[[週刊ダイヤモンド]]』([[ダイヤモンド社]])


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2024年10月3日 (木) 14:05時点における最新版

中銀カプセルタワービル
情報
用途 集合住宅
設計者 黒川紀章建築・都市設計事務所[1]
構造設計者 松井源吾、ORS事務所[1]
施工 大成建設[1]
管理運営 中銀ハウジング[2]
構造形式 SRC造一部S[1]
敷地面積 441.89 m² [1]
建築面積 429.51 m² [1]
延床面積 3,091.23 m² [1]
状態 解体
階数 A棟地上13階、B棟地上11階地下1階[1]
高さ 42.13m[1]
竣工 1972年[1]
解体 2022年[3]
所在地 104-0061
東京都中央区銀座8-16-10[4]
座標 北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度 / 35.6657278; 139.76344500 (中銀カプセルタワービル)座標: 北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度 / 35.6657278; 139.76344500 (中銀カプセルタワービル)
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中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)は、黒川紀章が建築設計した集合住宅である。2本の主柱に合わせて140個のカプセル型居住空間が取り付けられ、単身者向けの都心のセカンドハウスとしてデザインされた[5]。一方、利用者のニーズにより事務所としても活用された[6]。1972年(昭和47年)、東京都中央区銀座で竣工し、老朽化により2022年に解体された[3]。世界で初めて実用化されたカプセル建築であることに加えメタボリズムの象徴的建築であり、黒川紀章の代表的作品であった[7][8]

歴史

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依頼

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施主は中銀マンシオンの渡辺酉蔵[9]。渡辺は貸しビルの案件を担当したことをきっかけに弁護士から不動産業に転身し、央区座から名前を取った中銀建物と中銀マンシオンという2つの会社の社長をしていた[9][10][11]。アメリカ旅行でセカンドハウスに触発された渡辺は別荘の民主化を提唱し、別荘が作りや値段において一般的な住宅と同様の売られ方をしていた時代に、大衆に手が届きやすいものを提供しようとしていた[12]

一方、建築運動・メタボリズムグループの中で、最低限の機能のみで構成された居住空間「カプセル」という手法に強い関心を持っていたのが黒川紀章だった[13][14]。黒川は機能を分割したカプセルを組み合わせた「カプセル建築」で建築を捉え直し、メタボリズムの生命の原理、代謝といった考え方を表現しようとした[15][16]。カプセル建築のプロトタイプである、黒川の設計による大阪万博の「空中テーマ館」や「タカラ・ビューティリオン」に感心した渡辺は、新しく建築予定だった銀座8丁目のマンションの設計を黒川に依頼することにした[17]。特別な建物を所望する依頼主に対し、黒川は都心型のセカンドハウスをカプセル建築で実現しようとした[18]

社内ではコストが通常の2倍かかることから強い反対意見があったものの、渡辺の伝記「空を買った男」には「個人財産を費やしてでも実現する」という強い思いを持っていたことや、社員を説得するために「カプセル一つで広告費はいくらになるだろうか」と問いかけたと記述されており、最終的にチャレンジ精神を重んじる社風が優先されている[19][20][21]

設計

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まず黒川がデザインしたスケッチを元に、事務所スタッフの阿部暢夫と上田憲二郎が詳細な設計図作成を担当した[22]。建物のコアの部分は下沢康二、カプセルは茂木愛子が担当した[23]。工場から輸送できる限界の大きさを逆算しカプセルの寸法が決まると、最大で140個のカプセルが取り付けられることが分かり、渡辺が重要視する採算性もクリアできると確信した[18][24]。若いスタッフが担当していたこともありカプセルの重量に苦労していたが、事務所を訪れていた松井源吾が構造設計を手助けすると重量は半分まで削減された[23]。阿部と上田らスタッフが模型の製作をしていくうちに、見た目も美しいカプセルの組み合わせ方が固まっていき、黒川の承認を得たことでデザインが確定した[24][25][26]。実際に製造されるカプセルが140個ということもあり、量産化のための金型を作るわけにもいかず製造を請け負う会社を見つけるのに苦労したが、海上用コンテナを製造していたアルナ工機がカプセル本体を、内装はYS-11も手掛けたことがある大丸装工部が担当することに決まった[26][19][注釈 1]。施工を担当する大成建設はエレベーターや配管の設置が特殊なこともあり、カプセルタワーのためだけの技術委員会を新たに設置し対応しようとした[27][28]

設計中には、渡辺の心変わりにより予定地に自社ビルを建てることになり、建設中止の連絡が来たことがあった[29][30]。渡辺と直接話し合う中で黒川はカプセルタワー内にオフィスフロアを新しく盛り込むことを提案し、その案に渡辺が納得したので建築計画は続行されることになった[31]。建築許可を得るため都庁や建設省との折衝を担当していた上田は、この修正により設計案の見直しをしなければならなかったが、既に申請から1年半経過していることもありなんとか承認を得て着工できることになった[29][31]。申請に時間がかかった理由について建築の特殊性があり、階数や床面積をどのように定めるかの検討、防火認定を得るための実証実験、防災・避難計画の策定が行われた[19]。また建築関係以外にも、税金や保険、カプセルを取り外した場合の所有権がどうなるのかといった法律面の課題や、カプセルが工場で完成した時点から発生する金利を誰が負担するのかといった論点があった[19][注釈 2]

建設

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あらかじめ工場で作成されたコンクリートパーツ、エレベーター、階段などを現地へ輸送し、軸となる2本のシャフトが完成すると1971年11月8日からカプセルの取り付けが始まった[32]。カプセルは、450キロ離れた滋賀の工場からその日ごとに取り付ける分だけ順次輸送されていった[32][33]。カプセルの保存場所に余裕がなく、輸送に使う大型車両の通行時間の規制もあったため、前日の夕方に出発し当日の朝に到着する段取りだった[32]。クレーンで吊り上げられたカプセルはボルトでシャフトに固定されていった[34]。作業員も最初は固定作業に1時間ほどかかっていたが、カプセルの固定は反復作業なので慣れると15分ほどに短縮されていた[34]。大成建設は、工期短縮を図りながらも全行程の15万5000時間を無事故で完遂している[35]。1971年12月24日に最後のカプセルが取り付けられると、残りの配管や内装工事は1972年4月5日に終了しついに竣工した[36][37]

入居開始

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全体工事終了の2日後には早速住民の入居が始まった[37]。カタログの挿絵は、カーグラフィックで車の内装を担当しているイラストレーターに依頼し、ベッドに横たわりながら電話をかけるビジネスマンの写真が使われ、キャッチコピーの「ビジネスに遅れをとらない」ことが強調されたものとなった[38][23]。1日1000件の問い合わせが来る大反響で、年末には100室ほどが売約、予約済となった[6][39]。土地は中銀マンシオンが所有しており、カプセルの所有権が380万から486万円で分譲された[40]。管理費は月額で1万3900円ほどだった[40]

売れ行き好調の理由について雑誌「都市開発」では、銀座新橋羽田空港に近く交通の便が良いこと、オフィス街に近く会社の会議室や休憩室としての需要もあったと分析されており、分譲についても好意的に取り上げられている[35]。中銀マンシオンによると購入者の74%が男性、平均年齢が42.9歳、7割が会社員であり、利用目的では、半数以上が「寝る場所」としていた[39]。当初予測では、都内在住者の購入は20~30%ほどだろうと考えていたが、目論見とは違い60%の購入者が都内在住者であった[35]。また、都内のマンション建築は一定数投資目的で購入されるものの、カプセルタワーはそれらと比較して著しく低い割合だった[35]

建設当初は、郊外や遠方に住んでいる利用者の事務所機能や、本社が地方都市にある企業の宿泊施設として利用されることが多かったものの、バブル期には投資物件として注目が集まった[6][41][42]。1987年に行われた管理会社である中銀ハウジングへの取材では、オフィス利用者が半数で残りは投機目的であり住居としてほとんど使われておらず、年間1割の所有者が入れ替わることで地価が高騰し、当初の販売価格から3倍に上昇していることが語られている[6]。また、不動産データを扱う東京カンテイによれば、1990年にはカプセルの面積10 m2あたり4000万円まで価格が上昇した記録が残っている[43]

建て替え決議

[編集]

バブル崩壊後に老朽化が進み配管設備の漏水が深刻化し、隣のビルの増築の影響で日が射さなくなると屋根の腐食で雨漏りにも悩まされることになった[44][42]。設計上カプセルを取り外さないと共用部の配管の交換が行えなかったため、修繕も行われなかった[45]。1997年の植田実の取材によると、オーナーの所在地がそれぞれ全国に散らばっていることや、カプセル所有者間で維持管理への関心の違いにより対応に苦労し、管理組合を設立したカプセル所持者の弁護士が管理会社である中銀ハウジングを巻き込む形で話し合いの場を設けた[2]。集中冷暖房や24時間対応の給湯設備を一括で管理会社が請け負うのはコストに見合わず、個人で冷房を導入する対応が必要になり、スラム化の危機と隣り合わせだった[2][46]

多数のオーナーが建て替えに賛成する中、法改正された建築基準に適合しないことから解体されれば同じような建築は不可能なため、黒川は修繕案を提案し建て替えに反対した[44][47]。建て替え推進派の試算によると、建築申請を再び提出しなければならないものの費用は一戸あたり511万円になる一方、黒川の修繕案ではカプセルの交換に一戸あたり880万円が必要になり部屋の広さも変わらなかった[47]。一方、黒川の試算ではカプセル交換の方が安く、建て替えに5年ほどかかるのに比べ工期も8カ月で終わるとしている[48]。2006年9月に行われた臨時総会では、所有者119人のうち委任状を含む81人が参加し、その内61人が建て替えに賛成した[49]。2007年4月に行われた決議では80%以上のオーナーが賛成し建て替えが決定したものの、その後のリーマンショックの影響で解体業者が倒産し実施までいかず、決議も無効になった[50][51][52]

黒川は生前のインタビューで問いかけられた「メンテナンスについての話し合いはなかったのか」という質問に対し、1997年から黒川と大成建設でカプセル交換の要望書を提出していたと答えている[53]。黒川は個人でもカプセルを買い取り、可能ならば全ての所有権を手に入れて改修を成し遂げたいという思いを持っていた[53]。一方、2003年に発足した建て替え推進委員会は、2004年9月に黒川事務所と大成建設に補修案の提出依頼を打診しているが、回答は無かったと答えている[54]

訴訟

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2005年9月号の週刊新潮に掲載された、カプセルタワーがアスベストに汚染されているという記事に対して、黒川は名誉棄損の訴訟を起こしている[55]。記事では、住民の一人の要望により行われた調査により、露出したアスベストがエアコンの風で部屋中に飛散していた可能性が指摘され、テーブルや床にも落ちていたことが確認されている[54]。カプセルは鉄骨構造だが、内側の腐食を防ぐためアスベストの1種である「アモサイト」が吹き付けられていた[56]。2005年6月のクボタの情報公開によりアスベスト問題が全国的に大きく取り上げられていた時期だが、カプセルタワーは吹付アスベストが禁止される1975年、アスベストが含まれた素材の利用が禁止される2004年より以前に建てられているので、法的に問題はなかった[55][54]。黒川は話し合いの場で「カプセルタワーは世界遺産候補になっているから、一時的な補修で済ませたい」と発言したが、候補になるには築50年以上で文化財になっていることが条件なのだから間違っていると強く批判する記事だった[54]。黒川は記事に協力したカプセルの所有者が、アスベスト問題の象徴として悪評を広めようとしているのではないかと疑い訴訟に踏み切った[55]

黒川はアスベストは室内を汚染しておらず、世界遺産候補と説明した事実はないと主張し1億円の損害賠償と謝罪広告を求めたが、東京地方裁判所は2007年4月11日、アスベスト汚染、虚偽説明に関する主要部分が事実であると認定し週刊新潮側の全面勝訴で終わった[57][58]

老朽化・解体

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カプセル間のすき間

一旦は解体決議が無効になったものの2010年ごろに給湯管が破裂し、配管が張り巡らされていたこととカプセル間が狭いことから修理ができず、建物全体で給湯機能が停止した[59][60]。1階にある簡易的なシャワースペースを交代交代で使わなければならず[56]、浴槽は洗濯機置き場にして近くの銭湯に通う利用者も複数いた[61][62][63][64]。セントラルヒーティングも故障しているため、カプセルの5面が外気と接していることからカプセル内は熱しやすく冷めやすい状態で各部屋で対処が必要だった[60]。元住人の証言では、雨漏りで垂れてくる水にはサビが混じっている状態で、景気が上向いていたことから中止された建て替えの声が再び大きくなり、管理組合側の買い増しが進められた[65][66]

一方、2008年に住民による「中銀カプセルタワー応援団」というブログが開設されると、メディアから注目を集め取材を受けるようになっていった[67]。2010年から2011年にかけてブログを通して連絡を取った前田達之がカプセルを購入していき、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」を立ち上げた[68]。前田は、カプセルを手放すオーナーから買い取ることで所有カプセルを増やし、建て替えに反対できる数を得ようとしていた[69]

屋根にダメージのあるカプセル

保存・再生プロジェクトの2015年の調査では、140のカプセルの内使用されているのは半分ほどで、35名が住居として利用していた[60]。プロジェクトが行ったアンケートによると、メリットとして交通の利便性が挙げられ、デメリットには特に空調やエレベーターの不具合を挙げる利用者が多かった[70]。改善点については、洗濯機の設置[注釈 3]、女性用シャワー、Wi-Fiのような共用設備の充実と大規模修繕が望まれていた[70]。平成17年からカプセルタワーを扱っていた不動産会社のメイツホームでは、雨漏りが酷く給湯や空調に問題があることを事前に伝えた上で物件紹介をしていた[72]

住居と事務所の利用率は半々ほどで、毎日の住処にしている住人や気分転換のために月に4~5回しか使わない利用者もいれば、カプセル解体の危機感から部屋でパフォーマンスや展示を行ったりする利用者もいた[60][73][74][75]。知人・友人にカプセルを体験してもらいたいと積極的に来客を招く所有者もいれば[76]、オリジナルに近い形で残っているカプセルで、外国人向けの見学ツアーも開催された[77]。保存・再生プロジェクトは所有するカプセルをマンスリーで貸し出し体験できる取り組みを行い、その中には無印良品がインテリアコーディネートしている無印カプセルと呼ばれる一室もあった[78][79]。2016年には7人の所有者が、合計11個のカプセルに対し独自で防水工事を行った[53]。掛かった費用は1カプセル30万円ほどで、損傷個所をシーリング材、ブチルテープ、板金を用いて塞ぎ、カプセル屋根部分にはウレタン材で防水加工を施した[53]。保存・再生プロジェクトが運営するFacebookページには工事終了の報告と共に、修繕のための積立金1億円が使用されないとして、1/3の議決権を持つ中銀グループを批判するメッセージが発信された[53]

2018年に中銀グループが建物と敷地を売却し、新型コロナの流行をきっかけに経済的な理由で所有者がカプセルを手放していった[3][80]。2021年3月22日に管理組合は臨時総会を開き売却を決議し、2022年4月21日に解体が始まった[3][66]。解体は東京ビルドが担当し、まず内装を解体しカプセル内のアスベストを除去してから、骨組みだけになったカプセルを取り外していった[3]。カプセル間は非常に狭く、解体作業は困難だった[3]。カプセルは比較的状態の良いものから崩壊寸前のものまで老朽化具合は様々であり、状態の悪いものの中には「床板を剥がしたら、外壁が外れていたカプセルもあった」と東京ビルドの荒川課長は語っている[3][81]

構造

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シャフト

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中銀カプセルタワービル6階の平面図

コアとも呼ばれる建物の中心となる縦長のシャフトは、メタボリズムにおける居住空間を支える枝の役割を果たす人工土地にあたり、エレベーターシャフトと階段、配管スペースのみで構成されるラーメン構造だった[82][83][84]。地下階には電気室と空調室、受水槽があり、2階は中銀のオフィスフロアが割り当てられた[82][31][85]。接続階の6,9,12階はブリッジで接続されA棟とB棟を行き来でき、避難ハシゴが配置されていた[82]。基準階では各シャフトに8つずつのカプセルが接続され、ブリッジ階では7個のカプセルが接続された[85]。それぞれの合計個数は、A棟で76個、B棟で64個である[86]

地下階から2階までが普通コンクリートで、3階から上は軽量コンクリートが材料に使われた[83]。建設時に階段室が早い段階で利用できるように、床板とエレベーターシャフトの周囲の壁にはプレキャストコンクリートが使われた[83][84]。エレベーター工事は昇降口3方枠やアンカーを先に埋めていたので、早く運転を開始することができた[84]

排水は省スペースのため、2本の配管を一つにまとめられるソベント方式が採用された[83][28]。一方、水流音が発生するデメリットがあった[28]。配管もプレハブ化されて搬入され、配管工事はシャフトの進捗具合に関係なくカプセル内部で行われた[84]。一般的にはシャフトの中に納められる配管だが、シャフト内の構成を最小限にするためにカプセル間に露出することになった[87]。また、配管を通すことができる最小の隙間でカプセル間の大きさは決まった[87]

カプセル

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カプセル部位[82] 作業者
施工 (株) 大丸装工部
鋼体 アルナ工機(株) 姉川工場
床版 シポレックス販売(株)
耐火被膜 日本バルカー工業(株)
内装・家具 大丸木工(株), あき もく工業
硝子 小谷ガラス(株)
ガスケット類 興国ゴム工業(株)
電気設備 吉沢電気工事(株)
オーディオ製品 SONY ほか
バスルーム FRP部 伊奈製陶(株)
空調機 ダイキン工業(株)
配管設備 大崎設備工業(株)
外装 富田工業(株), 三井金属鉱業(株)
照明器具 松下電工(株)ほか
小型冷蔵庫 三洋電機(株)
カプセル運送 鈴与自動車(株)

カプセルは初期の構想段階では複雑な構造をしていたが、単純化により最終的にシンプルな立方体となった[82]。カプセル本体は軽量鉄骨の全溶接トラス箱であり、各トラス面は平面治具で組み立てられ改造したコンテナ用治具で固定し溶接作業を行った[83]。外板は、ボンデ処理鋼板にリブ補強したパネルの組み合わせである[83]。加工後に防錆塗装の焼き付けと、耐火と断熱のため石綿のケニテックスが主構造は45mm以上、外板部は30mm以上吹き付けられた[83][84]

カプセルとシャフトは別工場で作られたため、接合の精度には注意がなされている[83]。特にカプセルは全数検査が行われ、構造部24ヶ所、ジョイント部9ヶ所、外板6ヶ所、入り口周りの6ヶ所が点検箇所とされた[83]。それぞれの公差は、構造体部分で0~3mm以内、ジョイント部では±1mm以内である[83]。その他にも、内装、外装、装備類について工場搬出時と取り付け後にチェックが行われた[83]。カプセル内が狭いことや間違いを減らすため、カプセル内での切断や加工作業を減らし、アッセンブリ化した部品を組み合わせるようにする工夫が取られた[84]

採光や見晴らしから、取り付け位置や窓位置それぞれに縦と横の種類があるが、8種類のカプセルの大きな違いは、長辺、短辺どちらにドアがついているかである[87]

シャフトと接続するジョイント部分はカプセルが低い階から取り付けられていることから、下部側から作業することができない[83]。したがって、下部部分はブラケット2ヶ所に乗せ、上部2ヶ所のみをシャフトにボルト止めし軸力と引っ張りを持たせたキャンティレバーになっている[87]。シャフトとの接続後にジョイント部は、耐火性・耐久性のため軽量コンクリートで覆われている[83]

内装

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円窓と備え付けの機器

広さは10 m2で、幅2.3 m、奥行き3.8 m、高さ2.1 m[60]。カプセルにはオフィス、ホテル、マンションの3タイプがあり、グレードも、スーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種類が用意され、色も白、黒、オレンジ、青の4色から選ぶことができた[19][35]。ベッドとバスが不可欠な装備品として最初に導入が決まり、バスルームはできるだけスペースが小さくなるようにデザインされた[84]。窓やブラインド、ベッドマッドは特注されており、中でも特徴的な円窓は黒川お気に入りの意匠で、都知事選に立候補した際の選挙カーでも用いられている[87][88][89]。窓は2重で外側部分が嵌め殺しになっており、カプセル内の環境は空調設備の調子に左右された[90][2]

バスルーム

サラリーマンに必要なものを揃えた完結型ユニットで、ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備となり、ステレオレシーバー、テープデッキ、ステレオスピーカー、空気清浄機、流し台、テーブルライト、卓上計算機などがオプションとして用意された[91][7][35][83]。標準装備のみのスタンダードと、オプション15種類の組み合わせによってデラックスとスーパーデラックスとの差別化されたが、利用者それぞれが好みのオプションを発注していたため、実際には組み合わせは3種類以上あった[83][82]。販売価格には歯ブラシや毛布の料金も含まれており、身一つでカプセルを利用開始することができた[35]。内部に関しては設計する時間に余裕がなく、詳細にデザインできたわけではなかったと阿部は振り返っている[87]。また、インテリアについて黒川から詳細な指示が無く、装備品については阿部の好みが反映されている[87]

施主の「ビジネスマンション」という構想により、用途が限定され厨房設備、リビングルームは不要とされた[83][82]。ガスが通っておらず調理することは想定されていないが、保存・再生プロジェクトによる「中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟」には、独自にミニキッチン設備を作った利用者やIHコンロ、ホットプレートを使用している例が紹介されている[92][93][注釈 4]

設計思想

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隙間なく配置されたカプセル

高度経済成長下の日本では都市拡張、人口増加が進み、住宅難に対応するためミニマムで機能主義的な住宅が求められ、1971年の「セキスイハイムM1」のような直方体のユニットを現場で組み合わせて完成するプレハブ住宅に注目が集まっていた[7][95]

黒川は方向性を同じにしながらも、進んでいく開発を憂慮し地球の資源は有限であると警鐘を鳴らし、新しい未来像を提示することを目指した[96][97][98]

黒川が日本万国博覧会において設計した「空中テーマ館 住宅カプセル」ではカプセルの組み合わせによって住環境を作るというアイディアが実現されており、カプセルタワーの原型になっている[99]。住宅カプセルは博覧会展示のためショー機能の要素が強く、カプセルタワーは実用的なカプセル建築の第一歩といえる[84][100]

カプセル建築は、画一のものを量産化しコストダウンすることがメリットと考えられがちだが、黒川の目指したものは量産化による多様性という一見矛盾したものだった[101]。一定期間で変容していくメタボリズムのコンセプトでは、建築家は建築後も主体性を持ち続けることができない[102]。カプセルそれぞれの持ち主が主体性を持ち、新しいものや異質なものが取り込まれていくことで住民が建築に参加することができた[102][103]。黒川にとってカプセルタワープロジェクトの意義は個の空間を創り出すことだったが、末期にはビジネスマンからクリエイティブ系の職種の利用者が増え人の新陳代謝が起こり、それぞれの解釈で多様なカプセルの利用がなされた[104][105]

メタボリズム

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メタボリズムのグループの中でも、黒川は生物の新陳代謝という概念に最もこだわった建築家だった[106]。メタボリズムの「代謝する建築」という考え方を実現するため、カプセルを細胞の一つに見立てて、カプセルの交換によって新陳代謝を表現しようとした[101][107]

技術の進歩や生活を取り巻く変化が急激になっていくと設備の技術更新が追い付かず、電気系統の4~5年からコンクリートの50~60年といった異なる耐用年数が同じ建物に混在し、短い耐用年数が建築全体の寿命も短くしてしまうことが増えていっていた[108][109]。建築素材の耐用年数に余裕があっても、電気や水道システムの老朽化により解体される建築物がある一方、自動車はエンジンなどの部品を交換して長期間使用することが想定されて設計されている[110]。そこからヒントを得た黒川は、予め寿命を25年とし交換していくことを想定したカプセルで、コントロールの主体を人間に取り戻し、社会や個人のニーズによる「社会的耐用年数」にも対応し変化していく建築を目指した[91][111][112]

ホモ・モーベンス

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高度経済成長により都市の移動が容易になると、価値観の変化、人や物の移動、情報の流れという新しい流動性が発展していき、黒川は「動」という価値観に従って生きる人間を「ホモ・モーベンス」と名付けた[113][114][115]。黒川は著書「ホモ・モーベンス」の中で「カプセル宣言」を発表し、第二条で「カプセルとは、ホモ・モーベンスのためのすまいである。」と規定した[113][116]。一つの家に縛られることなく、1日24時間のうち都心の様々な施設にアクセスし豊かなライフスタイルを送るため、オフィス、またはセカンドハウスとしてカプセルタワーは提案された[117][118]

個々人それぞれが自らのヤドカリを持ち移動可能であることがカプセルタワーのコンセプトであり、長期休暇にリゾート地やスキー場へトレーラーで運んでいくことを想定していたことから、カプセルはシャフトに止められているだけだった[119][118]。しかし、実際に移動可能であっても、現地の電気やガス、通信などのライフラインと接続できないため、あくまでも構想であった[118]。カプセルタワー建築後の雑誌新建築1972年6月号では、給湯給水設備を移動可能にした「ムービング・コア」や「レジャー・カプセル」が発表されている[120]

カプセルタワー以後ホモ・モーベンスの考え方が定着することはなかったが、コロナ禍によりオンラインで場所を選ばずに仕事をしなければいけなくなり、黒川の思想が再注目されることとなった[121][81]

評価・影響

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世界で初めて実用化されたカプセル建築で、メタボリズムの代表的な作品であり、世界的に著名な建築だった[120]。外国人旅行者もしばしばカメラを向けるほどで、2015年に来日した映画監督のフランシス・フォード・コッポラは、カプセルタワーに関心を持っており実際に建物を見学している[48][52]。 建築直後からはとバスでは黒川紀章の名前と一緒にカプセルタワーが紹介されており、「近代建築辞典」の日本の項目には、丹下健三国立代々木競技場とカプセルタワーだけが戦後建築の象徴として掲載されていた[40][118]。2006年には、DOCOMOMO JAPANによる日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている[7]。建て替えの声が大きくなってきた2005年から2006年にかけて建築学会、建築士連合会、建築家協会、DOCOMOMO Japanの4団体それぞれが管理組合に対し保存要望書を提出しており、建築学会の要望書には「世界の戦後建築史に欠かせない」、「イギリスをはじめ諸外国から保存を望む声がある」ことが書かれていた[122][81]

イギリスの前衛建築家集団のアーキグラム、ドイツのヴォルフガンク・デーリンク、オーストリアのギュンタードメニクらが、1960年代に相次いでカプセル建築のアイデアを発表していたものの、アーキグラムのデザイン案は実現可能性が考えられたものではなかった[123][18]。その中で唯一建築物として実現に至ったのが中銀カプセルタワーだった[123]。メタボリズムという思想を純粋に体現した唯一の建築で、全てのユニットは交換可能であり中心のコアを建て増せば増殖していく構想もあった[124]。実際にはユニットは下から積み上げているため、どこか一つだけ交換するということが不可能であり、カプセルの交換が行われなかったことからメタボリズム建築の失敗例ともいえる[124][123][注釈 5]。カプセル交換の作業性よりも耐久、耐火性が優先されているのは、頻繁に交換されることを想定せずに交換することが"できる"レベルにとどめているからである[83]。また、分譲によりカプセル所有者それぞれが権利を持っていたため、管理側による一括のカプセル交換が不可能だった[50]。黒川の当初の構想では賃貸物件であり、カプセルの耐用年数である25年が経過したら交換することを想定していた[37]。一方、渡辺は分譲することで一気に資金を回収し、カプセル建築を増やしていく野心を持っていた[37]

カプセルタワー完成後も、黒川事務所、中銀マンシオン、大丸装工部の共同でレジャー向けのカプセル開発が続けられた[85]静岡のリゾート地、宇佐美にカプセルビレッジを作る構想があり、開発された「LC-30X」タイプのカプセルはガスレンジ、調理台、換気ファンが標準化され、オプションで冷蔵庫やボイラーの追加ができた[125][126]。リビング、寝室、給水設備の3種類のカプセルを、敷地の大きさに合わせて組み替えられるようになっており、大丸装工部は「万博やオリンピックのような大規模イベントの宿泊施設に使えるのではないか」と期待を寄せた[127]。価格は150万円ほどでホテル業界にも注目されたが、受注生産ということもあり20棟ほどしか売れなかった[127][85]。 中銀マンシオンの有藤常務は、建築直後の反響に比べニーズがそこまで伸びず、オイルショックや時代の移り変わりによる価値観の変化により後継カプセル建築が作られなかったと語っている[6]。大丸装工部は経験を活かし、ベッド、テレビ、ラジオ、アラームを一体化したカプセルベッドを開発し、1000万個が売れる大ヒット商品になった[85]。大成建設ではその後カプセル建築に取り組むことはなかったが、特殊な工法に挑戦したことから大手建設会社の中でプレハブ技術が向上したと当時の現場所長が振り返っている[128]

設計を担当した阿部暢夫は個人用カプセルが備わっていることから、カプセルタワーよりも大阪万博の「住宅カプセル」を黒川が提唱したホモ・モーベンスのコンセプトを体現した建築と位置付けている[129]。黒川は一つ屋根の下という家族観の解体を目指していたが、カプセルタワーでは家族の構成員それぞれがカプセルを持ち合わさって住むという構想は実現に至っていない[119][118]。建築された第1期のカプセルタワーではカプセルが螺旋状に配置されていたが、実現しなかった第2期の構想ではカプセルは水平に配置され、連続したカプセルにより家族や個性的な使い方が期待されていた[130]近江榮は、ワンルームマンション、カプセルホテル、ユニットバスが一般化する前から建築として実現しているところを評価しながらも、黒川が提示したコンセプトが投機対象になるなど正統継承されなかったことを残念だと話している[128]。建築ジャーナリストの田辺明子は、黒川の問題提起が真正面から受け止められなかった理由に法規制や行政の怠慢など社会にも問題があるとし、カプセルタワーは都市の歪みを測る「原器」と表現している[128]

2008年に雑誌・新建築紙上で行われた山本想太郎、石黒由紀、高橋堅、山代悟による座談会では、メタボリズムを現実の建築として実現した功績が讃えられ、カプセルの工業的な完成度が高く、建築の付属品としてではなくカプセルが重要な構成要素になっていることが評価されている[87]。高橋は、カプセルという特殊な制約があるため、建築として今一つな部分もあり記念碑的だとしている[87]。また、ル・コルビュジエのドミノシステムの最小単位である「メゾン・ドミノ」の連結していくユニットというコンテクストの延長にありながら、カプセルが並んでいるだけで関係性は生まれていないのではないかと問いを投げかけている[87]。それを受けて石黒は、カプセルがフレームの外側に配置されていることに注目し、カプセルを閉じた一つの単位として表現したかったのではないかと答えている[87]。山本の考えでは、関係性はカプセルではなく都市や環境とのネットワークに表現されているのではないかとしている[87]。石黒は、様々な方向を向いたカプセルの異なった景色を所有している「ここにいる」という感覚を体験し、ホテル的なカプセルが個人の居住空間足りえる理由に窓と扉を挙げ、インフラとプライバシーが最小構成要素なのではないかと分析している[87]。山本は、カプセルだと意識できるのは外観からで、内側に妥協が見られることから黒川は外へのプレゼンテーションの意識が強かったのではないかと分析し、カプセルをバランスよく配置しなければならないという制約がある一方、カプセルを徹底的に並べることで集合体の建築として成り立たせていると評した[87]。1階部分にロビーやテナントスペースが十分に設けられていないのは、黒川からの「外へ出ろ」というメッセージなのではないか、という発言もあった[87]。「今自分がカプセル建築を作るとしたら」という問いに、山代は個人用ではなく、パブリックな空間に音楽や図書のカプセルを配置することに興味があると答えている[87]

保存活動

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北浦和公園に展示されている中銀カプセルタワービルのプロトタイプカプセル

建物玄関に置かれていたモデルルーム用のカプセルは、2011年から2012年にかけて開催された「メタボリズムの未来都市展」において六本木通り沿いに展示された[131]。開催終了後に森美術館は黒川が設計をした埼玉県立近代美術館へ寄贈した[131]。さいたま市の北浦和公園彫刻広場に美術品として配置され、内装が綺麗な形で残っており、外から観賞することが可能となっている[131][132]。美術館側は月に1回アスベスト濃度を検査しており、不安の声に対応している[133]

保存・再生プロジェクトは、中銀グループから地権を買い取ったCTB合同会社と交渉し、解体の際にカプセルを保存用に取り外し活用していくことに合意し23基のカプセルを確保した[134][3][135]。これら23のカプセルのうち、9室が内装を全て取り外し、外枠だけを保存したスケルトンタイプ、14室が設備の新調などによりできるだけオリジナルに近い状態を保ったオリジナルタイプとして保存された[136][137]。2024年現在、これら23基のうち12カプセルの再活用が公開されている[138]

2023年にはアメリカサンフランシスコ近代美術館への収蔵が決まったほか[135]、2基が松竹が新しく創設するイベントスペース「SHUTL」へ展示された[139]。SHUTLに設置された2基のカプセルはひとつがオリジナルタイプ、もうひとつがスケルトンタイプであり、美術館に保存されている観賞用のカプセルとは違い展示やワークショップに利用できるのが特徴となっている[140]。8月24日からは、和歌山県立近代美術館がオリジナルタイプのA908を収蔵した[137]淀川製鋼所はカプセル1基を取得してトレーラーに改造し、自社のデザインブランドである「YODOKO+」のシンボルとして利用している[141]GINZA SIXもカプセルを取得し、11月10日から12月25日にかけて、アートユニット「YAR」によりモニュメントとして改造されたものが展示された[142][143]。2024年4月13日から、INAXライブミュージアムでカプセル1基の展示がはじまった[144]鎌倉市の不動産会社エンジョイワークスは、保存・再生プロジェクトから5つのカプセルを借り受け、2024年秋から、横須賀市ソレイユの丘にて宿泊施設としてオープンさせる計画を発表した[145][146]

2013年から会員制のシェアオフィス「B908プロジェクト」を運営していた いしまるあきこは、活動に理解を示した所有者の協力でA606号室を借り受け、2017年にシェアオフィスとレストアを目的とした「A606プロジェクト」を立ち上げた[147]。オリジナル状態のカプセルが残らない危機感からリフォームではなくレストアにこだわり、残っている機器類は修理し、失われていた部分については他のカプセルを参考にしながらプロに製作を依頼した[147]。2018年に元所有者が買い受け企業に所有権を売却したが、弁護士の力を借りて606号室の使用を継続することができ、その後の話し合いで解体時にカプセルを譲り受けることにも合意した[147]。解体作業では状態の良いカプセルがその場で壊されているのを目の当たりにし、交渉の結果合わせて7つのカプセルを保存することになった[148]

黒川事務所は、不動産クラウドファンディングを運営するLAETOLI株式会社と共同でカプセルタワーの設計情報に紐づいたNFTを販売した[3]。購入者はカプセルタワーの3次元データに基づき自由に建設が可能で、設計側が再建を公認する例は世界的に珍しかった[149]

脚注

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注釈

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  1. ^ 設計担当の阿部がクルーザー好きだったことから、百貨店に船舶の内装を請け負う部署があることを知っており大丸装工部への依頼につながった[26]
  2. ^ 実際にカプセルが取り外されることはなかったので、2009年時点で課題は未解決のままだった[19]
  3. ^ 建設当初はコンシェルジュに洗濯物を頼めるサービスがあり、洗濯機を置くスペースが用意されていなかった[71]
  4. ^ 火気厳禁だったという利用者の証言がある[94]
  5. ^ 黒川らは設計中、どこからでも取り外しが可能な設計を本気で考えていた[87]

出典

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参考文献

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和書

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    • 建畠哲 著「住宅の神話」、五十嵐太郎 編『戦後日本住宅伝説 ─挑発する家・内省する家』新建築社、2014年。ISBN 9784862550446 
    • 五十嵐太郎 著「建築家にとって住宅とは何だったのか」、五十嵐太郎 編『戦後日本住宅伝説 ─挑発する家・内省する家』新建築社、2014年。ISBN 9784862550446 
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雑誌記事

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