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*{{仮リンク|クリスチャン・ラクロワ|fr|Christian Lacroix}}(1987〜2009)
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2023年1月5日 (木) 11:39時点における版

オートクチュールの女性モデル

オートクチュールフランス語: haute couture)とは、パリ・クチュール組合(La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne、ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ、通称サンディカ)加盟店で注文により縫製されるオーダーメイド一点物の最高級仕立服のこと。その店のことは、オートクチュールメゾンという。

概要

フランス語で haute(オート)は「高い」「高級」を意味する形容詞 haut(オー)の女性形、couture(クチュール。女性名詞)は「縫製」「仕立て服」のことで、高級仕立服を意味する。オートクチュールとは、パリのサンディカ加盟店のメゾンにのみ用いられる言葉である。

パリオートクチュールコレクション(本来はファッションウィークと言う)の時期にはファッション関係者がパリに集まるのをビジネスチャンスと捉え、サンディカ以外のファッションショーも行われ商談が行われるが、サンディカをin、サンディカ以外をoffと区別されている[1]

サンディカに正式に加入するには、パリに一定数以上のプロの技術者を抱えたアトリエを持つなどの様々な条件や審査がある。オートクチュールは手仕事の高度な職人技術が反映されたフランスの伝統と職人技が誇る芸術品であり、スーツ1着が300万円以上の最高級品である。歴史あるフランス特有の服飾文化から創造される様々な伝統技術を持つ職人が存在しない日本では、オートクチュールレベルの仕立て服を創ることはできない。

日本では一般人が知識がなく、オートクチュールの仕立て服の細部を見たこともないため、単なる「オーダーメード」の仕立服に「オートクチュール」と名乗るデザイナーも見受けられる。しかし、今日までにパリのサンディカに正式に加盟した日本人のオートクチュールデザイナーは唯一、森英恵のみである。

解説

シャンブル・サンディカル

1868年にフランス・クチュール組合(フランス語: La Chambre Syndicale De La Confection Et De La Couture Pour Dames Et Fillettes)」が創設される[2]

20世紀初頭までパリには多くの高級仕立て店が乱立しており、「オートクチュール」の規格も曖昧であった。イギリスからやってきたデザイナーシャルル・フレデリック・ウォルトがこれらの高級仕立て店をシャンブル・サンディカル(パリ・オートクチュール組合)として組織化した。 

シャンブル・サンディカルの設立により、それまで顧客の一方的な注文や、ある程度の規格の中から顧客が好みのデザインを指定して作ったり、デザイナーが客の希望を聞きながらデザインする服作りが、デザイナーがデザインしたものを顧客の体に合わせて仕立てて売るという「デザイナー主導」になり、顧客にとって「デザインを買う」=「芸術作品を買う」ということになった。単なるオーダーとのこのような違いから、デザイナーの社会的地位も大いに高まった。

シャンブル・サンディカルは、コレクション後に大量に溢れるコピー品にも対応し、新聞雑誌へ公開まで期限の条件をつけたり、取材するメディアが全ての店を取材できるようにコレクションのスケジュール化を行い、海外メディアへのアピールにも大いに貢献している。

組合加盟には様々な規定があり、それらをクリアしなければならない。例えば、1年に2度のコレクションを開催、コレクションでの発表数、アトリエの常駐スタッフの数、専属マネキンの人数などである。加盟店はメゾン(maison)と呼ばれ、生地の選定から縫製まで一貫して行う為のアトリエを持っている。しかし、急速に縮小しているオートクチュール産業・文化を維持し、新規のデザイナーやメゾンを招致するために、これらの規定は年々、緩やかになってきている。

製作過程では、コルセットなど特別の部分を除いては全て、お針子が一刺し一刺し手縫いをして完成させる。ミシンは使わない。刺繍レースもみな手編みである。デザイナーはテキスタイルデザインも行なうことがある。完成までには2、3度の仮縫いをして、最後に本縫いということになる。刺繍などの部分的な加工は「ルサージュ」などの専門のアトリエに外注されることが多い。ルサージュも含め、靴、帽子、ボタン、金細工などを行うアトリエは元々、家内手工場のような小さな資本のアトリエであった。そこにオートクチュールビジネスの縮小・顧客の減少が拍車をかけ、経済的に非常に困難に陥っていたが、2000年代にそのほとんどのアトリエを「シャネル」のメゾンが買い取り、その傘下に置いた。それはシャネルという十分な資本を持ったメゾンが経済的に資本支援をすることを意味し、パリのオートクチュールという文化保存の意味になり、フランスでは高く評価された。また、装飾品、帽子や靴などのアクセサリーも専門のアトリエや外部のデザイナーが担当する。

オートクチュールは、最高の服飾素材を用いた熟練した職人の手仕事による最高級服であるため、非常に高価である。シンプルなスーツ一着は300万円程度からであり、美しいシルエットのレースやビーズ刺繍の装飾的なドレスなどはその金額をさらに上回る。そのため顧客はアラブの石油王や貴族、世界中の上流階級であるセレブリティーである。

顧客の減少

1970年代の高級既製服(プレタポルテ)の台頭により、現在はシャネルなどの一部のメゾンを除いては殆どが赤字経営である。1950年代以降、顧客が減少し続けている為、現在ではメゾンのほとんどがプレタポルテも手がけている。それでもなおオートクチュール部門を会社が閉鎖しないのは、オートクチュールコレクションを行っていることでブランドとして「格」が上がり、プレタポルテや香水ライセンス事業の売り上げに多大な影響があるからである。

現在の各メゾンの顧客の合計総数ははっきりしないが、一説には毎シーズンごとに注文をする顧客は世界中で500人くらいと言われている。王侯貴族や有名女優、世界各国のファーストレディ達が主な顧客となる。

ジャクリーン・オナシス(元ケネディ大統領夫人)はヴァレンティノ・ガラヴァーニオードリー・ヘプバーンジバンシィカトリーヌ・ドヌーヴイヴ・サン=ローランアヌーク・エーメエマニュエル・ウンガロジャンヌ・モローピエール・カルダンマドンナクリスチャン・ラクロワフランス語版ジャン・ポール・ゴルティエ等。日本人で代表的だったのは、イヴ・サン=ローランニナ・リッチを愛用した歌手の越路吹雪。1971年の訪欧、1975年の訪米の香淳皇后ドレス一式の制作はフランスのデザイナーのピエール・バルマン英語版[3]。オートクチュールのアトリエには、顧客の名前の記されたリアルサイズのトルソー(マネキン)が置いてある。

パリ・コレクション

1950年代まではパリコレと言えば、オートクチュール・コレクションのことであったが、パリでは1960年代からスタートしたプレタポルテ・コレクションがその後隆盛を極め、現在ではプレタポルテ・コレクションとオートクチュール・コレクションの双方を指す。毎年1月と7月に開催されるパリ・オートクチュール・コレクションには、サンディカ正式加盟店とフランス国外招待メンバー、招待されたブランドだけが参加できる。

サンディカ加盟店

シャネルのパリの店舗

過去の加盟店

国外招待デザイナー

過去にゲスト参加したブランド

脚注

  1. ^ 2015年3月12日21時NHKBSプレミアム放送世界で一番美しい瞬間ファッションの最高峰 輝く5日間 フランス パリ
  2. ^ 「ファッション・マーケティング」p100 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  3. ^ 文化出版局発行「服飾辞典」世界のデザイナー フランス(オートクチュール) ピエール・バルマン

参考文献

  • 『パリ・モードの200年~18世紀後半から第二次大戦まで~』南静著(1975年5月20日、文化出版局[1]
  • 『パリ・モードの200年(2)~第二次大戦後から現代まで~』南静著(1990年11月5日、文化出版局)[2]

関連項目

外部リンク