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2023年1月3日 (火) 21:26時点における版
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
刑法 | |
---|---|
日本の法令 | |
法令番号 | 明治40年法律第45号 |
種類 | 刑法 |
効力 | 現行法 |
成立 | 1907年3月25日 |
公布 | 1907年4月24日 |
施行 | 1908年10月1日 |
所管 | 法務省 |
主な内容 | 主な犯罪の成立要件とそれに対する刑罰 |
関連法令 | 軽犯罪法、爆発物取締罰則、組織的犯罪処罰法、ハイジャック防止法、刑事訴訟法など |
条文リンク | e-Gov法令検索 |
ウィキソース原文 |
日本の刑法 |
---|
刑事法 |
刑法 |
刑法学 ・ 犯罪 ・ 刑罰 |
罪刑法定主義 |
犯罪論 |
構成要件 ・ 実行行為 ・ 不作為犯 |
間接正犯 ・ 未遂 ・ 既遂 ・ 中止犯 |
不能犯 ・ 因果関係 |
違法性 ・ 違法性阻却事由 |
正当行為 ・ 正当防衛 ・ 緊急避難 |
責任 ・ 責任主義 |
責任能力 ・ 心神喪失 ・ 心神耗弱 |
故意 ・ 故意犯 ・ 錯誤 |
過失 ・ 過失犯 |
期待可能性 |
誤想防衛 ・ 過剰防衛 |
共犯 ・ 正犯 ・ 共同正犯 |
共謀共同正犯 ・ 教唆犯 ・ 幇助犯 |
罪数 |
観念的競合 ・ 牽連犯 ・ 併合罪 |
刑罰論 |
死刑 ・ 懲役 ・ 禁錮 |
罰金 ・ 拘留 ・ 科料 ・ 没収 |
法定刑 ・ 処断刑 ・ 宣告刑 |
自首 ・ 酌量減軽 ・ 執行猶予 |
刑事訴訟法 ・ 刑事政策 |
カテゴリ |
刑法(けいほう、明治40年法律第45号、英語 : Penal Code[1])は、犯罪に関する総則規定および個別の犯罪の成立要件やこれに対する刑罰を定めた日本の法律。所管官庁は、法務省である。1907年(明治40年)4月24日に公布、1908年(明治41年)10月1日に施行された。広義の「刑法」と区別するため刑法典とも呼ばれる。
日本において、六法を構成する法律の一つであり、基本的法令である。ただし、すべての刑罰法規が刑法において規定されているものではなく、刑事特別法ないし特別刑法において規定されている犯罪も多い。
現行刑法は、第1編の総則(第1条 〜 第72条)と、第2編の罪(第73条 〜 第264条)の2編によって構成されている。
概要
現行刑法は、強力な治安法制を確立させたいという制定時の政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型について抽象的・包括的な定め方がされ、法定刑の幅が広く取られている[2]。そのため、裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、裁量によって執行猶予を付すことができたり、逆に累犯に対しては重い処罰をすることができるものとなっている。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね備えたものであり、制定当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史をたどってしまっている。それが克服されたのは、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後のことである。
第1編「総則」
ここでは、個別の犯罪に共通する一般原則を規定している。この編の規定は、明文のない限り他の刑罰法規(特別刑法)において定められた犯罪にも適用される。刑法の総則を理論化したものが講学上の刑法総論である。
適用範囲
第1章では、刑法の場所的・時間的適用範囲が規定されている。
場所的適用範囲
日本の刑法では刑法1条で属地主義を採用しており、この属地主義の立場を基本として犯罪の類型ごとに属人主義、保護主義、世界主義で補充する形をとっている(刑法第2条以下)。
時間的適用範囲
- 遡及処罰の禁止
- 日本の刑法では、その施行後になされた犯罪に対してのみ適用される。犯罪行為から裁判までの間に法律が改正された場合、裁判時の法律を遡及的に適用してはならないという遡及処罰の禁止の原則をとっている。ただし、裁判時の法定刑が行為時より軽い場合には、裁判時の法律を適用してもよいことになる(刑法6条)。
- 刑の廃止
- 犯罪行為時に刑法が施行されていても、裁判時に廃止されている場合にはその行為を処罰することはできない(刑事訴訟法337条2号)。もっとも、経過規定が置かれている場合は処罰が可能である。
- 限時法理論
- 限時法理論とは、刑の廃止に際して経過規定が置かれていない場合にも、解釈上処罰を可能とする理論である。もっとも、罪刑法定主義の観点から、限時法理論を否定するのが通説である。
人的適用範囲
- 条文上、人的適用範囲を定める規定は存在せず、刑法は、場所的・時間的適用範囲にあるとされた犯罪行為を行った者全てに適用される。天皇・摂政・国会議員・外国の元首・外交官等に適用されるかが問題となるが、これらの者についても刑法は適用され、犯罪自体は成立する。ただし、人的処罰阻却事由の存在や、手続上の制約により処罰を免れることがある。
刑罰
第2章 ~ 第6章では、死刑・懲役・禁錮・罰金・拘留・科料といった刑罰の種類や軽重、刑の執行猶予、仮釈放、刑の時効および消滅等について規定している。
犯罪の不成立、刑の減免
第7章では、正当防衛や緊急避難といった違法性阻却事由や、故意犯処罰の原則、責任能力、自首等について規定している。
未遂罪
第8章では、未遂罪について規定している。旧刑法では、未遂は必要的減軽事由であったが、現行刑法では「刑を減軽することができる」となっており、任意的減軽事由である。
罪数・累犯
第9章では、併合罪や、観念的競合、牽連犯等に関する罪数の処理方法について、第10章では、累犯について規定している。
共犯
第11章では、共犯について規定している。共同正犯についてもこの章に規定されており、ここでいう「共犯」とは広義の共犯を指す。
加重減軽
第12章では、酌量減軽について、第13章では、刑の加重・減軽の順序や方法について規定している。
第2編「罪」
ここでは、殺人罪や窃盗罪、放火罪など各種の犯罪類型や、その未遂罪を処罰するかどうかなどを規定する。これら各犯罪の構成要件等について研究するのが講学上の刑法各論である。
条文の配列は、基本的に「国家的法益に対する罪」(第2章 ~ 第7章)、「社会的法益に対する罪」(第8章 ~ 第24章)、「個人的法益に対する罪」(第26章 ~ 第40章)の順になっている。ただし、保護法益に対する考え方の違いもあり、全ての犯罪類型がこの順序に従って並んでいるわけではない。例えば、国家的法益に対する罪である「汚職の罪」は第25章に位置しており、また、今日では一般的に個人的法益に対する罪だと解されている「わいせつ、強制性交等及び重婚の罪」は第22章に位置している。
日本の刑法典の各則(罪)は、犯罪を包括的に規定しているために条文数が少なく、また法定刑の幅が広く規定されているのが特徴である。
沿革
古代
上代には大祓詞(おおはらえのことば)では、身体障害、疾病、自然災害も含んだ天つ罪・国つ罪(あまつつみ・くにつつみ)の観念があり、これらは祓(はらえ)により浄化された。しかし、公開刑の死刑、財産刑、没収、追放なども存在したとされる。大化の改新ののち、大陸からの帰化人や留学生により大宝律令、養老律令が制定された。これらは唐律の規定にならうが、規定の簡素化と刑の緩和がはかられていた。なお、弘仁9年(818年)から保元元年(1156年)までの339年間、朝臣に対して死刑が行われなかった[3]( → 日本における死刑)。
中世
鎌倉時代には律令法は公家の荘園や洛中に限られ、武士の慣習法を取り入れた御成敗式目(貞永式目)が国法的地位にあった。死刑、流刑、追放刑、自由刑、身体刑、職務刑、のほか財産刑が行われた。室町末期から戦国時代には幕府法、各分国法が行われ、残虐な刑が威嚇主義的に行われた。また、縁座、連座の制度が拡大され、喧嘩両成敗の法が武士の間で広く行われた[4]。
近世
武家の刑法は江戸時代に完成を見る。徳川吉宗の時代に御定書100ヶ条(公事方御定書下巻)が、徳川氏の判例法の集大成として制定された。刑罰にも身分制を取り入れ、死刑も武士は切腹、斬罪、庶民には磔、獄門、火刑などと差別化され、遠島刑、追放刑、自由刑、財産刑、身分刑、などが行われた。江戸末期には、佐渡水替人足、人足寄場などは近代自由刑の更生施設的な意味も見いだされるとされる[5]。
ただし、公事方御定書など江戸幕府制定の規定が直接適用されるのは、天領や旗本領など幕府の支配下にあった地域に限られており、諸藩の領内では藩法に基づく刑法・刑事訴訟が行われていた。
明治初期の刑法典
- 仮刑律
- 慶応4年(1868年、後の明治元年)2月に新政府によって暫定的に制定された刑法。律令や公事方御定書などを基として作成された。また、刑法草書(熊本藩)との共通点も見られることから、熊本藩出身者(当時新政府に出仕していた細川護久とその周辺か?)が起草したという説が有力である。旧天領である府県に対して施行され、諸藩に対しては残酷な刑罰を除去する事を命じた上で当面の間は自藩の刑法を施行させた(版籍奉還後は死刑執行には政府の許可を得ることとなった)。
- 新律綱領
- 明治3年旧暦12月27日(1871年2月16日)に暫定的ではあったが、諸藩も含めて全国的に施行された刑法。全6巻(8図、14律192条)で構成された。清律の影響を受けて旧来の刑法よりは厳罰主義色は減ったものの封建的色彩が依然として強力であった。また、江戸幕府では禁じられていた刑法典の出版・頒布が初めて認められた。
- 改定律例
- 1873年(明治6年)6月13日に制定された追加法。欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。構成要件に関する規定を初めて設けた。
旧・刑法
刑法(明治13年太政官布告第36号)[※ 1]は、今日では現行の刑法と区別して「旧・刑法」と呼称されている。また、施行年に基づいて「明治15年刑法」と称される場合もある。1880年(明治13年)7月17日に治罪法(刑事訴訟法)とともに制定され、1882年(明治15年)1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された。全4編、430条から成る。
1872年(明治5年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(1874年(明治7年))・「日本帝国刑法初集」(1876年(明治9年)、「改正刑法名例集」とも(総則のみ))などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードにフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、でき上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光・細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。
犯罪を重罪・軽罪・違警罪の3種類に分けて規定している。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、自首による罪の減軽(85条以下)、親族関係への配慮(犯罪を犯した者を蔵匿・隠避した親族に対しては罪を問わない(153条)、親族間の窃盗については罪を問わない(377条 - 親族相盗例)など)、不敬罪の厳罰化(117条、119条)など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。対外的には日本が文明国であることのアピールを目指した側面と、国内的には自由民権運動の激化に対抗するための治安法制としての側面が見られる。
犯罪の 種類 |
国事に関する罪以外 | 国事に関する罪[6] | 服役年数・金額 | 服役刑事施設 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
監獄則(明治15年 1月1日施行)[7] |
改正監獄則(明治22年 7月12日公布) [8] | |||||
重罪 | 死刑 | - | - | - | 監獄内で非公開の絞首刑。但し、検事から死刑執行観覧の許可を得られた場合は、観覧可能。 | |
無期 徒刑 |
無期流刑 | 定め無(仮出獄は15年以上服役した場合、可能。) | 集治監 | 集治監(但し、集治監に発遣されるまでは、仮留監に収容。) | 北海道に流され、監獄で刑を服する。徒刑は労役があり、流刑は労役がない。 また、女性が徒刑の判決を受けた場合、北海道に流さず、懲役場又は地方監獄(現在の刑務所)で労役に服する。 | |
有期 徒刑 |
有期流刑 | 12年以上15年以下 | ||||
重懲役 | 重禁獄 | 9年以上11年以下 | 懲役場 | 地方監獄 | 北海道に流さず、懲役場又は地方監獄で刑を服する。懲役は労役があり、禁獄は労役がない。 刑罰名の「重軽」は服役年数の違いのみである。 | |
輕懲役 | 軽禁獄 | 6年以上8年以下 | ||||
軽罪 | 重禁錮 | 11日以上5年以下 | 刑罰名の「重軽」は、労役に服するのが重禁錮で、服さないのが軽禁錮である。 | |||
輕禁錮 | ||||||
罰金 | 2円以上 | - | - | 完納出来ない場合、1円を1日換算して、軽禁錮の刑に服する。但し、1円未満の場合は、1日に換算する。また、換算できる服役年数上限は2年。 | ||
違警罪の主刑 | 拘留 | 1日以上10日以下 | 拘留場(但し、場合によっては留置場で服役する場合がある。) | 地方監獄(但し、場合によっては留置場で服役する場合がある。) | 労役は服さず。 | |
科料 | 5錢以上1円95錢以下 | - | - | 完納出来ない場合、1円を1日換算して、拘留の刑に服する。但し、1円未満の場合、拘留1日に換算する。 | ||
付加刑 | ||||||
剥奪公権 | 公権が剥奪される[9]。重罪を犯した場合に対象。剥奪期間は、旧・刑法第63条1項に該当するか恩赦による復権がない限り、終身。 | |||||
停止公権 | 公権が一定期間停止される。禁錮刑又は監視の付加刑を受けた場合。公務員の場合、失職する。 | |||||
禁治産 | 自らの財産を管理・処理を出来なくなる。重罪を犯した場合に対象となる。但し、流刑受刑者で刑を免ぜられた場合、一部免除。 | |||||
監視 | 一定の刑を終えた受刑者に、釈放後ある期間内住居を移転することを禁じ、かつ警察官にその行動を見守らせる。 監視期間は、死刑及び無期刑の刑を免ぜられた場合は5年間、重罪はそれぞれの刑罰の最も短い服役年数の3分の1(有期徒刑と有期流刑は4年、重懲役と重禁獄は3年、輕懲役と軽禁獄は2年)、軽罪は裁判で宣告した期間である。 | |||||
罰金 | ||||||
沒收 | 違法物品、犯罪に使われた物、犯罪によって得られた金品を対象に、受刑者から没収される。 |
刑法典論争
ところが、旧・刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。旧・刑法は近代的な市民社会が確立されたフランス法の影響を受けて国家による処罰権の行使に制約が加えられていること(さらに民法典論争で同じくフランス法をモデルとした旧民法が非難の的となったことも影響した。)、このころヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧・刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。さらには近代化の途上にあった当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないという不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「賭博犯処分規則」・「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年(明治23年)、行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と違憲論の井上毅の間で激論が交わされた)などによって、旧・刑法の理念との矛盾を含んだ新しい法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。
この動きを見た司法省は、ドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年(明治23年)・1895年(明治28年)・1897年(明治30年)・1901年(明治34年)・1902年(明治35年)と5度にわたって議会に提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれも挫折してしまった。
現行刑法の制定
第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織し、そこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、1907年(明治40年)に現行の刑法が成立した。
改正刑法草案
時代の変遷や社会の高度化に伴い、原因において自由な行為や共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出した。そして、1974年(昭和49年)5月29日、法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、国家主義的であるなどの批判を受け、国会に上程されることなく現在に至っている。
主な改正
戦前
- 1921年(大正10年)改正(大正10年4月16日法律第77号)
- 1941年(昭和16年)改正(昭和16年3月12日法律第61号)
- 「安寧秩序ニ対スル罪」の新設
- 労役場留置期間の延長、没収の要件の拡張、追徴の新設
- 強制執行妨害罪・競売等妨害罪の新設
- 失火罪の法定刑の加重、業務上失火罪・重失火罪の新設
- 公正証書原本不実記載罪の法定刑の加重
- 賄賂罪の規定の整備
昭和20年代
- 1947年(昭和22年)改正(昭和22年10月26日法律第124号)
日本国憲法公布に伴い、その精神に沿うようにするための改正。
- 連続犯規定(旧・55条)の削除
- 裁判確定後の再犯による加重規定(旧・58条)の削除
- 執行猶予の要件の緩和と取消事由の拡張
- 刑の消滅の規定(34条の2)の新設
- 自国民保護主義による国外犯処罰規定の削除
- 外国判決の効力規定の修正
- 皇室に関する罪の削除
- 外国元首・使節に対する暴行・脅迫罪(旧・90条、91条)の削除
- 利敵行為の罪(旧・83条 〜 86条)の削除
- 外患援助罪などを戦時同盟国に対して適用すること(旧・89条)の削除
- 安寧秩序ニ対スル罪(旧・第2編第7章ノ2)の削除
- 親族による犯人蔵匿罪を不可罰から刑の裁量的免除に改める(105条)
- 姦通罪(旧・183条)の削除
- 名誉毀損罪の法定刑の加重(230条)と真実性の証明による免責規定(230条の2)の新設
- 公然わいせつ罪・わいせつ物販売等罪(174条、175条)の法定刑の加重
- 暴行罪(208条)の法定刑の加重、非親告罪化
- 脅迫罪(222条)の法定刑の加重
- 公務員職権濫用罪(193条 〜 195条)の法定刑の加重
- 重過失致死傷罪(211条)の新設
- 親族相盗例からの「家族」の削除(244条)
- 1953年(昭和28年)改正(昭和28年8月10日法律第195号)
- 1954年(昭和29年)改正(昭和29年4月1日法律第57号)
昭和30年代
- 1958年(昭和33年)改正(昭和33年4月30日法律第107号)
- 証人等威迫罪(105条の2)新設
- 凶器準備集合罪・凶器準備結集罪(現208条の3)新設
- 現場共同による強姦罪等の非親告罪化
- 1960年(昭和35年)改正(昭和35年5月16日法律第83号)
- 1964年(昭和39年)改正(昭和39年6月30日法律第124号)
- 身代金目的拐取罪(225条の2)新設
昭和時代後期
- 1968年(昭和43年)改正(昭和43年5月21日法律第61号)
- 1980年(昭和55年)改正(昭和55年4月30日法律第30号)
- 1987年(昭和62年)改正(昭和62年6月2日法律第52号)
- 電磁的記録不正作出及び供用罪(161条の2)、電子計算機損壊等業務妨害罪(234条の2)、電子計算機使用詐欺罪(246条の2)新設
- 条約による国外犯の規定(4条の2)新設
平成時代初期・前期
- 1991年(平成3年)改正(平成3年4月17日法律第31号)
- 1995年(平成7年)改正(平成7年5月12日法律第91号)
平成10年代(平成時代中期 - 末期)
- 2001年(平成13年)改正
- (平成13年7月4日法律第97号)
- 支払用カード電磁的記録に関する罪(18章の2)新設
- (平成13年12月5日法律第138号)
- 危険運転致死傷罪(208条の2)新設
- (平成13年12月12日法律第153号)
- 保健婦助産婦看護婦法の改正に伴い、「助産婦」から「助産師」への名称変更
- 2003年(平成15年)改正
- (平成15年7月18日法律第122号)
- 国民以外の者の国外犯の規定(3条の2)新設
- (平成15年8月1日法律第138号)
- 仲裁法制定に伴う改正(197条等)
- 2004年(平成16年)改正(平成16年12月8日法律第156号)
- 有期懲役・禁錮の上限を15年から20年に、有期刑加重や死刑・無期刑減軽の場合の上限を20年から30年に引上げ(12条 〜 14条)
- 強制わいせつ罪・強姦罪・強姦致死傷罪の法定刑加重、集団強姦罪新設
- 殺人罪・傷害罪・傷害致死罪の法定刑加重
- 強盗致傷罪の法定刑の下限引下げ
- 2005年(平成17年)改正
- (平成17年5月25日法律第50号)
- 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(刑事収容施設法)制定に伴う改正
- (平成17年6月22日法律第66号)
- 人身売買罪(226条の2)新設
- 2006年(平成18年)改正(平成18年5月8日法律第36号)
- 2007年(平成19年)改正(平成19年5月23日法律第54号)
- 自動車運転過失致死傷罪(211条2項)の新設
- 危険運転致死傷罪をオートバイも対象とする
平成20年代(平成時代後期)
- 2010年(平成22年)改正(平成22年4月27日法律第26号)
- 刑事訴訟法の改正とともに、死刑に関して刑の時効を廃止(31条、34条1項)
- 懲役または禁錮10年以上の時効の延長(32条)
- 2011年(平成23年)改正(平成23年6月24日法律第74号)
- 強制執行妨害罪の処罰範囲を拡大
- 不正指令電磁的記録に関する罪(168条の2、168条の3)新設
- わいせつな電磁的記録の販売目的での所持、保管への処罰追加(刑法175条)
- 2013年(平成25年)改正
- (平成25年11月27日法律第86号)
- 従来の業務上過失致死傷罪のうち、危険運転致死傷罪(208条の2)・自動車運転過失致死傷罪(211条2項)等を、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(自動車運転死傷行為処罰法)に分離。
- (平成25年6月19日法律第49号)
- 刑の一部執行猶予の制度を導入
- 2017年(平成29年)改正(平成29年6月23日法律第72号)
- 強姦罪(刑法177条)を「強制性交等罪」に名称を変更し、法定刑の下限を引き上げ。性別を問われなくなり、被害者からの親告罪から非親告罪へ変更され、集団強姦罪が廃止される。6月23日公布、平成29年7月13日に施行。
令和時代
- 2022年(令和4年)改正(令和4年6月17日法律第67号)
- 侮辱罪(刑法231条)の法定刑の上限を引き上げ。これまで法定刑は「拘留又は科料」であったが、「一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に改められた。令和4年6月13日成立、6月17日公布。公布後20日を経過した日(7月7日)に施行。
- 懲役刑と禁錮刑を拘禁刑に統一。拘禁刑の受刑者は「改善更生を図る」ことを明記した。公布後3年以内に政令で定める日から施行。
脚注
注釈
出典
- ^ 日本法令外国語訳データベースシステム - [法令本文表示 - 刑法]
- ^ 幅の広さでソートできる法定刑一覧
- ^ 大塚仁 刑法概説P.31
- ^ 大塚仁 刑法概説P.32
- ^ 大塚仁 刑法概説P.33
- ^ 内乱罪と外患罪の2つが、この罪に該当する。
- ^ 須原鉄二 (1881年10月). “監獄則 第1条”. 国立国会図書館デジタルコレクション. doi:10.11501/795902. 2022年12月25日閲覧。
- ^ 白江廷太郎 (1889年9月). “改正監獄則 第1条”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 岡島宝文館. doi:10.11501/795866. 2022年12月25日閲覧。
- ^ 剥奪された場合、以下のことが出来なくなる。停止の場合は、一定期間できなくなる。
・官吏、軍人になること
・年金受給や国内の勲章授与
・国外の勲章佩用
・裁判で証人として出廷
・後見人になること(但し、親族の許可を得て、子孫のために管理する場合を除く。)
・管財人になることと会社や共同財産の管理
・校長や教師学監になること - ^ 尊属殺重罰規定違憲判決:最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁-最高裁判例情報
参考文献
特集・刑法典の百年(ジュリスト1348号)
関連項目
外部リンク
- 山野金蔵 編『新旧刑法対照』有斐閣、1908年。doi:10.11501/794027。NDLJP:794027。(明治13年太政官布告第36号「刑法」と明治40年法律第45号「刑法」の新旧条文対照表)
- 法定刑一覧
- e-Gov 法令検索(政府機関)