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獣害の報告の都合などもあって科学的な分類は明治期に開始された。しかし、家畜の犬を意図的に野生の狼と交配させる習慣が見られたり、マタギの証言でも野犬との交配個体を思わせる「種類」の報告があるなど混迷しており、現存する標本を用いても純粋なニホンオオカミを遺伝的に解明するのは困難だという指摘も存在する<ref>宗像充, 2021年, Fielder, 43-47項, vol.56, 笠倉出版社</ref><ref>柚兎, 2017年, [https://ddnavi.com/news/375730/a/ 100年以上前に絶滅したニホンオオカミは、まだ生きているかもしれない?], [[ダ・ヴィンチ]], 2021年10月29日閲覧</ref><ref>ブレット L. ウォーカー, 浜 健二(訳), 2009年, 絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学, 247項, ISBN:978-4-8329-6718-2, 北海道大学出版会</ref><ref>長沢利明, 2011年, 山の神としてのオオカミ, “連載「環境民俗学ノート」7, 2011年5月号, 西郊民俗談話会</ref>。[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト]]が所持していた「ヤマイヌ」も、mtDNAはオオカミと判定されたが頭骨に他の標本とは著しい差異が確認され、犬との交配個体の可能性が挙げられている<ref name=JapanTimes>{{Cite web|title=In search of Japan's lost wolves: Zoological mystery|url=https://features.japantimes.co.jp/3-search-japan-wolves/|access-date=2021-10-30|website=Deep reads from The Japan Times|language=en-US}}</ref>。 |
獣害の報告の都合などもあって科学的な分類は明治期に開始された。しかし、家畜の犬を意図的に野生の狼と交配させる習慣が見られたり、マタギの証言でも野犬との交配個体を思わせる「種類」の報告があるなど混迷しており、現存する標本を用いても純粋なニホンオオカミを遺伝的に解明するのは困難だという指摘も存在する<ref>宗像充, 2021年, Fielder, 43-47項, vol.56, 笠倉出版社</ref><ref>柚兎, 2017年, [https://ddnavi.com/news/375730/a/ 100年以上前に絶滅したニホンオオカミは、まだ生きているかもしれない?], [[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]], 2021年10月29日閲覧</ref><ref>ブレット L. ウォーカー, 浜 健二(訳), 2009年, 絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学, 247項, ISBN:978-4-8329-6718-2, 北海道大学出版会</ref><ref>長沢利明, 2011年, 山の神としてのオオカミ, “連載「環境民俗学ノート」7, 2011年5月号, 西郊民俗談話会</ref>。[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト]]が所持していた「ヤマイヌ」も、mtDNAはオオカミと判定されたが頭骨に他の標本とは著しい差異が確認され、犬との交配個体の可能性が挙げられている<ref name=JapanTimes>{{Cite web|title=In search of Japan's lost wolves: Zoological mystery|url=https://features.japantimes.co.jp/3-search-japan-wolves/|access-date=2021-10-30|website=Deep reads from The Japan Times|language=en-US}}</ref>。 |
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[[岐阜大学]][[教授]]の[[石黒直隆]]によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の[[日本動物学会]]誌11月号に発表された<ref>[[朝日新聞]] 2009年 12月15日 火曜日 付</ref>。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。 |
[[岐阜大学]][[教授]]の[[石黒直隆]]によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の[[日本動物学会]]誌11月号に発表された<ref>[[朝日新聞]] 2009年 12月15日 火曜日 付</ref>。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。 |
2022年12月7日 (水) 21:42時点における版
ニホンオオカミ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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保全状況評価 | ||||||||||||||||||||||||||||||
絶滅(環境省レッドリスト) | ||||||||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Canis lupus hodophilax Temminck, 1839 | ||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ニホンオオカミ | ||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Japanese wolf |
ニホンオオカミ(日本狼、英: Japanese wolf、学名:Canis lupus hodophilax)は、日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種。あるいは Canis 属の hodophilax 種[1]。20世紀初頭に絶滅したというのが定説である。
概要
19世紀までは東北地方から九州まで広く分布していたが、1905年(明治38年)1月23日、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現東吉野村鷲家口)で捕獲された若いオス(標本として現存)が確実な最後の生息情報である[2][3][4]。なお、1月23日はアメリカの動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソンと同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけている所からみて、数日前に捕れたものらしい」と述べている[5]ため、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現・衣料品店)の近くで行われた[5][6]。
2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された[7][3]。だが、この福井の個体の標本は太平洋戦争中の福井空襲により写真を残して焼失したため、最後の例と認定するには学術的には不確実である[3][注 1]。
2012年4月、1910年に群馬県高崎市でニホンオオカミ狩猟の可能性のある、同年3月20日発行の狩猟雑誌『猟友』が発見された[8]。
環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。
特徴
脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。絶滅種。体長95 - 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている。
他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、夏と冬で毛色が変化した。
分類
ニホンオオカミは、同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは、別亜種であるとして区別される。
エゾオオカミは大陸のハイイロオオカミの別亜種とされているが、ニホンオオカミをハイイロオオカミの亜種とするか別種にするかは意見が分かれており、別亜種説が多数派であるものの定説にはなっていない。
別亜種説
ニホンオオカミが大陸のハイイロオオカミと分岐したのは日本列島が大陸と別れた約17万年前とされているが、一般に種が分岐するには数百万年という期間を要し、また生態学的、地理的特徴においても種として分岐するほどの差異が見られないことから、同種の別亜種であるとする説。
別種説
ニホンオオカミを記載したコンラート・ヤコブ・テミンクによると、ニホンオオカミはハイイロオオカミと別種であるという見解である[9]。
また、ニホンオオカミの頭骨を研究していた今泉吉典も頭骨に6ヵ所の相違点があり、独立種と分類すべきとしている。このように大陸産のハイイロオオカミの亜種ではなく、Canis hodophilax として独立種であるとすることもある。
遺伝学的調査
獣害の報告の都合などもあって科学的な分類は明治期に開始された。しかし、家畜の犬を意図的に野生の狼と交配させる習慣が見られたり、マタギの証言でも野犬との交配個体を思わせる「種類」の報告があるなど混迷しており、現存する標本を用いても純粋なニホンオオカミを遺伝的に解明するのは困難だという指摘も存在する[10][11][12][13]。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが所持していた「ヤマイヌ」も、mtDNAはオオカミと判定されたが頭骨に他の標本とは著しい差異が確認され、犬との交配個体の可能性が挙げられている[14]。
岐阜大学教授の石黒直隆によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の日本動物学会誌11月号に発表された[15]。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。
同論文中に示された遺伝子系統樹では、ニホンオオカミ集団は単系統のクラスターを形成しているが、系統樹全体で見ればイヌ(Canis lupus familiaris)を含むハイイロオオカミ(Canis lupus)の種内に包摂されているため、大陸のハイイロオオカミ系統とは亜種レベルの差異であることが示唆されており、遺伝系統の考察においても慎重ながらニホンオオカミは大陸のオオカミの一系統に由来すると推測されている[16]。
その後石黒は2012年の日本獣医師会雑誌 第65巻第3号に掲載された論文[17]の中で、「ニホンオオカミもユーラシア大陸由来のタイリクオオカミから派生した地方集団と考えて、島に閉じ込められて体型が小型化した島嶼化集団と推測するとわかりやすい」、「今後、朝鮮半島や台湾などユーラシア大陸の島嶼部で、ニホンオオカミと同じ系統を示すタイリクオオカミの依存種(ママ)がいないか調査してみたいものである」と述べており、2009年時点よりも明確に別亜種説を採っている。
2021年に発表された論文では、更新世のシベリアに生息していた系統の最後の生き残りであった可能性が指摘され、ハイイロオオカミはニホンオオカミよりもいくつかの犬種により近縁だとされている[18]。更新世末期に該当する、青森県と静岡県からダイアウルフに匹敵する大きさのイヌ科動物の化石が出土しているが、大陸北方から由来したと仮定されるものの、ニホンオオカミやエゾオオカミとの詳しい関連性は不明である[19]。
ヤマイヌとオオカミ
「ニホンオオカミ」という呼び名は、明治になって現れたものである。
オオカミはオオカメ、オイヌ、オオイヌなどとも呼ばれ、真神伝承の様に神という意味合いを込められているとされるほか、「オオカミ」含めこれらの呼称は「大きな犬」を指した呼称であるとされる[20]。
日本では古来、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代頃から別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミ(オホカミ)は大きい、オオカミには「水かき」があって泳ぐ、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった[21]。
このことについては、下記の通りいくつかの説がある。
- ヤマイヌとオオカミは同種(同亜種)である。
- ヤマイヌとオオカミは別種(別亜種)である。
- ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは未記載である。
- ニホンオオカミはオオカミであり、未記載である。Canis lupus hodophilax はヤマイヌなので、ニホンオオカミではない。
- ニホンオオカミはオオカミであり、Canis lupus hodophilax は本当はオオカミだが、誤ってヤマイヌと記録された。真のヤマイヌは未記載である。
- ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミはニホンオオカミとイエイヌの雑種である。
- ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは想像上の動物である。
現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である[22]。
なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。
現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもある。
- ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、主に野犬を指す呼称として使用されるようになった。
- 英語の wild dog の訳語として使われる[23][注 2]。wild dog は、イエイヌ以外のイヌ亜科全般を指す(オオカミ類は除外することもある)。「ヤマネコ(wild cat)」でイエネコ以外の小型ネコ科全般を指すのと類似の語法である。
動物学者の平岩米吉は、絶滅前はニホンオオカミと山にいる野犬を混同して両方「山犬」と呼んでいただろうとし、黄褐色の毛を持ち、常に尾を垂れているものがニホンオオカミであるが、両方とも人を噛むという点でどちらも人々から恐れられていただろう、と述べている[24]。
上記の通り、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが所持していた「ヤマイヌ」は後年の調査で犬との交配個体の可能性が挙げられている[14]。
一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)[注 3]と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが、シーボルト事件で家宅捜索を受けた際に資料が散逸し、詳細は不明となった[注 4]。
生態
元から目撃例が少なく、また上記の通りヤマイヌとの差異も明確でない上、学術的な調査が行われる前に絶滅したため、生態については不明な部分が多い。
薄明薄暮性で、エゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2〜3から10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカ、イノシシ、ニホンザルを獲物としていたが、人里に出現し、犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では、被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどだったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされ、送り犬は、この習性を人間が都合の良いように解釈したものという意見もある。また「hodophilax(道を守る者)」という亜種名の元となった。
寺島良安の『和漢三才図会』には「狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う」と記述されている。
人間との関係
日本列島では縄文時代早期から家畜としてのイヌが存在し、縄文犬と呼ばれている[25]。縄文犬は縄文早期には体高45センチメートル程度、縄文後期・晩期には体高40センチメートルで、猟犬として用いられていた[26]。弥生時代には大陸から縄文犬と形質の異なる弥生犬が導入されるが、縄文犬・弥生犬ともに東アジア地域でオオカミから家畜化されたイヌであると考えられており、日本列島内においてニホンオオカミが家畜化された可能性は形態学的・遺伝学的にも否定されている[27]。なお、縄文時代にはニホンオオカミの遺体を加工した装身具が存在し、千葉県の庚塚遺跡からは縄文前期の上顎犬歯製の牙製垂飾が出土している[28]。
日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉の著作によると、狼が山間のみならず家屋にも侵入して人を襲った記録[29]がしばしば現れる。また北越地方の生活史を記した北越雪譜や[注 5]、富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述[注 6]が現れている。
奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる。
絶滅の原因
ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。
江戸時代の1732年(享保17年)ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。
なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。
生存の可能性
紀伊半島山間部では、1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数あったが、それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものであった[34]。また、秩父山系でも1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影された(秩父野犬)[35]。これについてはニホンオオカミであるとする説と、野犬であるという説で専門家の見解が割れている。
また、大分県・祖母山でも2000年にニホンオオカミと酷似した動物の写真が撮られている(詳しくは四国犬を参照のこと)。
絶滅の弊害と導入計画
ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ・ニホンジカ・ニホンザルなどの野生動物が大繁殖することとなり[注 7]、人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。アメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例があり、それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。
また、近年では、クローン技術によりニホンオオカミを復元しようという話も持ち上がっている[36]。
現存する標本
ニホンオオカミは明治の早期に絶滅したため、頭骨、毛皮は数体存在し剥製は世界に4体しかない。うち国内は3体、オランダに1体が確認されている。
日本
- 国立科学博物館(剥製、全身骨格標本:1870年頃・福島県産オス・冬毛)
- 東京大学農学部(剥製:1881年岩手県産メス・冬毛)
- 和歌山県立自然博物館(剥製:1904年和歌山・奈良県境大台山系産・冬毛、和歌山大学より寄託)‐吻から額にかけてのラインに段があり、日本犬のような顔になっている。標本を作る際のミスとの意見もある。
- 埼玉県秩父市の秩父宮記念三峯山博物館(2例の毛皮、2002年に相次いで発見・確認)
- 熊本市立熊本博物館(全身骨格標本) - 熊本県八代郡京丈山洞穴より、1976年から1977年にかけての調査で発見された。放射性炭素法を使って骨の年代測定を行った結果、この個体は室町時代から江戸時代初期に生きていたことが分かった。このほか1969年に、同じく熊本県泉村矢山岳の石灰岩縦穴からも頭骨が発見されている。
- 現存標本画像
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東京大学所蔵の剥製標本
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和歌山県立自然博物館保管の剥製標本
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国立科学博物館所蔵の骨格標本
日本国外
- オランダ・ライデンのオランダ国立自然史博物館(剥製:1826年大阪天王寺で購入・成獣) - 江戸時代にシーボルトが日本から持ち帰った多くの動植物標本の内の一点、ヤマイヌという名称でタイプ標本となっている。愛知万博で里帰り展示された。
- イギリス・ロンドンのロンドン自然史博物館[37](毛皮、頭骨:1905年奈良県東吉野村鷲家口で購入・若いオス・冬毛)
- ドイツ・ベルリンのフンボルト博物館(毛皮)
頭骨など
- 本州、四国、九州の神社、旧家などに、ニホンオオカミのものとして伝えられた頭骨が保管されている。特に神奈川県の丹沢ではその頭骨が魔よけとして使われていた為、多く見つかっている。
- 2004年4月には、筋肉や皮、脳の一部が残っているイヌ科の動物の頭骨が山梨県笛吹市御坂町で発見され、国立科学博物館の鑑定によりニホンオオカミのものと断定された(御坂オオカミ)。DNA鑑定は可能な状態という。中部地方や関東地方の山間地には狼信仰があり、民間信仰と関係したオオカミ頭骨が残されている。御坂オオカミは江戸後期から明治に捕獲された個体であると推定されており、用途は魔除けや子どもの夜泣きを鎮める用途が考えられ民俗学的にも注目されている。現在は山梨県立博物館に所蔵されている[38]。
- 栃原岩陰遺跡の遺物を収蔵展示している北相木村考古博物館にはニホンオオカミの骨の破片が展示されているが、その他多くの縄文・弥生遺跡からニホンオオカミの骨片が発掘されている[39]。
- 2021年2月、豊橋市自然史博物館は「愛知県豊川市の旧家から、江戸時代に三河地方で捕獲されたニホンオオカミの頭骨が寄贈された」と発表した[40][41]。
脚注
注釈
- ^ この記録はこれまで度々話題に上っていたため、2003年の論文が初出というわけではないことに留意。
- ^ en:Free-ranging dog#Wild dogsも参照。[疑問点 ]
- ^ 京都市伏見区深草には、大亀谷または狼谷と記される地名がある。
- ^ シーボルトの標本を疑問視する声も少なからずあり、これは骨格の似ているアジア地域の野生犬、ドールのものとも考えられており、また後述するように庶民にも馴染み深い人懐っこい性格であったにもかかわらず、これほど骨格も剥製も残されていないというのはおかしいという観点もある。
- ^ 母はいろりの前にここかしこ食い散らされ片足は食いとられて死至り妻はまどの元に食い伏せられ紅に染み・・・七つの男の子は庭にありて屍なかば食われたり[30]
- ^ 元禄十年、生源寺新村頭振せがれが襲われ食べられた。同十二年九月三日、旧池新村百姓与兵衛せがれ左兵衛(13歳)が食い殺された。そのため足軽が出動し、南部源右衛門が円池新村佐十郎谷で一週間後に長さ三尺三寸.丈二尺三寸の狼を仕留め、その死骸を同村肝煎伝兵衛の屋敷内に埋めた。しカし同月今度は水戸田村で頭振与蔵せがれ鍋(14歳)、西広上村百姓七右衛門甥が被害にあい出動した足軽によって狼は仕留められた。狼被害が頻発したため、同十三年に藩は足軽による狼退治に乗リ出し七月に円池村で2頭、八月に円池新村大谷で1頭を仕留める。八月十八日夜に、大門村頭振弥兵衛せがれ岩松(十三歳)が家に侵入した狼に襲われ重傷。足軽が退治に出動[31]。 天保十二年五月二十五日夕方庄下組宮森村宇蔵(12歳)が草刈中に襲われ食い殺される。慶応三年にも狼害のため兵卒が退治に出動[32]。 延宝八年三月十五日 婦負郡奥田村山中で、群狼が人を襲っため、富山藩主前田正甫自ら狼狩りを行い、槍で三匹を仕留めた[33]。
- ^ ただし、オオカミの絶滅は増加の原因の一因に過ぎない。地球温暖化による冬期の死亡率の低下、農村の過疎化など、様々な要因が指摘されている。
出典
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- ^ 長谷川善和, 木村敏之, 甲能直樹, 2020年, 日本産後期更新世の巨大狼化石 (pdf), 群馬県立自然史博物館研究報告, 24, 1-13項
- ^ 中村一恵, 2004年, 江戸中期・諸国産物帳に記載されたイヌ属動物の名称, 神奈川県立博物館研究報告:自然科学 (34), 69-73項
- ^ 長野県松本市の旧開智学校に展示されている明治期の教科書(副読本)には、「肉食獣類 狼 おほかみ (1)種類1 狼 2 豺 ヤマイヌ (2)部分 頭 長シ ○口 長ク且大ニシテ耳下ニ至ル 耳ハ小ナリ ○体 犬ニ似テ大ナリ ○脚 蹼(みずかき)アリテ能ク水ヲ渉ル ○毛 灰色ニシテ白色雑ル ○歯 甚ダ鋭利ナリ(3) 常習 性猛悍兇暴ニシテ餓ユルトキハ人ニ迫ル 深山ニ棲息シ他獣ヲ害シ(以下略)」とある。
- ^ 石黒直隆, 松村秀一, 寺井洋平, 本郷一美, 2020年, オオカミやヤマイヌと呼ばれたシーボルトが残したニホンオオカミ標本の謎, 日獣会 (74), 389-395項
- ^ “wild dogの意味・使い方 - 英和辞典 Weblio辞書”. ウェブリオ株式会社. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 「山犬と狼」 平岩米吉『昭和日本犬の検討』 (犬の研究社, 1936)
- ^ 西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年
- ^ 西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年
- ^ 山崎京美「イヌ」『縄文時代の考古学5 なりわい 食料生産の技術』(同成社、2007年)、p.211
- ^ 『オオカミがいた山 消えたニホンオオカミの謎に迫る』(山梨県立博物館、2007年)
- ^ 851年 神主の家に狼侵入、13歳の童子を喰った。太神宮雑事記(P.85)
- 886年 賀茂神社のあたりの狼が人をかみ殺した。三代実録(P.86)
- 957年 学習院北町で狼が3人の女をかみ殺した。日本紀略
- 8歳の女の子が逃げ遅れ、兄は引き返し鎌で狼の眉間を打ち、狼はくわえていた女の子をひとふり振って捨てると、今度は兄の頬に食らい付いてきた。(P.141)
- 1769年 狼が来て夫を噛んだ。この狼は前にも多くの人畜を害していた (P.141)
- 1799年 信州上諏訪、狼が友人に食いついて次郎兵衛は石で狼の背を打ったが、狼は次郎兵衛の目の下を噛み裂き・・、血だるまになり卒倒、友人の屍骸には頭も皮も肉もなかった (P.148)
- 1833年 飛騨、夜、孫の6歳の娘を屋外の便所に連れて行こうとしたとき狼が孫に飛びかかり、孫をかばった老婆は左腕を噛まれ、助けにきた娘の肩口に食いついた。
- 1688年 私市村、19歳の女子を食い殺し16歳の男子に重傷を負わせた (P.168 )
- 1702年 6月4日、8歳女児喰い殺さる。同6月22日、12歳男児をくわえ山林に遁走。2ヶ月の間に16人の男女が食い殺されたと言う 信州高島藩日記(P.216)
- 1709年尾張藩、3月中に狼に食われた人24人、16人死、8人手負い (P.221)
- 1710年尾張藩、8月4歳の少女狼に食いつかれ、疵を受ける (P.221)以上平岩米吉『狼 - その生態と歴史』動物文学会[要文献特定詳細情報]
- ^ 「北越雪譜」。
- ^ 『富山県大門町史』。[要文献特定詳細情報]
- ^ 『砺波市史』。[要文献特定詳細情報]
- ^ 『越中婦負郡志』。
- ^ 平岩米吉『狼 - その生態と歴史 新装版』 築地書館、1992年、278-281頁。[要文献特定詳細情報]
- ^ 山根一眞 「山根一眞の動物事件簿 狼 第15回 突如、現れた秩父野犬」『SINRA』39号、新潮社、1997年。
- ^ “神戸新聞|社会|絶滅のニホンオオカミ復活へ 神戸・理研が挑戦”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2011年1月5日). オリジナルの2011年1月5日時点におけるアーカイブ。 2019年1月6日閲覧。
- ^ “Canis lupus hodophilax, Japanese wolf”. Natural History Museum Picture Library. Natural History Museum, London. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月6日閲覧。
- ^ 御坂オオカミの形態学的形質については、遠藤秀紀・酒井健夫・伊藤琢也・鯉江洋・木村順平「山梨県の民家で発見されたニホンオオカミ頭蓋の骨学的および画像解析学的検討」『日本野生動物医学会誌(9-2、2004年)、文化史的背景の検討については植月学「甲州周辺における狼信仰-笛吹市御坂町に伝わるニホンオオカミ頭骨をめぐって-」『山梨県立博物館研究紀要』(第2集、2008年)
- ^ “縄文のくらし 縄文の食生活”. 鹿児島県上野原縄文の森. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “愛知県唯一のニホンオオカミの頭骨が寄贈されました(お知らせ)”. 豊橋市自然史博物館 (2021年2月2日). 2021年2月10日閲覧。
- ^ “ニホンオオカミの頭骨を豊橋市自然史博物館へ寄贈”. 東愛知新聞 (2021年2月3日). 2021年2月10日閲覧。
参考文献
- 平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、1992年。ISBN 978-4806723387。
- 上野益三「鷲家口とニホンオオカミ」『甲南女子大学研究紀要』第5号、甲南女子大学、1969年、89-108頁、NAID 40001240705。
- 皆花楼 (2012年). “皆花楼あれこれ「幻の日本狼」について”. 2013年5月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ニホンオオカミの生態
- すずかハイキング - ウェイバックマシン(2001年12月6日アーカイブ分)[リンク切れ]
- 動く大地とその生物(東京大学) ニホンオオカミ[リンク切れ]
- Canis hodophilax Museum - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分) - 専門家による独立種として考察を行っているサイト。剥製の閲覧が可能である。
- 戦え絶滅動物 ニホンオオカミ - ウェイバックマシン(2019年3月1日アーカイブ分) - 宮川アジュ製作の粘土細工による解説。
- 山梨県立博物館シンボル展「オオカミがいた山」 - 発見されたニホンオオカミ頭骨や狼信仰関係資料の画像。
- 絶滅危惧種情報検索 ニホンオオカミ
- 日本へのオオカミ再導入論
- 総合的な情報
- Wolf Network JAPAN - archive.today(2012年12月2日アーカイブ分)[リンク切れ]
- 川崎悟司イラスト集 - ニホンオオカミ - ウェイバックマシン(2003年8月8日アーカイブ分)
- 山犬に関する伝承
- 「狼、山犬」『静岡県伝説昔話集』静岡県女子師範学校郷土研究会編 (静岡谷島屋書店, 1934)