「ブリヤート共和国」の版間の差分
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2022年11月29日 (火) 00:00時点における版
- ブリヤート共和国
- ロシア語:Республика Бурятия
ブリヤート語:Буряад Республика -
ブリヤート共和国の国旗 ブリヤート共和国の国章 -
国歌 Бүгэдэ Найрамдаха Буряад Уласай дуулал
ブリヤート共和国国歌
公用語 ロシア語、ブリヤート語 首府 ウラン・ウデ 首長 アレクセイ・ツィデノフ 首相 (1994年廃止) 構成体種別 共和国 連邦管区 極東連邦管区 経済地区 東シベリア経済地区 面積
- 総計国内第15位
351,300km2人口(2002年)
- 総計
- 人口密度
- 都市/地方比率国内第56位
981,238人
2.8人/km2
59.6% : 40.4%時間帯 UTC +8(DST: なし)
イルクーツク時間ISO 3166-2:RU RU-BU 番号 03 ウェブサイト http://egov-buryatia.ru/
ブリヤート共和国(ブリヤートきょうわこく、ロシア語: Республика Бурятия、ブリヤート語:Буряад Республика)は、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。バイカル湖の南東部に位置する。
概要
首都はウラン・ウデ(人口43万4000人[1])。シベリア連邦管区に属していたが、2018年11月に極東連邦管区へ移管された[2]。北はイルクーツク州、東はザバイカリエ地方、南はモンゴル国、西はトゥヴァ共和国と接する。
標準時
この地域は、イルクーツク時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+8時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+8で夏時間がUTC+9、同年3月から2014年10月までは通年UTC+9であった)
歴史
元々はモンゴル系のブリヤート人の居住地であり、伝統的な牧畜などが営まれていた。政治的には1206年にモンゴル帝国のチンギス・ハーンに服属し、以後は各部族が歴代のモンゴル高原の支配者に服属していた。
16世紀になると金と毛皮を求めてバイカル湖から東進してきたロシア帝国の領域に組み込まれた。1666年にウダ川の河畔にできた要塞はヴェルフネウジンスク(後のウラン・ウデ)と名付けられ、地域の中心となった。1689年に清との間で締結されたネルチンスク条約により、この地域は正式にロシア領となった。17世紀にチベット仏教が入る[3]。
その後、1917年のロシア革命後には反革命軍がこの地域を制圧し、シベリア出兵により日本が占領した後の1920年には極東共和国の首都がヴェルフネウジンスクに置かれたが、1922年にソビエト政権の支配下に入り、1923年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内のブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国となった。1958年にはブリヤート自治ソビエト社会主義共和国となった。20世紀初頭にはチベット仏教の僧侶が1万人ほどいたとされるが、ソビエトによって宗教活動は抑えられていた[3]。
ソビエト末期の1990年10月8日には主権宣言を行い、1991年5月27日には国名を現在のブリヤート共和国に改称した。同年12月25日のソビエト連邦崩壊後にはロシア連邦共和国の構成体となり、1994年には史上初の民選大統領レオニード・ポタポフが選出された。1992年にダライ・ラマ14世が首都を訪問した[3]。
2018年11月にシベリア連邦管区から極東連邦管区へ移管された。
2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナに向けて多数のブリヤート共和国出身の兵士が動員され、同年8月時点で235人が戦死した[4]。
民族
教育
産業
鉱物資源
行政区分
ブリヤート共和国は、直轄市ウラン・ウデ及び所属の2町を併せたウラン・ウデ市行政区と、直轄市セヴェロバイカリスク市、その他の21地区から成る。
- ウラン・ウデ市行政区
- セヴェロバイカリスク市
- 北バイカル地区
- ムヤ地区
- クルムカン地区
- バウント・エヴェンキ地区
- バルグジン地区
- オカ地区
- 沿バイカル地区
- ホリンスク地区
- エラヴノエ地区
- トゥンカ地区
- カバンスク地区
- イヴォルギンスク地区
- タルバガタイ地区
- ザイグラエヴォ地区
- キジンガ地区
- ザカーメンスク地区
- ジダ地区
- セレンガ地区
- ムホルシビリ地区
- ビチュラ地区
- キャフタ地区
脚注
- ^ “Администрация города Улан-Удэ”. 2020年1月27日閲覧。
- ^ “2連邦構成体を編入、ロシア極東地域が拡大(中国、モンゴル、ロシア) | ビジネス短信 - ジェトロ”. www.jetro.go.jp. 2020年1月27日閲覧。
- ^ a b c “ロシア・ブリヤート共和国:「チンギス・ハンの子孫」も生活変化 伝統の継承困難”. 毎日新聞. (2008年11月15日)
- ^ “ロシア戦死者、少数民族地域が突出…「激戦地への投入」差別的と反発の動き”. 読売新聞 (2022年8月13日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года
関連項目
外部リンク
- ブリヤート共和国政府(ロシア語、ブリヤート語、英語)
- Buryatia.ru - ブリヤートのポータルサイト