レオニード・ポタポフ
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レオニード・ポタポフ Леонид Васильевич Потапов | |
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生年月日 | 1935年7月4日 |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア連邦共和国 ブリヤート自治共和国 ウアーキチ |
没年月日 | 2020年11月12日(85歳没) |
死没地 |
ロシア ブリヤート共和国 ウラン・ウデ |
出身校 | ハバロフスク運輸大学、イルクーツク国民経済大学 |
前職 | 技師、ブリヤート共和国大統領、ブリヤート共産党第一書記 |
所属政党 |
( ソ連共産党→) ロシア連邦共産党 |
配偶者 | ニーナ・セルゲーエヴナ・ポタポワ |
在任期間 | 1994年7月1日 - 2007年7月9日 |
レオニード・ワシリエヴィチ・ポタポフ(ロシア語: Леони́д Васи́льевич Пота́пов、Leonid Vasilyevich Potapov、1935年7月4日 - 2020年11月12日)は、ロシアの政治家。1994年から2007年までロシア連邦内のブリヤート共和国大統領。
生涯
[編集]ブリヤート自治共和国出身。1959年ハバロフスク運輸大学を卒業する。大学卒業後、ウランウデのヴァゴノレモントノム機関車工場に勤務し主任、製造監督を経て、主任技師となる。この間、1965年イルクーツク国民経済大学を卒業する。1976年ブリヤート産業部長。1978年ソ連共産党ブリヤート州委第一書記。1987年トルクメン共和国マリ州ソビエト議長。1990年1月からトルクメン共和国最高会議副議長。1990年4月にブリヤート州党第一書記、ソ連共産党中央委員に選出される。1990年から1993年までロシア連邦人民代議員。1993年12月ロシア連邦議会上院連邦会議代議員。
1994年ブリヤート共和国初代大統領選挙に当選。1996年1月上院連邦会議代議員に再選され、農業委員会副議長。1998年6月21日ブリヤート大統領選挙で63.3パーセントを獲得して再選された。2002年6月23日大統領選挙では67パーセントを獲得して三選された。2007年に退任。
2020年11月12日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により死去した[1]。85歳没。
脚注
[編集]- ^ “Скончался первый президент Бурятии Леонид Потапов” (ロシア語) 12 November 2020閲覧。
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