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2022年10月19日 (水) 20:32時点における版

そが まちこ
曽我 町子
本名 曽我 町子[1]
別名義 ステラ曽我[1]
生年月日 (1938-03-18) 1938年3月18日
没年月日 (2006-05-07) 2006年5月7日(68歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都八王子市
死没地 日本の旗 日本・東京都国立市[2]
血液型 A型[3]
職業 女優
声優
歌手
ジャンル 映画
テレビドラマ
舞台
アニメ
吹き替え
活動期間 1956年 - 2006年
主な作品
アニメ
オバケのQ太郎
(TBS系、Q太郎役)
テレビドラマ
電子戦隊デンジマン
太陽戦隊サンバルカン
(テレビ朝日系、へドリアン女王役)
恐竜戦隊ジュウレンジャー
(テレビ朝日系、魔女バンドーラ役)他
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曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日[2])は、日本女優声優歌手東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。

生涯

東京都立南多摩高等学校を経て、東京アナウンスアカデミーを卒業。

1956年NHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー[4]。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後『チロリン村とくるみの木』のリップちゃんや『オバケのQ太郎』のQ太郎など、声優としても活躍。

舞台テレビドラマでも活躍。『レインボーマン』のゴッド・イグアナ役をはじめ、スーパー戦隊シリーズテレビ朝日系)では『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』でヘドリアン女王、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で魔女バンドーラを演じた。その他『魔法戦隊マジレンジャー[注釈 1]など数々の特撮番組に出演、悪の女王魔女役を数多く演じた[4]

『ジュウレンジャー』は後にアメリカでも『パワーレンジャー』シリーズとして放送されて大ヒットとなった。主人公たちの変身前など素顔の出演者はアメリカ人が演じて撮影し直したが(変身後は日本で撮影した画像をそのまま使用)、曽我が演じたバンドーラ(アメリカ版ではリタ・レパルサ)は、アメリカ側のスタッフが曽我の演技を評価したことから[5]、初期シリーズでは曽我の映像にバーバラ・グッドソンアテレコする形でそのまま使用されていた[注釈 2][6]。リタはアメリカの他、各国でも人気を博した[7]

一時「ステラ曽我」という芸名を名乗っていた時期がある[1]

1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業[4](後に国立市の自宅を改装して店舗を移転)、アクセサリー・オリジナル香水のデザインなど商品開発も手がけていたほか、休店日などにはファンとの交流会なども同店内で催していた。

2006年5月7日、自宅のあるマンションで亡くなっているところを、訪れた知人によって発見された[2][4](死因は膵臓癌)。68歳没。生涯独身だった。

遺作PlayStation 2用ゲームソフト『宇宙刑事魂』(暗黒銀河女王役)。テレビおよび映画における最終出演作は『魔法戦隊マジレンジャー』である[注釈 3]ため、メディアをゲーム以外に限定して話をする場合、そちらが遺作とされることもある[4]

人物・逸話

  • 高校生時代は理数系を得意とし、自ら化粧水の調合なども行っていた[4]。役者の道を目指したのは、化学の発表会で緊張から失敗を犯してしまい、これを克服するために歌や芝居を習い始めたのがきっかけであった[8][4]
  • プロ意識が高く、仕事に対する姿勢は非常に厳しかった。台本・衣装等でスタッフが手を抜いたと思ったらすぐに注意を促し、用意された衣装に納得がいかないと自前で用意する程であったという。レギュラー出演した『恐竜戦隊ジュウレンジャー』では、台本に納得できずに一度は降板を申し出たこともあったとインタビュー記事で語っている[9][注釈 4]
  • 悪役を演じるにあたっては、悪の魅力を前面に押し出すことを意識していた[8]。後に『徹子の部屋』に出演した際に曽我はこれらの特撮系の仕事に触れ、「疲れるけど、楽しいわよ」と振り返っている。
  • オバケのQ太郎』で主人公・Q太郎の声を当てることになったきっかけは、番組が企画された際に、事前告知を兼ねて[注釈 5]Q太郎のイラストが登場する不二家のキャンペーンCMが製作され、そのアフレコを曽我が担当したためである。後に声優のオーディションも催されたが[注釈 6]、結局、このキャンペーンCMの実績が考慮される形で曽我がアニメ版のQ太郎の声もそのまま担当する事になったという[11]
  • 『オバQ音頭』のレコーディングの際、曽我は風邪をこじらせており、本来の声のコンディションではないことを理由に、日本コロムビアの製作サイドに一旦は「レコーディングの予定をずらしてほしい」と願い出たという。しかし、共演相手の石川進のスケジュールが空いていなかったほか、コロムビア社内がストライキの真っ只中であったことから、久々に現場に参加できるとあって大乗り気になっていたコロムビアの幹部たちの熱意に押されるような格好で渋々レコーディングに臨むことにしたという。結果、同レコードは累計で200万枚以上(公称)を売り上げるというアニメ番組・子供番組が出自の楽曲レコードとしては異例の大ヒットとなったのだが、曽我自身は「レコーディングをずらしてくれたら、もっと面白く歌えたはずなんだけど」とインタビューの中で話すなど、その出来映えには晩年まで満足してなかったようである[11]
  • 『オバケのQ太郎』で人気が絶頂期を迎えたのを機に、「Q太郎」以外の自らの方向性を模索する目的で1970年代初頭に一時芸能活動を休業、イタリア国立美術学院への留学を経て、約3年近くにわたってイタリアシリアアフガニスタンなど欧州・中東を渡り歩く生活を過ごした。この時以来、地中海方面への旅行とその旅行の中で巡り合った骨董品・装飾品の収集が終生のライフワークとなり、後の「ステラ」開業に繋がったという[4]
  • 『新オバケのQ太郎 』のQ太郎役は当初、初代の曽我が引き続き担当する予定であったが曽我が多忙であったこと、TBS系であった初代との差別化(『新オバQ』は日本テレビ系)などで堀絢子に決まったという。
  • 帰国後もなかなか「Q太郎」のイメージから抜け出せず思い悩んでいたところに舞い込んできた仕事が『5年3組魔法組』の魔女ベルバラ役であった。この役を演じたことで特撮番組の魅力、女優として本来やりたかった方向性を見出すことができたという[3]
  • 特撮作品の魔女役が十八番であるだけに、それに対しては格別の愛着を持ち、自分の店「ステラ」では、演じてきた各魔女役にインスピレーションを受けた香水を自ら調合し、その役にちなんだ商品名で客達に提供したりもしていた。
  • TVチャンピオン』にも自分の演じた役柄に関するクイズの出題者としてゲスト出演したことがある。勝ち抜いた挑戦者のためにサイン色紙を用意する、敗退した挑戦者とも対面し言葉を交わすなど、演じた役もファンも大事にした。
  • 40代の頃までは深夜番組『11PM』内の定例企画「芸能界酒豪番付」で三役の常連として名を連ねるほどの酒豪として知られていた(一時は新宿などの都内の繁華街でバーやスナックも経営していた)が、50代半ばになってからは老後の健康が気になり断酒を決行。以後、亡くなるまでほとんど酒類を口にすることはなかったという。
  • 仕事に対する厳しさの反面、生来明るい性格である曽我は、他の共演者達によく声をかけ積極的にコミュニケーションを取っていたという。『ジュウレンジャー』で共演した千葉麗子は、曽我の訃報の翌日に自身のウェブサイトで「何も分からない新人の私にも話をして下さった」と哀悼の意を表すコメントを掲載していた。
  • 曽我が亡くなった日、テレビ等のメディアは「初代オバQの声優が亡くなった」等とこれを広く報じた。曽我が経営していた「ステラ」のウェブサイトにある掲示板にはファンからの何万件もの追悼のコメントが載せられ、ステラ側からは献花等を辞退する旨の声明が出されている。
  • テレビ朝日を除く民放各局が「初代オバQの声優が亡くなった」と広く知られた事例のみを以って紹介する一方、NHKの『つながるテレビ@ヒューマン』では、「特撮の女王」として番組コーナーで訃報を取り扱った(ヘドリアン女王等のスチール写真や『電子戦隊デンジマン』のBGMを流して紹介)[出典無効]
  • 『時空戦士スピルバン』に女王パンドラ役で出演していた当時、『ビートたけしのスポーツ大将』の100m走に女王パンドラとして出演したことがある。この時は40mのハンデをもらったが、衣装の重さから見事に最下位になってしまい、劇中におけるパンドラのキャラクターそのままに悔しがっていた。
  • 『魔法戦隊マジレンジャー』で曽我が演じた「天空大聖者マジエル」の役は当初俳優の岡田眞澄が務める予定であったが、岡田が体調不良を理由に辞退したため竹本昇監督の推薦によりその代役として曽我に依頼されたものであったという[12]。しかし、実際には曽我もこの時すでに病魔と闘いながらの撮影であった。なお、曽我の死去から約3週間後の5月29日に岡田もによってこの世を去っている。竹本は「曽我町子に演技指導する監督」としての立場に緊張の連続であったと後に述懐している。
  • マジエルの初登場編にあたる『マジレンジャー』の映画版『魔法戦隊マジレンジャー THE MOVIE インフェルシアの花嫁』で曽我演じるマジエルが、劇中の終盤にマジレンジャーの6人や地上界に住む人間達に向けて述べた「さて、地上界の者たちに素敵な魔法を送るとしよう。それぞれの者に勇気と力を与えよ。」という台詞は、曽我本人が映画館まで観にきてくれた観客に何か元気になれるメッセージになるような台詞を最後に入れて欲しいと、東映側のチーフプロデューサーを担当した塚田英明に提案して急遽挿入されたものであるという[13]
  • 電子戦隊デンジマン』などで付き合いのあった小林義明監督については「とにかく変わり者」という人物評をしていた。
  • 曽我自身は役者を続けるつもりは無かったが、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』に出演したことが、転機となって役者を続けていくことを決めた[3]。同作品では当初、エキストラとしての出演だったが、撮影の当日に役を貰ったものの、英語の台詞を巧く言えず、台詞を減らしてくれるように頼むが、それをエドワード・G・ロビンソンに咎められたことで、曽我は自分が本気で役者という仕事をしていなかったことに気づいたとしている[3]
  • 電撃戦隊チェンジマン』のアハメス役は当初は曽我が演じることになっていた。

出演作品

※「 - 」は役名

映画

テレビドラマ

オリジナルビデオ

テレビアニメ

劇場アニメ

ゲーム

吹き替え

バラエティ

  • TVチャンピオン「悪役怪獣・怪人王選手権」(2000年2月10日 テレビ東京) - 「ステラ」にて自身に関する問題を2問出題。

CM

  • ジョンソン(防臭剤「シャット」) ※CMソング、「ニューシャット」「スーパーシャット」を含め20年近くに亘って使用された。

人形劇

音楽

脚注

注釈

  1. ^ マジレンジャーでは主人公の味方である天空大聖者マジエルを演じ、曽我にとっては戦隊シリーズにおける最初で最後の善玉役だった。
  2. ^ 後に曽我に容姿の似た現地の女優カーラ・ペレスに交代。
  3. ^ 日本国内でのテレビの最終出演作は『魔法戦隊マジレンジャー』であるが、海外での出演作を含めば『パワーレンジャー・ミスティックフォース』(ミスティック・マザー役)が遺作である。[独自研究?]
  4. ^ ただしこの件に関しては、『ジュウレンジャー』のプロデューサー・白倉伸一郎は「心当たりはない」と自身のブログに書いている[10]
  5. ^ 第1期の『オバQ』は子供番組枠「不二家の時間」(TBS系)で放送された。
  6. ^ このオーディションには「チロリン村とくるみの木」などの番組で共演した黒柳徹子など当時の主力級の声優が多数参加しており、相当な競争率であったという。
  7. ^ 出演作品の中で唯一の東宝作品。塩沢とき扮する魔女イグアナの母親役だが、実年齢では曽我は塩沢よりも年下。
  8. ^ 『ジュウレンジャー』の海外リメイク版。他の役は現地の俳優が務める中、曽我と河合亞美だけは第1シリーズのみそのまま出演。日本語吹き替え版では第1、第2シリーズのリタの声を担当している。
  9. ^ 先行上映された1966年および1967年の劇場版より継続担当。彼女が声を当てた007は原作の様な中年男性ではなく幼い少年であるが、これは子供向け映画なので子供のキャラクターが欲しいという製作者側の要求でキャラクター設定が変更されたためである。

出典

  1. ^ a b c 『声優事典』(第2版)キネマ旬報社、1996年、439頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c “「オバケのQ太郎」初代声優曽我町子さん孤独死”. ZAKZAK. (2006年5月8日). オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160305060449/http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006050801.html 2014年6月7日閲覧。 
  3. ^ a b c d 第14回 曽我町子(『魔法戦隊マジレンジャーTHE MOVIEインフェルシアの花嫁』 天空大聖者マジエル役)”. 東映ヒーローネット. pp. 2 - 4. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 「追悼 曽我町子」『宇宙船YEAR BOOK 2007』朝日ソノラマ〈ソノラマMOOK〉、2007年4月20日、85頁。ISBN 978-4-257-13096-3 
  5. ^ 戸澤好彦(構成)「米国版スーパー戦隊が世界を席巻する!」『25大スーパー戦隊シリーズ完全マテリアルブック』 下、勁文社、2002年、24頁。ISBN 978-4766941081 
  6. ^ Jonathan Harris (2010年5月20日). “My interview with actress Barbara Goodson”. Examiner.com. 2016年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
  7. ^ 大前京太郎(構成・文)、NIRDY(構成・文)、ヤス(構成・文)「ACTRESS INTERVIEW 魔女リタ 曽我町子」『フィギュア王』No.44、ワールドフォトプレス、2001年、25頁、ISBN 978-4846523183 
  8. ^ a b スーパー戦隊大全集 1988, p. 200, 「スーパー戦隊シリーズINTERVIEW CAST編」
  9. ^ インタビュー企画第一弾〜曽我町子さん〜”. 2003年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月8日閲覧。(特撮ファンサイトHERO BOX掲載)
  10. ^ ウィキペディア - A Study around Super Heroes”. 2006年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月8日閲覧。
  11. ^ a b 曽我町子インタビュー”. 2013年11月8日閲覧。
  12. ^ 用田邦憲 編『魔法戦隊マジレンジャー スーパーレジェンドブック』双葉社、2006年。ISBN 4575298921 
  13. ^ 超忍者隊イナズマ!ニュース powered by ココログ: ●ゴールデンウィーク・ゴーウエスト●” (2006年5月10日). 2006年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月8日閲覧。
  14. ^ パトロールホッパ宇宙っ子ジュン”. 東映アニメーション. 2016年6月11日閲覧。
  15. ^ ピュンピュン丸”. 東映アニメーション. 2016年6月11日閲覧。
  16. ^ サイボーグ009”. 東映アニメーション. 2016年6月2日閲覧。
  17. ^ ミクロイドS”. 東映アニメーション. 2016年6月8日閲覧。

参考文献

外部リンク