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2022年10月8日 (土) 01:11時点における版
秋田市立明徳小学校 | |
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秋田市立明徳小学校校舎 | |
北緯39度43分27.60秒 東経140度07分25.50秒 / 北緯39.7243333度 東経140.1237500度座標: 北緯39度43分27.60秒 東経140度07分25.50秒 / 北緯39.7243333度 東経140.1237500度 | |
過去の名称 |
四如堂 東郭学校 明徳尋常高等小学校(秋田県師範学校代用附属小学校)(秋田県師範学校第一代用附属小学校) 明徳尋常小学校 明徳国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 秋田市 |
校訓 | 強く 正しく 明るく |
設立年月日 | 1887年4月28日 |
開校記念日 | 4月28日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B105220101020 |
所在地 | 〒010-0876 |
秋田県秋田市千秋公園1-13 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
秋田市立明徳小学校(あきたしりつめいとくしょうがっこう)は、秋田県秋田市千秋公園に所在する公立小学校。
沿革
経緯
文政4年(1821年)に私塾四如堂を創設したのが明徳小学校の起源である[1]。
年表
- 1821年(文政4年) - 明徳館文学黒沢四如(重巽)(天明3年生)私塾四如堂を手形新町下丁の(手形新栄町)自宅内に創設する。
- 1851年(嘉永3年) - 第2代堂主、明徳館文学平元謹斎(重徳)四如堂を手形谷地町上丁の自宅内に移転。
- 1868年(慶応4年・明治元年) - 第3代堂主、明徳館文学西宮端斎(藤長)手形新町下丁(新栄町)自宅内に四如堂を移転。
- 1872年(明治5年) - 学制発布(教育制度ができる)
- 1874年(明治7年) - 教育令改正により四如堂廃止と共に東郭学校を手形新町下丁に移転する。移転後拡張し、約6カ年続いた。
- 1880年(明治13年) - 教育令改正により四如堂の再興を図る。手形郷一同協議し、東郭学校を閉鎖する。
- 1881年(明治14年) - 三度教育令改正により、四如堂に変わり香雲学校を設立する。見物敷地一切を使用。
- 1883年(明治16年) - 4月28日 : 香雲学校、中通郷の仰高学校を併合し、公立明徳小学校を設立、土手谷地町佐竹大和邸跡に新築する。新校舎は洋風二階建。窓にはガラスを用い、当時は大変珍しいものであった。
- 1888年(明治21年)10月 - 文部大臣森有札臨校。
- 1896年(明治29年) - 校地を現県民会館の所に移転する。
- 1897年(明治30年)
- 1902年(明治35年) - 校地を現市立図書館に移転する。
- 1905年(明治38年)11月2日 - 新校舎落成。県知事、市長他約200人参加する。
- 1906年(明治39年)4月1日 - 明徳尋常高等小学校となる。
- 1908年(明治41年)
- 1909年(明治42年)9月1日 - 秋田県師範学校代用附属小学校と改称される。
- 1910年(明治43年)9月5日 - この日と翌日の2日間、洪水のため臨時休校とする。
- 1911年(明治44年)
- 日付不明 - 手形・根小屋町・通町・川反を通学区とする。
- 9月6日 - 全校遠足 1学年 手形 2学年 新屋 3学年 土崎 4・5学年 三倉鼻 6学年 神宮寺
- 1912年(明治45年・大正元年)
- 1919年(大正8年)5月 - 秋田市小学校連合運動会を催す。
- 1921年(大正10年) - 記念館で学芸会を行い、2000人を超す保護者や地域の方々が参観する。
- 1922年(大正11年)10月30日 - 市内小学校連合運動会で「桃の歌」で応援した。
- 1924年(大正13年)1月14日 - この日から1月18日まで、授業研究会を公開。
- 1926年(大正15年) 4月 - 夜間中学校校内に開設。
- 1929年(昭和4年)2月11日 - 校旗樹立。
- 1932年(昭和7年)2月11日 - 校歌制定。
- 1933年(昭和8年)
- 3月 - 代用附属解消となる。
- 日付不明 - 創立50周年記念式典を挙行する。
- 1936年(昭和11年)4月 - 尋常小学校となる。
- 1938年(昭和13年) - 保護者による体育後援会が結成される。
- 1940年(昭和15年)2月 - 市理科研究会開催する。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)5月 - 全校児童寒風摩擦実施する。
- 1943年(昭和18年)
- 9月28日 - 創立60周年式典挙行。
- 日付不明 - 平田篤胤像を作る。「明徳之誉」刊行。
- 日付不明 - 秋田師範学校附属国民学校となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年) - 6・3制の教育制度が作られた。
- 5月1日 - 久保田中学校併設。
- 日付不明 - 中通と2部授業を行う。占領軍の強制的な指導の下で、戦時色一掃を強いられた。また、物資が不足し、学用品にも困る。
- 1948年(昭和23年)
- 日付不明 - モロニー命によりPTAを設立する。
- 3月 - 週五日制を実施。
- 日付不明 - 地域子供会が結成される。(千秋子ども会を先頭に全県下にさきがけて自主的な活動を始めた)
- 1950年(昭和25年) - 秋田師範学校附属小学校解消となる。
- 1951年(昭和26年)11月 - ブランコ新設。
- 1952年(昭和27年)10月 - 改装工事着工。
- 1953年10月 - 「希望と像」を前庭に建像。
- 1954年(昭和29年)8月 - 作文教育大会会場。
- 1955年(昭和30年)5月 - 全県図工、国語教育研究会会場。
- 1956年(昭和31年)5月 - 給食調理室完工。機会五種設置。
- 1957年(昭和32年)
- 10月 - 改築工事完了。
- 日付不明 - 学校給食優良校として文部大臣表彰を受ける。
- 1958年(昭和33年)10月 - 秋田市教育委員会指定学習指導実験学校公開。(算・国・社)
- 1962年(昭和37年)10月 - 放送教育研究会東北大会主会場となり、授業を公開する。
- 1963年(昭和38年)9月28日 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1973年(昭和48年)10月 - 創立90周年記念式典挙行し、記念事業実施。
- 1977年(昭和52年)
- 4月 - 東小学校開校により、児童269名転出。
- 11月 - 明徳小学校教育後援会設立。
- 1979年(昭和54年)6月 - 新グラウンドが完成し、記念大運動会開催。
- 1981年(昭和56年)
- 4月 - 明徳小学校同窓会設立。
- 7月 - 現在地に新校舎が完成し、移転。
- 11月 - 校舎改築落成記念式典挙行。
- 1983年(昭和58年)4月 - 創立100周年記念式典挙行し、記念事業実施。
- 1989年(平成元年)7月 - プールが完成し、よろこびの会開催。
- 1993年(平成5年)
- 10月 - 旧校旗に代わり、新校旗新調。
- 11月 - 創立110周年記念式典挙行し、記念事業実施。
- 1998年(平成10年)10月 - 中通小学校と『千秋公園マラソン大会』を行う。
- 2003年(平成15年)11月 - 創立120周年記念式典挙行し、記念事業実施。
- 2007年(平成19年)9月 - 秋田わか杉国体開会式に、ヤートセ部と音楽部が参加。
- 2013年(平成25年)11月 - 創立130周年記念式典挙行し、記念事業実施。
- 2020年(令和2年)2月 - 体育館改築完成。
教育目標
強く 正しく 明るく
校章の由来
1929年(昭和4年)2月11日に、桃の地に「5本骨、3個の日の丸の扇」の中央に明徳の「明」の文字を入れた校旗が樹立された。5本骨の日の丸の扇は、源家にゆかりの深い藩主佐竹公の家紋であり、3本の扇によってそれぞれ、知・徳・体を表徴し、“強く、正しく、明るく”の明徳精神を表している。
学校行事
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通学区域
- 秋田市
- 千秋北の丸、千秋久保田町、千秋公園、千秋城下町、千秋中島町、千秋明徳町、千秋矢留町、手形学園町、手形休下町、手形新栄町、手形住吉町、手形田中、手形山崎町、中通二丁目、中通四丁目、中通六丁目
進学先中学校
学校周辺
- 久保田城址
- 秋田市立図書館(きらきらとしょかん)明徳館
- 秋田令和高等学校
- 校舎は南西側、グラウンドは北側にある。
- 国学館高等学校
- 秋田県立循環器・脳脊髄センター
- 東日本旅客鉄道奥羽本線秋田駅
交通
- 秋田中央交通「明徳小学校入口」バス停から、徒歩約445m・約7分。
- なお、「鷹匠橋」バス停も直線距離では近いが、学校までの道路が無く、大廻りとなる。
- JR東日本秋田新幹線・奥羽本線・羽越本線秋田駅(西口)から、徒歩約1.1km・約16分。
著名出身者
脚注
- ^ “学校沿革(全日制課程)”. 秋田市立明徳小学校. 2019年8月9日閲覧。
- ^ 大館郷土博物館ホームページ
関連項目
外部リンク
この記事は、プロジェクト:学校/小学校テンプレートを使用しています。