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2022年10月8日 (土) 01:02時点における版
海津市立下多度小学校 | |
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北緯35度15分24秒 東経136度33分51秒 / 北緯35.25654度 東経136.56406度座標: 北緯35度15分24秒 東経136度33分51秒 / 北緯35.25654度 東経136.56406度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 海津市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121222100107 |
所在地 | 〒503-0401 |
岐阜県海津市南濃町津屋1869 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
海津市立下多度小学校 (かいづしりつ しもたどしょうがっこう)は、岐阜県海津市南濃町にある公立小学校。
沿革
- 1873年(明治6年)
- 1877年(明治10年) - 登高義校が登高第一学校、登高分教場が登高第二学校に、それぞれ改称する。
- 1881年(明治14年) - 登高第一学校と問津義校が合併し、東陽小学校になる。登高第二学校が登高小学校に改称する。
- 1886年(明治19年) - 東陽小学校と登高小学校が合併し、津屋簡易科小学校となる。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 津屋村、志津村、志津新田、若宮村、船見村が合併し、多芸郡下多度村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 郡制に基づき多芸郡の一部と上石津郡が合併し、養老郡となる。下多度村は養老郡となる
- 1893年(明治26年) - 津屋尋常小学校に改称する。
- 1905年(明治38年) - 津屋尋常高等小学校に改称する。
- 1917年(大正6年) - 下多度尋常高等小学校に改称する。
- 1921年(大正10年) - 農業補習学校を併設する。
- 1926年(大正15年) - 青年訓練所を併設する。
- 1931年(昭和6年) - 女子裁縫補習学校を併設する。
- 1935年(昭和10年) - 青年学校を併設する。
- 1941年(昭和16年) - 下多度国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 下多度村立下多度小学校に改称する。
- 1954年(昭和29年)11月5日 - 海津郡城山町、石津村、および養老郡下多度村が合併し、海津郡南濃町が発足。同時に南濃町立下多度小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 南濃町と養老町とで境界変更。南濃町若宮、船見、および津屋の一部[注釈 2]が養老町となり、児童は養老町立上多度小学校へ転出する。
- 2005年(平成17年)3月28日 - 海津町、平田町、南濃町が合併して海津市が発足。同時に海津市立下多度小学校に改称する。
通学区域[1]
全て南濃町の地域。
- 津屋
- 志津新田
- 志津
進学先中学校
脚注
注釈
参考文献
- 南濃町史 通史編 (岐阜県海津郡南濃町 1982年) P.868 - 922