下多度村
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しもたどむら 下多度村 | |
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廃止日 | 1954年11月5日 |
廃止理由 |
合併 海津郡城山町、石津村、下多度村 → 海津郡南濃町 |
現在の自治体 | 海津市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 養老郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 15.78 km2. |
総人口 |
2,797人 (1950年) |
下多度村役場 | |
所在地 | 岐阜県養老郡下多度村津屋字寺屋敷2018-1 |
座標 | 北緯35度15分20秒 東経136度33分56秒 / 北緯35.25553度 東経136.5655度座標: 北緯35度15分20秒 東経136度33分56秒 / 北緯35.25553度 東経136.5655度 |
ウィキプロジェクト |
下多度村(しもたどむら)は、かつて岐阜県養老郡に存在した村である。
現在の海津市の一部(旧・海津郡南濃町の北部)である。一部の地域は南濃町との合併後に分割され、養老郡養老町に編入されている。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は美濃国多芸郡であり、大垣藩領などであった。
- 1872年(明治5年) - 釜段新田が志津新田に合併。
- 1874年(明治7年) - 志津新田の一部(旧・釜段新田)が分立し、釜段村ととなる。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 津屋村、志津村、志津新田、若宮村、船見村が合併し、下多度村となる。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 郡制に基づき多芸郡の一部と上石津郡が合併し、養老郡となる。下多度村は養老郡となる。
- 1954年(昭和29年)11月5日 - 海津郡城山町、石津村、および養老郡下多度村が合併し、海津郡南濃町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 南濃町と養老町とで境界変更。旧・若宮村と船見村の全域と旧・津屋村の一部(段の尻、中原、紬ノ木、小名、大憤、浮島、中島、上戸樋、北河原)が養老町に編入される。
小字
[編集]- 大字津屋
- 中島・上戸樋・浮島・小名・栢ノ木・北河原・川東・五反田・山新田・中原・河原添・段ノ尻・天皇森・神明・観音・宮西・川並・下川並・清水・清水屋敷・株水・堤田・総作・溲田・ヌリ田道上・ヌリ田道下・寺屋敷・正蓮寺・山ノ神・大堀・河原中・大墳・十二町歩・上屋敷・中屋敷・広畑・仮畑・八幡・南谷・北谷・鐘鋳場
- 大字志津
- 菖蒲原・川並・沢・大萩・仲原・横割・南屋敷・北屋敷・山田・井口・南条・野中・小谷・下池・高祖・南山・岨古谷・後谷・総名池ヶ谷
- 大字志津新田
- 善左衛門屋敷割・上屋敷割・下屋敷割・一番割・二番割・上三番割・下三番割・梨ノ木割・杉池・堤田・山畑
- 大字若宮
- 北原・北河原・新開所・村北・村下・宮下・立山添・立山・無生東
- 大字船見
- 前並・北畑・東屋敷・西屋敷・久内起・替地
- 古堤新開(1897年(明治30年)池辺村より編入)
交通機関
[編集]学校
[編集]- 下多度村立下多度小学校(現・海津市立下多度小学校)
- 養老郡学校組合南部中学校(上多度村、下多度村両村組合立。後の海津市立養南中学校となり、2008年に海津市立城南中学校の新設開校により閉校)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岐阜県養老郡下多度村土地宝典 帝国市町村地図刊行会 編 昭和16年6月10日発行
- 養老郡誌 岐阜日日新聞社 岐阜県郷土資料刊行会 出版 大正14年5月25日初版発行 昭和45年2月6日刊