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下多度村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しもたどむら
下多度村
廃止日 1954年11月5日
廃止理由 合併
海津郡城山町石津村下多度村 → 海津郡南濃町
現在の自治体 海津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
養老郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 15.78 km2.
総人口 2,797
(1950年)
下多度村役場
所在地 岐阜県養老郡下多度村津屋字寺屋敷2018-1
座標 北緯35度15分20秒 東経136度33分56秒 / 北緯35.25553度 東経136.5655度 / 35.25553; 136.5655座標: 北緯35度15分20秒 東経136度33分56秒 / 北緯35.25553度 東経136.5655度 / 35.25553; 136.5655
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下多度村(しもたどむら)は、かつて岐阜県養老郡に存在したである。

現在の海津市の一部(旧・海津郡南濃町の北部)である。一部の地域は南濃町との合併後に分割され、養老郡養老町に編入されている。

歴史

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  • 江戸時代末期、この地域は美濃国多芸郡であり、大垣藩領などであった。
  • 1872年(明治5年) - 釜段新田が志津新田に合併。
  • 1874年(明治7年) - 志津新田の一部(旧・釜段新田)が分立し、釜段村ととなる。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 津屋村、志津村、志津新田、若宮村、船見村が合併し、下多度村となる。
  • 1897年(明治30年)4月1日[1] - 郡制に基づき多芸郡の一部と上石津郡が合併し、養老郡となる。下多度村は養老郡となる。
  • 1954年(昭和29年)11月5日 - 海津郡城山町石津村、および養老郡下多度村が合併し、海津郡南濃町となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 南濃町と養老町とで境界変更。旧・若宮村と船見村の全域と旧・津屋村の一部(段の尻、中原、紬ノ木、小名、大憤、浮島、中島、上戸樋、北河原)が養老町に編入される。

小字

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  • 大字津屋
    • 中島・上戸樋・浮島・小名・栢ノ木・北河原・川東・五反田・山新田・中原・河原添・段ノ尻・天皇森・神明・観音・宮西・川並・下川並・清水・清水屋敷・株水・堤田・総作・溲田・ヌリ田道上・ヌリ田道下・寺屋敷・正蓮寺・山ノ神・大堀・河原中・大墳・十二町歩・上屋敷・中屋敷・広畑・仮畑・八幡・南谷・北谷・鐘鋳場
  • 大字志津
    • 菖蒲原・川並・沢・大萩・仲原・横割・南屋敷・北屋敷・山田・井口・南条・野中・小谷・下池・高祖・南山・岨古谷・後谷・総名池ヶ谷
  • 大字志津新田
    • 善左衛門屋敷割・上屋敷割・下屋敷割・一番割・二番割・上三番割・下三番割・梨ノ木割・杉池・堤田・山畑
  • 大字若宮
    • 北原・北河原・新開所・村北・村下・宮下・立山添・立山・無生東
  • 大字船見
    • 前並・北畑・東屋敷・西屋敷・久内起・替地
    • 古堤新開(1897年(明治30年)池辺村より編入)

交通機関

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学校

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脚注

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  1. ^ 揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁

参考文献

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関連項目

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