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2022年10月7日 (金) 13:06時点における版
狛江市立狛江第二中学校 | |
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北緯35度37分36.7秒 東経139度35分00.9秒 / 北緯35.626861度 東経139.583583度座標: 北緯35度37分36.7秒 東経139度35分00.9秒 / 北緯35.626861度 東経139.583583度 | |
過去の名称 | 狛江町立狛江第二中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 狛江市 |
校訓 |
相互敬愛 自主自立 意思と実践 |
設立年月日 | 1967年4月1日 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C113221900029 |
中学校コード | 130564 |
校地面積 | 15,830平方メートル |
校舎面積 | 9,313平方メートル |
所在地 | 〒201-0015 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
狛江市立狛江第二中学校(こまえしりつこまえだいにちゅうがっこう)は、東京都狛江市猪方二丁目に位置する公立の中学校である。狛江二中や狛二、もしくは単に二中などと略される。
概要
狛江市で4校ある中学校のひとつで、狛江市南部唯一の中学校である[1]。学区は岩戸北・東和泉の一部と、岩戸南・猪方・駒井町の全部からなり、狛江市立狛江第三小学校、狛江市立狛江第六小学校の児童のほとんどが進学する[2]。1つの学年あたりAからDまでの4学級の合計12学級あり、2022年5月現在422人の生徒を抱える[3]。
教育
教育目標
基本的な教育理念として「互いを認め合い共に生きていくことを意識し、感動する心をもち、未来への夢や目標に向かい、強い意志で自らを律しつつ、その実現に努めるとともに、我が国と郷土を愛し、正義感や公正さを重んじ、持続可能な社会の創り手としての生きる力を身に付けた生徒の育成を図る[4]」とした上で[注 1]、以下の3つを掲げている。
相互敬愛 - 自他の生命を尊重し、相互に高め合う生徒自主自律 - 自ら学び考え、自らを律しつつ、主体的に行動する生徒
意志と実践 - 夢や目標の実現に向け、強い意志をもち、前向きに実践する生徒
上から順にそれぞれ人間化関係形成能力、問題発見・解決能力、実践力に対応するとしている[4]。2020年度の狛江市立学校第三者評価委員会[注 2]からは、生徒が主体的に取り組む教育を推進していることが先進的であることや、課題設定・課題解決・共同解決・振り返りで構成される学習スパイラルの、校内研究の成果を活かした実践などが評価された[5]。
また2021年度より、GIGAスクール構想の一環として授業にタブレットPC (ARROWS Tab[6]) を活用していて、Microsoft Teamsを利用した課題の配信や欠席生徒への授業の配信などが行われている[7]。
特別支援教育
狛江市の特別支援教室であるくすのき教室は、この学校を拠点校として設置されている[8]。くすのき教室は狛江市に住む全ての学習に支障をきたす心身の障碍をもつ中学生を対象とし、狛江市立狛江第一中学校・狛江市立狛江第三中学校・狛江市立狛江第四中学校の各学校で教育が行われている。この4校を合計すると2021年時点で計54人の生徒が在籍している[8]。
くすのき教室は2004年4月1日に情緒障害等通級指導学級・くすのき学級として開設され、2016年度から翌年度にかけて特別支援教室モデル事業が実施された。モデル事業終了年度の翌年度である2018年度より特別支援教室として本格的に教育が開始され、今日に至る[8][9]。ここで、特別支援教室の名称に含まれるくすのきは、クスノキは大きく育ち、また耐久性に優れ、医薬品としても活用されることにちなみ、生徒が多くの場面で活躍し、心身が逞しく成長するという目標に例えてつけられた[8]。
沿革
開校以前
この学校が開校する前まで、狛江町内唯一の中学校であった狛江町立狛江中学校に狛江町に住む児童が通学していた[10]。無論、狛江南部に住む児童も例外ではなく、現在の学校の位置から直線距離にして約1.5キロメートル以上もの距離を歩いて通学する必要があった。1964年に神代団地の入居が、1966年には多摩川住宅の入居がそれぞれ開始されると狛江中学校の児童数は1,024名を数え、マンモス校と化した[10]。そうした状況から、南部に住む町民をはじめとして一部から南部への中学校建設を求める声が増えたが、町は建設費確保の難しさを理由として計画を先延ばしにし続けていた[10]。
しかしながら1967年には狛江団地の入居が開始される予定であったので、新しい中学校を開設せざるを得ず、町は土地の確保と建設費確保に向け東京都との交渉を開始した[10]。当時、都からは大規模団地が建設された地域に設置する学校に対してのみ建設費などの補助を出していたが[注 3]、団地建設によりさらに規模が大きくなるであろう学校の規模を縮小させるための学校新設であったことから補助金などの交付が認められた[10]。こうしたケースはこの学校が初めてであった[10]。
こうした経緯を経て、東京都から土地購入資金や建設費の一部補助を受けつつ建設が開始された[11]。建設場所には狛江市南部の狛江町立狛江第三小学校の南、畑が広がる地帯が選ばれ、校舎は鉄筋コンクリート構造の4階建てで、普通教室12教室、特別教室4教室が設置された[12]。町内における学校としては初めて4階まで造られた[13]。校舎は1967年4月4日に竣工した[9]。
開校と増築
1967年(昭和42年)4月1日に設立が許可され、同日に狛江中学校[注 4]から別れる形で狛江町立狛江第二中学校として開校した[9][2]。学区域は当時流れていた六郷用水を境にして、その南側を学区とした[14]。この地域に住む全ての狛江第一中学校に通う生徒を狛江第二中学校に移動させる予定であったが、新学期より新たに3年生となる生徒から「卒業を目前にして移籍するのは嫌だ」という声が多く上がったことから、新3年生は希望者のみが移籍した[14]。結果、狛江第二中学校へは162名が移籍し、10学級設置されたが、うち3年生は23名のみであった[14][15]。初年度の在校生は計378人となった[9][2][注 5]。翌年度1968年度には学区に岩戸北四丁目[注 6]の全域が追加された[14]。
プールと体育館は完成が遅れた。プール建設は国の失業対策事業の対象事業として行われ[16][17]、同年8月1日までに完成し同日にプール開きが行われた[9][18]。体育館は同年12月20日に完成した[19]。体育館の形状は正方形で、非常に珍しいものだった[20]。設計は早稲田大学安東研究室(安東勝男)、構造は早稲田大学松井源吾研究室(松井源吾)がそれぞれ担当した[21][22][23]。
開校2年経った1969年度時点で、生徒数は605人、計16学級となり開校時の生徒数からからほぼ2倍となったため[24]、校舎の増築が行われた。1969年3月31日に普通教室4教室と技術棟が、1970年5月15日には普通教室4教室、特別教室2教室(家庭科室・図書室[17])及び昇降口がそれぞれ竣工した[12]。また、1969年10月1日に狛江町が市制を施行し狛江市となったため、従来の狛江町立狛江第二中学校から狛江市立狛江第二中学校へと名称が変更された[2][12]。
1968年度に、進学元である狛江市立狛江第三小学校の生徒数が1,052人となり、新規の受け入れが難しくなったため狛江第六小学校が新設されることとなった。狛江第六小学校は1971年度より開校し、狛江第三小学校と学区を分割した。これによりこの学校の進学元の小学校は前述の2校になった。
開校以降
1972年度に狛江第一中学校の生徒数は1,000人を超え、1,107人の29学級と再びマンモス校となったため[24]、1973年に新しく狛江市立狛江第三中学校が開校した[12]。主に狛江第一中学校の生徒が移籍したが、一部狛江第二中学校の生徒も移籍した[25]。これにより学区が大幅に変更され、小田急小田原線以西及び以北は全て狛江第三中学校の学区となった[14]。これにより、当時17あった学級が16学級に減少した[26]。
1973年12月に暖房が従来の石炭ストーブから石油ストーブに変更された[27]。ただし、当時はオイルショックの真っ只中であり、しばらくは満足に教室を暖められない状態が続いた[28]。なお、冷房は狛江第三中学校などではこの時期から順次設置が始まったが、この学校では平成になるまで教室に設置されることはなかった。
1974年10月1日から昭和49年台風16号が接近し、多摩川が氾濫する危険性が高まったため緊急避難場所に指定され、700人以上がこの学校の本館に避難した[9]。この台風により猪方において堤防が決壊するという大規模な水害(多摩川水害)が発生したため、翌日10月2日は臨時休業した[9]。
1976年度までに児童数が再び増加したため、増築が行われ普通教室4教室、特別教室4教室を備えた新館がそれぞれ竣工した[9][17]。また同年12月4日に音楽室と視聴覚室、LL教室が竣工した[9][17]。1990年に新館の改修工事が行われ、視聴覚室が移動になり、また新たにコンピューター教室が設置された[9]。その後2001年3月31日には給食配膳室が設置され、翌年度5月1日よりミルク給食が開始された[9]。なお、本格的な中学校給食が始まるのは7年後の2008年10月14日のことである[9]。
2010年より体育館とプールなどの大規模な再整備が始まった。同年2月18日に住民説明会が開かれ、7月21日にプールの撤去が開始、9月1日に工事が始まった[9]。翌年7月21日には正方形の体育館の撤去も始まり、そのさらに翌年8月31日にはアリーナとプールを含む体育館棟が完成した[9]。また、同年度中に冷房の普通教室への取付け工事や武道棟の整備工事も行われた。2011年度中にこれら全ての工事が終了した[9]。
2019年10月12日の令和元年東日本台風通過時に避難所として開設された。この時避難民が1,000人以上と殺到し、市は狛江第二中学校では新規避難民をこれ以上受け入れることができないとして避難所を閉鎖する事態となった[29]。
2020年以降の新型コロナウイルス感染症の世界的流行おいては、当時の安倍晋三内閣総理大臣の要請に従う形で、2020年3月2日から臨時休業した[30]。春休みが明けても感染拡大は収まらず臨時休業の解除は数回延期され、2020年6月1日から分散登校の形をとって再開した[31]。臨時休業中は学校から郵送による課題の配信や、Youtubeを用いたオンデマンドによる授業の実施などが行われた[31]。この時はまだ児童にタブレット端末は学校から配布されていなかったため、Zoomなどを用いた授業などは一切行われなかった。宿泊を伴う学校行事は2020年2月4日から3日間の日程で行われた2年生のスキー教室を最後に中止され、2019年度の卒業式は卒業生とその家族のみの参加で行われた[30]。2020年度の入学式は入学生とその家族のみに制限されたうえ、会場は室内ではなく校庭とされた[32]。なお、臨時休業によって減った授業日数の穴埋めをするため、夏休みが大幅に短くなり8月8日から8月24日となった[31]。
象徴
制服
現行の制服は青みがかかったブレザーで、夏服と冬服がある。なお、女子の制服はスラックスとスカートから自由に選択できる[33]。ネクタイが制定されているが、リボンは制定されておらず、男女共に式典の際にネクタイを身につける[33]。通学鞄の指定はない。開校当時の制服として通学帽があったようだが、現在までに廃止されている[9]。
校章
校章は近傍を流れる多摩川と双葉、片仮名の「コマエ」を組み合わせたもの。開校年度の1967年6月1日に制定され、同日より通学帽の帽章とバッジとして着用することとなった[9]。
校歌
校歌は開校年度の1967年11月11日に制定されたもので、谷田慶子作詞、土居通真作曲[34]。1968年2月23日に校歌の発表会が催された。作詞者である谷田慶子は後述の通り、開校当時から1975年まで国語科の教師として勤務していた詩人の牟礼慶子である[35]。敷地内に校歌が刻まれた石碑が保存されている[35]。
設備
校舎は本館・別館・体育館棟・武道棟・技術棟の5つの建物で構成される。校地面積は15,830平方メートルで、うち校舎が9,313平方メートルを占める[36]。校庭は約6,517平方メートルほどで、200メートルトラックが収まる[36]。校地面積は狛江市立中学校の中では狛江第一中学校に次いで2番目に広く、狛江市立学校の中では狛江第一中学校と狛江第三小学校に次いで3番目に広い[36]。なお、児童急増期に設置された学校としては珍しく、プレハブ小屋が建設されたことがない[37]。
本館 | 別館 | 体育館棟 | 武道棟 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
階 | 用途 | 用途 | 階 | 用途 | 用途 | |
4 | 普通教室 | R | プール | |||
3 | 普通教室 | 3 | 機械室 | |||
2 | 職員室等 | 渡り廊下 | 特別教室等 | 2 | 体育館 | 武道場等 |
1 | 特別教室 | 給食配膳室 | 1 | 特別教室 |
各棟の詳細
主に普通教室が設置されていて、職員室なども本館内に位置する。この中学校で最も早期に完成した建物であり、その分劣化も進んでいるという評価を受けている。2020年に狛江市により行われた建物の健全度評価によれば、100点満点中59点とされていて、狛江市立学校の建物の中で2番目に低い点がつけられた[38]。
- 別館 - 1976年竣工・RC造・2階建[38]:22
主に特別教室が設置されている。本館とは2階部分で渡り廊下と接続する。建物の健全度評価では100点満点中64点の評価を受けている[38]。
- 体育館棟 - 2011年竣工・RC造・4階建[38]:22
1階から2階にかけて体育館(アリーナ)が位置するほか、屋上にはステンレス製無塗装のプールも設置されている[39]。旧体育館(後述)の老朽化が進み、修繕とさらに耐震化工事が必要になったため新設された建物である[40]。屋上のプールは25メートルを6レーン分、水深1.1メートル(最深部は1.2メートル)を確保していて[39]、夏季休暇中には市民に対して開放もされる[41]。プールサイドの一部に設置されている屋根は最大発電量が15キロワットの太陽光発電設備となっていて、プールの水はこの装置を用いて浄化される[40]。なお、健全度評価では満点と評価された。そのため市はアリーナの積極的な改修と長期利用を目標に掲げており、80年以上の利用を目指している[38]:29。
- 武道棟 - 2012年竣工・RC造・2階建[38]:22
体育館棟と直接接続する。2階には武道場が、1階には多目的室がそれぞれ位置する。多目的室は、この学校が震災等発生時の一時避難場所となることから整備された[40]。多目的室に面すように屋外にテニスコートが整備されていて、こちらも同時に竣工した。
- 旧体育館 - 1967年竣工・2010年撤去・RC造・2階建
現在では既に取り壊されていて存在しないが、かつて体育館の形は正方形だった。敷地を最大限活用するということに重点をおいた結果正方形になったとされる[19]。正方形の四隅に対角になるようにそれぞれ舞台と更衣室、器具庫を2か所設置し、中央にバレーボールのコート2面分を取ることができる十分な広さを確保していた[27][42]。形だけでなく外観も奇抜で、屋根は4個のHPシェル(双曲放物面シェル)を組み合わせたものとなっている[42]。2階部分の窓は3重窓になっていて、それぞれの窓の組み合わせによって暗幕の必要性を省いた[27]。設計は早稲田大学安東研究室の安東勝男が、構造は早稲田大学松井源吾研究室の松井源吾(作品番号049[42])がそれぞれ担当した[注 8][21][22]。前述したが、老朽化が進んだことや耐震化工事が必要になったことなどにより建て替えられた[40]。
学校敷地の変遷
部活動
現行の部活動
2022年度現在、運動部9つ、文化部4つの計13個の部活動が存在する。各部とも概ね活発に活動しており[44]、各部の実績はダブルダッチ部の世界大会での優勝[44]、吹奏楽部の東京都アンサンブルコンテスト金賞、男子バレーボール部の東京都大会ベスト16などに代表される[2]。
男子バレーボール部
狛江市唯一の男子バレーボール部で、東京都大会にもほぼ毎大会出場している。
ダブルダッチ部
ダブルダッチというスポーツをする部活動。活内でチームを組み、国内外の大会にそれぞれ出場する。世界大会での優勝など豊富な経験をもち、多く報道機関で特集された[52][53][54][55]。2010年創設の運動部[56][44][46]。以下には大会別の各チームの成績を列挙する。また、狛Zestとまめ☆狛[注 13]は狛江市より世界大会優勝という功績を讃えられ狛江市スポーツ功労賞が授与された[57]。
- East Style[注 14][48]
- 2019 future 優勝 狛TRUST
- 2019 future 3位 狛Glassy
- 2019 future 4位 狛☆Min-Tina[注 15]
- 2018 future 2位 狛Bless
- Double Dotch Delight
- Double Dutch Contest Japan[49]
- 2017 U-19 優勝 狛Zest
- 2017 Junior 優勝 まめ狛
- Double Dutch Contest World[48]
- 2019 2位 狛☆Min-Tina
- 2017 U-19 優勝 狛Zest
- 2017 Junior 優勝 まめ☆狛
- World Jump Rope 2019 Japan Selection[48]
- 2019 ペアフリースタイル 2位 狛force
- 2019 ペアフリースタイル 3位 狛Bless
- 2019 シングルフロースタイル 3位 まめ☆狛
他にも109路上Live、Double Dutch Challenge in Tokyoなどのイベントや大会などにも参加した[60][61]。
吹奏楽部
- 令和4年度東京都中学校吹奏楽コンクール 東日本部門 銀賞[62]
- 令和3年度東京都中学校アンサンブルコンテスト 金管八重奏 銅賞[63][48]
- 平成31年度東京都中学校アンサンブルコンテスト 管楽七重奏 銀賞[48]
- 平成31年度東京都中学校吹奏楽コンクール 東日本部門 金賞[48]
- 平成29年度東京都中学校吹奏楽コンクール 東日本部門 銀賞[49]
- 平成18年度東京都中学校吹奏楽コンクール 東日本部門 銀賞[64]
- 平成17年度東京都中学校アンサンブルコンテスト 管楽七重奏 銅賞[64]
廃止された部活
男子テニス部
関係者
出身者
- 勝又温史 - プロ野球選手。横浜DeNAベイスターズ所属[71]。
- 小川和幸 - アナウンサー[72]。
- 井丸ゆかり - 元女優、グラビアアイドル[73]。
- 越中詩郎 - プロレスラー[35]。
- 五神真 - 第30代東京大学総長、物理学者、日本学術会議会員[74]。
- 石原千秋 - 日本近代文学を専門とする国文学者[75]。
教職員
- 牟礼慶子 - 詩人。本名谷田慶子。開校当時から1975年まで国語科の教員として勤務し、この学校の校歌の作詞を担当した[35]。教え子にプロレスラーの越中詩郎[35]、国文学者の石原千秋がいる[75]。
その他
年表
- 1967年 4月 1日 - 設立が許可され、開校。
- 1967年 4月 4日 - 校舎竣工。
- 1967年 6月 1日 - 校章が制定された。
- 1967年11月11日 - 校歌が制定された。
- 1967年12月20日 - 旧体育館完成。
- 1970年10月 1日 - 市制施行につき校名が現行の狛江市立狛江第二中学校へ改名された。
- 1974年 9月 1日 - 昭和49年台風16号が接近したため、緊急避難所に指定され開設された。
- 1985年11月24日 - 東京都教職員文化会バレーボール大会に出場し、優勝する。
- 1990年 6月 1日 - 開校記念日を1967年5月1日に変更。
- 2001年 3月31日 - ミルク給食開始。
- 2004年 4月 1日 - くすのき学級設置。
- 2008年10月14日 - 学校給食開始。
- 2011年 8月31日 - 新体育館及びプール完成。
- 2012年 3月31日 - 武道棟が完成。
- 2018年 4月 1日 - くすのき学級がくすのき教室となり正式に開設される。
- 2019年10月12日 - 令和元年東日本台風が接近したため避難所として開設。
- 2020年 3月 2日 - 新型コロナウイルス感染症の流行により臨時休業開始。
- 2020年 6月 1日 - 臨時休校解除。分散登校による授業再開。
- 2022年[注 20]。 2月 7日 - 狛江市より令和三年度環境表彰制度市長賞を受賞
生徒数の推移
1960年度から1979年度まで | 1980年度から1999年度まで | 2000年度から2019年度まで | 2020年度から2039年度まで | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 生徒数 | 学級数 | 年度 | 生徒数 | 学級数 | 年度 | 生徒数 | 学級数 | 年度 | 生徒数 | 学級数 |
1980年度 | 895人 | 22 | 2000年度 | 2020年度 | 405人 | 11 | |||||
1981年度 | 895人 | 22 | 2001年度 | 2021年度 | |||||||
1982年度 | 950人 | 23 | 2002年度 | 2022年度 | 422人 | 12 | |||||
1983年度 | 973人 | 23 | 2003年度 | 420人 | 12 | 2023年度 | |||||
1984年度 | 962人 | 22 | 2004年度 | 429人 | 13 | 2024年度 | |||||
1985年度 | 899人 | 21 | 2005年度 | 391人 | 12 | 2025年度 | |||||
1986年度 | 2006年度 | 367人 | 10 | 2026年度 | |||||||
1967年度 | 379人 | 10 | 1987年度 | 2007年度 | 348人 | 10 | 2027年度 | ||||
1968年度 | 538人 | 14 | 1988年度 | 2008年度 | 357人 | 10 | 2028年度 | ||||
1969年度 | 605人 | 16 | 1989年度 | 2009年度 | 359人 | 10 | 2029年度 | ||||
1970年度 | 619人 | 16 | 1990年度 | 2010年度 | 358人 | 10 | 2030年度 | ||||
1971年度 | 646人 | 16 | 1991年度 | 2011年度 | 404人 | 12 | 2031年度 | ||||
1972年度 | 683人 | 17 | 1992年度 | 2012年度 | 417人 | 13 | 2032年度 | ||||
1973年度 | 664人 | 16 | 1993年度 | 2013年度 | 443人 | 13 | 2033年度 | ||||
1974年度 | 698人 | 16 | 1994年度 | 2014年度 | 426人 | 12 | 2034年度 | ||||
1975年度 | 743人 | 17 | 1995年度 | 2015年度 | 441人 | 12 | 2035年度 | ||||
1976年度 | 790人 | 18 | 1996年度 | 2016年度 | 437人 | 12 | 2036年度 | ||||
1977年度 | 808人 | 19 | 1997年度 | 2017年度 | 420人 | 12 | 2037年度 | ||||
1978年度 | 858人 | 23 | 1998年度 | 2018年度 | 417人 | 12 | 2038年度 | ||||
1979年度 | 889人 | 21 | 1999年度 | 2019年度 | 394人 | 12 | 2039年度 |
備考
狛江市の災害時集合場所・避難所に指定されている。多摩川水害の原因となった昭和49年台風16号通過時、令和元年東日本台風通過時などに避難場所として開設された[9]。特に令和元年度東日本台風通過時は避難民が1,000人以上殺到し、狛江市がこれ以上受け入れることができないと新規の避難民の受け入れを停止するという事態になった[29]。なお、万が一多摩川の堤防が決壊した場合、狛江市はこの学校の2階部分まで浸水するというハザードマップを公表している。
交通アクセス
脚注
注釈
- ^ 2022年度現在。内容は年によって微妙に変わっている。
- ^ 狛江市立学校第三者評価委員会委員は、帝京大学大学院教授の坂本和良を委員長とし、委員に一般財団法人教育調査研究所研究部長の大橋明、学校法人清和学園子鹿幼稚園園長の豊島秀臣、横浜DeNAベイスターズ元監督の中畑清の計5人で構成される委員会[5]。
- ^ 上述の3つの大規模団地は全て狛江北部に位置している。
- ^ なお、狛江町立狛江第二中学校の開校とともに狛江町立狛江中学校から狛江町立狛江第一中学校に名称を変更した。
- ^ 1年生216人・2年生139人・3年生23人。
- ^ 岩戸北四丁目という地名は1975年1月1日の住居表示で制定された町丁であるから学区変更時にこの地名は無かったことに注意。
- ^ 鉄筋コンクリート構造 (Reinforced Concrete Construction)の略。
- ^ 安藤勝男と松井源吾は狛江市立狛江第四小学校校舎の設計にも携わっている[43]。
- ^ 創部当時は合唱部だったが、2016年度までに名称が変更され合唱箏曲部になった[45]。
- ^ 2010年度創部[46]。
- ^ 東京都大会において一勝以上したものについて列挙する。
- ^ 9ブロック大会において3位以上の成績だったものを列挙する。この大会は東京都大会の予選でもある。
- ^ なお、当時このチームはダブルダッチ部に所属しておらず、狛江市内のダブルダッチチームに所属していた。
- ^ 東京都狛江市にあるエコルマホールにて2018年より開催されている夏のダブルダッチの大会。
- ^ 本校部員4人に小学生3人が加わった合同チーム。
- ^ アメリカ合衆国ニューヨーク州のアポロシアターにおいて一般の部日本代表として出場。参加したチームは渡米した。
- ^ 2010年度までに廃部[46]。
- ^ MRCはMaruta Recreation Clubの略で、当時この学校の教員を務めた丸田氏が創部した文化部。将来自然の研究をしたいと思った時に使う体力を養うことを目的に活動していた。文化部ではあるが、長期休暇中にはハイキングなどを行い、運動部に合わない生徒の受け皿としての側面をもっていた[66]。2017年度までに丸田の異動に伴い廃部[49]。その後同じ内容の部活が世田谷区内の学校、狛江第一中学校でも創部された[66]。
- ^ 2010年度創部[46]。
- ^ 受賞理由は地域の緑化や美化、また生徒に対し環境に対する学習を提供したため。具体的には市主催の多摩川清掃・クリーン大作戦への参加や卒業証書ホルダーへのバナナペーパーの採用など[77]。
出典
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