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2022年10月7日 (金) 03:55時点における版
群馬県立渋川高等学校 | |
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北緯36度30分3.8秒 東経138度59分53.9秒 / 北緯36.501056度 東経138.998306度座標: 北緯36度30分3.8秒 東経138度59分53.9秒 / 北緯36.501056度 東経138.998306度 | |
過去の名称 | 群馬県立渋川中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 群馬県 |
校訓 | 質実剛健 堅忍持久 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D110210000068 |
高校コード | 10131B |
所在地 | 〒377-0008 |
群馬県渋川市渋川678-3 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
群馬県立渋川高等学校(ぐんまけんりつ しぶかわこうとうがっこう)は、群馬県渋川市に所在する県立高等学校。渋高(しぶたか)の通称で呼ばれている。
概要
1920年に群馬県立渋川中学校として開校した。男子校でもあり、制服は金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準型学生服)。
2020年には創立100周年を迎える地域の伝統校であり、「北毛の雄」と呼ばれている。
年表
- 1920年 - 群馬県立渋川中学校を開校。
- 1948年 - 学制改革により新制高等学校に移行し、群馬県立渋川高等学校となる。校章制定(制作:長野萬)。定時制開校。
- 1952年 - 校歌制定「自由の子(作詞:佐藤春夫 作曲:信時潔)」。
- 1957年 - 新校旗制定。
- 1983年 - 講堂兼体育館および音楽教室棟竣工。
- 1988年 - 正門移設。
- 1998年 - 定時制課程閉校。
- 2001年 - 校舎全面改築(~2004年)
- 2020年 - 創立100周年。
行事
・榛嶺祭 隔年の6月に行われる文化祭。
・定期戦 群馬県立沼田高等学校とスポーツやオセロ・将棋などで対戦し、交流を深める行事が行われている。
前哨戦として実行委員戦・職員戦がある。会場は沼田高校・渋川高校の二ヶ所で、同時にそれぞれの場所で競技が行われる。
1974年に開始され当初は毎年実施されていたが、1997年からは榛嶺祭と交互の隔年実施となっている。
著名な出身者
- 政治
- 山本一太(群馬県知事、元参議院議員・元内閣府特命担当大臣)
- 福田宏一(元参議院議員)
- 入沢肇(元参議院議員、元林野庁長官)
- 永井英慈(都市アナリスト、元衆議院議員)
- 大林喬任(元群馬県議会議長)
- 入内島道隆(群馬県議会議員、元中之条町長)
- 熊川栄(嬬恋村長)
- 萩原睦男(長野原町長)
- 行政
- 経済
- 学術
- 上岡国夫(元高崎経済大学教授)
- 馬場宏二(東京大学名誉教授)
- 永井恒司(元星薬科大学学長)
- 角田太作(東京大学大学院人文社会系研究科教授、言語学)
- 小淵洋一(城西大学経済学部教授)
- 斎藤恒行(北海道大学名誉教授、k値開発者)
- 北村邦夫(医師、日本家族計画協会クリニック所長)
- 飯塚哲太郎(理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター長)
- 町田泰則(名古屋大学大学院理学科教授/分子生物学)
- 針塚進(九州大学教授 人間環境学研究院 人間科学部門 臨床心理学)
- 山本雅之(東北大学大学院医学系研究科長・副学長/分子発生生物学)
- 永井政之(仏教学者、駒澤大学教授)
- 芸能・メディア
- 渋川清彦(モデル、俳優)
- 加茂フミヨシ(ギタリスト)
- 矢島賢(ギタリスト)
- 古澤徹(声優)
- 安達元一(放送作家)
- 曽根中生(映画監督、脚本家)
- 吉沢孝明(アナウンサー。フジテレビ→フリー)
- 廣嶋健太郎(OPTION 6代目、9代目編集長)
- 反町哲之(ベーシスト、REACTION)[要出典]
- その他
- 一倉宏(コピーライター)
- 田村吉康 - (画家、漫画家、イラストレーター)
- 佐藤次郎(往時の世界的テニスプレーヤー / 当時の世界ランキング3位)
- 小渕岩太郎(陸軍中野学校出身。光山社役員)
- 岸宏一(新左翼活動家)