「福岡県立筑紫丘高等学校」の版間の差分
m編集の要約なし タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{混同|[[福岡県立筑紫高等学校]]([[筑紫野市]])|[[福岡県立筑紫中央高等学校]]([[大野城市]])|[[筑紫台高等学校]]([[太宰府市]])|[[筑紫女学園中学校・高等学校]]([[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]])}} |
{{混同|[[福岡県立筑紫高等学校]]([[筑紫野市]])|[[福岡県立筑紫中央高等学校]]([[大野城市]])|[[筑紫台高等学校]]([[太宰府市]])|[[筑紫女学園中学校・高等学校]]([[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]])}} |
||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
| 校名 = 福岡県立筑紫丘高等学校 |
| 校名 = 福岡県立筑紫丘高等学校 |
||
| 画像 = [[File:Chikushigaoka High School Main gate.jpeg|270px|正門。正面左寄りの建物が本館。]]<br />正門。正面左寄りの建物が本館。 |
| 画像 = [[File:Chikushigaoka High School Main gate.jpeg|270px|正門。正面左寄りの建物が本館。]]<br />正門。正面左寄りの建物が本館。 |
2022年10月6日 (木) 21:34時点における版
福岡県立筑紫丘高等学校 | |
---|---|
正門。正面左寄りの建物が本館。 | |
北緯33度33分36.8秒 東経130度25分9.9秒 / 北緯33.560222度 東経130.419417度座標: 北緯33度33分36.8秒 東経130度25分9.9秒 / 北緯33.560222度 東経130.419417度 | |
過去の名称 |
福岡県筑紫中学校(旧制) 福岡県立筑紫高等学校(旧) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
学区 | 福岡県第5学区(旧第6学区) |
併合学校 | 福岡県三宅中学校(旧制) |
校訓 | 剛健・叡智・創造 |
設立年月日 | 1926年6月28日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 (1〜10組) 理数科 (11組) |
学校コード | D140213000075 |
高校コード | 40139A |
所在地 | 〒815-0041 |
福岡県福岡市南区野間二丁目13番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福岡県立筑紫丘高等学校(ふくおかけんりつ ちくしがおかこうとうがっこう)は、福岡県福岡市南区野間二丁目にある県立高等学校。
福岡県第5学区に属する[1](以下、「筑紫丘高校」と記す)。ふくおかスーパーハイスクール(FSH)指定校。
概要
全日制課程に普通科、及び理数科を設置している。 「筑紫ヶ丘」と誤記されることがあるが、正式な校名には「ヶ」の字は入らない。略称は「がおか」(が丘・ガオカ)もしくは「筑高」(ちっこう)。
なお、1972年(昭和47年)に発刊された、筑紫中学・筑紫丘高校史「筑紫丘陵」には、同校の校名について以下のようなくだりがある。
- 『新校歌作詞の為来校された高木市之助先生が校名は「ちくしがおか」か「つくしがおか」と質問され、それに対して同校関係者は、「つくしがおか」であると答え、現在のような格調高い校歌ができた。』(要旨)
卒業生累計は32,000人余り。クラス数は一学年11クラスの時期が長く続いたものの、一時期は10クラス(普通科9クラス+理数科1クラス)となり、平成22年度より再び11クラス(普通科10+理数科1)となっている。
校則・校風
「生徒の自主性を重んじる」である。「男女の交際は常に公明正大であるように心がけること。(生徒心得10の(4))」があったが、平成21年度以降この項目が削除された。
沿革
経緯
1926年6月28日、前身である旧制福岡県筑紫中学校の設置が許可された。
太平洋戦争中は「学徒勤労動員令」により、生徒達は席田(むしろだ)飛行場(現福岡空港)建設や軍需工場(九州兵器工場など)に動員された。
戦後、1948年4月1日の学制改革により、福岡県筑紫中学校および1943年より併設していた福岡県三宅中学校(夜間)を合併、福岡県立筑紫高等学校と改称した。しかし同じ旧筑紫郡に福岡県筑紫高等女学校(現福岡県立筑紫中央高等学校)があり、「筑紫」の名称が競合することとなった。
また同年7月、塩原の校舎を福岡学芸大学(福岡分校、九州芸術工科大学を経て現在は九州大学芸術工学部)に転用する旨の県知事通告を受けた。設置されてまだ月日が短いために選ばれたのだが、「俺たちの学校をなぜ奪う」と怒る在学生から卒業生や教師、PTAなど、学校一丸となった反対運動が起こった。在学生の中には血書をマッカーサー司令部に持ち込んだ者、連日県知事室にメガホンで訴えた者もいた。さらに東京・文部省(現文部科学省)をも巻き込んだ大規模な反対運動に発展したものの、現校地(野間)への移転が1949年3月の県議会で決定された。そして同年8月31日に福岡県教育委員会告示第23号により、現校名「福岡県立筑紫丘高等学校」に改称された。
このことに関しては、非常に多くの文献・資料などが当時の校誌として残されている。現校地と現在の九州大学大橋キャンパスの間を、非常に重い机を1人1個持って移動した、という事実が伝えられている。現在もこの机は、社会科講義室で使用されている。意気消沈した学校に光を与えたのが、1951年に考案された筑高体操であった。
1967年、創立40周年記念事業の一つとして「学校教育の発展向上を目的とした筑紫丘高校教育の援助等」を目的として財団法人福岡県立筑紫丘高等学校筑高協会が設立された。そして同窓会や父母教師会などの協力の下、1971年筑高会館が完成した(鉄筋コンクリート3階建)。翌年学校法人筑紫丘学園の設立が認可され、4月に筑紫丘学園が開校した。筑高会館で大学受験浪人生を対象とする予備教育施設として活動を続けたが、大学入試センター試験の開始や大手予備校の進出を受け、1989年に休校。1995年、筑紫丘学園は解散した。その後も会館は同窓会事務局や補習授業室として使用されたが、創立80周年記念を迎えるにあたり解体され、新図書館が建設された。それに伴って旧図書館が解体され旧図書館跡地は空き地となった。しかしながら、旧図書館跡地に新校舎が建築されたことにより、この空き地も2020年に消滅した。
年表
- 1926年6月28日 - 福岡県筑紫中学校設置許可
- 1927年2月1日 - 初代校長生田徳太郎着任
- 1927年4月7日 - 福岡県旧制福岡中学校で初めての入学式を挙行(新入生250名)
- 1927年4月9日 - 福岡市南区大字塩原(当時の筑紫郡三宅村大字塩原)の新校舎にて授業開始
- 1931年2月11日 - 旧校歌制定(作詞生田徳太郎、作曲片山頴太郎)
- 1932年3月2日 - 福岡県旧制福岡中学校で第1回卒業証書授与式を挙行
- 1933年9月5日 - プール竣工式挙行
- 1936年3月31日 - 第2代校長井口末吉着任
- 1936年11月3日 - 校旗制定
- 1937年10月16日 - 創立10周年記念式を挙行し、記念館が落成
- 1940年1月27日 - 学校林業始
- 1941年3月31日 - 第3代校長松崎覚淳着任
- 1941年7月4日 - 窓を割った生徒が車掌に殴られたため、九州鉄道(現西鉄)福岡駅駅長室で生徒60人が乱闘騒ぎ
- 1943年4月9日 - 第4代校長今村邦夫着任
- 1944年10月31日 - 第5代校長村上俊象着任
- 1947年5月20日 - 第6代校長田中初太郎着任
- 1947年11月1日 - 創立20周年記念式を挙行
- 1948年1月25日 - 新校章制定
- 1948年4月1日 - 学制改革により福岡県立筑紫高等学校と改称、福岡県三宅中学校を併合して夜間過程設置
- 1949年3月2日 - 高校第1回卒業式を挙行
- 1949年3月7日 - 福岡県議会において、校舎校地を福岡学芸大学(福岡分校、現在は九州芸術工科大学を経て九州大学芸術工学部)に転用の件議決
- 1949年8月31日 - 福岡県立筑紫丘高等学校と改称
- 1951年 筑高体操考案
- 1952年4月15日 - 福岡教育大学の前身、学芸大学に校地転用のため南区塩原より現校地に移転
- 1955年12月19日 - 現校歌制定
- 1964年12月5日 - 未明の火災により本館焼失
- 1965年11月26日 - 本館、図書館落成
- 1967年9月5日 - 財団法人福岡県立筑紫丘高等学校筑高協会設立
- 1979年5月13日 - 文化祭の化学部展示で爆発事故が発生し、生徒2人失明
- 1980年8月1日 - 体育館竣工
- 1985年5月18日 - 文化祭の熱気球実験で、気球が福岡空港の方に流され、注意を受けた
- 1986年3月15日 - 食堂竣工
- 1987年1月30日 - 筑心堂(合宿所)竣工
- 1991年4月1日 - 理数科新設
- 1992年10月2日 - ミンダナオ島、チボリ族の大学寄宿舎が完成し引き渡し式(高14回生のカンパによる)
- 1993年7月22日 - 練習中の吹奏楽部、女子部員の制服のみが19着盗難
- 1994年4月23日 - 筑紫丘講堂、武道場、プール落成式
- 1997年5月30日 - 筑紫丘トンネル竣工
- 1997年8月8日 - 新校門・西門・中央門落成(筑紫中学校の門を再現)
- 1997年9月30日 - 創立70周年記念として、野村万作・萬斎親子を招き狂言の上演
- 2000年2月27日 - 定時制閉課程式挙行
- 2005年3月20日 - 福岡県西方沖地震により校舎・水道管に大きなヒビ、補修工事始まる(学校の真下を警固断層と呼ばれる断層が走っている。)
- 2007年9月29日 - 「創立80周年記念式典」「創立80周年記念文化祭」「創立80周年記念大運動会」が開催される。また、創立80周年記念事業の一環として、9月23日に、森田一義を招いて講演会を開催。「創立80周年記念誌」発行
- 2011年11月2日 - 「筑紫丘高等学校記念館」開館
- 2017年9月23日 - 「創立90周年記念式典」「創立90周年記念文化祭」「創立90周年記念大運動会」「創立90周年記念海外研修旅行」開催
- 2018年1月1日 - 「創立90周年記念誌」発行
- 2020年10月 - 校舎の建て替え工事開始
- 2022年2月16日 - 本館棟竣工
教育方針
「剛健 叡智 創造」を校訓に、「21世紀の日本をリードし、世界に貢献する剛健かつ叡智と創造力に富んだ人材を育成する。」を本校教育の使命として掲げている。
旧制筑紫中学校の校訓は「誠實(誠実) 剛健 勤勉 質素」である。また、初代校長生田徳太郎の教育方針は「筑紫男子(つくしをのこ)」。
校歌
- また、1931年2月11日に制定され、戦後歌われなくなった旧校歌もあるが、今日では生徒手帳に掲載されているほか、同窓会総会や周年式典で歌われるのみである。作詞は生田徳太郎(初代校長)、作曲は片山頴太郎による。1番の歌詞の碑が校内の売店付近に建てられていたが、現在は講堂前の緑地帯に移されている。
校章
- 筑紫の名の起こりと伝えられる筑紫神社(祭神白日別命、筑紫野市原田)の神紋、角立四目結(かどたてよつめゆい)を図案化し、太宰府天満宮に鎮座する学問の神、菅原道真ゆかりの梅花を組み入れ、高の字を配したもの。旧制筑紫中学校初代校長生田徳太郎の教育方針であった「筑紫男子(つくしをのこ)」を偲ばせるものである[要出典]。
- 1948年1月25日制定。同年4月新制高校発足とともに旧校章に代わって使用することになったもの。デザインは高校第2回卒業生、船越進の作である。
筑高体操
- 剛健な「筑紫男子(つくしをのこ)」を象徴する体操[要出典]で、1951年(昭和26年)[2]に梶山彦三郎(同校の元体育教諭、福岡大学名誉教授)が考案した。[3]海軍で行われていた体操を基にしたものという。[3]翌1952年の運動会で初めて披露されて以来、今日に至るまで大運動会において行われている。[2]
- 筑高体操は男子生徒のみが行い、その際上半身は裸となる。[3]「体操」というのは名前だけで、ラジオ体操などとは全く異質のものである。[2]各見せ場では拍手が止むまでポーズを維持しなければならない[要出典]。最後の見せ場の「槍投げ」と呼ばれる動きが筑高体操像となっており、運動場わきに設置されている。[3]
筑高体操
各運動の名称は指導の際用いられるもの。 〈〉内は創作者の一人、内田正男による運動内容の補足である。
「ちっこうたいそう、よ〜い始め!!」
- (前後屈の様なもの、正式名称不明)〈全身総合運動〉
- 平泳ぎ〈上肢と胸〉
- 種まき〈胴体の運動〉
- 大掃除〈胴体と首〉
- (腕立て伏せの様なもの、正式名称不明)〈全身総合補強〉
- 飛行機〈同〉
- (跳びはねる運動、正式名称不明)〈下肢〉
- 槍投げ〈胴体と下肢〉
- (屈伸の様なもの、正式名称不明)〈上下肢〉
- 深呼吸〈呼吸〉
筑高体操像は同校の元教諭で彫刻家の高倉準一の作である。[3]しかし槍投げの角度は実際には斜め約45度であり、像のように垂直ではない(理由は不明)。
アクセス
通学手段
校舎
- 「筑紫丘」の名の通り丘の上に位置し、真下には筑紫丘トンネルが通る。校舎は鉄筋コンクリート5階建てで、本館・第1棟(文系棟)・第2棟(理科棟)・第3棟(理系棟)に分かれている。また講堂のほか、武道場・2階建ての体育館・別棟の図書館・食堂がある。
- 講堂は1440人収容・冷暖房完備。アリーナは体育館の1階、プールは武道場の屋上、食堂の下には駐輪場がある。テニスコート、ハンドボールコートは西門から50mほど東側の校外にある。
- 本館の前にあるフェニックスの木は、旧制筑紫中学校にあった2本の内の1本であったが平成13年に枯れたため、現在のものは2代目である[4]。
- 2005年の福岡県西方沖地震では校舎内にひびが入るなどの被害があった。
- 校内には「忍」「恕」などの文字が刻まれた石が置いてある。
- 令和2年度から建替えの工事が始まった。
部活動
生徒の部活動加入率は、毎年約7割[要出典]。
主な部活動としては、野球部、サッカー部、ラグビー部、剣道部、柔道部、バスケットボール部、陸上部、吹奏楽部、水泳部、テニス部(硬式・軟式)、ハンドボール部、演劇部、茶道部、百人一首部などが挙げられる。
- 陸上部(21年度全国大会出場)、山岳部(20,21年度全国大会出場)、水泳部(20年度全国大会出場)、囲碁将棋(R1年度全国総文祭団体戦5位)、百人一首部(R1年度全国大会団体戦4位)。
著名な関係者
- 阿比留瑠比 - 産経新聞社政治部編集委員
- 池田成志 - 俳優
- 植芝理一 - 漫画家、代表作は『ディスコミュニケーション』
- うえやまとち - 漫画家、代表作は『クッキングパパ』
- 栗原隆司 - 鉄道写真家
- 山城泰介 - ラグビーユニオン選手
- 鹿尾みなみ - 女子ラグビーユニオン選手
- 坂梨哲士 - アナウンサー
- 篠田重晃 - 予備校講師、中退
- 高橋望 - 映画プロデューサー、元スタジオジブリ事業本部長代理
- 武末悉昌-元プロ野球選手
- タモリ - コメディアン、司会者
- 吉田峰明 - 作曲家
- 外山恒一 - 文筆家、ストリートミュージシャン、編入学、中退
- 五條堀孝 - 国立遺伝学研究所教授
- 野田春美 - 神戸学院大学教授
- 藤原弘治 - みずほ銀行頭取
- 松村由利子 - 歌人
- 田中濯 - 歌人
- 山内康一 - 衆議院議員
- 堤かなめ - 衆議院議員
- 井本宗司 - 大野城市長
- 四位知加子 - テレビ西日本アナウンサー
- 野田和佳子 - 女優
- 迫慶一郎 - 建築家
- 法坂一広 - 作家、弁護士
- 岡崎琢磨 - 作家
- 河野万里奈 - 歌手[5]
- 隈本吉成 - 俳優、声優
- 西村香織 - 元九州朝日放送アナウンサー、ジャズボーカリスト
- 坪内純子 - 元アナウンサー
- 永嶋恵美 - 作家
- 吉浦康裕 - アニメーション作家・映画監督
- 山﨑圭一 - 福岡県の公立高校教師、YouTuber
- 牟田和恵[6] - 社会学者
- 松枝大治 - 地質学者、元北海道大学名誉教授
脚注
- ^ “福岡県立高等学校の通学区域に関する規則等(令和2年10月13日改正)”. 福岡県. 2021年2月23日閲覧。
- ^ a b c “自慢させろ! わが高校 福岡県立筑紫丘高校(上)「ライバル校にないものつくれ」”. 産経新聞. (2018年12月9日)
- ^ a b c d e “福岡県/無敵の調査隊=「⾼校オリジナル体操」のなぞ 変なポーズも誇らしく 現役渋々、OB堂々 なんとブロンズ像も/天神バナナ”. ⻄⽇本新聞. (2000年8月29日)
- ^ このことはほとんど知られていない
- ^ “福岡県立筑紫丘高等学校公式同窓会ページ/同窓会開催情報”. chikushigaoka-dousoukai.com. 2022年9月23日閲覧。
- ^ 丘女会主催「牟田和恵さん講演会」のご案内
関連項目
外部リンク
- 同窓会
- 部活動関係