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{{Infobox deity |
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[[File:Chaos Monster and Sun God.png|thumb|怪鳥[[ズー|アンズー]](左)とニヌルタ<ref>{{Cite web |author= |date= |url=http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=367087&partId=1 |title=wall panel; relief; Ashurnasirpal II; Neo-Assyrian; 865BC-860BC; Temple of Ninurta |work= |publisher=[[大英博物館]] |accessdate=2017-01-20}}</ref>。]] |
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|type=Mesopotamian |
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'''ニヌルタ'''または'''ニンウルタ'''(Ninurta)は、[[バビロニア]]や[[アッシリア]]で崇拝された、[[メソポタミア神話]]の、豊穣(農業・狩猟)と戦闘の[[神]]。意味は「大地の主」。「[[エンリル]]」と「[[ニンリル]]」(あるいは変形神話では「ニンリル」の代わりに「[[ニンフルサグ]]」)の息子。古くは、「'''ニニブ'''(Ninib)/'''ニニプ'''(Ninip)」と呼ばれ、時には、創造神・太陽神・秩序の神として描かれていた。 |
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|name=ニヌルタ<br>𒀭𒊩𒌆𒅁 |
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|image= Cropped Image of Carving Showing the Mesopotamian God Ninurta.png |
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|caption= [[カルフ]]のニヌルタ神殿で発見された[[アッシリア]]の石製レリーフ。[[エンリル]]神から{{仮リンク|天命の書板|en|Tablet of Destinies (mythic item)}}を盗み出した[[ズー|アンズー]]を雷を持って追うニヌルタ神。[[オースティン・ヘンリー・レヤード]]『''Monuments of Nineveh'', 2nd Series』(1853年) |
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|parents=通常はエンリル神と[[ニンフルサグ]]女神。エンリル神と[[ニンリル]]女神である場合もある |
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|deity_of=農業、狩猟、戦争の神 |
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|abode=[[ニップル]]のエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿<br/>後のアッシリア時代には[[カルフ]] |
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|symbol=鋤と止まり木に止まった鳥(perched bird) |
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|consort=ニヌルタとして:{{仮リンク|グラ (女神)|label=グラ|en|Gula (goddess)}}<ref name="オリエント事典ニヌルタ">[[#オリエント事典 2004|オリエント事典]], pp.383-384. 「ニヌルタ」の項目より。</ref> |
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<br>ニンギルスとして:{{仮リンク|バウ (女神)|label=バウ|en|Bau (goddess)}}<ref name="オリエント事典ニヌルタ"/> |
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|children= |
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|planet=[[土星]] |
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|mount= 時にライオンの体とサソリの尾を持った獣に乗っている |
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|Greek_equivalent=[[Cronus]]{{要曖昧さ回避|date=2022年7月}}<ref name="dayinthelifeof">{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=isvD-OsZzgkC&q=kronos|title = A Day in the Life of God (Paperback bw 5th Ed)|isbn = 9780615241944}}</ref> |
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|Roman_equivalent=[[サートゥルヌス|土星]]<ref name="dayinthelifeof"/> |
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'''ニヌルタ'''(𒀭𒊩𒌆𒅁: {{transl|Xsux|<sup>[[ディンギル|D]]</sup>{{仮リンク|NIN (楔形文字)|label=NIN|en|NIN (cuneiform)}}.{{仮リンク|Ib (楔形文字)|label=URTA|en|Ib (cuneiform)}}}}、「オオムギ[の]主」{{sfn|Black|Green|1992|page=142}})または'''ニンギルス'''(''Ninĝirsu''、𒀭𒊩𒌆𒄈𒋢:{{transl|Xsux|<sup>[[ディンギル|D]]</sup>{{仮リンク|NIN (楔形文字)|label=NIN|en|NIN (cuneiform)}}.{{仮リンク|ギルス|label=ĜIR<sub>2</sub>.SU|en|Girsu}}}}、「{{仮リンク|ギルス|en|Girsu}}[の]主」{{sfn|Black|Green|1992|page=138}}{{sfn|Mark|2017}})は農耕、治癒、狩猟、法、筆記、戦争に関連する{{仮リンク|メソポタミアの神の一覧|label=古代メソポタミアの神|en|List of Mesopotamian deities}}。[[シュメール|シュメル]]時代から信仰を得ていた。最初期の記録ではニヌルタは農業と治癒の神であり、人々の病を治し[[悪魔]]の力から解放する神であった。後の時代にはメソポタミアの軍事化に伴い農耕神としての初期の属性の多くを保持しつつも戦士の神となっていった。彼は神々の長[[エンリル]]神の息子であると考えられており、シュメルにおける{{仮リンク|宗教行為|en|Cult (religious practice)}}の中心は[[ニップル]]市のエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿であった<ref name="オリエント事典ニヌルタ"/>。[[ラガシュ]]の[[グデア]]王(在位:前2144年-前2124)はニンギルスを称え、ラガシュにニンギルス神殿を再建した。 |
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後にニヌルタは[[アッシリア]]人から素晴らしい戦士として人気を博するようになった。アッシリア王[[アッシュル・ナツィルパル2世]](在位:前883年-前859年)はニヌルタ神のために[[カルフ]]に巨大な神殿を建設した。その後この神殿はニヌルタの最も重要な信仰の拠点となった。 |
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「ニヌルタ」は[[ラガシュ]]の都市神「'''ニンギルス'''」(Ningirsu)と同じ神とされている。ニヌルタ(ニンギルス)のシンボル(聖獣)は「[[双頭の鷲]]」。象徴する惑星は[[土星]]。 |
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叙事詩『{{仮リンク|ルガル・エ|en|Lugal-e}}』では、ニヌルタは喋る棍棒{{仮リンク|シャルル (神話の武器)|label=シャルル|en|Sharur (mythological weapon)}}を用いて悪魔[[アサグ]]を殺し、石を使って[[ティグリス川]]と[[ユーフラテス川]]を灌漑できるようにした。シュメルの『農事歳時記』とも呼ばれる詩では、ニヌルタは農民たちに農業にまつわる助言を与えている。あるアッカド神話ではニヌルタは父であるエンリル神から{{仮リンク|天命の書板|en|Tablet of Destinies (mythic item)}}を盗み出した[[ズー|アンズー]]鳥に立ち向かう神々の英雄(champion of the gods{{訳語疑問点|date=2022年4月}})であり、そしてある神話では「殺された勇士たち(Slain Heroes)」と呼ばれる戦士たちの一団を殺害した神である。この神話は完全な形では現存しないが多くの作品で触れられている。ニヌルタ神の主たるシンボルは止まり木に止まった鳥(perched bird)と鋤である。 |
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ニヌルタの配偶者はニップルの「[[ウガルル]]」(Ugallu)、ニンギルスの配偶者は「[[ニンティヌガ|バウ]]」(Bau)。 |
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ニヌルタは「勇敢な狩人」[[ニムロド]]の人物像に影響を与えているかもしれない。彼は『[[旧約聖書]]』「[[創世記]]」においてカルフと関連付けられて言及されている。逆に、より伝統的には、神話上のニヌルタが聖書のニムロドとされるような歴史上の人格から影響を受けているともされる{{sfn|Petrovich|2013|page=273}}。彼はまた『旧約聖書』「[[列王記]]下」で[[ニスロク]]という名で言及されているかもしれない{{efn|{{lang-arc|ܢܝܼܫܪܵܟ݂}}、{{lang-el|Νεσεραχ}}、{{lang-la|Nesroch}}、{{lang-he|נִסְרֹךְ}}}}。19世紀、カルフのニヌルタ神殿から発見された有翼鷲頭の人物像が「ニスロク」であるという誤った理解が一般に普及し、当時の[[ファンタジー文学]]の中にこの設定が見られる。 |
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「ニヌルタ」の名は、聖書の登場人物「[[ニムロド]]」(Nimrod)の名の基になったと考えられている。 |
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== 信仰 == |
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元来は[[シュメール]]地方を中心としてまつられた[[大地]]の神で[[農業]]や[[狩猟]]などの豊穣をつかさどった。後に狩猟から[[戦闘]]の神の要素が派生し、後者の神として崇められるようになった。当時([[紀元前3千年紀]])のメソポタミアは[[都市国家]]間の争いが激しかった上に、多数の[[捕虜]]をしばしば殺害していたために犠牲者が多く、ニヌルタの性格も時代が下るにつれてより戦闘の神としての性格が強くなり、「戦士の王」の祖形となった。 |
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[[File:Gudea dedication tablet to Ningirsu.jpg|thumb|[[グデア]]がニンギルス神に捧げた粘土板。「[[エンリル]]神の強き戦士、彼の主、ニンギルスへ、[[ラガシュ]]の{{仮リンク|エンシ|en|Ensi (Sumerian)}}グデア。」]] |
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[[File:GudeaZylinder.jpg|thumb|{{仮リンク|グデアの円筒|en|Gurea cylinders}}。前2125年頃。夢のお告げに従ったラガシュの[[グデア]]王がどのようにしてラガシュのニンギルス神殿を再建したのかを述べている。]] |
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ニヌルタは前3千年紀半ば頃には既に[[シュメール|シュメル]]人によって崇拝されており{{sfn|Robson|2015}}、メソポタミアにおいて最も古くから存在が確認されている神の一柱である{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。信仰の中心はシュメルの都市国家[[ニップル]]のエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿で{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}{{sfn|Penglase|1994|page=42}}、農耕の神として、また都市神[[エンリル]]の息子として信仰された{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}{{sfn|Penglase|1994|page=42}}。元来は別々の神であったかもしれないが、歴史時代に入った後には既にシュメルの都市国家{{仮リンク|ギルス|en|Girsu}}で信仰されたニンギルス神は現地におけるニヌルタの形とされていた{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。アッシリア学者[[ジェレミー・ブラック (アッシリア学者)|ジェレミー・ブラック]]とアンソニー・グリーン(Anthony Green)によれば、ニヌルタとニンギルスの性格は「密接に絡み合っていた」{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。都市国家ギルスの重要性が低下するにつれ、ニンギルスは「ニヌルタ」として認識される度合いを増し{{sfn|Black|Green|1992|page=138}}、主としてその好戦性と戦争にまつわる性質によって特徴づけられるようになっていった。 |
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ニヌルタは[[銅]]の神・[[青銅器]]の神でもある。ニヌルタは、煮えたぎり姿を変える活きた山「クル」と戦い、「クル」が投げつけてくる緑色の石([[酸化銅]]・[[緑青]])を粉々に砕いて、精錬して、赤い物(純銅)に変えて、石の魔力を封じたことで、「クル」は無力な赤い姿となり、それ以降、山は楽園となった。 |
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後の時代にはニヌルタは荒々しい戦士という評価によってアッシリア人から大きな人気を集めた{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。前2千年紀末には[[トゥクルティ・ニヌルタ1世|トゥクルティ・ニヌルタ]](ニヌルタに信頼される者)、[[ニヌルタ・アピル・エクル]](ニヌルタは[エンリルの神殿」エ・クルの後継者なり)、[[ニヌルタ・トゥクルティ・アッシュル]](ニヌルタはアッシュル神の信頼する者なり)のように{{sfn|Robson|2015}}、アッシリア王たちは頻繁にニヌルタを王名の一部とした{{sfn|Robson|2015}}。[[トゥクルティ・ニヌルタ1世]](在位:前1243年-前1207年)はある碑文で、彼が「余を寵愛されるニヌルタ神の命令の下で」狩猟を行ったと宣言している{{sfn|Robson|2015}}。同様に[[アダド・ニラリ2世]](在位:前911年-前891年)はニヌルタとアッシュルが彼の統治を後援していると主張し{{sfn|Robson|2015}}、彼の統治権の道徳的正当性故にニヌルタとアッシュルの敵を打倒したと宣言している{{sfn|Robson|2015}}。前9世紀、[[アッシュル・ナツィルパル2世]](在位:前883年-前859年)はアッシリア帝国の首都を[[カルフ]]へと遷した{{sfn|Robson|2015}}。そこで彼が最初に建てた神殿はニヌルタに捧げられたものであった{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Lewis|2016}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|Penglase|1994|page=43}} 。 |
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ニンギルスは「エンリルの洪水」とも称され(「[[大洪水]]」参照)、戦闘の神として「洪水のように諸都市を破壊しつくす」と表現されたり、[[グデア]]王の夢には「彼の下半身は洪水」という表現もある。ニンギルスの武器を「洪水」と呼ぶ場合もある。 |
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[[File:The Palaces at Nimrud Restored.jpeg|thumb|left|upright=1.3|アッシリア帝国におけるニヌルタ信仰の中心であった[[カルフ]]市の1853年の復元図。イギリス人考古学者[[オースティン・ヘンリー・レヤード]]による1840年代の発掘成果に基づいて元々の景観を復元したもの。]] |
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ニヌルタは、単頭のライオン頭の鷲である、怪鳥[[ズー|アンズー]]を退治する神話が有名である。 |
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カルフのニヌルタ神殿の壁はアンズー鳥を屠るニヌルタなどの浮彫彫刻で装飾されていた。アッシュル・ナツィルパル2世の息子、[[シャルマネセル3世]](在位:前859年-前824年)はカルフでニヌルタの[[ジッグラト]]を完成させ、自身の石製浮彫をニヌルタ神に捧げた{{sfn|Robson|2015}}。この浮彫でシャルマネセル3世は自身の軍事的偉業を誇り{{sfn|Robson|2015}}、彼の勝利の全てはニヌルタ神に帰すものであり、その助けなくして何事も成し得なかったと宣言している{{sfn|Robson|2015}}。[[アダド・ニラリ3世]](在位:前811年-前783年)の時、[[アッシュル]]市のアッシュル神殿に新たな寄進物が納められ、それらはアッシュル神とニヌルタ神の印章で封印された{{sfn|Robson|2015}}。 |
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アッシリアの首都がカルフから他へ遷された後、パンテオンにおけるニヌルタの重要性は低下し始めた{{sfn|Robson|2015}}。[[サルゴン2世]]はニヌルタ以上に書記の神[[ナブー]]神を好んだ{{sfn|Robson|2015}}。にもかかわらず、ニヌルタはなお重要な神の1柱ではあり続けた{{sfn|Robson|2015}}。アッシリアの王たちがカルフを去った後でも、旧都の住民たちはニヌルタを崇拝し続け{{sfn|Robson|2015}}、この神を「カルフに住まうニヌルタ」と呼んだ{{sfn|Robson|2015}}。カルフで発見された法的文書には、宣誓違反者は「2[[ミナ]]の銀と1ミナの金をカルフに住まうニヌルタの膝の上に置く」ことを要求されたと記されている{{sfn|Robson|2015}}。この条文の確実な最後の例はアッシリア王[[エサルハドン]](在位:前681年-前669年)の治世最後の年である前669年のものである{{sfn|Robson|2015}}。カルフのニヌルタ神殿はアッシリア帝国の終焉まで繁栄しており{{sfn|Robson|2015}}、困窮した人々を雇用していた{{sfn|Robson|2015}}。宗教的儀式を主催するのはシャング(''šangû'')と呼ばれる神官兼歌謡長(priest and a chief singer{{訳語疑問点|date=2022年4月}})であり、料理人、執事、荷運夫(porter)が彼を補佐した{{sfn|Robson|2015}}。前7世紀後半になるとニヌルタ神殿のスタッフは{{仮リンク|エ・ジダ|en|Ezida}}のナブー神殿のスタッフと共に法的文書には見えなくなる{{sfn|Robson|2015}}。この2つの神殿はケプ(''qēpu'')と呼ばれる官吏を共有していた{{sfn|Robson|2015}}。 |
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== 図像学 == |
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[[File:Shamash.jpg|thumb|upright=1.3|カルフの北西宮殿で発見されたアッシリアの{{仮リンク|有翼太陽円盤|en|winged sun}}内に男性像がおかれたエンブレム。幾人かの著者はこれはニヌルタであるかもしれないと推測しているが、大部分の学者は根拠のないものとして斥けている。]] |
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[[カッシート人|カッシート時代]](前1600年頃-前1155年頃)の{{仮リンク|クドゥル (バビロニア)|label=クドゥル|en|kudurru}}(境界石)には鋤にニンギルスのシンボルであるというキャプションが付けられている{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。この鋤は新アッシリアの美術作品にも見られ、恐らくはニヌルタのシンボルである{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。木に止まった鳥(A perched bird{{訳語疑問点|date=2022年4月}})も新アッシリア時代にニヌルタのシンボルとして使用された{{sfn|Black|Green|1992|pages=142–143}}。ある推測的仮説では前9世紀の有翼円盤は元来ニヌルタを象徴していたが{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}、後にアッシュルと太陽神[[シャマシュ]]を象徴するものとなったとされる{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。この説は初期の表現においてニヌルタが有翼円盤の上におり鳥の羽を持っているように見えるものがあることに立脚している{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。大部分の学者はこの説は根拠がないとして斥けている{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。前8世紀と前7世紀の天文学者たちはニヌルタ(または[[パビルサグ]])を[[いて座]]と同定していた{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。また、[[シリウス]]と同定される場合もあった{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。シリウスはアッカド語では「''šukūdu''(矢)」として知られていた{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。そして[[おおいぬ座]](シリウスはこの星座の中で最も目立つ星である)は''qaštu''(弓)として知られていた。これはニヌルタが携えていると考えられていた弓矢の名に由来する{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。バビロニア時代{{訳語疑問点|date=2022年4月}}にはニヌルタは[[土星]]と関連付けられた{{sfn|Kasak|Veede|2001|pages=25–26}}。 |
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== 家族 == |
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[[File:Fragment Bau Louvre AO4572.jpg|thumb|right|240px|{{仮リンク|ギルス|en|Girus}}で発見された石灰岩製の女神胸像。恐らくはニヌルタの配偶者{{仮リンク|バウ (女神)|label=バウ|en|Bau (goddess)}}であり、角帽を被っている。]] |
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ニヌルタはエンリル神の息子であると考えられていた{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。『{{仮リンク|ルガル・エ|en|Lugal-e}}』においては、ニヌルタの母は女神{{仮リンク|ニンマフ|en|Ninmah}}(その名は彼によって[[ニンフルサグ]]と改名された)とされているが{{sfn|Holland|2009|page=117}} 、『Angim dimma』においては彼の母親は女神[[ニンリル]]である{{sfn|Penglase|1994|page=100}}。「ニヌルタ(Ninurta)」という名前で言及される時、彼の妻は通常は女神{{仮リンク|グラ (女神)|label=グラ|en|Gula (goddess)}}であるが{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}、「ニンギルス(Ninĝirsu)」としては彼の妻は女神{{仮リンク|バウ (女神)|label=バウ|en|Bau (goddess)}}である{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。グラは治癒と薬の女神であり{{sfn|Black|Green|1992|page=101}}、時に[[パビルサグ]]神の妻とされたり、小植物の神{{仮リンク|アブー (神)|label=アブー|en|Abu (god)}}の妻とされたりもしていた{{sfn|Black|Green|1992|page=101}}。バウ女神は「ほとんど専らラガシュにおいてのみ」信仰されていた女神で{{sfn|Black|Green|1992|page=39}}、時に[[ザババ]]神の妻ともされていた{{sfn|Black|Green|1992|page=39}}。彼女とニンギルスの間には2人の息子(イグ・アリマ〈Ig-alima〉とシュル・シャガナ〈Šul-šagan〉という二柱の神)がいると考えられていた{{sfn|Black|Green|1992|page=39}}。バウはまた7人の娘を持っていたが、ニンギルスが彼女たちの父親であるという記述はない{{sfn|Black|Green|1992|page=39}}。エンリル神の息子であるため、ニヌルタの兄弟には[[シン (メソポタミア神話)|ナンナ]]、[[ネルガル]]、{{仮リンク|ニンアズ|en|Ninazu}}{{sfn|Jacobsen|1946|pages=128–152}}{{sfn|Kramer|1961|pages=44–45}}、{{仮リンク|エンビルル|en|Enbilulu}}{{sfn|Black|Cunningham|Robson|2006|page=106}}がおり、またしばしば[[イシュタル|イナンナ]]も兄妹とされた{{sfn|Black|Green|1992|page=108}}{{sfn|Leick|1998|page=88}}。 |
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== 神話 == |
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=== ルガル・エ === |
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メソポタミアの神々の中でニヌルタは恐らく女神[[イナンナ]](イシュタル)に次いで多くの神話に登場する{{sfn|Penglase|1994|pages=42–43}}。シュメルの詩『ルガル・エ(''Lugal-e'')』(『ニヌルタの偉業〈''Ninurta's Exploits''〉』とも)では[[アサグ]]として知られる病を引き起こし川を毒で冒す悪魔がいた{{sfn|Holland|2009|page=117}}、ニヌルタは石の戦士たちに守られたアサグと対決した{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Penglase|1994|page=68}}。そしてニヌルタはアサグとその軍隊を打ち取った{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Penglase|1994|page=68}}。その後ニヌルタは世界を整理し{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|Robson|2015}}、彼が倒した石の戦士たちから得た石を使って山を作り、[[灌漑]]と農業に適するよう、せせらぎ、湖、川が全て[[ティグリス川]]と[[ユーフラテス川]]に注ぐようにした{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|Holland|2009|page=117}}。ニヌルタの母{{仮リンク|ニンマフ|en|Ninmah}}は彼の勝利を祝うべく天界から下った{{sfn|Holland|2009|page=117}}。ニヌルタはこの時作った石の山を母神に捧げ、この女神の名を[[ニンフルサグ]](山の淑女)と改めた{{sfn|Holland|2009|page=117}}。最後に、ニヌルタは居所たるニップルへと戻り、そこで英雄として称えられた{{sfn|Robson|2015}}。この神話は、ニヌルタの戦士の神としての役割と農耕の神としての役割を組み合わせている{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。タイトルの『ルガル・エ』は「おお、王よ!」を意味し、シュメル語のオリジナルの冒頭部のフレーズから取られている{{sfn|Robson|2015}}。『ニヌルタの偉業』は学者たちによって割り当てられた現代のタイトルである{{sfn|Robson|2015}}。この詩はやがてシュメル語が死語と化し理解し難いものとなった後、アッカド語に翻訳された{{sfn|Robson|2015}}。 |
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『ルガル・エ』と同種の作品が『アンギム・ディンマ(''Angim dimma'')』(『ニヌルタのニップルへの帰還〈''Ninurta's Return to Nippur''〉』とも)である{{sfn|Robson|2015}}。この作品はアサグを殺した後のニヌルタのニップルへの帰還について描写している{{sfn|Robson|2015}}。この作品は大部分が賛美で構成されており物語は少ない。堂々たるニヌルタについて述べ、彼を[[アヌ|アン]]神に例えている{{sfn|Penglase|1994|page=56}}{{sfn|Robson|2015}}。『アンギム・ディンマ』は[[ウル第3王朝]](前2112年頃-前2004年頃)時代または[[バビロニア|古バビロニア時代]](前1830年頃-前1531年頃)初頭にシュメル語で原作が書かれたと考えられているが{{sfn|Penglase|1994|page=55}}、現存する最古のテキストは古バビロニア時代のものである{{sfn|Penglase|1994|page=55}}。より後の時代の写本が数多く残存している{{sfn|Penglase|1994|page=55}}。この作品は[[カッシート|中バビロニア時代]](前1600年頃-前1155年頃)にアッカド語に翻訳された{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Penglase|1994|page=55}}。 |
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=== アンズーの神話 === |
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[[File:Chaos Monster and Sun God.png|thumb|upright=1.3|雷を携えたニヌルタがエンリルの聖域から{{仮リンク|天命の書板|en|Tablet of Destinies (mythic item)}}を盗み出した[[アンズー]]を追う([[オースティン・ヘンリー・レヤード]]、『''Monuments of Nineveh''』2nd Series、1853年]] |
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ニヌルタはエンリル神から主神権を司る{{仮リンク|天命の書板|en|Tablet of Destinies (mythic item)}}を盗み出した怪鳥[[アンズー]](ズー)を退治した神として知られている。この話の顛末は次のようなものである。 |
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{{Quote box |
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| quote = [アダドは腰]をかがめ、指示を受け取った。彼は作戦命令を彼の主人ニヌルタにもたらした。エアが行ったこと[をのこら]ず彼に繰り返した。「戦いに[倦むな。勝利]をかちとれ。彼を疲れさせ、烈風を[集中して(?)]彼の翼を吹き飛ばせ。お前の投げ矢の端に装具をとりつけ、(それで)[彼の]手羽を[断]ち切り、左右ともうち払え。[彼はおのれの]つばさを[観て]、口を閉じ忘[れる]ように。『[儂のつばさ、]儂のつばさ』と」「彼は叫び声をあげるだろう]。もう彼を[恐れる必要はない]。おまえは(弓を)引け。おまえの[相手にむかっ]て葦の矢は[稲妻のように]飛んで行くがいい。羽と翼は蝶[のように]ひらひらと舞い落ちるがいい。ズーを[生け]捕りにしろ。風が彼の[翼]をどこか分からないところへ、[神殿エ・]クルへ、お前の父エン[リル]の[もと]へ運びさるように。山々(と)[そのあいだにある平地]に濁[流を溢れさせろ]。[悪者、ズーの喉を断ち切れ]。[王権がエ・クルへまたもどってくるように]。[おまえをもうけた父のもとへ]権能が[帰ってくるように]...」。 |
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| source=-ズー(アンズー)の神話<ref name="ズーの神話"/> |
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| align = right |
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| width = 23em |
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}} |
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アンズーはバビロニアの神話においてエンリル神から聖域エ・クル神殿の守護を任じられた怪鳥である<ref name="ズーの神話解説">「[[#ズーの神話|ズーの神話]]」、解説より</ref>{{sfn|Penglase|1994|page=52}}{{sfn|Leick|1998|page=10}}。しかし、エンリル神の主神権の行使、支配者の冠、神の衣を目の当たりにしていたアンズーは、エンリルの主神権を自らのものとする野心に駆られ、エンリルが清浄な水で沐浴している最中に天命の書板を盗み出した<ref name="ズーの神話">「[[#ズーの神話|ズーの神話]]</ref>{{sfn|Penglase|1994|pages=52–53}}{{sfn|Leick|1998|pages=9–10}}{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。これはエンリル神に主神権を与えている聖なる粘土板であった<ref name="ズーの神話解説"/>{{sfn|Black|Green|1992|page=173}}。このためまつりごとは滞り神々は途方に暮れることとなった<ref name="ズーの神話"/>。 |
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諸国の神々が集まって対策を協議しアンズーの討伐を行うものを選定したが、推薦された[[アダド]]神、[[イナンナ]](イシュタル)神、{{仮リンク|シャラ (神)|label=シャラ|en|Shara (god)}}神はいずれも天命の書板の力を恐れて討伐を拒否した。そして最終的にエンキ(エア)神が討伐担当者を見つけ出すことになり、彼はニヌルタ(ニンギルス)を推挙することを決めた。ニヌルタに同意させるため、エンキは彼の母を称えて味方につけ、母の言いつけを受けたニヌルタにアンズー討伐のために出陣した<ref name="ズーの神話"/>{{sfn|Leick|1998|page=10}}{{sfn|Penglase|1994|page=53}}。 |
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ニヌルタとアンズーは山の中で遭遇し戦いを始めた。ニヌルタはアンズーに葦の矢を放ったが、天命の書板の力によって矢は分解され、矢を作っていた葦は元の茂みに、弓の弦は元の森に、弦は元の獣に、そして矢羽根は元の鳥へと戻っていった<ref name="ズーの神話"/>{{sfn|Penglase|1994|page=45}}{{sfn|Robson|2015}}。ニヌルタが苦戦しているのを見ていたアダドが戦況をエンキに報告すると、エンキはアダドに対してニヌルタへの助言を伝えるよう命じた。ニヌルタはこの助言に従い、烈風を用いてアンズーの翼を断ち切った<ref name="ズーの神話"/>。 |
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そして[[ダゴン|ダガン]]神が神々の集会でニヌルタの勝利を告げ{{sfn|Penglase|1994|page=53}}、褒章としてニヌルタは神々の集会への参加を認められた<ref name="ズーの神話"/>{{sfn|Penglase|1994|page=53}}{{sfn|Leick|1998|page=10}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。エンリルはニヌルタに{{仮リンク|ビルトゥム|label=ビルドゥ|en|Birtum}}神を使者として送り天命の書版を返却するよう求めた{{sfn|Penglase|1994|pages=53–54}}。ニヌルタのビルドゥに対する返答は断片的にしか残されていないが、当初彼は返却を拒否した可能性がある{{sfn|Penglase|1994|page=54}}。最後にはしかし、ニヌルタは天命の書版を父たるエンリルに返却した{{sfn|Leick|1998|page=10}}{{sfn|Penglase|1994|pages=46, 54}}{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}{{sfn|Robson|2015}}。この物語はアッシリアの王宮の学者たちの間で特に人気があった{{sfn|Robson|2015}}。 |
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UET 6/1 2に記録されている『ニヌルタと亀(''Ninurta and the Turtle'')』の神話は元来は非常に長い文学作品の断片である{{sfn|Penglase|1994|page=61}}。この物語の中ではアンズーを破った後、ニヌルタが[[エリドゥ]]市で[[エンキ]]神に称えられている{{sfn|Penglase|1994|page=61}}。しかし、エンキは彼の野望を感じ取って巨大な亀を創り、それをニヌルタの背後に放ってその足首に噛みつかせた{{sfn|Penglase|1994|page=61}}{{sfn|Black|Green|1992|page=179}}。戦いの中で、亀はその爪で穴を堀、ニヌルタと亀はその穴へと落ちた{{sfn|Penglase|1994|page=61}}{{sfn|Black|Green|1992|page=179}}。そしてエンキはニヌルタの敗北に満足した{{sfn|Penglase|1994|page=61}}{{sfn|Black|Green|1992|page=179}}。この物語の結末は失われている{{sfn|Penglase|1994|pages=43–44, 61}}。判読可能な最後の部位はニヌルタの母ニンマフの嘆きの部分であり、彼女は息子ニヌルタの代わりを見つけ出すことを考えているように思われる{{sfn|Penglase|1994|page=61}}。チャールズ・ペングレイス(Charles Penglase)によれば、この物語ではエンキ神は明らかに英雄として描かれており、自身の下に権力を獲得しようとしたニヌルタ神の計画の阻止に成功したことはエンキの至高の叡智と狡猾さを証明するものとして意図されている{{sfn|Penglase|1994|page=61}}。 |
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=== その他の神話 === |
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[[File:UrukPlate3000BCE.jpg|thumb|upright=1|前3200年頃のものと思われるシュメルの[[円筒印象]]。1人の{{仮リンク|エンシ|en|Ensi (Sumerian)}}とその侍祭が聖獣の群れ(a sacred herd{{訳語疑問点|date=2022年6月}})に餌をやっている。ニヌルタは農耕の神であり、「シュメルの『農事歳時記(Georgica)』」として知られる詩では農業について詳細な助言を下している。]] |
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『ニヌルタのエリドゥへの旅(''Ninurta's Journey to Eridu''{{訳語疑問点|date=2022年6月}})』において、ニヌルタはニップル市の{{仮リンク|エ・クル|en|Ekur}}神殿を去り、名前不詳の案内人に連れられて[[エリドゥ]]市の{{仮リンク|アブズ|en|Abzu}}へと旅をしている{{sfn|Penglase|1994|pages=52–53, 62}}。エリドゥ市でニヌルタは[[アヌ|アン]]神と[[エンキ]]神と共に集会に出席し{{sfn|Penglase|1994|page=53}}、エンキ神が彼に生涯にわたる{{訳語疑問点|date=2022年6月}}「{{仮リンク|メ 〈神話)|label=メ(神力)|en|Me (mythology)}}」を与えた{{sfn|Penglase|1994|page=53, 63}}。この詩はニヌルタのニップル市への帰還で終わっている{{sfn|Penglase|1994|page=53, 63}}。この物語は恐らく、ニヌルタの神像がある都市から別の都市へと運ばれるという「旅」を取り扱っており、登場する「案内人」はこの神像の運搬者であろう{{sfn|Penglase|1994|page=53}}。この物語はまた、別のシュメル神話の『[[イナンナ|イナンナとエンキ]](Inanna and Enki{{訳語疑問点|date=2022年6月}})』に極めて良く似ている。この物語では女神イナンナがエリドゥへと旅し、エンキ神から「メス(''mes'')」を受け取る{{sfn|Penglase|1994|page=43}}。前1700年-前1500年の間のいずれかの時点で書かれたシュメルの『農事歳時記(Georgica)』として知られるある詩では、ニヌルタは農業に関わる諸問題について、どのように作物を植え、世話をし、収穫するか、どのように畑の作付け準備をするか、さらにはどのように鳥害を防ぐかといった{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}詳細なアドバイスを与えている{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=627}}。この詩は年間を通じた農地における生活のほとんどあらゆる側面をカバーしている{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。 |
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『殺された勇士たち(''Slain Heroes''{{訳語疑問点|date=2022年6月}})』の神話は多くの文書で触れられているが、完全なものは残されていない{{sfn|Black|Green|1992|page=142}}。この神話の中でニヌルタは様々な敵と戦っている{{sfn|Black|Green|1992|pages=138, 142}}。ブラックとグリーンはこれらの敵を「奇態でマイナーな神々(bizarre minor deities{{訳語疑問点|date=2022年6月}})」と表現している{{sfn|Black|Green|1992|page=138}}。この中には6つの頭を持った野羊(six-headed Wild Ram)、ヤシの木の王(Palm Tree King)、{{仮リンク|人魚 (ニヌルタ)|label=人魚(または半魚人)クリアンナ|en|Mermaid (Ninurta)}}などがいる{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。これらの敵の一部は死者の魂を冥界に運ぶマギルム船(the Magillum Boat)や貴重な金属を表象する「強き銅(strong copper)」のような無生物である{{sfn|Black|Green|1992|page=138}}。一連の試練と勝利を扱ったこの物語は、ギリシア神話の{{仮リンク|ヘーラクレースの12の功業|en|Labours of Heracles}}の起源であるかもしれない{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。 |
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== 後世への影響 == |
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=== 古典古代 === |
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[[File:Nimrod (painting).jpg|thumb|upright=1.1|『ニムロド(''Nimrod'')』(1832年)。{{仮リンク|デーヴィッド・スコット (画家)|label=デーヴィッド・スコット|en|David Scott (painter)}}作。『[[旧約聖書]]』「創世記」10:8–12で言及される「勇敢な狩人」ニムロドは多くの学者によってニヌルタ自体か、この神の名にちなんだ名前を持つアッシリア王[[トゥクルティ・ニヌルタ1世]]から着想を得たものであると考えられている。]] |
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前7世紀後半、カルフ市は外敵によって占領された{{sfn|Robson|2015}}。しかし、ニヌルタは完全に忘れ去られることはなかった{{sfn|Robson|2015}}。多くの学者がニヌルタが『旧約聖書』「創世記」(10:8–12)で「勇敢な狩人」とされる登場人物[[ニムロド]]の原型であると考えている{{sfn|Metzger|Coogan|1993|page=218}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=627}}{{sfn|Wiseman|1979|page=337}}{{sfn|Wildberger|2002|page=405}}。「ニヌルタ(''Ninurta'')」という名前がどのようにしてヘブライ語の「ニムロド(''Nimrod'')」へと変化したのか未だ完全には明らかになっていないが{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=627}}、両者はほぼ同じ権能と属性を持っており{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|pages=627–629}}、現在では「ニヌルタ」が「ニムロド」という名前の語源である可能性が高いと考えられている{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=627}}{{sfn|Robson|2015}}。最終的にはニヌルタとの関係性からカルフ市の支配者自体がアラビア語で「ナムルード(''Namrūd'')」の名で知られるようになった{{sfn|Robson|2015}}。 |
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後に『[[旧約聖書]]』の「列王記」(19:37)および「イザヤ書」(37:38)においてアッシリア(アッスリヤ)王[[センナケリブ]]が息子の[[アドラメレク]]と{{仮リンク|シャレゼル|en|Sharezer}}によって[[ニスロク]]の神殿で殺害されたことが記録されている{{sfn|Wildberger|2002|page=405}}{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}{{sfn|Wiseman|1979|page=337}}。このニスロクはニムロドの誤記による名称である可能性が高い{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}{{sfn|Wiseman|1979|page=337}}。この仮説は[[ヘブライ文字]]の{{仮リンク|Mem|label=מ|en|Mem}}が{{仮リンク|Samekh|label=ס|en|samekh}}と入れ替わり、また{{仮リンク|Dalet|label=ד|en|dalet}}が{{仮リンク|Kaph|label=ך|en|Kaph}}と入れ替わったというものである{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}。これらの文字の明白な形状の類似と、アッシリアの神々の中にニスロクという名の神が確認されていないことから、大部分の学者は誤記によって生じたという仮説がニスロクという名前について最も蓋然性のある説明であると考えている{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=628}}{{sfn|Wiseman|1979|page=337}}{{sfn|Gallagher|1999|page=252}}。もし「ニスロク」がニヌルタであるならば、カルフのニヌルタ神殿がセンナケリブ殺害の現場であった可能性は非常に高いものとなる{{sfn|Gallagher|1999|page=252}}。他の学者はニスロクをアッシリアの火の神{{仮リンク|ヌスク|en|Nusku}}と同定することを試みている{{sfn|Wildberger|2002|page=405}}。ハンス・ワイルドバーガー(Hans Wildberger)は提案されている全ての仮説を言語学的にあり得ないものとして否定している{{sfn|Wildberger|2002|page=405}}。 |
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『旧約聖書』「創世記」はニムロドを{{仮リンク|ノアの大洪水|en|Genesis flood narrative}}後の最初の王、また諸都市の建設者としてポジティブに描写しており{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}、旧約聖書のギリシア語訳版([[七十人訳聖書]])では彼は[[ギガース]](巨人族)として言及され{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}、「[[ヤハウェ]]の前に」を意味するヘブライ語の原文が「神に反する」と誤訳されている{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}。このために、ニムロドは[[偶像崇拝|偶像崇拝者]]の典型として描かれるようになった{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}。西1世紀頃、哲学者[[アレクサンドリアのフィロン|フィロン]]が彼の作品『''Inquiries''』で説明しているユダヤ教文学「[[ミドラーシュ]]」の初期の作品群では、ニムロドは[[バベルの塔]]の建造を唆しこの計画への参加を拒否したユダヤ人の[[族長]][[アブラハム]]を迫害した{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}。[[アウグスティヌス|ヒッポのアウグスティヌス]]は彼の著作『[[神の国 (アウグスティヌス)|神の国]]』において「地上の被造物の詐欺師、圧制者、破壊者」としてニムロドに言及している{{sfn|van der Toorn|Becking|van der Horst|1999|page=629}}。 |
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== 近現代 == |
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[[File:Esprit protecteur (British Museum) (8704834191).jpg|thumb|upright=1.3|カルフのニヌルタ神殿で発見された[[獣人|鷲頭人身]]の石製レリーフの傑作。19世紀にはこのような描写はニヌルタを表したものとして広まっていた。しかしこれは誤りである。さらに一般には「ニスロク」として知られていた。]] |
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16世紀、ニスロクは[[悪魔]]の1つと見られるようになった。オランダの[[悪魔学|悪魔学者]][[ヨーハン・ヴァイヤー]]は彼の作品『[[悪魔の偽王国]](''Pseudomonarchia Daemonum'')』(1577年)の中で[[地獄]]の「料理長(chief cook)」としてニスロクをリストしている{{sfn|Ripley|Dana|1883|pages=794–795}}。ニスロクは[[ジョン・ミルトン]]の叙事詩『[[失楽園]]』(初版 1667年)の第6巻(Book VI)に[[サタン]]の悪魔たちの1人として登場している{{sfn|Milton|Flannagan|1998|page=521}}{{sfn|Bunson|1996|page=199}}。ニスロクは険しい顔つきで打ち金の鎧を身につけているとされ{{sfn|Milton|Flannagan|1998|page=521}}、天使たちと悪魔たちの戦いは互角であるというサタンの主張に疑問を投げかけている。彼は悪魔たちも苦難を感じており、それが士気を挫いてしまうだろうとしてその意見に反対した{{sfn|Milton|Flannagan|1998|page=521}}。ミルトンの研究者ロイ・フラナガン(Roy Flannagan)によれば、ミルトンはニスロクを臆病者として描こうとしたのかもしれないという。なぜならC・ステファヌス(C. Stephanus)のヘブライ語辞書を閲覧しており、そこでは「ニスロク」という名前は「飛ぶ」あるいは「弱さへの誘惑(Delicate Temptation{{訳語疑問点|date=2022年6月}})」と定義されているためである{{sfn|Milton|Flannagan|1998|page=521}}。 |
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1840年代、イギリスの考古学者[[オースティン・ヘンリー・レヤード]]はカルフで翼を持た[[獣人|鷲頭人身]]の石製彫刻を数多く発掘した{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。センナケリブ殺害の聖書の物語を連想したレヤードは、この像が「ニスロク」であると誤認した{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。19世紀を通じて、大衆文学ではこれらの彫刻は「ニスロク」として認知され続けた{{sfn|Robson|2015}}{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。[[イーディス・ネズビット]]の1906年の児童小説『{{仮リンク|魔よけ物語 続・砂の妖精|en|The Story of the Amulet}}』では幼い主人公たちが鷲頭の「ニスロク」を案内者として召喚する{{sfn|Robson|2015}}。美術史に関わる現代の著作の中には、鷲頭人身像がニスロクであるという古い誤認を繰り返しているものがあり{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}、また中近東の学者たちは現在、一般的に「グリフォンの悪魔」としてニスロクに言及している{{sfn|Black|Green|1992|page=143}}。 |
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2016年、[[ISIL]](イラク・レヴァントのイスラーム国)はこの地域を短期間占領し、その間にアッシュル・ナツィルパル2世が建てたカルフのニヌルタのジッグラトを破壊した{{sfn|Lewis|2016}}。この破壊は、イスラームの過激な解釈と合致しないとされたあらゆる古代の遺構を破壊するというISILの長年の方針に則ったものであった{{sfn|Lewis|2016}}。{{仮リンク|American Society of Overseas Research|en|American Society of Overseas Research}}(ASOR)のCultural Heritage Initiativesの声明によれば、ISILは将来のプロパガンダと{{sfn|Lewis|2016}}、現地人の士気を挫くためにこの神殿の破壊したのかもしれない。 |
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2020年3月、考古学者たちは[[ギルス]]の遺跡で、5000年前の聖域が300点以上の儀式用の陶製カップ、ボウル、ビン、動物骨、ニンギルスに奉ずる儀式の行列で満たされているのを発見したと発表した。遺物の中の1つは{{仮リンク|ナンシェ|en|Nanshe}}神に捧げられたと考えられるアヒル型の青銅製の像であり、目は樹皮で作られていた<ref>{{Cite web|last=March 2020|first=Owen Jarus-Live Science Contributor 30|title=Ancient cultic area for warrior-god uncovered in Iraq|url=https://www.livescience.com/girsu-cult-discovered.html|access-date=2020-08-31|website=livescience.com|date=30 March 2020|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|last=Gavin|date=2020-04-11|title=Ancient cultic area for warrior-god uncovered in Iraq|url=https://most-interestingthings.com/ancient-cultic-area-for-warrior-god-uncovered-in-iraq/|access-date=2020-08-31|website=Most Interesting Things|language=en-US}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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{{refbegin|30em}} |
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{{参照方法|date=2019年5月|section=1}} |
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*『日本大百科全書』[[小学館]] |
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* {{Cite book |和書 |translator=[[後藤光一郎]] |chapter=ズーの神話 |pages=222-231 |title=筑摩世界文学大系1 古代オリエント集 |publisher=[[筑摩書房]] |date=1978-4 |isbn=978-4-480-20601-5 |ref=ズーの神話 }} |
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*『世界大百科事典』[[平凡社]] |
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* {{Cite book |和書 |author1=ピョートル・ビエンコフスキ|authorlink1=ピョートル・ビエンコフスキ|author2=アラン・ミラード編|translator=[[池田裕]]、[[山田重郎]]監訳、[[池田潤]]、[[山田恵子 (文学者)|山田恵子]]、[[山田雅道]] |title=大英博物館版 図説 古代オリエント事典 |publisher=[[東洋書林]] |date=2004-7 |isbn=978-4-88721-639-6 |ref=オリエント事典 2004 }} |
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*『世界神話辞典』[[柏書房]] |
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* {{citation|last1=Black|first1=Jeremy A.|last2=Cunningham|first2=Graham|last3=Robson|first3=Eleanor|title=The Literature of Ancient Sumer|url=https://books.google.com/books?id=a1W2mTtGVV4C&pg=PA106|date=2006|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-929633-0|pages=106}} |
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* {{citation|last1=Black|first1=Jeremy|first2=Anthony|last2=Green|title=Gods, Demons and Symbols of Ancient Mesopotamia: An Illustrated Dictionary|location=Austin, Texas|publisher=University of Texas Press|year=1992|isbn=0714117056}} |
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* {{citation|last=Bunson|first=Matthew|date=1996|title=Angels A to Z: A Who's Who of the Heavenly Host|url=https://books.google.com/books?id=9hzyxbMUqHoC&q=Nisroch+demon&pg=PA199|location=New York City, New York|publisher=Three Rivers Press|isbn=0-517-88537-9}} |
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* {{citation|last=Gallagher|first=William R.|date=1999|title=Sennacherib's Campaign to Judah: New Studies|journal=Studies in the History of the Ancient Near East|url=https://books.google.com/books?id=jfud5omuauIC&q=Nisroch+Ninurta&pg=PA252|location=Leiden, The Netherlands, Köln, Germany, and Boston, Massachusetts|publisher=Brill|issn=0169-9024|isbn=90-04-11537-4}} |
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* {{citation|last=Holland|first=Glenn Stanfield|date=2009|title=Gods in the Desert: Religions of the Ancient Near East|url=https://books.google.com/books?id=FI6PzjEm_UUC&q=Utu+sun+god&pg=PA115|location=Lanham, Maryland, Boulder, Colorado, New York City, New York, Toronto, Ontario, and Plymouth, England|publisher=Rowman & Littlefield Publishers, Inc.|isbn=978-0-7425-9979-6}} |
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* {{citation|last=Jacobsen|first=Thorkild|author-link=:en:Thorkild Jacobsen|date=1946|title = Sumerian Mythology: A Review Article|journal=[[:en:Journal of Near Eastern Studies]]|volume=5|issue=2|jstor=542374|pages=128–152|doi=10.1086/370777|s2cid=162344845}} |
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* {{citation|last1=Kasak|first1=Enn|last2=Veede|first2=Raul|date=2001|title=Understanding Planets in Ancient Mesopotamia|url=https://www.folklore.ee/folklore/vol16/planets.pdf|journal=Folklore: Electronic Journal of Folklore|volume=16|editor1-last=Kõiva|editor1-first=Mare|editor2-last=Kuperjanov|editor2-first=Andres|location=Tartu, Estonia|publisher=Folk Belief and Media Group of ELM|issn=1406-0957|pages=7–33|doi=10.7592/FEJF2001.16.planets}} |
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* {{citation|last=Kramer|first=Samuel Noah|author-link=:en:Samuel Noah Kramer|date=1961|orig-year=1944|title=Sumerian Mythology: A Study of Spiritual and Literary Achievement in the Third Millennium B.C.: Revised Edition|publisher=University of Pennsylvania Press|location=Philadelphia, Pennsylvania|isbn=978-0-8122-1047-7|url=http://www.sacred-texts.com/ane/sum/}} |
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* {{citation|last=Leick|first=Gwendolyn|title=A Dictionary of Ancient Near Eastern Mythology|publisher=Routledge|location=New York City, New York|date=1998|orig-year=1991|isbn=0-415-19811-9|url=https://books.google.com/books?id=c52EAgAAQBAJ&q=Anzu}} |
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* {{citation|last=Lewis|first=Danny|date=15 November 2016|title=ISIS Has Destroyed a Nearly 3,000-Year-Old Assyrian Ziggurat: The ziggurat of Nimrud was the ancient city's central temple|url=https://www.smithsonianmag.com/smart-news/isis-has-destroyed-nearly-3000-year-old-assyrian-ziggurat-180961101/|website=Smithsonian.com|publisher=Smithsonian Institution}} |
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* {{citation|last1=Metzger|first1=Bruce M.|author1-link=:en:Bruce M. Metzger|first2=Michael D.|last2=Coogan|author2-link=:en:Michael D. Coogan}|date=1993|title=The Oxford Guide to People and Places of the Bible|url=https://books.google.com/books?id=0P-mASFPEsAC&pg=PA218|location=Oxford, England|publisher=[[Oxford University Press]]|isbn=978-0-19-534095-2|doi=10.1093/acref/9780195146417.001.0001}} |
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* {{citation|last1=Milton|first1=John|last2=Flannagan|first2=Roy|date=1998|title=The Riverside Milton|url=https://books.google.com/books?id=LBZbAAAAMAAJ&q=Nisroch+Milton|location=Boston, Massachusetts|publisher=Houghton Mifflin|isbn=978-0-395-80999-0}} |
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* {{citation|last=Penglase|first=Charles|date=1994|title=Greek Myths and Mesopotamia: Parallels and Influence in the Homeric Hymns and Hesiod|url=https://books.google.com/books?id=U4mFAgAAQBAJ&q=Ninurta&pg=PA42|location=New York City, New York|publisher=Routledge|isbn=0-415-15706-4}} |
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* {{citation|last1=Ripley|first1=George|last2=Dana|first2=Charles A.|date=1883|chapter=Demonology|title=The American Cyclopaedia: A Popular Dictionary for General Knowledge|chapter-url=https://books.google.com/books?id=qXRYAAAAMAAJ&q=Nisroch+demon&pg=PA795|location=New York City, New York|publisher=D. Appleton and Company}} |
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* {{citation|last=Robson|first=Eleanor|date=2015|title=Ninurta, god of victory|url=http://oracc.museum.upenn.edu/nimrud/ancientkalhu/thepeople/ninurta/index.html|website=Nimrud: Materialities of Assyrian Knowledge Production|publisher=Open Richly Annotated Cuneiform Corpus, UK Higher Education Academy}} |
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* {{citation|last1=van der Toorn|first1=Karel|last2=Becking|first2=Bob|last3=van der Horst|first3=Pieter Willem|title=Dictionary of Deities and Demons in the Bible|publisher=William B. Eerdman's Publishing Company|edition=second|location=Grand Rapids, Michigan|date=1999|url=https://books.google.com/books?id=yCkRz5pfxz0C&q=Is+Nisroch+Ninurta&pg=PA628|isbn=0-8028-2491-9}} |
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* {{citation|last=Wildberger|first=Hans|date=2002|title=Isaiah 28-39: A Continental Commentary|url=https://books.google.com/books?id=4l_J_GQv9W4C&q=Nisroch+Ninurta&pg=PA405|location=Minneapolis, Minnesota|publisher=Fortress Press|isbn=0-8006-9510-0}} |
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* {{citation|last=Wiseman|first=D. J.|date=1979|orig-year=1915|title=Assyria|encyclopedia=The International Standard Bible Encyclopedia|url=https://books.google.com/books?id=wo8csizDv0gC&q=Nisroch+Ninurta&pg=PA337|volume=1: A-D|editor1-last=Bromiley|editor1-first=Geoffrey W.|editor2-last=Harrison|editor2-first=Everett F.|editor3-last=Harrison|editor3-first=Roland K.|editor4-last=LaSor|editor4-first=William Sanford|editor5-last=Smith|editor5-first=Edgar W., Jr.|location=Grand Rapids, Michigan|publisher=Wm. B. Eerdmans Publishing Company|isbn=0-8028-3781-6}} |
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* {{citation|last=Petrovich|first=Douglas N.|date=2013|title=Identifying Nimrod of Genesis 10 with Sargon of Akkad by Exegetical and Archaeological Means|journal=Journal of the Evangelical Theological Society|volume=56|issue=2|url=https://www.etsjets.org/JETS/56_2|location=Chicago, Illinois}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* {{仮リンク|カジャマヌ|en|Kajamanu}} |
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* [[イシュタル]] - メソポタミア神話の豊穣と戦の神。 |
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== 外部リンク == |
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{{中東の神話}} |
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{{commons category|Ningirsu}} |
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{{Normdaten}} |
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{{Wikiquote}} |
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{{DEFAULTSORT:にぬるた}} |
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* '''Texts''' |
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** Narratives about Ninurta |
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*** [https://web.archive.org/web/20110308035812/http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=c.1.6* ETCSL website: Unicode version] and [https://web.archive.org/web/20090118182055/http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=c.1.6*&charenc=j ETCSL website: ASCII version] |
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*** [http://www.gatewaystobabylon.com/myths/ninurta.htm Gateways to Babylon: ASCII English translation from the ETCSL website] |
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** [http://www.gatewaystobabylon.com/myths/texts/ninurta/mythanzu.htm Gateways to Babylon: The Myth of Anzû] |
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** Hymns to Ninurta [https://web.archive.org/web/20090118200604/http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=c.4.27* ETCSL website: Unicode version] and [https://web.archive.org/web/20090118185527/http://www-etcsl.orient.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=c.4.27*&charenc=j ETCSL website: ASCII version] |
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* '''Commentary''' |
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** [http://www.gatewaystobabylon.com/essays/wisdomninurta.html Gateways to Babylon: "Ninurta as the god of wisdom" by Amar Annus] |
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2022年7月18日 (月) 11:22時点における版
ニヌルタ 𒀭𒊩𒌆𒅁 | |
---|---|
農業、狩猟、戦争の神 | |
住処 |
ニップルのエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿 後のアッシリア時代にはカルフ |
惑星 | 土星 |
シンボル | 鋤と止まり木に止まった鳥(perched bird) |
配偶神 |
ニンギルスとして:バウ[1] |
親 | 通常はエンリル神とニンフルサグ女神。エンリル神とニンリル女神である場合もある |
乗り物 | 時にライオンの体とサソリの尾を持った獣に乗っている |
ギリシア神話 | Cronus[要曖昧さ回避][2] |
ローマ神話 | 土星[2] |
ニヌルタ(𒀭𒊩𒌆𒅁: DNIN.URTA、「オオムギ[の]主」[3])またはニンギルス(Ninĝirsu、𒀭𒊩𒌆𒄈𒋢:DNIN.ĜIR2.SU、「ギルス[の]主」[4][5])は農耕、治癒、狩猟、法、筆記、戦争に関連する古代メソポタミアの神。シュメル時代から信仰を得ていた。最初期の記録ではニヌルタは農業と治癒の神であり、人々の病を治し悪魔の力から解放する神であった。後の時代にはメソポタミアの軍事化に伴い農耕神としての初期の属性の多くを保持しつつも戦士の神となっていった。彼は神々の長エンリル神の息子であると考えられており、シュメルにおける宗教行為の中心はニップル市のエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿であった[1]。ラガシュのグデア王(在位:前2144年-前2124)はニンギルスを称え、ラガシュにニンギルス神殿を再建した。
後にニヌルタはアッシリア人から素晴らしい戦士として人気を博するようになった。アッシリア王アッシュル・ナツィルパル2世(在位:前883年-前859年)はニヌルタ神のためにカルフに巨大な神殿を建設した。その後この神殿はニヌルタの最も重要な信仰の拠点となった。
叙事詩『ルガル・エ』では、ニヌルタは喋る棍棒シャルルを用いて悪魔アサグを殺し、石を使ってティグリス川とユーフラテス川を灌漑できるようにした。シュメルの『農事歳時記』とも呼ばれる詩では、ニヌルタは農民たちに農業にまつわる助言を与えている。あるアッカド神話ではニヌルタは父であるエンリル神から天命の書板を盗み出したアンズー鳥に立ち向かう神々の英雄(champion of the gods[訳語疑問点])であり、そしてある神話では「殺された勇士たち(Slain Heroes)」と呼ばれる戦士たちの一団を殺害した神である。この神話は完全な形では現存しないが多くの作品で触れられている。ニヌルタ神の主たるシンボルは止まり木に止まった鳥(perched bird)と鋤である。
ニヌルタは「勇敢な狩人」ニムロドの人物像に影響を与えているかもしれない。彼は『旧約聖書』「創世記」においてカルフと関連付けられて言及されている。逆に、より伝統的には、神話上のニヌルタが聖書のニムロドとされるような歴史上の人格から影響を受けているともされる[6]。彼はまた『旧約聖書』「列王記下」でニスロクという名で言及されているかもしれない[注釈 1]。19世紀、カルフのニヌルタ神殿から発見された有翼鷲頭の人物像が「ニスロク」であるという誤った理解が一般に普及し、当時のファンタジー文学の中にこの設定が見られる。
信仰
ニヌルタは前3千年紀半ば頃には既にシュメル人によって崇拝されており[7]、メソポタミアにおいて最も古くから存在が確認されている神の一柱である[7][3]。信仰の中心はシュメルの都市国家ニップルのエ・シュメシャ(Eshumesha)神殿で[7][3][8]、農耕の神として、また都市神エンリルの息子として信仰された[7][3][8]。元来は別々の神であったかもしれないが、歴史時代に入った後には既にシュメルの都市国家ギルスで信仰されたニンギルス神は現地におけるニヌルタの形とされていた[3]。アッシリア学者ジェレミー・ブラックとアンソニー・グリーン(Anthony Green)によれば、ニヌルタとニンギルスの性格は「密接に絡み合っていた」[3]。都市国家ギルスの重要性が低下するにつれ、ニンギルスは「ニヌルタ」として認識される度合いを増し[4]、主としてその好戦性と戦争にまつわる性質によって特徴づけられるようになっていった。
後の時代にはニヌルタは荒々しい戦士という評価によってアッシリア人から大きな人気を集めた[7][9]。前2千年紀末にはトゥクルティ・ニヌルタ(ニヌルタに信頼される者)、ニヌルタ・アピル・エクル(ニヌルタは[エンリルの神殿」エ・クルの後継者なり)、ニヌルタ・トゥクルティ・アッシュル(ニヌルタはアッシュル神の信頼する者なり)のように[7]、アッシリア王たちは頻繁にニヌルタを王名の一部とした[7]。トゥクルティ・ニヌルタ1世(在位:前1243年-前1207年)はある碑文で、彼が「余を寵愛されるニヌルタ神の命令の下で」狩猟を行ったと宣言している[7]。同様にアダド・ニラリ2世(在位:前911年-前891年)はニヌルタとアッシュルが彼の統治を後援していると主張し[7]、彼の統治権の道徳的正当性故にニヌルタとアッシュルの敵を打倒したと宣言している[7]。前9世紀、アッシュル・ナツィルパル2世(在位:前883年-前859年)はアッシリア帝国の首都をカルフへと遷した[7]。そこで彼が最初に建てた神殿はニヌルタに捧げられたものであった[7][10][9][11] 。
カルフのニヌルタ神殿の壁はアンズー鳥を屠るニヌルタなどの浮彫彫刻で装飾されていた。アッシュル・ナツィルパル2世の息子、シャルマネセル3世(在位:前859年-前824年)はカルフでニヌルタのジッグラトを完成させ、自身の石製浮彫をニヌルタ神に捧げた[7]。この浮彫でシャルマネセル3世は自身の軍事的偉業を誇り[7]、彼の勝利の全てはニヌルタ神に帰すものであり、その助けなくして何事も成し得なかったと宣言している[7]。アダド・ニラリ3世(在位:前811年-前783年)の時、アッシュル市のアッシュル神殿に新たな寄進物が納められ、それらはアッシュル神とニヌルタ神の印章で封印された[7]。
アッシリアの首都がカルフから他へ遷された後、パンテオンにおけるニヌルタの重要性は低下し始めた[7]。サルゴン2世はニヌルタ以上に書記の神ナブー神を好んだ[7]。にもかかわらず、ニヌルタはなお重要な神の1柱ではあり続けた[7]。アッシリアの王たちがカルフを去った後でも、旧都の住民たちはニヌルタを崇拝し続け[7]、この神を「カルフに住まうニヌルタ」と呼んだ[7]。カルフで発見された法的文書には、宣誓違反者は「2ミナの銀と1ミナの金をカルフに住まうニヌルタの膝の上に置く」ことを要求されたと記されている[7]。この条文の確実な最後の例はアッシリア王エサルハドン(在位:前681年-前669年)の治世最後の年である前669年のものである[7]。カルフのニヌルタ神殿はアッシリア帝国の終焉まで繁栄しており[7]、困窮した人々を雇用していた[7]。宗教的儀式を主催するのはシャング(šangû)と呼ばれる神官兼歌謡長(priest and a chief singer[訳語疑問点])であり、料理人、執事、荷運夫(porter)が彼を補佐した[7]。前7世紀後半になるとニヌルタ神殿のスタッフはエ・ジダのナブー神殿のスタッフと共に法的文書には見えなくなる[7]。この2つの神殿はケプ(qēpu)と呼ばれる官吏を共有していた[7]。
図像学
カッシート時代(前1600年頃-前1155年頃)のクドゥル(境界石)には鋤にニンギルスのシンボルであるというキャプションが付けられている[3]。この鋤は新アッシリアの美術作品にも見られ、恐らくはニヌルタのシンボルである[3]。木に止まった鳥(A perched bird[訳語疑問点])も新アッシリア時代にニヌルタのシンボルとして使用された[12]。ある推測的仮説では前9世紀の有翼円盤は元来ニヌルタを象徴していたが[9]、後にアッシュルと太陽神シャマシュを象徴するものとなったとされる[9]。この説は初期の表現においてニヌルタが有翼円盤の上におり鳥の羽を持っているように見えるものがあることに立脚している[9]。大部分の学者はこの説は根拠がないとして斥けている[9]。前8世紀と前7世紀の天文学者たちはニヌルタ(またはパビルサグ)をいて座と同定していた[13]。また、シリウスと同定される場合もあった[13]。シリウスはアッカド語では「šukūdu(矢)」として知られていた[13]。そしておおいぬ座(シリウスはこの星座の中で最も目立つ星である)はqaštu(弓)として知られていた。これはニヌルタが携えていると考えられていた弓矢の名に由来する[13]。バビロニア時代[訳語疑問点]にはニヌルタは土星と関連付けられた[14]。
家族
ニヌルタはエンリル神の息子であると考えられていた[3]。『ルガル・エ』においては、ニヌルタの母は女神ニンマフ(その名は彼によってニンフルサグと改名された)とされているが[15] 、『Angim dimma』においては彼の母親は女神ニンリルである[16]。「ニヌルタ(Ninurta)」という名前で言及される時、彼の妻は通常は女神グラであるが[3]、「ニンギルス(Ninĝirsu)」としては彼の妻は女神バウである[3]。グラは治癒と薬の女神であり[17]、時にパビルサグ神の妻とされたり、小植物の神アブーの妻とされたりもしていた[17]。バウ女神は「ほとんど専らラガシュにおいてのみ」信仰されていた女神で[18]、時にザババ神の妻ともされていた[18]。彼女とニンギルスの間には2人の息子(イグ・アリマ〈Ig-alima〉とシュル・シャガナ〈Šul-šagan〉という二柱の神)がいると考えられていた[18]。バウはまた7人の娘を持っていたが、ニンギルスが彼女たちの父親であるという記述はない[18]。エンリル神の息子であるため、ニヌルタの兄弟にはナンナ、ネルガル、ニンアズ[19][20]、エンビルル[21]がおり、またしばしばイナンナも兄妹とされた[22][23]。
神話
ルガル・エ
メソポタミアの神々の中でニヌルタは恐らく女神イナンナ(イシュタル)に次いで多くの神話に登場する[24]。シュメルの詩『ルガル・エ(Lugal-e)』(『ニヌルタの偉業〈Ninurta's Exploits〉』とも)ではアサグとして知られる病を引き起こし川を毒で冒す悪魔がいた[15]、ニヌルタは石の戦士たちに守られたアサグと対決した[9][7][25]。そしてニヌルタはアサグとその軍隊を打ち取った[9][7][25]。その後ニヌルタは世界を整理し[9][7]、彼が倒した石の戦士たちから得た石を使って山を作り、灌漑と農業に適するよう、せせらぎ、湖、川が全てティグリス川とユーフラテス川に注ぐようにした[9][15]。ニヌルタの母ニンマフは彼の勝利を祝うべく天界から下った[15]。ニヌルタはこの時作った石の山を母神に捧げ、この女神の名をニンフルサグ(山の淑女)と改めた[15]。最後に、ニヌルタは居所たるニップルへと戻り、そこで英雄として称えられた[7]。この神話は、ニヌルタの戦士の神としての役割と農耕の神としての役割を組み合わせている[9]。タイトルの『ルガル・エ』は「おお、王よ!」を意味し、シュメル語のオリジナルの冒頭部のフレーズから取られている[7]。『ニヌルタの偉業』は学者たちによって割り当てられた現代のタイトルである[7]。この詩はやがてシュメル語が死語と化し理解し難いものとなった後、アッカド語に翻訳された[7]。
『ルガル・エ』と同種の作品が『アンギム・ディンマ(Angim dimma)』(『ニヌルタのニップルへの帰還〈Ninurta's Return to Nippur〉』とも)である[7]。この作品はアサグを殺した後のニヌルタのニップルへの帰還について描写している[7]。この作品は大部分が賛美で構成されており物語は少ない。堂々たるニヌルタについて述べ、彼をアン神に例えている[26][7]。『アンギム・ディンマ』はウル第3王朝(前2112年頃-前2004年頃)時代または古バビロニア時代(前1830年頃-前1531年頃)初頭にシュメル語で原作が書かれたと考えられているが[27]、現存する最古のテキストは古バビロニア時代のものである[27]。より後の時代の写本が数多く残存している[27]。この作品は中バビロニア時代(前1600年頃-前1155年頃)にアッカド語に翻訳された[7][27]。
アンズーの神話
ニヌルタはエンリル神から主神権を司る天命の書板を盗み出した怪鳥アンズー(ズー)を退治した神として知られている。この話の顛末は次のようなものである。
アンズーはバビロニアの神話においてエンリル神から聖域エ・クル神殿の守護を任じられた怪鳥である[29][30][31]。しかし、エンリル神の主神権の行使、支配者の冠、神の衣を目の当たりにしていたアンズーは、エンリルの主神権を自らのものとする野心に駆られ、エンリルが清浄な水で沐浴している最中に天命の書板を盗み出した[28][32][33][3]。これはエンリル神に主神権を与えている聖なる粘土板であった[29][34]。このためまつりごとは滞り神々は途方に暮れることとなった[28]。
諸国の神々が集まって対策を協議しアンズーの討伐を行うものを選定したが、推薦されたアダド神、イナンナ(イシュタル)神、シャラ神はいずれも天命の書板の力を恐れて討伐を拒否した。そして最終的にエンキ(エア)神が討伐担当者を見つけ出すことになり、彼はニヌルタ(ニンギルス)を推挙することを決めた。ニヌルタに同意させるため、エンキは彼の母を称えて味方につけ、母の言いつけを受けたニヌルタにアンズー討伐のために出陣した[28][31][35]。
ニヌルタとアンズーは山の中で遭遇し戦いを始めた。ニヌルタはアンズーに葦の矢を放ったが、天命の書板の力によって矢は分解され、矢を作っていた葦は元の茂みに、弓の弦は元の森に、弦は元の獣に、そして矢羽根は元の鳥へと戻っていった[28][36][7]。ニヌルタが苦戦しているのを見ていたアダドが戦況をエンキに報告すると、エンキはアダドに対してニヌルタへの助言を伝えるよう命じた。ニヌルタはこの助言に従い、烈風を用いてアンズーの翼を断ち切った[28]。
そしてダガン神が神々の集会でニヌルタの勝利を告げ[35]、褒章としてニヌルタは神々の集会への参加を認められた[28][35][31][13]。エンリルはニヌルタにビルドゥ神を使者として送り天命の書版を返却するよう求めた[37]。ニヌルタのビルドゥに対する返答は断片的にしか残されていないが、当初彼は返却を拒否した可能性がある[38]。最後にはしかし、ニヌルタは天命の書版を父たるエンリルに返却した[31][39][3][7]。この物語はアッシリアの王宮の学者たちの間で特に人気があった[7]。
UET 6/1 2に記録されている『ニヌルタと亀(Ninurta and the Turtle)』の神話は元来は非常に長い文学作品の断片である[40]。この物語の中ではアンズーを破った後、ニヌルタがエリドゥ市でエンキ神に称えられている[40]。しかし、エンキは彼の野望を感じ取って巨大な亀を創り、それをニヌルタの背後に放ってその足首に噛みつかせた[40][41]。戦いの中で、亀はその爪で穴を堀、ニヌルタと亀はその穴へと落ちた[40][41]。そしてエンキはニヌルタの敗北に満足した[40][41]。この物語の結末は失われている[42]。判読可能な最後の部位はニヌルタの母ニンマフの嘆きの部分であり、彼女は息子ニヌルタの代わりを見つけ出すことを考えているように思われる[40]。チャールズ・ペングレイス(Charles Penglase)によれば、この物語ではエンキ神は明らかに英雄として描かれており、自身の下に権力を獲得しようとしたニヌルタ神の計画の阻止に成功したことはエンキの至高の叡智と狡猾さを証明するものとして意図されている[40]。
その他の神話
『ニヌルタのエリドゥへの旅(Ninurta's Journey to Eridu[訳語疑問点])』において、ニヌルタはニップル市のエ・クル神殿を去り、名前不詳の案内人に連れられてエリドゥ市のアブズへと旅をしている[43]。エリドゥ市でニヌルタはアン神とエンキ神と共に集会に出席し[35]、エンキ神が彼に生涯にわたる[訳語疑問点]「メ(神力)」を与えた[44]。この詩はニヌルタのニップル市への帰還で終わっている[44]。この物語は恐らく、ニヌルタの神像がある都市から別の都市へと運ばれるという「旅」を取り扱っており、登場する「案内人」はこの神像の運搬者であろう[35]。この物語はまた、別のシュメル神話の『イナンナとエンキ(Inanna and Enki[訳語疑問点])』に極めて良く似ている。この物語では女神イナンナがエリドゥへと旅し、エンキ神から「メス(mes)」を受け取る[11]。前1700年-前1500年の間のいずれかの時点で書かれたシュメルの『農事歳時記(Georgica)』として知られるある詩では、ニヌルタは農業に関わる諸問題について、どのように作物を植え、世話をし、収穫するか、どのように畑の作付け準備をするか、さらにはどのように鳥害を防ぐかといった[3]詳細なアドバイスを与えている[3][45]。この詩は年間を通じた農地における生活のほとんどあらゆる側面をカバーしている[3]。
『殺された勇士たち(Slain Heroes[訳語疑問点])』の神話は多くの文書で触れられているが、完全なものは残されていない[3]。この神話の中でニヌルタは様々な敵と戦っている[46]。ブラックとグリーンはこれらの敵を「奇態でマイナーな神々(bizarre minor deities[訳語疑問点])」と表現している[4]。この中には6つの頭を持った野羊(six-headed Wild Ram)、ヤシの木の王(Palm Tree King)、人魚(または半魚人)クリアンナなどがいる[13]。これらの敵の一部は死者の魂を冥界に運ぶマギルム船(the Magillum Boat)や貴重な金属を表象する「強き銅(strong copper)」のような無生物である[4]。一連の試練と勝利を扱ったこの物語は、ギリシア神話のヘーラクレースの12の功業の起源であるかもしれない[13]。
後世への影響
古典古代
前7世紀後半、カルフ市は外敵によって占領された[7]。しかし、ニヌルタは完全に忘れ去られることはなかった[7]。多くの学者がニヌルタが『旧約聖書』「創世記」(10:8–12)で「勇敢な狩人」とされる登場人物ニムロドの原型であると考えている[47][45][48][49]。「ニヌルタ(Ninurta)」という名前がどのようにしてヘブライ語の「ニムロド(Nimrod)」へと変化したのか未だ完全には明らかになっていないが[45]、両者はほぼ同じ権能と属性を持っており[50]、現在では「ニヌルタ」が「ニムロド」という名前の語源である可能性が高いと考えられている[45][7]。最終的にはニヌルタとの関係性からカルフ市の支配者自体がアラビア語で「ナムルード(Namrūd)」の名で知られるようになった[7]。
後に『旧約聖書』の「列王記」(19:37)および「イザヤ書」(37:38)においてアッシリア(アッスリヤ)王センナケリブが息子のアドラメレクとシャレゼルによってニスロクの神殿で殺害されたことが記録されている[49][7][9][13][48]。このニスロクはニムロドの誤記による名称である可能性が高い[7][9][13][48]。この仮説はヘブライ文字のמがסと入れ替わり、またדがךと入れ替わったというものである[7][13]。これらの文字の明白な形状の類似と、アッシリアの神々の中にニスロクという名の神が確認されていないことから、大部分の学者は誤記によって生じたという仮説がニスロクという名前について最も蓋然性のある説明であると考えている[7][13][48][51]。もし「ニスロク」がニヌルタであるならば、カルフのニヌルタ神殿がセンナケリブ殺害の現場であった可能性は非常に高いものとなる[51]。他の学者はニスロクをアッシリアの火の神ヌスクと同定することを試みている[49]。ハンス・ワイルドバーガー(Hans Wildberger)は提案されている全ての仮説を言語学的にあり得ないものとして否定している[49]。
『旧約聖書』「創世記」はニムロドをノアの大洪水後の最初の王、また諸都市の建設者としてポジティブに描写しており[52]、旧約聖書のギリシア語訳版(七十人訳聖書)では彼はギガース(巨人族)として言及され[52]、「ヤハウェの前に」を意味するヘブライ語の原文が「神に反する」と誤訳されている[52]。このために、ニムロドは偶像崇拝者の典型として描かれるようになった[52]。西1世紀頃、哲学者フィロンが彼の作品『Inquiries』で説明しているユダヤ教文学「ミドラーシュ」の初期の作品群では、ニムロドはバベルの塔の建造を唆しこの計画への参加を拒否したユダヤ人の族長アブラハムを迫害した[52]。ヒッポのアウグスティヌスは彼の著作『神の国』において「地上の被造物の詐欺師、圧制者、破壊者」としてニムロドに言及している[52]。
近現代
16世紀、ニスロクは悪魔の1つと見られるようになった。オランダの悪魔学者ヨーハン・ヴァイヤーは彼の作品『悪魔の偽王国(Pseudomonarchia Daemonum)』(1577年)の中で地獄の「料理長(chief cook)」としてニスロクをリストしている[53]。ニスロクはジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』(初版 1667年)の第6巻(Book VI)にサタンの悪魔たちの1人として登場している[54][55]。ニスロクは険しい顔つきで打ち金の鎧を身につけているとされ[54]、天使たちと悪魔たちの戦いは互角であるというサタンの主張に疑問を投げかけている。彼は悪魔たちも苦難を感じており、それが士気を挫いてしまうだろうとしてその意見に反対した[54]。ミルトンの研究者ロイ・フラナガン(Roy Flannagan)によれば、ミルトンはニスロクを臆病者として描こうとしたのかもしれないという。なぜならC・ステファヌス(C. Stephanus)のヘブライ語辞書を閲覧しており、そこでは「ニスロク」という名前は「飛ぶ」あるいは「弱さへの誘惑(Delicate Temptation[訳語疑問点])」と定義されているためである[54]。
1840年代、イギリスの考古学者オースティン・ヘンリー・レヤードはカルフで翼を持た鷲頭人身の石製彫刻を数多く発掘した[7][9]。センナケリブ殺害の聖書の物語を連想したレヤードは、この像が「ニスロク」であると誤認した[7][9]。19世紀を通じて、大衆文学ではこれらの彫刻は「ニスロク」として認知され続けた[7][9]。イーディス・ネズビットの1906年の児童小説『魔よけ物語 続・砂の妖精』では幼い主人公たちが鷲頭の「ニスロク」を案内者として召喚する[7]。美術史に関わる現代の著作の中には、鷲頭人身像がニスロクであるという古い誤認を繰り返しているものがあり[9]、また中近東の学者たちは現在、一般的に「グリフォンの悪魔」としてニスロクに言及している[9]。
2016年、ISIL(イラク・レヴァントのイスラーム国)はこの地域を短期間占領し、その間にアッシュル・ナツィルパル2世が建てたカルフのニヌルタのジッグラトを破壊した[10]。この破壊は、イスラームの過激な解釈と合致しないとされたあらゆる古代の遺構を破壊するというISILの長年の方針に則ったものであった[10]。American Society of Overseas Research(ASOR)のCultural Heritage Initiativesの声明によれば、ISILは将来のプロパガンダと[10]、現地人の士気を挫くためにこの神殿の破壊したのかもしれない。
2020年3月、考古学者たちはギルスの遺跡で、5000年前の聖域が300点以上の儀式用の陶製カップ、ボウル、ビン、動物骨、ニンギルスに奉ずる儀式の行列で満たされているのを発見したと発表した。遺物の中の1つはナンシェ神に捧げられたと考えられるアヒル型の青銅製の像であり、目は樹皮で作られていた[56][57]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c オリエント事典, pp.383-384. 「ニヌルタ」の項目より。
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関連項目
外部リンク
- Texts
- Commentary