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偶像崇拝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金の子牛の偶像を崇拝する者ら

偶像崇拝ぐうぞうすうはい: idolatry)とは、偶像崇拝する行為である。

概説

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偶像という語には「人形」「生贄」「人間に似せた物」などいくつかの意味があるが、ここでは木材金属など具体的な物質で形どられた像のうち崇拝的対象をかたどったものをさす[1]。また「偶像崇拝」という単語自体は、そうした像を崇めることを禁じ、あるいは批判する立場から否定的な意味合いで使われる(後述。同様に偶像崇拝を批難するために使われる単語として「偶像教」がある[2])。他方、何らかの像を崇拝する信仰では、一般に崇拝の対象となる像を神像仏像などと表現しており、また二元論多神教なども世の知恵に過ぎず偶像崇拝である。偶「像」と書かれるが、プロテスタントなどにおいては十字架への祈りも偶像崇拝とされ、首飾り、護符、ご神体などを信仰対象にすることも偶像崇拝である。エホバの証人においては、葬儀遺骨なども偶像崇拝と見なされる。

旧約聖書

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旧約聖書では、イスラエルの神は預言者モーセに神の指で書かれた石の板二枚、十戒を授け、偶像崇拝を禁じた(出エジプト記31:18)。ゆえに、アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教キリスト教イスラームの諸宗教では偶像崇拝は禁忌とされており、を可視化してはならない。特にユダヤ教においては厳格で、19世紀まではユダヤ系の画家・彫刻家などの芸術家が輩出されなかった[要出典]

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。 — 出エジプト記20章4節から5節(口語訳)

イスラエルの民が金の子牛を崇拝した際には、極刑をもって処罰された[3]

他の国々や諸宗教で信仰の対象とされている偶像については、以下のように全くの無益であるとされた。

彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる。 — 詩篇115章4節から8節(口語訳)

ヨシヤ王はユダとエルサレムを清めるために偶像を粉々に打ち砕いた[4]

イザヤ書の中でも、はご自分の栄光を偶像に与える事は無い、と明記されている[5][6]

新約聖書

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新約聖書で「偶像礼拝」と訳されるギリシャ語のεἰδωλολατρία(ガラテヤ5:20、第一コリント10:14、コロサイ3:5、第一ペテロ4:3)の語は、キリスト教の文献にしか出てこない[7]

肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 — ガラテヤ人への手紙5章19節から21節(口語訳)
それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。 — コリント人への第一の手紙10章14節(口語訳)
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために、神の怒りが下るのである。 — コロサイ人への手紙3章5節,6節(口語訳)

キリスト教

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十戒

使徒ヨハネの弟子であるポリュカルポスはスミルナ教会の監督であったと伝えられる。ポリュカルポスはヨハネの黙示録2:10にある「死に至るまで忠実であれ」を読んだ。ポリュカルポスはこの言葉どおりに、皇帝を拝む偶像崇拝を拒み、火あぶりにされた後に刺し殺され、殉教した[8][9]

キリスト教においては旧約聖書の記述から偶像崇拝を禁じている。

日本のキリスト教

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1932年昭和7年)5月5日に、上智大学の学生の一部が靖国神社の参拝という偶像崇拝行為への拒否を公然化したため、「カトリック、否、全キリスト教そのものが日本の国体と相容れない邪教である。その信者やその活動である学校経営は反国家的である。日本を外国に売る売国奴である。外人教師や宣教師などはそれぞれの母国から派遣されたスパイである」と非難された上智大生靖国神社参拝拒否事件が起き、信者たちの信仰活動は動揺した。そのため信仰よりも教会防衛を優先した当時のカトリック教会指導層は「祖国に対する信者のつとめ」を出し、神社参拝を容認した。これらの偶像崇拝と宗教弾圧への動揺は今日では自己批判されている[10][11][12]

プロテスタントでも日本基督教団などエキュメニカル派の一部は他宗教に対して比較的寛容であり、戦前より神社参拝、宮城遥拝国民儀礼御真影敬礼、焼香などの行為を行っていたが、戦前の美濃ミッション中田重治監督指導時のホーリネス、戦後の福音派などは、これらの行為が聖書に反する偶像崇拝であるとして、これらの行為を禁じていた[13][14][15][16][17][18]

日本キリスト改革派教会常葉隆興は日本基督教団の結成式で行われた宮城遥拝は、「偶像礼拝であり、神に対して死に値する罪であった」とした。また日本キリスト改革派は1951年の第6回大会で「すべての神道神社は偶像であり、我々はそれを礼拝する事を拒絶する。神棚仏壇その他どのような宗教的事物に対しても頭を下げて礼をしない。」と決議した[19]

中央神学校のチャップマン教授は、日本の教会が神社参拝に対して明確な態度を取れなかったのは、旧約聖書の知識を欠いていたからだと指摘した[20][21]。また、日本の教会は自由主義神学高等批評によって信仰が骨抜きにされており、植村神学が簡易信条主義であったことから、異教の偶像崇拝に対して抵抗する力を持たなかったと指摘する者もいる[19]

福音派など聖書信仰の教会は1959年11月18日日本宣教百年記念聖書信仰運動大会において、偶像崇拝の罪を、神の御前に悔い改め、告白した。「我らは過去百年間、キリスト者として、個人生活的にも、亦国民生活的にも、一切の偶像崇拝を廃棄すべき聖書の命令に応えることに於いて、欠けたところの多かったことを神の前に反省し、痛切なる悔改めを告白する」

貪欲、泥酔、飽食、名誉欲について

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正教会の教えによると、木や金属その他の材料によって形作った像を神として崇めることばかりでなく、「強欲」、「酒食に耽ること」、「傲慢と名誉欲」も偶像崇拝であるとされている[22]

彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。 — ピリピ人への手紙3章19節(口語訳)

イスラム教

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イスラム教において、シルク(شرك、širk)と呼ばれる偶像崇拝の行為はアッラーフが許さない唯一の罪である(『婦人章』第116節)。また、アッラーフの形代を作って拝む事さえ“タウヒードに反する許されない罪”である[注釈 1][23]。よって世界のどこにいようが、聖地マッカの方角を向いて拝礼すればよい。

ムハンマドを描いた絵画も、ムハンマドへの個人崇拝を排するため、顔に布をかけた姿で描かれている。

脚注

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注釈

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  1. ^ アッラーフは精神だけの存在なので、いつ、どこであってもその場にいる[要出典]

出典

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  1. ^ 広辞苑』岩波書店
  2. ^ 日本国語大辞典』小学館
  3. ^ 出エジプト記(口語訳)#32:27-28
  4. ^ 歴代志下(口語訳)#34:1-7
  5. ^ イザヤ書(口語訳)#42:8
  6. ^ イザヤ書(文語訳)#42:8
  7. ^ 尾山令仁『ガラテヤの諸教会への手紙』p.285-286
  8. ^ 『ポリュカルポス殉教伝』The Martyrdom of Polycarp: The contemporary account of his death in the letter to the Smyrnaeans.
  9. ^ 尾山令仁『ヨハネが受けたキリストの啓示(黙示録)』羊群社
  10. ^ 西山俊彦『カトリック教会の戦争責任』サンパウロ
  11. ^ カリタス・ジャパン『ひびき-非暴力による平和への道』2006
  12. ^ 石黒イサク他『それでも主の民として』いのちのことば社
  13. ^ 『神社参拝拒否事件記録』美濃ミッション
  14. ^ 小野静雄『日本プロテスタント教会史』聖恵授産所出版
  15. ^ 奥山実他『教会成長シンポジウム』新生運動
  16. ^ 尾山令仁『今も生きておられる神』プレイズ出版
  17. ^ 尾山令仁『信仰生活の手引き』いのちのことば社
  18. ^ 滝元明『千代に至る祝福』CLC出版
  19. ^ a b ジョン・M.L.ヤング『天皇制とキリスト教』(日本における二つの帝国)燦葉出版社,The two empires in Japan by John M. L. Young
  20. ^ 中央神学校史編集委員会『中央神学校の回想-日本プロテスタント史の一資料として』
  21. ^ 中村敏 『日本における福音派の歴史』いのちのことば社 p.41
  22. ^ 『通俗正教教話』pp.212-214
  23. ^ Forgiveness for Shirk - Islamweb - Fatwas”. www.islamweb.net. 2021年1月31日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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