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[[1994年]]、5歳の初戦には重賞に昇格した[[平安ステークス]]に出走。初ダートとあって5番人気と評価はそれほど高くなかったが、好位追走から逃げ粘る地方馬[[オーディン (競走馬)|オーディン]]を追いかけ、ゴール前でクビ差とらえて重賞2勝目をあげた。しかし、レース後骨折が判明し休養。6月の[[CBC賞]]で復帰したが、4着に終わると、再び骨折が判明。秋に復帰も3走していずれも凡走に終わる。
[[1994年]]、5歳の初戦には重賞に昇格した[[平安ステークス]]に出走。初ダートとあって5番人気と評価はそれほど高くなかったが、好位追走から逃げ粘る地方馬[[オーディン (競走馬)|オーディン]]を追いかけ、ゴール前でクビ差とらえて重賞2勝目をあげた。しかし、レース後骨折が判明し休養。6月の[[CBC賞]]で復帰したが、4着に終わると、再び骨折が判明。秋に復帰も3走していずれも凡走に終わる。


6歳となった[[1995年]]は、初戦に前年に勝利した平安ステークスを予定したが回避し、すばるステークスに出走すると、2着[[リドガイ]]に4馬身差の勝利。中1週で出走した[[フェブラリーステークス]](当時はGII)でも[[ライブリマウント]]の2着と好走し、続く[[マーチステークス]]では59キロのトップハンデを苦にせず重賞3勝目を挙げた。そして芝のマイル路線に駒を進めるが、[[京王杯スプリングカップ]]では1番人気(ただし単勝5.0倍)に支持されながらも8着に敗れ、[[安田記念]]も15着に終わる。続いて出走した[[宝塚記念]]では最低人気だったが、このレースで逃げを打つと、2分10秒2の日本レコードで勝った[[ダンツシアトル]]からわずか0秒4差の4着に粘った。[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]](当時GII・芝2000m)では6着。秋初戦の[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]で5着に敗れると、続く[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]では17頭立ての16番人気の低評価になったが、逃げて[[サクラチトセオー]]から0秒2差の4着に粘る。しかし、再び故障を発症した。
6歳となった[[1995年]]は、初戦に前年に勝利した平安ステークスを予定したが回避し、すばるステークスに出走すると、2着[[リドガイ]]に4馬身差の勝利。中1週で出走した[[フェブラリーステークス]](当時はGII)でも[[ライブリマウント]]の2着と好走し、続く[[マーチステークス]]では59キロのトップハンデを苦にせず重賞3勝目を挙げた。そして芝のマイル路線に駒を進めるが、[[京王杯スプリングカップ]]では1番人気(ただし単勝5.0倍)に支持されながらも8着に敗れ、[[安田記念]]も15着に終わる。続いて出走した[[宝塚記念]]では最低人気だったが、このレースで逃げを打つと、2分10秒2の日本レコードで勝った[[ダンツシアトル]]からわずか0秒4差の4着に粘った。[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]](当時GII・芝2000m)では6着。秋初戦の[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]で5着に敗れると、続く[[天皇賞(秋)]]では17頭立ての16番人気の低評価になったが、逃げて[[サクラチトセオー]]から0秒2差の4着に粘る。しかし、再び故障を発症した。


[[1996年]]、7歳の初戦として[[川崎記念]]に出走したが、5着に敗れると再び休養。休養明け初戦の[[毎日王冠]]では12頭立ての8番人気も、逃げて[[アヌスミラビリス]]の2着に粘った。再び故障で休養し、8歳となった[[1997年]]、[[プロキオンステークス]]で復帰すると3着に好走。しかし3番人気に支持された[[アンタレスステークス]]では11着に終わり、秋に[[朝日チャレンジカップ]]、[[京都大賞典]]と出走し、これを最後に現役引退した。
[[1996年]]、7歳の初戦として[[川崎記念]]に出走したが、5着に敗れると再び休養。休養明け初戦の[[毎日王冠]]では12頭立ての8番人気も、逃げて[[アヌスミラビリス]]の2着に粘った。再び故障で休養し、8歳となった[[1997年]]、[[プロキオンステークス]]で復帰すると3着に好走。しかし3番人気に支持された[[アンタレスステークス]]では11着に終わり、秋に[[朝日チャレンジカップ]]、[[京都大賞典]]と出走し、これを最後に現役引退した。
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2022年3月11日 (金) 22:53時点における版

トーヨーリファール
1995年6月4日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1990年5月10日
死没 (不明)
登録日 1992年10月1日
抹消日 1998年1月23日
Relaunch
サンダードーム
母の父 Lyphard
生国 日本の旗 日本北海道門別町
生産者 トーヨークラブ北海道支店
馬主 有限会社トーヨークラブ
調教師 松永善晴栗東
競走成績
生涯成績 中央競馬30戦6勝、地方競馬2戦0勝
獲得賞金 3億7021万9000円
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トーヨーリファール日本競走馬。いわゆる持込馬で、芝とダートの両方で重賞を勝った。

馬齢は旧表記(数え年)とする。

戦績

1992年11月4日京都競馬場新馬戦でデビューし勝利。続くカトレア賞にも勝利するが、4歳(1993年)の春にかけてトウ骨の骨膜炎に苦しめられ、ラジオたんぱ杯3歳ステークスきさらぎ賞アーリントンカップはいずれも6着に終わる。

休養をはさみ、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を目指して出走したトライアルNHK杯で4着に敗れると、当時「残念ダービー」と呼ばれていたニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走し、6番人気の低評価を覆して中団追走から大外に持ち出して楽々先行馬群をとらえると、2着のケイウーマンに2馬身差をつけ勝利する。続く中日スポーツ賞4歳ステークスでは当時の日本レコードで勝利したネーハイシーザーに敗れはしたが、2着を確保した。

秋は菊花賞を目指したが、神戸新聞杯を4着、京都新聞杯を3着となったことで、陣営は距離適性に限界を感じたのか、短距離路線に変更した。しかし、マイルチャンピオンシップで5着、スプリンターズステークスでは8着に終わる。

1994年、5歳の初戦には重賞に昇格した平安ステークスに出走。初ダートとあって5番人気と評価はそれほど高くなかったが、好位追走から逃げ粘る地方馬オーディンを追いかけ、ゴール前でクビ差とらえて重賞2勝目をあげた。しかし、レース後骨折が判明し休養。6月のCBC賞で復帰したが、4着に終わると、再び骨折が判明。秋に復帰も3走していずれも凡走に終わる。

6歳となった1995年は、初戦に前年に勝利した平安ステークスを予定したが回避し、すばるステークスに出走すると、2着リドガイに4馬身差の勝利。中1週で出走したフェブラリーステークス(当時はGII)でもライブリマウントの2着と好走し、続くマーチステークスでは59キロのトップハンデを苦にせず重賞3勝目を挙げた。そして芝のマイル路線に駒を進めるが、京王杯スプリングカップでは1番人気(ただし単勝5.0倍)に支持されながらも8着に敗れ、安田記念も15着に終わる。続いて出走した宝塚記念では最低人気だったが、このレースで逃げを打つと、2分10秒2の日本レコードで勝ったダンツシアトルからわずか0秒4差の4着に粘った。高松宮杯(当時GII・芝2000m)では6着。秋初戦のマイルチャンピオンシップ南部杯で5着に敗れると、続く天皇賞(秋)では17頭立ての16番人気の低評価になったが、逃げてサクラチトセオーから0秒2差の4着に粘る。しかし、再び故障を発症した。

1996年、7歳の初戦として川崎記念に出走したが、5着に敗れると再び休養。休養明け初戦の毎日王冠では12頭立ての8番人気も、逃げてアヌスミラビリスの2着に粘った。再び故障で休養し、8歳となった1997年プロキオンステークスで復帰すると3着に好走。しかし3番人気に支持されたアンタレスステークスでは11着に終わり、秋に朝日チャレンジカップ京都大賞典と出走し、これを最後に現役引退した。

引退後

1998年より、北海道静内町レックススタッド種牡馬入りした。数少ないゴドルフィンアラビアン系(マンノウォー系)の種牡馬であったが、G1未勝利馬としては交配料が高かったこともあり、初年度の種付頭数は19頭、2年目が4頭と厳しい状況でのスタートとなった。しかし産駒が産まれると、その馬格のよさが馬産地のあちこちで評価されよく売れた。そのためレックスが交配料を無料にするなど営業を強化したところ、3年目に人気が急上昇し77頭もの交配牝馬を確保した。その中から指定交流重賞かきつばた記念の優勝馬ヨシノイチバンボシを、更にその翌年の産駒から南関東の桜花賞優勝馬ミライを輩出した。しかしその時点では既に種牡馬登録が抹消されていた。

2005年1月28日付で種牡馬登録を抹消し、用途は転売不明となっている。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
(上り3F/4F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1992 11. 14 京都 3歳新馬 10 002.6 0(1人) 01着 松永昌博 54 芝1600m(良) 1:35.8 (47.6) -0.3 (キングファラオ)
11. 29 中京 カトレア賞 500万下 8 001.7 0(1人) 01着 松永昌博 54 芝1800m(良) 1:49.1 (36.4) -0.1 (フジワンマンクロス)
12. 26 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 12 003.0 0(1人) 06着 松永昌博 54 芝2000m(良) 2:06.6 (51.5) -0.8 ナリタタイシン
1993 2. 14 京都 きさらぎ賞 GIII 12 007.3 0(4人) 06着 松永昌博 55 芝1800m(良) 1:49.3 (49.3) -1.2 ツジユートピアン
3. 7 阪神 アーリントンカップ GIII 14 008.0 0(5人) 06着 西浦勝一 55 芝1600m(良) 1:39.6 (50.9) -1.3 グランドシンゲキ
5. 9 東京 NHK杯 GII 13 061.6 (12人) 04着 松永昌博 56 芝2000m(良) 2:01.8 (36.6) -1.1 マイシンザン
6. 6 東京 NZT4歳S GII 12 010.7 0(6人) 01着 松永昌博 56 芝1600m(稍) 1:34.6 (34.9) -0.3 (ケイウーマン)
7. 4 京都 中日スポーツ賞4歳S GIII 12 001.7 0(1人) 02着 松永昌博 57 芝1800m(稍) 1:45.5 (35.1) -0.3 ネーハイシーザー
9. 26 阪神 神戸新聞杯 GII 9 007.5 0(4人) 04着 松永昌博 56 芝2000m(良) 2:05.4 (37.3) -2.5 ビワハヤヒデ
10. 17 京都 京都新聞杯 GII 10 012.1 0(3人) 03着 松永昌博 57 芝2200m(良) 2:13.4 (35.0) -0.1 ウイニングチケット
11. 21 京都 マイルCS GI 15 014.9 0(5人) 05着 松永昌博 55 芝1600m(不) 1:36.1 (36.6) -0.4 シンコウラブリイ
12. 19 中山 スプリンターズS GI 14 013.5 0(5人) 08着 松永昌博 55 芝1200m(良) 1:08.8 (34.5) -0.9 サクラバクシンオー
1994 1. 15 阪神 平安S GIII 16 013.8 0(5人) 01着 松永昌博 56 ダ1800m(良) 1:52.8 (38.7) -0.1 (オーディン)
6. 26 中京 CBC賞 GII 11 008.6 0(4人) 04着 松永昌博 58 芝1200m(良) 1:08.8 (35.0) -0.9 ニホンピロプリンス
10. 29 阪神 スワンS GII 18 163.6 (14人) 12着 松永昌博 58 芝1400m(良) 1:21.5 (36.3) -1.6 サクラバクシンオー
11. 20 福島 福島記念 GIII 14 009.1 0(5人) 09着 宝来城多郎 57.5 芝2000m(良) 2:02.8 (38.9) -1.5 シルクグレイッシュ
12. 17 中京 ウインターS GIII 16 010.2 0(3人) 06着 松永昌博 58 ダ2300m(良) 2:27.6 (38.4) -0.5 ライブリマウント
1995 2. 4 京都 すばるS OP 11 006.5 0(3人) 01着 松永昌博 57.5 ダ1400m(良) 1:23.8 (36.1) -0.7 (リドガイ)
2. 18 東京 フェブラリーS GII 16 005.6 0(3人) 02着 松永昌博 58 ダ1600m(良) 1:36.7 (36.9) -0.3 ライブリマウント
3. 11 中山 マーチS GIII 16 002.9 0(1人) 01着 松永昌博 59 ダ1800m(不) 1:50.5 (38.3) -0.1 (ロイヤルハーバー)
4. 22 東京 京王杯スプリングC GII 18 005.0 0(1人) 08着 松永昌博 58 芝1400m(良) 1:21.9 (35.5) -0.6 ドゥマーニ
5. 14 東京 安田記念 GI 18 010.9 0(5人) 15着 松永昌博 57 芝1600m(良) 1:34.3 (35.5) -1.1 ハートレイク
6. 4 京都 宝塚記念 GI 17 134.9 (17人) 04着 松永昌博 57 芝2200m(稍) 2:10.6 (35.3) -0.4 ダンツシアトル
7. 9 中京 高松宮杯 GII 12 009.3 0(4人) 06着 松永昌博 58 芝2000m(良) 2:03.2 (37.6) -0.6 マチカネタンホイザ
10. 10 水沢 南部杯 重賞 10 0(3人) 05着 松永昌博 56 ダ1600m(良) 1:41.4 -0.8 ライブリマウント
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 17 087.5 (16人) 04着 松永昌博 58 芝2000m(良) 1:59.0 (35.9) -0.2 サクラチトセオー
1996 1. 24 川崎 川崎記念 重賞 12 0(5人) 05着 松永昌博 55 ダ2000m(良) 2:08.7 -1.2 ホクトベガ
10. 6 東京 毎日王冠 GII 12 037.0 0(8人) 02着 松永昌博 58 芝1800m(良) 1:46.0 (35.3) -0.2 アヌスミラビリス
1997 4. 12 阪神 プロキオンS GIII 16 038.5 0(7人) 03着 河内洋 58 ダ1400m(良) 1:23.4 (36.8) -0.5 バトルライン
5. 3 京都 アンタレスS GIII 16 004.3 0(3人) 11着 河内洋 58.5 ダ1800m(良) 1:52.7 (39.2) -2.0 エムアイブラン
9. 7 阪神 朝日チャレンジC GIII 9 016.9 0(5人) 07着 松永昌博 59 芝2000m(良) 2:00.9 (37.4) -1.6 シンカイウン
10. 5 京都 京都大賞典 GII 10 024.8 0(6人) 05着 松永昌博 58 芝2400m(良) 2:26.7 (35.1) -0.5 シルクジャスティス

血統表

トーヨーリファール血統インテント系 / Native Dancer5×5・4=12.50% (母内) 、War Relic5×5=6.25%) (血統表の出典)[§ 1]

Relaunch
1976 芦毛
父の父
In Reality
1964 鹿毛
Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
父の母
Foggy Note
1965 芦毛
The Axe Mahmoud
Blackball
Silver Song Royal Note
Beadah

*サンダードーム
Thunder Dome
1983 黒鹿毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Neactic
Natalma
Goofed Court Martial
Berra
母の母
Mr. P's Girl
1978 黒鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Native Sweet Native Dancer
Beaver Street F-No.3-d
母系(F-No.) 3号族(FN:3-d) [§ 2]
5代内の近親交配 Native Dancer4×5×5、War Relic5×5 [§ 3]
出典
  1. ^ JBISサーチ トーヨーリファール 5代血統表2016年8月5日閲覧。
  2. ^ JBISサーチ トーヨーリファール 5代血統表2016年8月5日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ トーヨーリファール 5代血統表2016年8月5日閲覧。


参考文献

外部リンク