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'''館 龍一郎'''(たち りゅういちろう、[[1921年]][[9月11日]] - [[2012年]][[2月11日]])は、[[日本]]の[[経済学者]]([[金融論]]・[[財政学]])。[[勲等]]は[[勲二等]]。[[東京大学]][[名誉教授]]、[[青山学院大学]]名誉教授[[日本学士院会員]]。
'''館 龍一郎'''(たち りゅういちろう、[[1921年]][[9月11日]] - [[2012年]][[2月11日]])は、[[日本]]の[[経済学者]]([[金融論]]・[[財政学]])。[[勲等]]は[[勲二等]]。[[東京大学]]名誉教授、[[青山学院大学]]名誉教授[[日本学士院会員]]。


[[日本銀行]]での勤務を経て、東京大学[[東京大学大学院経済学研究科・経済学部|経済学部]][[教授]]、東京大学経済学部[[学部長]]、青山学院大学[[国際政治経済学部]]教授、[[財政金融研究所]][[所長]]などを歴任した。
[[日本銀行]]での勤務を経て、東京大学[[東京大学大学院経済学研究科・経済学部|経済学部]][[教授]]、東京大学経済学部[[学部長]]、青山学院大学[[国際政治経済学部]]教授、[[財政金融研究所]][[所長]]などを歴任した。
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*「経済政策の理論」([[小宮隆太郎]]と共著)[[勁草書房]](1964年)
*「経済政策の理論」([[小宮隆太郎]]と共著)[[勁草書房]](1964年)
*「ケインズと現代経済学」(編著)[[東京大学出版会]](1968年)
*「ケインズと現代経済学」(編著)[[東京大学出版会]](1968年)
*「金融」([[浜田宏一]]と共著)[[岩波書店]](1972年)
*「金融 現代経済学6」([[浜田宏一]]と共著)[[岩波書店]](1972年)
*「財政」([[貝塚啓明]]と共著)岩波書店(1973年)
*「財政 現代経済学7」([[貝塚啓明]]と共著)岩波書店(1973年)
*「金融政策の理論」[[東京大学出版会]](1982年)
*「金融政策の理論」[[東京大学出版会]](1982年)
*「金融再編成の視点」[[東洋経済新報社]](1985年)
*「金融再編成の視点」[[東洋経済新報社]](1985年)
*「日本の金融」Ⅰ、Ⅱ(共編)[[東京大学出版会]](1987年)
*「日本の金融」Ⅰ、Ⅱ(蝋山昌一共編)[[東京大学出版会]](1987年)
*「日本の経済」[[東京大学出版会]](1991年)
*「日本の経済」[[東京大学出版会]](1991年)
*「金融辞典」(編著)[[東洋経済新報社]](1994年)
*「金融辞典」(編著)[[東洋経済新報社]](1994年)

2023年8月20日 (日) 05:56時点における最新版

館 龍一郎
日本学士院により
公表された肖像写真
生誕 1921年9月11日
日本の旗 神奈川県横浜市
死没 (2012-02-11) 2012年2月11日(90歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究機関 日本銀行
東京大学
青山学院大学
財政金融研究所
研究分野 金融論
財政学
母校 東京帝国大学経済学部卒業
学位 経済学士
(東京帝国大学・1944年
実績 欧米の経済理論を踏まえ
日本の現実に適用できる
金融理論を構築
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館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - 2012年2月11日)は、日本経済学者金融論財政学)。勲等勲二等東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。日本学士院会員

日本銀行での勤務を経て、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、青山学院大学国際政治経済学部教授、財政金融研究所所長などを歴任した。

来歴

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館哲二(内務官僚・参議院議員)の長男として横浜市で生まれる。1944年、東京帝国大学経済学部卒。戦後すぐ日本銀行勤務経験もあった。1950年、東京大学助教授。1961年、東京大学教授。1984年、東京大学を退官し青山学院大学教授。1985年日本学士院会員。

この間、大蔵省財政金融研究所所長、日本銀行金融研究所特別顧問、金融制度調査会会長、中央社会保険医療協議会会長等を歴任。

欧米の最新の金融理論(特に貨幣論)を紹介し、日本の実情に当てはまる独自の理論を展開した。また、その理論を元に政策提言を行った。特に金融制度調査会長として金融制度改革に積極的に取り組んだ。

2012年2月11日、肺炎のため死去[1]。90歳没。

行政

[編集]

1980年代から90年代にかけ旧大蔵省の金融制度調査会長など、霞が関の経済政策に大きな発言力があった[要出典]

栄典

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主な著書

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ほか。

脚注

[編集]
先代
高垣寅次郎
日本金融学会会長
第4代:1982年 - 1988年
次代
小寺武四郎