「ラプソディ・イン・ブルー」の版間の差分
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*百歳体操『[[ふるさと愉快亭 小朝が参りました]]』で使われた体操の楽曲。メロディの一部に本曲がモチーフの部分がみられる。 |
*百歳体操『[[ふるさと愉快亭 小朝が参りました]]』で使われた体操の楽曲。メロディの一部に本曲がモチーフの部分がみられる。 |
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*『[[科捜研の女]]』(テレビ朝日系)- 第1シリーズ(1999年10月放送)中の各所にて[[背景音楽|BGM]]として使用されていた。 |
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*[[花澤香菜]]『マニアエキラキラ』(2010年)- メロディの一部に引用。 |
*[[花澤香菜]]『マニアエキラキラ』(2010年)- メロディの一部に引用。 |
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2021年11月23日 (火) 08:46時点における版
音楽・音声外部リンク | |
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Gershwin:Rhapsody in Blue - Aryo WicaksonoのP独奏、Julie Debordes指揮Queer Urban Orchestraによる演奏。Queer Urban Orchestra公式YouTube。 |
『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)は、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンが作曲、ファーディ・グローフェが編曲したピアノ独奏と管弦楽のための音楽作品である。
『ラプソディ・イン・ブルー』というタイトルは「ジャズの語法によるラプソディ」といった程度の意味がある。ラプソディ(狂詩曲)には、「民族音楽風で叙事詩的な、特に形式がなく自由奔放なファンタジー風の楽曲」という意味があるので、このタイトルから、ガーシュウィンはジャズをアメリカにおけるある種の「民族音楽」と捉えていたことが窺える。実際この曲は、アメリカ的な芸術音楽の代表格とみなされている。
「この曲は青い」という言葉が題名の由来。元は『アメリカン・ラプソディ』という題名だったが、兄のアイラ・ガーシュウィンが現在の題名を提案して変更した。
アメリカ合衆国の著作権法では1978年以前の出版物の著作権は発表から95年と定められており、『ラプソディー・イン・ブルー』は2020年にパブリック・ドメインに入った[1]。
作曲の経緯・初演
ポール・ホワイトマンの提案を受け、1924年、ニューヨークのエオリアンホールで開かれた「新しい音楽の試み」と題されたコンサートに向けて作曲し、そこで初演された(同年2月12日)。
この曲が作られることになった発端は、1924年1月3日、他の仕事で多忙だったガーシュウィンが兄のアイラとビリヤード場に息抜きに行った際、新聞で「ホワイトマンがガーシュウィンに曲を発注した」という記事を見つけたことだった。翌日、抗議のためガーシュウィンはホワイトマンに電話をかけるも、実はこの記事はホワイトマンがガーシュウィンを呼びつけるために作った偽記事だったらしく、「新聞記事になってしまったから作ってくれ」とホワイトマンに押し切られた。
カデンツァの部分は、仕事でボストンに向かう際に乗った列車の走行音から着想を得たとされる。
ガーシュウィンは、この曲を約2週間で一気に書き上げた。ただ、当時のガーシュウィンはまだオーケストレーションに精通しているとはいえなかった上に、作曲の期間が限定されているという事情も加わり、代わってファーディ・グローフェがオーケストレーションを行なった。グローフェは当時、ホワイトマン楽団のピアニストであるとともに専属の編曲者を務めていた。ガーシュウィンが2台のピアノを想定しながら作曲し、それを即座にグローフェがオーケストラ用に編曲していき、結局はガーシュウィン自身が弾くピアノと小編成のジャズバンド向けの版が完成された。その後もいくつかの版が作られたが、1926年にグローフェが再編曲したオーケストラ版と、ガーシュウィンの死後の1942年にフランク・キャンベル=ワトソンがグローフェ編曲版に加筆修正を加えた版がよく知られている。その後は主に1942年版が演奏されている。
ピアノ独奏が入るため、一種のピアノ協奏曲風な雰囲気もある。ヨーロッパのクラシック音楽とアメリカのジャズを融合させたシンフォニックジャズとして高く評価された。
初演が行なわれた「新しい音楽の試み(現代音楽の実験)」には、ヤッシャ・ハイフェッツ、フリッツ・クライスラー、セルゲイ・ラフマニノフ、レオポルド・ストコフスキー、ゴドフスキー、イーゴリ・ストラヴィンスキーらが立ち会ったという[2]。
日本人による演奏
日本においては、1955年9月11日に日比谷公会堂にて、近衛秀麿の指揮、アメリカ人ピアニストのセイモア・バーンスタインにより初演された。その後、小曽根真などジャズピアニストがニューヨーク・フィルハーモニックなどのオーケストラと、アジアを中心に各地で公演したことでさらに広く知られる。
曲の構成
最初はクラリネットの、低音からのグリッサンドで始まる。当初はグリッサンドでなく、17音の上昇音階で記されていたが、ホワイトマン・バンドのクラリネット奏者がふざけてグリッサンドで演奏したところ、ガーシュウィンが気に入り書き改められたと伝えられる。曲風はジャズの要素を多く含んでいる。
各稿とその編成[3]
1924年オリジナル・ジャズ・バンド稿
前述の通り、ガーシュウィンが2台のピアノ用に作曲したものを、グローフェがジャズ・バンド用にオーケストレーションしている。この版はグローフェがホワイトマン楽団での演奏専用に編曲したものであるため、木管楽器に頻繁な持ち替えが規定されるなど、特異なアレンジがなされている。そのため公式の出版はなされず、グローフェの手書きの楽譜のみが残されている。
この稿は1976年に、マイケル・ティルソン・トーマスがガーシュウィンの遺したピアノロール(後述)からオーケストラ・パートを削除しソロ・パート部分のみにしたものをソロに用い、コロンビア・ジャズ・バンドを指揮してレコーディングを行い、その後世界的に知られるようになった。
- 木管楽器(奏者3):サクソフォーン、クラリネット、オーボエ、ファゴットを持ち替え
- 金管楽器:ホルン2、トランペット2、トロンボーン2、チューバ1
- 打楽器・その他:チェレスタ、ピアノ(独奏とは別)、独奏ピアノ
- 弦楽器:ヴァイオリン(奏者8)、バンジョー
[疑問点 ]
1924年2台ピアノ稿
オリジナル・ジャズ・バンド稿の初演の成功の後、ガーシュウィン自身が2台のピアノのために完成させた稿。なお、ガーシュウィンはピアノロールを用いてソロパートとオーケストラパートを2重記録(1台のピアノを連弾)したものを遺している。
1926年オーケストラ稿
この曲の成功を受けて、グローフェがオーケストラ用に再編曲した稿。
- 木管楽器:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット1、ファゴット2、サクソフォーン3(アルト2、テナー1)
- 金管楽器:ホルン3、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1
- 打楽器・その他:ティンパニ、ベル、銅鑼、スネアドラム、シンバル、トライアングル、独奏ピアノ
- 弦楽器:第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、バンジョー、ギター
1927年ピアノ・ソロ稿
1924年の2台ピアノ版に続き、ガーシュウィン自身が完成させた稿。
1937年7月にガーシュウィンは死去しているため、この稿が作曲者の関与した最後のものである。
1938年オーケストラ稿
グローフェの再々編曲。ピアノ・ソロ部分までもオーケストレーションし、ピアノがなくても演奏可能としたところに特徴がある。
なお、グローフェは同様にピアノなしで演奏可能にした吹奏楽のための編曲も残している(1937年)。
1942年オーケストラ稿
1926年のグローフェ稿を基本としつつ、フランク・キャンベル=ワトソン(ガーシュウィン作品の出版社の編集者)が改訂した稿。現在、オーケストラでの演奏にあたってはこの稿が使用されることが多い。
- 木管楽器:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット1、ファゴット2、サクソフォーン3(アルト2、テナー1)
- 金管楽器:ホルン3、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1
- 打楽器・その他:ティンパニ、ベル、銅鑼、小太鼓、シンバル、トライアングル、独奏ピアノ
- 弦楽器:第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、バンジョー
使用例
- 映画『アメリカ交響楽』(原題:Rhapsody in Blue) - 1945年のアメリカ映画。ジョージ・ガーシュインの伝記映画。
- 映画『ファンタジア2000』の1曲に使用。
- 映画『マンハッタン』冒頭。
- 映画『グレムリン2 新・種・誕・生』 - グレムリンたちにクランプセンターを占拠され、館内の広間でグレムリンがパーティを行うシーンにて一部使用。
- 映画『華麗なるギャツビー』のワンシーン。
- フィギュアスケート選手、イリヤ・クーリックが1998年長野オリンピックでフリープログラムに使用。金メダルを獲得。
- アメリカの大手航空会社であるユナイテッド航空のテレビCMのテーマ曲として、1980年代より使用。
- フィギュアスケート選手、エヴァン・ライサチェクが2008-2009シーズンのフリープログラムに使用。
日本における例
- NHKスペシャル『映像の世紀』第3集「それはマンハッタンから始まった」。ガーシュウィンの映像とともに自らの演奏を一部収録。
- NHK-FM『夜のプレイリスト』テーマ曲
- 映画『やじきた道中 てれすこ』の挿入曲。三味線や和太鼓で演奏した。
- 杉ちゃん&鉄平の『電クラ2』における曲のひとつ「ラプソディ・イン・ブルートレイン」に使用。
- 『のだめカンタービレ』アニメ版及びテレビドラマ版にて、主人公の野田恵がマングースの着ぐるみを着て演奏。前奏部分にはピアニカが使用された。
- 東急ジルベスターコンサート 第4回(1998年 - 1999年)および第14回(2008年 - 2009年)のカウントダウン曲。
- 『植木等ショー』(1967年12月28日放送「われもし指揮者なりせば」)では植木等が指揮者となり東京交響楽団・ハナ肇とクレージーキャッツ(ジャズバンド)による演奏が行われた。曲中には音楽ギャグが挿入され(途中でペレス・プラードの「セレソローサ」や加山雄三の「君といつまでも」に演奏が切り替えられたことも)、最後はクレージーキャッツによるグランドピアノの解体・爆破(リベラーチェのパフォーマンスを元に鴨下信一・中原弓彦(小林信彦)が提案)で締めくくられた。
- 百歳体操『ふるさと愉快亭 小朝が参りました』で使われた体操の楽曲。メロディの一部に本曲がモチーフの部分がみられる。
- 『科捜研の女』(テレビ朝日系)- 第1シリーズ(1999年10月放送)中の各所にてBGMとして使用されていた。
- 花澤香菜『マニアエキラキラ』(2010年)- メロディの一部に引用。
CM曲
- セブン-イレブンのCM、おでん「選べる楽しさ」編。
- JR東海のCM「タワーズ(名古屋駅)へようこそ」編など。
- 新丸ビルのテーマ曲。
- セコムのCM。
- ヤナセのCM。
- 味の素ゼネラルフーヅのCM。
- 日産・ブルーバード(U11型後期)のCMソング。
- 名古屋マリオットアソシアホテルのCM(2000年)。ジャズ・ヴァイオリニスト寺井尚子の演奏によるもので、シングル『Rhapsody In Blue』も発売された。
脚注
- ^ PJ Grisar (2020-01-02), Something old, something blue: Gershwin’s ‘Rhapsody’ enters the public domain, Forward
- ^ 名曲「ラプソディ・イン・ブルー」誕生の意外なエピソード。作曲依頼は新聞で? astral weeks-音楽・美術・映画・書物について 2019年5月9日配信
- ^ 「ラプソディー・イン・ブルー」についてのノート(1)astral weeks-音楽・美術・映画・書物について 2007年6月16日配信