チェリー・ピンク・チャチャ
「チェリー・ピンク・チャチャ」 | |
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別名 "Cerezo Rosa", "Ciliegi Rosa", "Gummy Mambo" など | |
楽曲 | |
英語名 | Cherry Pink and Apple Blossom White |
発祥 | 1950年 |
作詞者 | ジャック・ラルー マック・デイヴィッド |
作曲者 | ルイギ |
俗にチェリー・ピンク・チャチャとして知られる、原題 Cerisiers Roses et Pommiers Blancs は、フランスのルイギが1950年に作曲したポピュラー音楽の楽曲。英語タイトルは Cherry Pink and Apple Blossom White 。各国さまざまなタイトルで呼ばれ、「チェリー・ピンク・マンボ[1] (Cherry Pink Mambo)」「セレソ・ローサ (Cerezo Rosa)[1]」「Ciliegi Rosa」「Gummy Mambo」などの別題がある。
概説
[編集]フランス語の歌詞はジャック・ラルー、英語の歌詞はマック・デイヴィッドが書いたものがあり[2]、いずれもヒットした。
中でも、1955年に、ペレス・プラードと彼の楽団(トランペット奏者ビリー・リージス Billy Regis をフィーチャーした)によるインストゥルメンタル曲としての録音が[2]、スライドする音高の上下からメロディに入るといった特徴もあって、最も人気の高いバージョンとなり、『ビルボード』誌のチャートで10週間にわたって1位となった。この曲は、ゴールドディスクとなった。また、ペレス・プラードは、1955年の映画『海底の黄金 Underwater!』[1]で、ジェーン・ラッセルが踊る場面のために、この曲を最初にカバーした[2]。『ビルボード』誌の年間チャートでは、1955年の1位を記録した[3]。
アメリカ合衆国において、歌入りのバージョンの中でもっとも人気があったのは、アラン・デイルのもので、1955年にチャートの14位まで上昇した[4]。
イギリスでは、1955年のうちに2つのバージョンがチャートの首位に立った。最初に、ペレス・プラードのバージョンが首位に2週間留まった[5]。その半月も経たないうちに、イギリスのトランペット奏者エディ・カルヴァートのバージョンが首位となり、そこに4週間留まった[6]。
1961年、ジェリー・ムラーズ・ハーモニキャッツは、この曲をタイトル曲としたアルバムを発表した。
アル・ハートは、1965年のアルバム『They're Playing Our Song』に自身のバージョンを収録した[7]。
1982年には、イギリスのポップ・グループ、モダン・ロマンス(ジョン・デュ・プレが在籍していた)が、歌入りのバージョンをイギリスのチャートのトップ20に送り込んだ[8]。
おもなバージョン
[編集]- アンドレ・クラヴォー(フランス語によるオリジナル:1950年)
- ジョージア・ギブス(1951年)
- ティノ・ロッシ(1951年:1954年に「サクランボの木とリンゴの木」の邦題で日本でも発売[9])
- ニッラ・ピッツィ(イタリア語:1951年)
- フォティス・ポリメリス(ギリシャ語:1952年)
- アラン・デイル(1955年)
- ペレス・プラード(インストゥルメンタル:1955年、1960年)
- エディ・カルヴァート(インストゥルメンタル:1955年)
- チェット・アトキンス(1955年)
- パット・ブーン(1960年:フィリピンにおいて大ヒットとなった。)
- ジェリー・ムラーズ・ハーモニキャッツ(1961年)
- レスター・スターリング(変名「Mr. Versatile」名義:インストゥルメンタル:1969年)
- ノリー・パラマー楽団(1977年)
- ムノツィル・ブラス(2004年)
- アーサー・マレー
- ビル・ブラック・コンボ
- ビリー・ヴォーン
- ビング・クロスビー
- ディーヴォ(「Softcore Mutations」という曲名でとりあげているが未発売。)
- アール・ボスティック
- エドムンド・ロス
- ジゼル・マッケンジー
- ハリー・ジェイムス
- ホルスト・フィッシャー
- ヒューゴ・モンテネグロ
- Iイーヴォ・ロビッチ(クロアチア語「Jabuke i trešnje」、作詞はマリオ・キネル (Mario Kinel))
- ジェームス・ラスト楽団
- ジョン・バリー
- ローレンス・ウェルク
- リベラーチェ
- ルー・ドナルドソン
- ミシェル・ルグラン
- モダン・ロマンス
- ニーノ・インパロメーニ
- ロン・リビングストン
- ルベン・ペニャ
- スパイク・ジョーンズ(変名「Davey Crackpot」名義:ジョージ・ロックのトランペットによるペレス・プラードの大ヒット盤のパロディ。)
- スタンリー・ブラック
- ファビュラス・サンダーバーズ
- ザ・ベンチャーズ
- ザビア・クガート
フィンランド語版「Kaksi ruusua」
[編集]- ヘンリー・ティール(1955年)
- オラヴィ・ヴィルタ(1955年)
- エルキ・ユンカリネン(1975年)
- レイヨ・タイパレ(1975年)
- エージェンツ(1985年)
文化的影響
[編集]- ペレス・プラードのバージョンは、上記『海底の黄金』のほか、1989年の映画『私のパパはマフィアの首領』と『Parents』に用いられた。
- 日本のコントグループ、ザ・ドリフターズのコントにおいて、志村けんが衣裳を脱ぐ際のBGMに使われることが多かった。
脚注
[編集]- ^ a b c 『チェリー・ピンク・マンボ』 - コトバンク
- ^ a b c Rice, Jo (1982). The Guinness Book of 500 Number One Hits (1st ed.). Enfield, Middlesex: Guinness uperlatives Ltd. p. 18. ISBN 0-85112-250-7
- ^ Billboard Year-End Hot 100 singles of 1955
- ^ Whitburn, Joel (2004). The Billboard Book of Top 40 Hits: Eighth Edition. Record Research. p. 159
- ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 43. ISBN 1-904994-10-5
- ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 44. ISBN 1-904994-10-5
- ^ “Al (He's The King) Hirt* - They're Playing Our Song (Vinyl, LP, Album) at Discogs”. Discogs.com. 2014年4月3日閲覧。
- ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 373. ISBN 1-904994-10-5
- ^ 名和治良「1955年のヒット曲 -巾をきかした映画主題歌-」『スタア』(スタア社)1956年3月号、58頁。NDLJP:1753972/30