「エウノモス」の版間の差分
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[[プルタルコス]]によれば、詩人の[[シモニデス]]はエウノモスは立法者[[リュクルゴス]]と共に[[プリュタニス]]の子であると言っているが、大多数の人はエウノモスはプリュタニスの子で、[[ポリュデクテス]]とリュクルゴスがエウノモスの子であるとしているようである<ref>プルタルコス, 「リュクルゴス」, 1</ref>。一方で、[[ヘロドトス]]はエウノモスをポリュデクテスの子であるとしている<ref>ヘロドトス, VIII, 131</ref>。 |
[[プルタルコス]]によれば、詩人の[[シモニデス]]はエウノモスは立法者[[リュクルゴス]]と共に[[プリュタニス]]の子であると言っているが、大多数の人はエウノモスはプリュタニスの子で、[[ポリュデクテス]]とリュクルゴスがエウノモスの子であるとしているようである<ref>プルタルコス, 「リュクルゴス」, 1</ref>。一方で、[[ヘロドトス]]はエウノモスをポリュデクテスの子であるとしている<ref>ヘロドトス, VIII, 131</ref>。 |
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[[パウサニアス]]によれば、エウノモスの治世は平和だったようである<ref>パウサニアス, III, 7, 2</ref>。次の王位には[[カリラオス]]がついた。 |
[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によれば、エウノモスの治世は平和だったようである<ref>パウサニアス, III, 7, 2</ref>。次の王位には[[カリラオス]]がついた。 |
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*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
*[[プルタルコス]]著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年 |
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*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(上)(中)(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
*[[ヘロドトス]]著、[[松平千秋]]訳、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(上)(中)(下)、[[岩波書店]]、1972年 |
2021年11月15日 (月) 10:42時点における版
エウノモス(希:Εὔνομος、ラテン文字転記:Eunomos、在位:紀元前800年-紀元前780年)はエウリュポン朝のスパルタ王である。
プルタルコスによれば、詩人のシモニデスはエウノモスは立法者リュクルゴスと共にプリュタニスの子であると言っているが、大多数の人はエウノモスはプリュタニスの子で、ポリュデクテスとリュクルゴスがエウノモスの子であるとしているようである[1]。一方で、ヘロドトスはエウノモスをポリュデクテスの子であるとしている[2]。
パウサニアスによれば、エウノモスの治世は平和だったようである[3]。次の王位にはカリラオスがついた。
註
参考文献
- パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、龍渓書舎、1991年
- プルタルコス著、村川堅太郎他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、筑摩書房、1966年
- ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史』(上)(中)(下)、岩波書店、1972年
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