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{{君主主義}}
{{君主主義}}
{{統治体制}}
{{統治体制}}
'''君主制'''(くんしゅせい、[[英語|英]]:monarchy)または'''君主政'''{{Sfn|岡田|2015|p=19}}とは、一人の[[支配者]]が統治する[[国家]]形態であり{{Sfn|平凡社|2019}}、伝統的には[[君主]]が唯一の[[主権者]]である体制{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019}}。[[語源]]は[[ギリシア語]]の「モナルケス monarches」で、「ただ一人の支配」を意味する{{Sfn|平凡社|2019}}君主制持すこと 君主主義([[:en:monarchism|monarchism]]){{Sfn|Weblio|2019|p=「monarchism」}} いう。君主制の対義語は[[共和制]](republic)や[[君主制廃止論|共和主義]](republicanism)である。
'''君主制'''(くんしゅせい、{{lang-en-short|monarchy}})または'''君主政'''{{Sfn|岡田|2015|p=19}}とは、一人の[[支配者]]が統治する[[国家]]形態であり{{Sfn|平凡社|2019}}、伝統的には[[君主]]が唯一の[[主権者]]である体制{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019}}。[[語源]]は[[ギリシア語]]の「モナルケス monarches」で、「ただ一人の支配」を意味する{{Sfn|平凡社|2019}}{{Efn|『[[世界大百科事典]] 第2版』原文:{{Quotation|'''くんしゅせい【君主制 monarchy】'''<br><ins>一人の[[配者]]によって統治され国家形態</ins>。ギリシア語のモナルケスmonarchesに語源があり,モノスmonos(alone)+アルコarcho(rule),すなわち,<ins>〈ただ一人の支配〉</ins>意味する。{{Sfn|平凡社|2019}}}}}}。君主制支持は君主主義([[:en:monarchism|monarchism]]){{Sfn|Weblio|2019|p=「monarchism」}}と呼ばれる。


[[共和制]]([[:wikt:republic#名詞|republic]])は「君主制の対」とされる{{Sfn|平凡社|2023|p=「共和制」}}(共和制は[[民主制]]と[[同義]]にも用いられ得るが、実際は[[独裁]]的な場合も少なくないという{{Sfn|平凡社|2023|p=「共和制」}}{{efn|『[[百科事典マイペディア]]』原文:{{Quotation|'''共和制【きょうわせい】'''<br>一国を代表する[[象徴]]あるいは[[元首]]が,[[人民]]の中から一定の任期間選ばれる国家の体制。英語でrepublic,<ins>君主制の対</ins>。主権が人民にあることから[[民主制]]と同義語に用いられる場合があるが,実質的には[[独裁]]的統治が行われる場合も少なくない。多くの国が共和制の形態をとっている。{{Sfn|平凡社|2023|p=「共和制」}}}}}})。また「君主制,[[神政政治]]など」は、支配の[[権威]]が[[民衆]]に由来する[[民主主義]]と対照的とされており{{Sfn|平凡社|2019b|p=「民主主義」}}{{efn|『百科事典マイペディア』原文:{{Quotation|'''民主主義【みんしゅしゅぎ】'''<br> … <br><ins>支配の[[権威]]が[[民衆]]に由来</ins>し,その意味で支配者と被支配者が同一であるという主義,あるいはその原則にたつ政治体制(民主制)。<ins>君主制,[[神政政治]]などと対照的</ins>。〈民衆の福祉のために〉という[[啓蒙専制主義]]や[[民本主義]]も民主主義ではない。{{Sfn|平凡社|2019b|p=「民主主義」}}}}[[日本国憲法前文]]には「そもそも[[国政]]は、国民の厳粛な[[信託]]によるものであつて、その権威は国民に由来し」ているとある{{Sfn|荻野|2021|p=81}}。}}、「[[君主政治]]」や「[[貴族政治]]」も民主主義と区別されるという{{Sfn|小学館国語辞典編集部|2019|p=「民主主義」}}{{efn|『精選版 [[日本国語大辞典]]』原文:{{Quotation|'''みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】'''<br>〘[[名詞|名]]〙 [[人民]]が[[権力]]を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。権力が単独の人間に属する<ins>[[君主政治]]</ins>や少数者に属する<ins>[[貴族政治]]</ins>と<ins>区別される</ins>。狭義には、[[フランス革命]]以後に[[私有財産制]]を前提とした上で、[[個人の自由]]と[[法の下の平等|万人の平等]]を[[法の支配|法的に確定]]した政治原理をさす。{{Sfn|小学館国語辞典編集部|2019|p=「民主主義」}}}}}}。
== 用語 ==
== 用語 ==
[[君主]]が存在する国家を'''君主国'''、君主が存在しない国家を'''[[共和国]]'''という。君主国は通常、支配者の[[君主号]]によって、[[王国]]([[国王|王]])、[[大公国]]([[大公]])、[[公国]]([[公]])、[[首長国]]([[アミール]])、[[帝国]]{{Efn|{{Main|帝国}}「[[帝国]]」は「[[古代]]より、[[皇帝]]の支配する[[政体#政治体(政治組織)|統治体]]や、複数の政治単位を統治する広域的支配を指し」ている<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%B8%9D%E5%9B%BD-100019#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B5 |title=知恵蔵「帝国」の解説
君主が存在する国家を'''君主国'''、君主が存在しない国家を'''[[共和国]]'''という。君主国は通常、支配者の[[君主号]]によって、[[帝国]]{{Efn|君主号によらず、また共和国であっても、広大な領土を保持していたり複数の[[従属国]]を束ねていたりする国家を指しては「帝国」と呼ぶ(詳細は[[帝国]]を参照)。}}([[皇帝]]{{efn|[[湊晶子]]は、論文『ローマ帝国における「皇帝札拝jと「皇帝崇拝」 一一皇帝の神格化をめぐって一一』において、アウグストゥスの「皇帝」という語に専制君主的、現人神的要素を含めて考えることは誤りであると述べている{{sfn|湊|1991|p=64}}。湊は、そのような誤解を生じる原因は、英語の Emperor やドイツ語の Kaiser の語源である Imperator Caesar に、本来はローマのものにはなかった専制君主制的な理念を盛り込んだ「皇帝」という訳を与えてしまったところにあるとしている{{sfn|湊|1991|p=64}}。アウグストゥスがローマ皇帝に就任した時に樹立した体制は[[プリンキパトゥス]](プリンチパーツス)と呼ばれ、[[共和政ローマ|共和制時代]]の[[元老院 (ローマ)|元老院]]を取り込んだ、一個人に権力が集中しないローマ的統治概念であった{{sfn|湊|1991|p=64}}。}})、[[王国]]([[国王|王]])、[[大公国]]([[大公]])、[[公国]]([[公]])、[[首長国]]([[アミール]])などと呼ばれる。かつて君主号には、個々の[[文化圏]]ごとの複雑な慣習に基づく序列や優劣が存在したが、現在は[[国際社会]]において儀礼上対等とされる。ただし、便宜上の序列を付ける場合は「在位期間の長い方が上」とすることがある(一例として、各国君主の集合写真を撮影する場合には、在位期間の長い順から中央~外側に着座していき、同じように後列の立座となる)。
|work=[[Kotobank]] |accessdate=2022-04-05}}</ref>。「[[帝]]」という[[漢字]]の意味は「[[主神|最高の神]]」{{Sfn|小川|西田|赤塚|阿辻|2017|p=415}}、[[天下]]の「[[君|きみ]]」{{Sfn|小川|西田|赤塚|阿辻|2017|p=415}}。
[[日本語]]の「[[皇帝制#用語|皇帝制]]」{{sfn|淡路|1980|p=104}}・「皇帝制度」{{Sfn|大澤|2006|p=51}}・「帝制」<ref name="imperialism">https://ejje.weblio.jp/content/imperialism</ref>・「帝政」{{Sfn|竹林|2002|p=1231}}・「[[帝国主義]]」{{Sfn|竹林|2002|p=1231}}<ref name="imperialism"/>・「[[覇権主義|広域支配主義]]」は{{Sfn|中西|2005|pp=97-98}}、[[英語]]の「[[インペリアリズム]]」({{lang|en|imperialism}})に当たる{{sfn|淡路|1980|p=104}}{{Sfn|大澤|2006|p=51}}<ref name="imperialism"/>{{Sfn|竹林|2002|p=1231}}{{Sfn|中西|2005|pp=97-98}}。なお、ある学術論文は「エンパイアを帝国と訳すか,広域支配と訳すか,インペリアリズムを帝国主義と訳すか,広域支配主義と訳すかは,当該国の違いと[[訳者]]の政治的立場の違いによる」としている{{Sfn|中西|2005|pp=97-98}}。}}([[皇帝]]{{efn|{{Main|皇帝}}[[湊晶子]]は学術論文において、「皇帝」という語には「一般に,[[専制君主制]]的[[理念]]」が盛り込まれていると述べている{{sfn|湊|1991|p=64}}。皇帝は、英語で[[エンペラー]](emperor)、ドイツ語で[[カイザー]](Kaiser)という{{sfn|湊|1991|p=64}}。エンペラーやカエサルの語源はローマの《[[インペラトル]]・[[カエサル_(称号)|カエサル]]》(Imperator Caesar)である{{sfn|湊|1991|p=64}}。<br><br>
ただし、「皇帝」という語は「もともとローマのものではない」{{sfn|湊|1991|p=64}}。[[アウグストゥス]]における「皇帝」という語に専制君主的・[[現人神]]的要素を含めることは「誤りだと思う」と湊は述べている{{sfn|湊|1991|p=64}}。「アウグストウス<!--原文ママ-->が初代[[ローマ皇帝]]に就任した時,アウグストウス的皇帝制を樹立したと結論して良いと思う。 … すなわち,一個人に権力が集中しないローマ的統治概念を,初代皇帝は継承した」{{sfn|湊|1991|p=64}}。アウグストゥス的皇帝制は[[プリンキパトゥス]](プリンチパーツス)と呼ばれるものであり、「[[共和政ローマ|共和制時代]]の[[元老院 (ローマ)|元老院]]を取り込んだ君主制」だったと同氏は言う{{sfn|湊|1991|p=64}}。}})などと呼ばれる。かつて君主号には、個々の[[文化圏]]ごとの複雑な慣習に基づく序列や優劣が存在したが、現在は[[国際社会]]において儀礼上対等とされる。ただし、便宜上の序列を付ける場合は「在位期間の長い方が上」とすることがある(一例として、各国君主の集合写真を撮影する場合には、在位期間の長い順から中央~外側に着座していき、同じように後列の立座となる)。


ある人物が君主の地位に就任することを'''[[即位]]'''、君主がその地位から退くことを'''[[退位]]'''、君主がその地位を他人に譲ることを'''[[譲位]]'''、退位した人物が再び即位することを'''[[重祚]]'''(ちょうそ)という。また、即位させること(君主格の付与、enthronement)を「祭り上げる」、退位させること(君主格の剥奪、dethronement)を「廃位する」とも表現する。
ある人物が君主の地位に就任することを'''[[即位]]'''、君主がその地位から退くことを'''[[退位]]'''、君主がその地位を他人に譲ることを'''[[譲位]]'''、退位した人物が再び即位することを'''[[重祚]]'''(ちょうそ)という。また、即位させること(君主格の付与、enthronement)を「祭り上げる」、退位させること(君主格の剥奪、dethronement)を「廃位する」とも表現する。
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== 概要 ==
== 概要 ==
=== 継承と任期 ===
=== 継承と任期 ===
君主制はまず、君主の座を[[世襲]]で継承するかどうかによって、[[世襲君主制]]と[[選挙君主制]]とに分類される<ref>「現代社会の陛下たち デモクラシーと王室・皇室」p212 水島治郎・君塚直隆編著 ミネルヴァ書房 2018年9月20日初版第1刷発行</ref>。世襲君主制は君主の地位がある一族によって世襲されるものであり、この場合君主の一族を'''[[王族|王家]]'''([[王室]])と呼び、王家による世襲権力の連続体を'''[[王朝]]'''という。これに対し、君主が死去または退位した場合、一定の候補者の中から[[選挙]]によって君主が選ばれる君主制を選挙君主制という。世襲君主制における[[王位継承]]は多くの場合現在の君主との血の近さによって明確な[[王位継承順位]]が定められており、空位となった場合は継承順位第一位の人物が新しく君主に就任する。ただし、[[サウジアラビア]]のように王位継承順位を定めていない国家も存在する<ref>「サウジアラビア」p41 保坂修司 岩波書店 2005年8月19日第1刷</ref>。
君主制はまず、君主の座を[[世襲]]で継承するかどうかによって、[[世襲君主制]]と[[選挙君主制]]とに分類される{{sfn|『現代世界の陛下たち』|p=212}}。世襲君主制は君主の地位がある一族によって世襲されるものであり、この場合君主の一族を'''[[王族|王家]]'''([[王室]])と呼び、王家による世襲権力の連続体を'''[[王朝]]'''という。これに対し、君主が死去または退位した場合、一定の候補者の中から[[選挙]]によって君主が選ばれる君主制を選挙君主制という。世襲君主制における[[王位継承]]は多くの場合現在の君主との血の近さによって明確な[[王位継承順位]]が定められており、空位となった場合は継承順位第一位の人物が新しく君主に就任する。ただし、[[サウジアラビア]]のように王位継承順位を定めていない国家も存在する<ref>「サウジアラビア」p41 保坂修司 岩波書店 2005年8月19日第1刷</ref>。


近現代のヨーロッパにおける王位継承は、女性の継承権の有無および優先順位によって4つのタイプに分かれる<ref name="山田2017" />。女性に継承権が存在しない場合は男系長子継承制([[サリカ法]])となり<ref name="山田2017" />、男系長子が王位継承の第一順位となって、以下血縁の近い男性に継承権が付与されていく。これに対し、女性に継承権が存在する場合は3つのパターンが存在する。基本的には男系男子を優先するが、男系継承者が絶えた場合に限り女系や女子に継承権を認めるパターンは男系・女系長子継承制(準サリカ法)と呼ばれる<ref name="山田2017" />。また、男女に継承権を認めるが、男子が存在する場合は男子を優先するパターンを男子優先長子継承制と呼ぶ<ref name="山田2017" />。ここまでのタイプは古くから存在する継承法であるが、[[男女平等]]概念の浸透により、男女にかかわらず長幼の順に従って継承権を認める絶対的長子継承制が1980年代以降普及しつつある<ref name="山田2017">http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10990713_po_080201.pdf?contentNo=1 「ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲」山田敏之 国立国会図書館調査及び立法考査局 2017-11-20刊行 2020-07-04閲覧</ref>。
近現代のヨーロッパにおける王位継承は、女性の継承権の有無および優先順位によって4つのタイプに分かれる<ref name="山田2017" />。女性に継承権が存在しない場合は男系長子継承制([[サリカ法]])となり<ref name="山田2017" />、男系長子が王位継承の第一順位となって、以下血縁の近い男性に継承権が付与されていく。これに対し、女性に継承権が存在する場合は3つのパターンが存在する。基本的には男系男子を優先するが、男系継承者が絶えた場合に限り女系や女子に継承権を認めるパターンは男系・女系長子継承制(準サリカ法)と呼ばれる<ref name="山田2017" />。また、男女に継承権を認めるが、男子が存在する場合は男子を優先するパターンを男子優先長子継承制と呼ぶ<ref name="山田2017" />。ここまでのタイプは古くから存在する継承法であるが、[[男女平等]]概念の浸透により、男女にかかわらず長幼の順に従って継承権を認める絶対的長子継承制が1980年代以降普及しつつある<ref name="山田2017">{{Cite journal|和書 |author=山田敏之 |date=2017-11 |title=ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲 : 近年まで又は現在、男系継承を原則とする国の事例 |journal=レファレンス= The reference |ISSN=00342912 |publisher=国立国会図書館 |volume=67 |issue=11 |pages=1-27 |id={{CRID|1520573331051582464}} |doi=10.11501/10990713 |url=https://id.ndl.go.jp/bib/028666928 |accessdate=2023-06-08}}</ref>。


君主は基本的には任期が定まっておらず、その死去または自主的な退位までは在位をし続けるが、[[マレーシア]]や[[サモア]]のような任期制の君主国{{Efn|サモアを君主制に分類するかどうかについては定まっていない。}}も存在する。[[アラブ首長国連邦]]は大統領制を取っており、任期は5年であるが、大統領は連邦に加盟する7ヶ国の世襲首長によって互選される上、国内で最大勢力を持つ[[アブダビ首長国]]の首長が大統領に選出されることが慣例化している<ref>https://www.uae.emb-japan.go.jp/gaikyo_j.htm [[在アラブ首長国連邦日本国大使館]]</ref>。また[[アンドラ]]は[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]]と[[スペイン]]の[[ウルヘル司教]]が職権上アンドラ公国共同公に就任し、共同元首となっている<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/andorra/data.html 「アンドラ基礎データ」日本国外務省 令和元年12月4日 2020年6月30日閲覧</ref>。
君主は基本的には任期が定まっておらず、その死去または自主的な退位までは在位をし続けるが、[[マレーシア]]や[[サモア]]のような任期制の君主国{{Efn|サモアを君主制に分類するかどうかについては定まっていない{{要出典|date=2019年7月}}。}}も存在する。[[アラブ首長国連邦]]は大統領制を取っており、任期は5年であるが、大統領は連邦に加盟する7ヶ国の世襲首長によって互選される上、国内で最大勢力を持つ[[アブダビ首長国]]の首長が大統領に選出されることが慣例化している<ref>[https://www.uae.emb-japan.go.jp/gaikyo_j.htm 在アラブ首長国連邦日本国大使館]</ref>。また[[アンドラ]]は[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]]と[[スペイン]]の[[ウルヘル司教]]が職権上アンドラ公国共同公に就任し、共同元首となっている<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/andorra/data.html 「アンドラ基礎データ」] 日本国外務省 令和元年12月4日 2020年6月30日閲覧</ref>。


=== 権限 ===
=== 権限 ===
君主制はまた、その政治権力によっても分類される。君主が絶対的な権力を持つ政体が'''[[絶対君主制]]'''である。絶対君主制は[[独裁政治]]の一種であり、政治体制としては[[権威主義体制]]に含まれる。権力継承のシステムが確立している上に王族によって支配体制が固められている<ref>「比較政治学」p146 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>ため、権威主義体制の各政体の中ではもっとも安定性が高い<ref>「比較政治学」p149 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体が'''[[制限君主制]]'''であり、権力の制限が[[憲法]]に基づく([[立憲主義]])場合は'''[[立憲君主制]]'''となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型('''外見的立憲君主制''')に大別される<ref name="Britannica_constitutional_monarchy">
君主制はまた、その政治権力によっても分類される。君主が絶対的な権力を持つ政体が'''[[絶対君主制]]'''である。絶対君主制は[[独裁政治]]の一種であり、政治体制としては[[権威主義体制]]に含まれる。権力継承のシステムが確立している上に王族によって支配体制が固められている<ref>「比較政治学」p146 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>ため、権威主義体制の各政体の中ではもっとも安定性が高い<ref>「比較政治学」p149 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体が'''[[制限君主制]]'''であり、権力の制限が[[憲法]]に基づく([[立憲主義]])場合は'''[[立憲君主制]]'''となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型('''外見的立憲君主制''')に大別される<ref name="Britannica_constitutional_monarchy">{{Cite book|和書|title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目版|volume=6|edition=改訂第2版|year=1993|publisher=[[TBSブリタニカ|ティビーエス・ブリタニカ]]|chapter=立憲君主制}}</ref>。イギリス型の立憲君主制は[[議会制民主主義]]に立脚しており、民主制の君主国において広く採用されている<ref>「立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか」p25-27 君塚直隆 新潮社 2018年2月25日発行</ref>。
{{Cite book|和書
|title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目版
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}}</ref>。イギリス型の立憲君主制は[[議会制民主主義]]に立脚しており、民主制の君主国において広く採用されている<ref>「立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか」p25-27 君塚直隆 新潮社 2018年2月25日発行</ref>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{main|君主制廃止|王政復古}}
{{main|君主制廃止|王政復古}}
18世紀末までは、世界のほとんどの国家において君主制が敷かれており、共和制をる国家は[[スイス]]や[[オランダ連邦共和国]]、[[ヴェネツィア共和国]]などわずかな数に過ぎなかった。その後、18世紀末には[[アメリカ独立戦争]]によって[[アメリカ合衆国]]が成立し、[[フランス革命]]によって[[フランス]]が一時共和制を取ったことで君主制をとらない国家も増え始め、なかでもこの両革命の影響を強く受けた[[ラテンアメリカ]]諸国は18世紀初頭の独立時にほとんどが共和制をとった<ref>「代議制民主主義」p50-51 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行</ref>。一方、ヨーロッパ大陸においては君主制はいまだに強固なものであり、[[ベルギー]]が独立を達成した際にも君主の推戴が条件とされたため、1831年に[[ドイツ]]の小領邦君主である[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]から[[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]を初代国王として受け入れた<ref>「物語 ベルギーの歴史」p39-41 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日</ref>。ヨーロッパにおける新独立国が他国から王族を迎え入れて君主制を敷く例は19世紀を通じてみられ、[[ギリシャ]](1832年)や[[ブルガリア]](1879年)、[[ノルウェー]](1905年)などが新しく王を受け入れている。ただしヨーロッパにおいては君主制は存続する一方で、[[イギリス]]において[[議院内閣制]]と立憲君主制が成立したのに続き、19世紀後半には[[自由主義]]の興隆によってヨーロッパ大陸諸国が立憲君主制を導入するなど、君主の権利は19世紀を通じて制限・縮小する傾向が続いた。この君主権の制限はヨーロッパ外にも一部波及し、日本や[[オスマン帝国]]にもこの時期立憲君主制が導入された<ref>「代議制民主主義」p48-49 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行</ref>。
18世紀末までは、世界のほとんどの国家において君主制が敷かれており、共和制をる国家は[[スイス]]や[[オランダ連邦共和国]]、[[ヴェネツィア共和国]]などわずかな数に過ぎなかった。その後、18世紀末には[[アメリカ独立戦争]]によって[[アメリカ合衆国]]が成立し、[[フランス革命]]によって[[フランス]]が一時共和制を取ったことで君主制をとらない国家も増え始め、なかでもこの両革命の影響を強く受けた[[ラテンアメリカ]]諸国は18世紀初頭の独立時にほとんどが共和制をとった<ref>「代議制民主主義」p50-51 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行</ref>。一方、ヨーロッパ大陸においては君主制はいまだに強固なものであり、[[ベルギー]]が独立を達成した際にも君主の推戴が条件とされたため、1831年に[[ドイツ]]の小領邦君主である[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]から[[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]を初代国王として受け入れた<ref>「物語 ベルギーの歴史」p39-41 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日</ref>。ヨーロッパにおける新独立国が他国から王族を迎え入れて君主制を敷く例は19世紀を通じてみられ、[[ギリシャ]](1832年)や[[ブルガリア]](1879年)、[[ノルウェー]](1905年)などが新しく王を受け入れている。ただしヨーロッパにおいては君主制は存続する一方で、[[イギリス]]において[[議院内閣制]]と立憲君主制が成立したのに続き、19世紀後半には[[自由主義]]の興隆によってヨーロッパ大陸諸国が立憲君主制を導入するなど、君主の権利は19世紀を通じて制限・縮小する傾向が続いた。この君主権の制限はヨーロッパ外にも一部波及し、日本や[[オスマン帝国]]にもこの時期立憲君主制が導入された<ref>「代議制民主主義」p48-49 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行</ref>。


こうした流れが決定的に変化したのは[[第一次世界大戦]]によってである。この大戦で[[ドイツ]]、[[オーストリア・ハンガリー]]、[[ロシア]]の3ヶ国で君主制が崩壊し<ref>「現代社会の陛下たち デモクラシーと王室・皇室」p11 水島治郎・君塚直隆編著 ミネルヴァ書房 2018年9月20日初版第1刷発行</ref>、また[[ヴェルサイユ条約]]によって独立したヨーロッパの国家は、[[セルビア王国 (近代)|セルビア王国]]を実質的に継承した[[ユーゴスラビア王国]]を除きいずれも共和制をとった。さらに[[第二次世界大戦]]によって、[[イタリア]]や東欧諸国で君主制が廃止された<ref>「現代社会の陛下たち デモクラシーと王室・皇室」p14 水島治郎・君塚直隆編著 ミネルヴァ書房 2018年9月20日初版第1刷発行</ref>。一方、それまで[[同君連合]]制をとっていた[[イギリス連邦]]において、独立した[[インド]]が共和制を取ることを表明し、なおかつその後もイギリス連邦にとどまることを希望したため、[[1949年]]に国王への忠誠条項が撤廃され、[[英連邦王国]]とイギリス連邦とが制度的に分離した。これにより、君主制を取らずともイギリス連邦への残留が可能となった<ref>『イギリス帝国の歴史――アジアから考える』p233-234 秋田茂(中公新書, 2012年)</ref>。第二次世界大戦以降、[[アジア]]・[[アフリカ]]地域でヨーロッパ諸国の[[植民地]]が相次いで独立したものの、この新独立国群は独立時にほとんど共和制を取り、君主制を敷いたのはいくつかの英連邦王国を除くと、独立以前から[[保護国]]や保護領などの形で君主制が残存していた国家に限られていた。[[中東]]で1950年代から1970年代にかけて王制が相次いで廃止された<ref>「現代社会の陛下たち デモクラシーと王室・皇室」p16-18 水島治郎・君塚直隆編著 ミネルヴァ書房 2018年9月20日初版第1刷発行</ref>ように、君主制をとった新独立国も、政情不安からしばしば王制が転覆し、共和制へと移行するケースが見られ、[[イラン]]や[[エチオピア]]のように古い君主制国家でも王が失政を行った場合は革命が勃発して王が放逐された。
こうした流れが決定的に変化したのは[[第一次世界大戦]]によってである。この大戦で[[ドイツ]]、[[オーストリア・ハンガリー]]、[[ロシア]]の3ヶ国で君主制が崩壊し{{sfn|『現代世界の陛下たち』|p=11}}、また[[ヴェルサイユ条約]]によって独立したヨーロッパの国家は、[[セルビア王国 (近代)|セルビア王国]]を実質的に継承した[[ユーゴスラビア王国]]を除きいずれも共和制をとった。さらに[[第二次世界大戦]]によって、[[イタリア]]や東欧諸国で君主制が廃止された{{sfn|『現代世界の陛下たち』|p=14}}。一方、それまで[[同君連合]]制をとっていた[[イギリス連邦]]において、独立した[[インド]]が共和制を取ることを表明し、なおかつその後もイギリス連邦にとどまることを希望したため、[[1949年]]に国王への忠誠条項が撤廃され、[[英連邦王国]]とイギリス連邦とが制度的に分離した。これにより、君主制を取らずともイギリス連邦への残留が可能となった<ref>『イギリス帝国の歴史――アジアから考える』p233-234 秋田茂(中公新書, 2012年)</ref>。第二次世界大戦以降、[[アジア]]・[[アフリカ]]地域でヨーロッパ諸国の[[植民地]]が相次いで独立したものの、この新独立国群は独立時にほとんど共和制を取り、君主制を敷いたのはいくつかの英連邦王国を除くと、独立以前から[[保護国]]や保護領などの形で君主制が残存していた国家に限られていた。[[中東]]で1950年代から1970年代にかけて王制が相次いで廃止された{{sfn|『現代世界の陛下たち』|p=16-18}}ように、君主制をとった新独立国も、政情不安からしばしば王制が転覆し、共和制へと移行するケースが見られ、[[イラン]]や[[エチオピア]]のように古い君主制国家でも王が失政を行った場合は革命が勃発して王が放逐された。


こうして君主制国家の割合は減り続け、2019年には君主制を取る国は国連加盟国の4分の1以下にまで減少した<ref>https://www.sankei.com/life/news/190321/lif1903210010-n1.html 「【王位継承物語】21世紀の君主制と皇室 「継続と安定」もたらす宝」産経新聞 2019.3.21 2020年6月27日閲覧</ref>。この流れは21世紀に入っても続いており、2008年には[[ネパール]]において王政が廃止された<ref>https://www.afpbb.com/articles/-/2397063?cx_part=search 「ネパール制憲議会で宣誓式、君主制廃止へ」AFPBB 2008年5月28日 2020年6月27日閲覧</ref>。また、君主制を存続させている国家においても[[君主制廃止]]論は根強く残っており、オーストラリアなどではしばしば君主制廃止論が再燃している<ref>https://www.afpbb.com/articles/-/3111776?cx_part=search 「豪で君主制廃止論再燃? 首相「女王退位後に共和制移行を」AFPBB 2016年12月19日 2020年6月27日閲覧</ref>。一方で、1993年のカンボジアのように一度廃止された君主制を復活させる<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cambodia/data.html 「カンボジア王国基礎データ」日本国外務省 令和元年7月29日 2020年6月27日閲覧</ref>、いわゆる[[王政復古]]を行った国家も少数ながら存在する。
こうして君主制国家の割合は減り続け、2019年には君主制を取る国は国連加盟国の4分の1以下にまで減少した<ref>[https://www.sankei.com/article/20190321-7FT6OFOXOVMNRGS4L3P2IAVUI4/ 「【王位継承物語】21世紀の君主制と皇室 「継続と安定」もたらす宝」] 産経新聞 2019.3.21 2020年6月27日閲覧</ref>。この流れは21世紀に入っても続いており、2008年には[[ネパール]]において王政が廃止された<ref>https://www.afpbb.com/articles/-/2397063?cx_part=search 「ネパール制憲議会で宣誓式、君主制廃止へ」AFPBB 2008年5月28日 2020年6月27日閲覧</ref>。また、君主制を存続させている国家においても[[君主制廃止]]論は根強く残っており、オーストラリアなどではしばしば君主制廃止論が再燃している<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3111776?cx_part=search 「豪で君主制廃止論再燃? 首相「女王退位後に共和制移行を」] AFPBB 2016年12月19日 2020年6月27日閲覧</ref>。一方で、1993年のカンボジアのように一度廃止された君主制を復活させる<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cambodia/data.html 「カンボジア王国基礎データ」] 日本国外務省 令和元年7月29日 2020年6月27日閲覧</ref>、いわゆる[[王政復古]]を行った国家も少数ながら存在する。


== 君主制の国家構成州 ==
== 君主制の国家構成州 ==
2020年現在、アラブ首長国連邦とマレーシアの2ヶ国には国家内の州にも君主制のものが存在する。アラブ首長国連邦は[[アブダビ]]、[[ドバイ]]、[[シャールジャ]]、[[アジュマーン]]、[[ウンム・アル=カイワイン]]、[[フジャイラ]]、[[ラアス・アル=ハイマ]]の7つの首長国によって構成される連邦国家であり、各首長国はそれぞれ絶対君主制を取っている。独立した首長国が連合する形で成立した国家であるため、各首長国の権限は大きく自立性は高い<ref>『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』pp218-219 細井長編著 明石書店 2011年3月18日初版第1刷発行</ref>。これに対し、マレーシアの君主制国家構成領邦はすべてではなく、マレーシア半島部の11州のうち、[[ジョホール州]]、[[ケダ州]]、[[クランタン州]]、[[パハン州]]、[[ペラ州]]、[[スランゴール州]]、[[トレンガヌ州]]、[[ヌグリ・スンビラン州]]、[[プルリス州]]の9州のみが君主制を取っている。マレーシアの州の君主はいずれも権限は小さく、立憲的な議会主義君主制となっている<ref>http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/313.pdf 「マレーシアの地方自治」p21-24 (財)自治体国際化協会 2007年12月10日 2020年7月4日閲覧</ref>。
2020年現在、アラブ首長国連邦とマレーシアの2ヶ国には国家内の州にも君主制のものが存在する。アラブ首長国連邦は[[アブダビ首長国|アブダビ]]、[[ドバイ首長国|ドバイ]]、[[シャールジャ]]、[[アジュマーン]]、[[ウンム・アル=カイワイン]]、[[フジャイラ]]、[[ラアス・アル=ハイマ]]の7つの首長国によって構成される連邦国家であり、各首長国はそれぞれ絶対君主制を取っている。独立した首長国が連合する形で成立した国家であるため、各首長国の権限は大きく自立性は高い<ref>『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』pp218-219 細井長編著 明石書店 2011年3月18日初版第1刷発行</ref>。これに対し、マレーシアの君主制国家構成領邦はすべてではなく、マレーシア半島部の11州のうち、[[ジョホール州]]、[[ケダ州]]、[[クランタン州]]、[[パハン州]]、[[ペラ州]]、[[スランゴール州]]、[[トレンガヌ州]]、[[ヌグリ・スンビラン州]]、[[プルリス州]]の9州のみが君主制を取っている。マレーシアの州の君主はいずれも権限は小さく、立憲的な議会主義君主制となっている<ref>[http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/313.pdf 「マレーシアの地方自治」p21-24 ] (財)自治体国際化協会 2007年12月10日 2020年7月4日閲覧</ref>。


== 君主の称号による分類 ==
== 君主の称号による分類 ==
[[ファイル:World Monarchies.svg|thumb|center|700px|'''現存する君主制国家'''
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[[ファイル:World Monarchies.svg|thumb|700px|'''現存する君主制国家'''<br><!--
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]]
}}]]

|}
君主の種類による分類には以下がある。
君主の種類による分類には以下がある。


=== 現存する国家形態 ===
=== 現存する国家形態 ===
* [[帝国]]({{lang-en|EmpireまたはImperial}})とは、「[[エンペラー]]([[皇帝]]、[[帝王]])を元首とする国家である」と、あくまで君主号による分類で定義した場合、[[天皇]]の存在する[[日本]]がそれに当てはまる(天皇は英語でEmperor of Japanである)。また、[[日本の国章]]の英語訳は「Imperial Seal」でもある。ただし、何を「帝国」と呼ぶかは、語源・分野・立場・各国語間の翻訳などの関係上、様々な見解や用例があり、この点に関しては議論がある。なお、英語版や中国語版のウィキペディアにおいては現在の日本国は戦前同様、帝国と記載されている<ref>{{Cite web|title=日本がいまも続く世界唯一の「帝国」である理由|url=https://www.njg.co.jp/post-29291/|website=日本実業出版社|accessdate=2021-09-06|language=ja}}</ref>。
* [[王国]]({{lang-en|Kingdom}})とは、[[国王]]または[[女王]]を元首とする国家。
* [[王国]]({{lang-en|Kingdom}})とは、[[国王]]または[[女王]]を元首とする国家。
* [[スルターン国]]({{lang-en|Sultanate}})とは、[[スルターン]]を元首とする国家。
* [[スルターン国]]({{lang-en|Sultanate}})とは、[[スルターン]]を元首とする国家。
* [[英連邦王国]]({{lang-en|Commonwealth realm}})とは、[[イギリス連邦|英連邦]]{{Efn|連合王国独自の解釈がされる非常に独特な国家連合体。}}加盟国の中で、[[イギリスの君主]](2020年現在は王[[ザベ2世]])を元首とする国家。イギリス以外の国では、英国王に任命された[[総督]]{{Efn|各国の総督はイギリス政府とは完全に無関係であり、実際には各国の[[首相]]の推薦により、その国の市民権を持つ人間が選ばれる。}}が実質的に元首を務める。
* [[英連邦王国]]({{lang-en|Commonwealth realm}})とは、[[イギリス連邦|英連邦]]{{Efn|連合王国独自の解釈がされる非常に独特な国家連合体{{要出典|date=2019年7月}}。}}加盟国の中で、[[イギリスの君主]](2022年現在は王[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]])を元首とする国家。イギリス以外の国では、英国王に任命された[[総督]]{{Efn|各国の総督はイギリス政府とは完全に無関係であり、実際には各国の[[首相]]の推薦により、その国の市民権を持つ人間が選ばれる{{要出典|date=2019年7月}}。}}が実質的に元首を務める。
* [[大公国]]({{lang-en|Grand Duchy}})。
* [[大公国]]({{lang-en|Grand Duchy}})。
* [[公国]]({{lang-en|Principality}})。
* [[公国]]({{lang-en|Principality}})。
* [[首長国]]({{lang-en|Emirate}})。
* [[首長国]]({{lang-en|Emirate}})。
* [[天皇制]]国家(Emperor System)。


=== 現存しない国家形態 ===
=== 現存しない国家形態 ===
77行目: 76行目:
* [[ヘーチマン国]]({{lang-en|Hetmanate}})
* [[ヘーチマン国]]({{lang-en|Hetmanate}})
* [[君侯国]](ベイリク、{{lang-en|Beylik}})
* [[君侯国]](ベイリク、{{lang-en|Beylik}})
* [[ツァーリ|帝国]]([[ツァーリ国]]、{{lang-en|Tsardom}})
* [[帝国]]({{lang-en|Empire}})
**[[ツァーリ国]]({{lang-en|Tsardom}}、ロシアなどの[[スラヴ語]]圏における帝国。)
* [[藩王国]](土侯国、{{lang-en|Princely state}})
* [[藩王国]](土侯国、{{lang-en|Princely state}})
* 大公国({{lang-en|Grand Principality}} 日本語ではPrincipalityとの対比で大公国(だいこうこく)になる)
* 大公国({{lang-en|Grand Principality}} 日本語ではPrincipalityとの対比で大公国(だいこうこく)になる)
* 公国({{lang-en|Duchy}})
* 公国({{lang-en|Duchy}})
* [[幕府|将軍領]]({{lang-en|Shogunate}})日本の政府が[[幕府]]であった時の称。
* [[幕府|将軍領]]({{lang-en|Shogunate}})日本の政府が[[幕府]]であった時の称。


== 君主国の一覧 ==
== 君主国の一覧 ==
{{main|現在の君主の一覧}}
=== 現存 ===
2024年現在、(君主を国家元首に据える)君主制国家は、以下の43ヶ国であり、約5億人の人口を抱える。このうち、[[英連邦王国]]に属する国家が15ヶ国存在する。
{{see also|現在の君主の一覧}}
2020年時点において君主制を取っている国家は、以下の44ヶ国である。このうち、英連邦王国に属する国家が16ヶ国存在する。
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!国
!国
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|-
|-
|{{flag|JPN|name=日本国}}
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|[[天皇]]{{Efn|天皇が君主かは議論がある{{要出典|date=2019年7月}}。{{See also|象徴天皇制#議論}}}}
|[[天皇]]
|[[立憲君主制]]
|[[象徴君主制]]([[立憲君主制]]
|世襲制
|[[世襲|世襲制]]
|1947
|1947
|-
|-
|{{flag|KHM|name=カンボジア王国}}
|{{flag|KHM|name=カンボジア王国}}
|[[カンボジア君主・国家元首一覧|王]]
|[[カンボジア君主・国家元首一覧|王]]{{Efn|王室評議会によって2つの王室から選出される。}}
|立憲君主制
|立憲君主制
|世襲選挙制
|世襲選挙制
120行目: 119行目:
|{{flag|BRN|name=ブルネイ・ダルサラーム国}}
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|[[ブルネイの国王|スルターン]]
|[[ブルネイの国王|スルターン]]
|絶対君主制
|[[絶対君主制]]
|世襲制
|世襲制
|1959
|1959
|-
|-
|{{flag|MYS}}
|{{flag|MYS}}
|[[マレーシアの国王|王]]{{Efn|Yang di-Pertuan Agong}}
|[[マレーシアの国王|王]]{{Efn|各州のスルタンが輪番で国王を務める{{要出典|date=2019年7月}}。}}
|立憲君主制
|立憲君主制
|選挙君主制
|選挙君主制
138行目: 137行目:
|{{flag|SWE|name=スウェーデン王国}}
|{{flag|SWE|name=スウェーデン王国}}
|[[スウェーデン君主一覧|王]]
|[[スウェーデン君主一覧|王]]
|立憲君主制
|[[象徴君主制]](立憲君主制
|世襲制
|世襲制
|1974
|1974
144行目: 143行目:
|{{flag|ESP|name=スペイン王国}}
|{{flag|ESP|name=スペイン王国}}
|[[スペイン君主一覧|王]]
|[[スペイン君主一覧|王]]
|立憲君主制
|議会君主制<br/>(立憲君主制
|世襲制
|世襲制
|1978
|1978
167行目: 166行目:
|-
|-
|{{flag|MCO|name=モナコ公国}}
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|[[モナコ統治者の一覧|公]]
|[[モナコ統治者の一覧|公]]
|立憲君主制
|立憲君主制
|世襲制
|世襲制
178行目: 177行目:
|1993
|1993
|-
|-
|{{flag|MAR|name=モロッコ王国}}
|{{flag|LIE|name=リヒテンシュタイン侯国}}
|[[モロッコ君主一覧|]]
|[[リヒテンシュタイン統治者一覧|]]
|立憲君主制
|世襲制
|1957
|-
|{{flag|LIE|name=リヒテンシュタイン公国}}
|[[リヒテンシュタインの統治者一覧|公]]
|立憲君主制
|立憲君主制
|世襲制
|世襲制
195行目: 188行目:
|世襲制
|世襲制
|1868
|1868
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|[[モロッコの君主一覧|王]]
|立憲君主制
|世襲制
|1957
|-
|-
|{{flag|UAE}}
|{{flag|UAE}}
345行目: 344行目:
|
|
|1975
|1975
|-
|{{BRB}}
|英国王
|立憲君主制
|
|1966
|-
|-
|{{BLZ}}
|{{BLZ}}
366行目: 359行目:
* [[アラウカニア・パタゴニア王国]] → (1862年)[[アルゼンチン|アルゼンチン共和国]][[サンタクルス州]]・[[チュブ州]]・[[ネウケン州]]・[[リオネグロ州]]、[[チリ|チリ共和国]][[ラ・アラウカニア州]]
* [[アラウカニア・パタゴニア王国]] → (1862年)[[アルゼンチン|アルゼンチン共和国]][[サンタクルス州]]・[[チュブ州]]・[[ネウケン州]]・[[リオネグロ州]]、[[チリ|チリ共和国]][[ラ・アラウカニア州]]
* [[教皇領]] → (1849年)[[ローマ共和国 (19世紀)|ローマ共和国]](現[[イタリア|イタリア共和国]][[ローマ]])
* [[教皇領]] → (1849年)[[ローマ共和国 (19世紀)|ローマ共和国]](現[[イタリア|イタリア共和国]][[ローマ]])
* [[スペインの歴史#ボルボーン朝(スペイン・ブルボン朝|スペイン王国]] → (1873年)[[スペイン第一共和政|スペイン共和国]](現[[スペイン]])
* [[スペイン・ブルボン朝|スペイン王国]] → (1873年)[[スペイン第一共和政|スペイン共和国]](現[[スペイン]])
* [[ハイチ帝国 (1804年-1806年)|ハイチ帝国]] → (1806年)[[ハイチ国]](現[[ハイチ|ハイチ共和国]]北部)、[[ハイチ#賠償金の圧迫と国内の混乱|ハイチ共和国]](現[[ハイチ|ハイチ共和国]]南部)
* [[ハイチ帝国 (1804年-1806年)|ハイチ帝国]] → (1806年)[[ハイチ国]](現[[ハイチ|ハイチ共和国]]北部)、[[ハイチ#賠償金の圧迫と国内の混乱|ハイチ共和国]](現[[ハイチ|ハイチ共和国]]南部)
* [[ハイチ王国]] → (1820年)[[ハイチ|ハイチ共和国]]
* [[ハイチ王国]] → (1820年)[[ハイチ|ハイチ共和国]]
373行目: 366行目:
* [[フランス第二帝政|フランス帝国]] → (1870年)[[フランス|フランス共和国]]
* [[フランス第二帝政|フランス帝国]] → (1870年)[[フランス|フランス共和国]]
* [[ブラジル帝国]] → (1889年)[[ブラジル合衆国]](現[[ブラジル|ブラジル連邦共和国]])
* [[ブラジル帝国]] → (1889年)[[ブラジル合衆国]](現[[ブラジル|ブラジル連邦共和国]])
* [[メキシコ帝国#第1次メキシコ帝|メキシコ帝国]] → (1823年)[[メキシコ|メキシコ合衆国]]、[[中米連邦]](現[[エルサルバドル|エルサルバドル共和国]]、[[グアテマラ|グアテマラ共和国]]、[[コスタリカ|コスタリカ共和国]]、[[ニカラグア|ニカラグア共和国]]、[[ホンジュラス|ホンジュラス共和国]])
* [[メキシコ帝国#メキシコ第一政(1821年-1823年)|メキシコ帝国]] → (1823年)[[メキシコ|メキシコ合衆国]]、[[中米連邦]](現[[エルサルバドル|エルサルバドル共和国]]、[[グアテマラ|グアテマラ共和国]]、[[コスタリカ|コスタリカ共和国]]、[[ニカラグア|ニカラグア共和国]]、[[ホンジュラス|ホンジュラス共和国]])
* [[メキシコ帝国#第2次メキシコ帝|メキシコ帝国]] → (1867年)[[メキシコ|メキシコ合衆国]]
* [[メキシコ帝国#メキシコ第二政(1864年-1867年)|メキシコ帝国]] → (1867年)[[メキシコ|メキシコ合衆国]]
* [[ロンバルド=ヴェネト王国]] → (1848年)[[ヴェネト共和国]](現[[イタリア|イタリア共和国]][[ヴェネト州]]・[[フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州]]・[[ロンバルディア州]])
* [[ロンバルド=ヴェネト王国]] → (1848年)[[ヴェネト共和国]](現[[イタリア|イタリア共和国]][[ヴェネト州]]・[[フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州]]・[[ロンバルディア州]])
* [[ワルシャワ公国]] → (1815年)[[クラクフ共和国]](現[[ポーランド|ポーランド共和国]][[クラクフ]])
* [[ワルシャワ公国]] → (1815年)[[クラクフ共和国]](現[[ポーランド|ポーランド共和国]][[クラクフ]])
406行目: 399行目:
* [[ザンジバル王国]] → (1964年)[[ザンジバル人民共和国]](現[[タンザニア|タンザニア連合共和国]][[ザンジバル]])
* [[ザンジバル王国]] → (1964年)[[ザンジバル人民共和国]](現[[タンザニア|タンザニア連合共和国]][[ザンジバル]])
* [[シッキム王国]] → (1975年)[[インド]]、[[シッキム州]]
* [[シッキム王国]] → (1975年)[[インド]]、[[シッキム州]]
* [[スペインの歴史#第一次世界大戦と独裁政権|スペイン王国]] → (1931年)[[スペイン第二共和政|スペイン共和国]](現[[スペイン|スペイン王国]])
* スペイン王国 → (1931年)[[スペイン第二共和政|スペイン共和国]](現[[スペイン|スペイン王国]])
* [[セイロン (ドミニオン)|セイロン]] → (1972年)[[スリランカ共和国]](現[[スリランカ|スリランカ民主社会主義共和国]])
* [[セイロン (ドミニオン)|セイロン]] → (1972年)[[スリランカ共和国]](現[[スリランカ|スリランカ民主社会主義共和国]])
* [[清|大清帝国]] → (1912年)[[北京政府|中華民国]](現[[中華人民共和国]])
* [[清|大清帝国]] → (1912年)[[北京政府|中華民国]](現[[中華人民共和国]])
446行目: 439行目:


==== 21世紀に君主制から共和制に移行した国 ====
==== 21世紀に君主制から共和制に移行した国 ====
* [[ターリバーン|アフガニスタン・イスラム首長国]] → (2001年)[[アフガニスタン・イスラム移行国]](現[[アフガニスタン|アフガニスタン・イスラム共和国]])
* [[ターリバーン|アフガニスタン・イスラム首長国]] → (2001年){{仮リンク|アフガニスタン・イスラム移行国|en|Transitional Islamic State of Afghanistan|preserve=1}}(現[[アフガニスタン|アフガニスタン・イスラム共和国]])
* [[ネパール王国]]→(2008年)[[ネパール|ネパール連邦民主共和国]]
* [[ネパール王国]]→(2008年)[[ネパール|ネパール連邦民主共和国]]
* バルバドス英連邦→(2021年)[[バルバドス|バルバドス共和国]]
このほか、[[バルバドス]]は2021年11月までに君主制を廃止し共和制に移行する予定である。

== 関連項目 ==
<!--テンプレートにあるので不要。* [[絶対君主制]] - [[制限君主制]] - [[立憲君主制]] - [[世襲君主制]] - [[選挙君主制]] - [[プリンキパトゥス]](元首政) - [[ドミナートゥス]](専制君主制)-->
* [[君主]]
*[[王室]]
* [[君主号]]
* [[君主制廃止]]
* [[封建国家]] - [[封建制]] - [[領邦]] - [[諸侯]] - [[親政]] - [[院政]]
*{{ill2|王が死んでも、王制は不滅!|en|The king is dead, long live the king!}}(もしくは、前王は身罷れた、次王万歳) - 王が死んでも、次の王に王位が継承され、王国が何代も続くことを願った外国語の慣用句(元はフランス語:Le roi est mort, vive le roi!、英語:The king is dead, long live the king!)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
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* {{Cite web|和書|author= Weblio|date= 2019|url= https://ejje.weblio.jp/content/monarchism|title= Weblio英和辞典・和英辞典|publisher= ウェブリオ株式会社|accessdate=2019-07-31|ref= harv}}
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|publisher= ウェブリオ株式会社
== 関連項目 ==
|accessdate=2019-07-31
<!--テンプレートにあるので不要。* [[絶対君主制]] - [[制限君主制]] - [[立憲君主制]] - [[世襲君主制]] - [[選挙君主制]] - [[プリンキパトゥス]](元首政) - [[ドミナートゥス]](専制君主制)-->
|ref= harv}}
* [[君主]]
* [[王室]]
* [[皇室]]
* {{仮リンク|連邦君主制|en|Federal monarchy}}
* [[主権国家体制]]
* [[君主号]]
* [[君主制廃止]]
* [[封建国家]] - [[封建制]] - [[領邦]] - [[諸侯]] - [[親政]] - [[院政]]
* [[国王崩御、国王万歳!]](もしくは、前王は身罷れた、次王万歳) - 王が死んでも、次の王に王位が継承され、王国が何代も続くことを願った外国語の慣用句(元は{{lang-fr|Le roi est mort, vive le roi!}}、{{lang-en|The king is dead, long live the king!}})
* [[レス・プブリカ]] - 君主制と対義する語となっている。


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2024年12月16日 (月) 12:30時点における最新版

君主制(くんしゅせい、: monarchy)または君主政[1]とは、一人の支配者が統治する国家形態であり[2]、伝統的には君主が唯一の主権者である体制[3]語源ギリシア語の「モナルケス monarches」で、「ただ一人の支配」を意味する[2][注釈 1]。君主制支持は君主主義(monarchism)[4]と呼ばれる。

共和制republic)は「君主制の対」とされる[5](共和制は民主制同義にも用いられ得るが、実際は独裁的な場合も少なくないという[5][注釈 2])。また「君主制,神政政治など」は、支配の権威民衆に由来する民主主義と対照的とされており[6][注釈 3]、「君主政治」や「貴族政治」も民主主義と区別されるという[8][注釈 4]

用語

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君主が存在する国家を君主国、君主が存在しない国家を共和国という。君主国は通常、支配者の君主号によって、王国)、大公国大公)、公国)、首長国アミール)、帝国[注釈 5]皇帝[注釈 6])などと呼ばれる。かつて君主号には、個々の文化圏ごとの複雑な慣習に基づく序列や優劣が存在したが、現在は国際社会において儀礼上対等とされる。ただし、便宜上の序列を付ける場合は「在位期間の長い方が上」とすることがある(一例として、各国君主の集合写真を撮影する場合には、在位期間の長い順から中央~外側に着座していき、同じように後列の立座となる)。

ある人物が君主の地位に就任することを即位、君主がその地位から退くことを退位、君主がその地位を他人に譲ることを譲位、退位した人物が再び即位することを重祚(ちょうそ)という。また、即位させること(君主格の付与、enthronement)を「祭り上げる」、退位させること(君主格の剥奪、dethronement)を「廃位する」とも表現する。

政治分析の基礎概念として君主制を取り上げ、他の政体と区別して論じたのは、君主を持たないポリスが多数存在した古代ギリシア思想家である。君主制の国がほとんどを占めていた地域では、君臣の関係のような限定的問題を越えて、君主制を国家一般と別に把握する動機が生まれなかった。近代になって、君主制が共和主義者によって脅かされるようになると、古代ギリシア・古代ローマの伝統を復活させて君主制を論じる政治思想が登場した。

概要

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継承と任期

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君主制はまず、君主の座を世襲で継承するかどうかによって、世襲君主制選挙君主制とに分類される[17]。世襲君主制は君主の地位がある一族によって世襲されるものであり、この場合君主の一族を王家王室)と呼び、王家による世襲権力の連続体を王朝という。これに対し、君主が死去または退位した場合、一定の候補者の中から選挙によって君主が選ばれる君主制を選挙君主制という。世襲君主制における王位継承は多くの場合現在の君主との血の近さによって明確な王位継承順位が定められており、空位となった場合は継承順位第一位の人物が新しく君主に就任する。ただし、サウジアラビアのように王位継承順位を定めていない国家も存在する[18]

近現代のヨーロッパにおける王位継承は、女性の継承権の有無および優先順位によって4つのタイプに分かれる[19]。女性に継承権が存在しない場合は男系長子継承制(サリカ法)となり[19]、男系長子が王位継承の第一順位となって、以下血縁の近い男性に継承権が付与されていく。これに対し、女性に継承権が存在する場合は3つのパターンが存在する。基本的には男系男子を優先するが、男系継承者が絶えた場合に限り女系や女子に継承権を認めるパターンは男系・女系長子継承制(準サリカ法)と呼ばれる[19]。また、男女に継承権を認めるが、男子が存在する場合は男子を優先するパターンを男子優先長子継承制と呼ぶ[19]。ここまでのタイプは古くから存在する継承法であるが、男女平等概念の浸透により、男女にかかわらず長幼の順に従って継承権を認める絶対的長子継承制が1980年代以降普及しつつある[19]

君主は基本的には任期が定まっておらず、その死去または自主的な退位までは在位をし続けるが、マレーシアサモアのような任期制の君主国[注釈 7]も存在する。アラブ首長国連邦は大統領制を取っており、任期は5年であるが、大統領は連邦に加盟する7ヶ国の世襲首長によって互選される上、国内で最大勢力を持つアブダビ首長国の首長が大統領に選出されることが慣例化している[20]。またアンドラフランス大統領スペインウルヘル司教が職権上アンドラ公国共同公に就任し、共同元首となっている[21]

権限

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君主制はまた、その政治権力によっても分類される。君主が絶対的な権力を持つ政体が絶対君主制である。絶対君主制は独裁政治の一種であり、政治体制としては権威主義体制に含まれる。権力継承のシステムが確立している上に王族によって支配体制が固められている[22]ため、権威主義体制の各政体の中ではもっとも安定性が高い[23]。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体が制限君主制であり、権力の制限が憲法に基づく(立憲主義)場合は立憲君主制となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン型(外見的立憲君主制)に大別される[24]。イギリス型の立憲君主制は議会制民主主義に立脚しており、民主制の君主国において広く採用されている[25]

歴史

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18世紀末までは、世界のほとんどの国家において君主制が敷かれており、共和制を採る国家はスイスオランダ連邦共和国ヴェネツィア共和国などわずかな数に過ぎなかった。その後、18世紀末にはアメリカ独立戦争によってアメリカ合衆国が成立し、フランス革命によってフランスが一時共和制を取ったことで君主制をとらない国家も増え始め、なかでもこの両革命の影響を強く受けたラテンアメリカ諸国は18世紀初頭の独立時にほとんどが共和制をとった[26]。一方、ヨーロッパ大陸においては君主制はいまだに強固なものであり、ベルギーが独立を達成した際にも君主の推戴が条件とされたため、1831年にドイツの小領邦君主であるザクセン=コーブルク=ゴータ家からレオポルド1世を初代国王として受け入れた[27]。ヨーロッパにおける新独立国が他国から王族を迎え入れて君主制を敷く例は19世紀を通じてみられ、ギリシャ(1832年)やブルガリア(1879年)、ノルウェー(1905年)などが新しく王を受け入れている。ただしヨーロッパにおいては君主制は存続する一方で、イギリスにおいて議院内閣制と立憲君主制が成立したのに続き、19世紀後半には自由主義の興隆によってヨーロッパ大陸諸国が立憲君主制を導入するなど、君主の権利は19世紀を通じて制限・縮小する傾向が続いた。この君主権の制限はヨーロッパ外にも一部波及し、日本やオスマン帝国にもこの時期立憲君主制が導入された[28]

こうした流れが決定的に変化したのは第一次世界大戦によってである。この大戦でドイツオーストリア・ハンガリーロシアの3ヶ国で君主制が崩壊し[29]、またヴェルサイユ条約によって独立したヨーロッパの国家は、セルビア王国を実質的に継承したユーゴスラビア王国を除きいずれも共和制をとった。さらに第二次世界大戦によって、イタリアや東欧諸国で君主制が廃止された[30]。一方、それまで同君連合制をとっていたイギリス連邦において、独立したインドが共和制を取ることを表明し、なおかつその後もイギリス連邦にとどまることを希望したため、1949年に国王への忠誠条項が撤廃され、英連邦王国とイギリス連邦とが制度的に分離した。これにより、君主制を取らずともイギリス連邦への残留が可能となった[31]。第二次世界大戦以降、アジアアフリカ地域でヨーロッパ諸国の植民地が相次いで独立したものの、この新独立国群は独立時にほとんど共和制を取り、君主制を敷いたのはいくつかの英連邦王国を除くと、独立以前から保護国や保護領などの形で君主制が残存していた国家に限られていた。中東で1950年代から1970年代にかけて王制が相次いで廃止された[32]ように、君主制をとった新独立国も、政情不安からしばしば王制が転覆し、共和制へと移行するケースが見られ、イランエチオピアのように古い君主制国家でも王が失政を行った場合は革命が勃発して王が放逐された。

こうして君主制国家の割合は減り続け、2019年には君主制を取る国は国連加盟国の4分の1以下にまで減少した[33]。この流れは21世紀に入っても続いており、2008年にはネパールにおいて王政が廃止された[34]。また、君主制を存続させている国家においても君主制廃止論は根強く残っており、オーストラリアなどではしばしば君主制廃止論が再燃している[35]。一方で、1993年のカンボジアのように一度廃止された君主制を復活させる[36]、いわゆる王政復古を行った国家も少数ながら存在する。

君主制の国家構成州

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2020年現在、アラブ首長国連邦とマレーシアの2ヶ国には国家内の州にも君主制のものが存在する。アラブ首長国連邦はアブダビドバイシャールジャアジュマーンウンム・アル=カイワインフジャイララアス・アル=ハイマの7つの首長国によって構成される連邦国家であり、各首長国はそれぞれ絶対君主制を取っている。独立した首長国が連合する形で成立した国家であるため、各首長国の権限は大きく自立性は高い[37]。これに対し、マレーシアの君主制国家構成領邦はすべてではなく、マレーシア半島部の11州のうち、ジョホール州ケダ州クランタン州パハン州ペラ州スランゴール州トレンガヌ州ヌグリ・スンビラン州プルリス州の9州のみが君主制を取っている。マレーシアの州の君主はいずれも権限は小さく、立憲的な議会主義君主制となっている[38]

君主の称号による分類

[編集]
現存する君主制国家
  •   絶対君主制の国
  •   絶対君主制に近い国
  •   立憲君主制の国
  •   英連邦王国 (人的同君連合となっている立憲君主制の国)
  •   伝統的な君主が地方に存在する国
  •   君主が存在(及び、現存)しない国
  •   国ではない陸地
  •   海

君主の種類による分類には以下がある。

現存する国家形態

[編集]

現存しない国家形態

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君主国の一覧

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2024年現在、(君主を国家元首に据える)君主制国家は、以下の43ヶ国であり、約5億人の人口を抱える。このうち、英連邦王国に属する国家が15ヶ国存在する。

君主 制度 継承 現憲法
日本の旗 日本国 天皇[注釈 10] 象徴君主制立憲君主制 世襲制 1947
カンボジアの旗 カンボジア王国 [注釈 11] 立憲君主制 世襲選挙制 1993
タイ王国の旗 タイ王国 制限君主制 世襲制 2017
ブータンの旗 ブータン王国 立憲君主制 世襲制 2007
ブルネイの旗 ブルネイ・ダルサラーム国 スルターン 絶対君主制 世襲制 1959
マレーシアの旗 マレーシア [注釈 12] 立憲君主制 選挙君主制 1957
オランダの旗 オランダ王国 立憲君主制 世襲制 1815
スウェーデンの旗 スウェーデン王国 象徴君主制(立憲君主制) 世襲制 1974
スペインの旗 スペイン王国 議会君主制
(立憲君主制)
世襲制 1978
デンマークの旗 デンマーク王国 立憲君主制 世襲制 1849
ノルウェーの旗 ノルウェー王国 立憲君主制 世襲制 1814
ベルギーの旗 ベルギー王国 立憲君主制 世襲制 1831
モナコの旗 モナコ公国 立憲君主制 世襲制 1911
アンドラの旗 アンドラ公国 共同公 立憲君主制 職権上 1993
リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン侯国 立憲君主制 世襲制 1862
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク大公国 大公 立憲君主制 世襲制 1868
モロッコの旗 モロッコ王国 立憲君主制 世襲制 1957
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 大統領 混合制 世襲選挙制 1971
オマーンの旗 オマーン国 スルターン 絶対君主制 世襲制 1996
カタールの旗 カタール国 首長 混合制 世襲制 2004
クウェートの旗 クウェート国 首長 絶対君主制 世襲選挙制 1962
サウジアラビアの旗 サウジアラビア王国 絶対君主制 世襲制 1992
バーレーンの旗 バーレーン王国 混合制 世襲制 2002
ヨルダンの旗 ヨルダン・ハミシテ王国 立憲君主制 世襲制 1952
エスワティニの旗 エスワティニ王国 立憲君主制 世襲制 1968
レソトの旗 レソト王国 立憲君主制 世襲制 1993
トンガの旗 トンガ王国 立憲君主制 世襲制 1970
バチカンの旗 バチカン市国 教皇 立憲君主制 選挙制 1920
イギリスの旗 イギリス 立憲君主制 世襲制 1701
アンティグア・バーブーダの旗 アンティグア・バーブーダ 英国王 立憲君主制 1981
オーストラリアの旗 オーストラリア 英国王 立憲君主制 1901
カナダの旗 カナダ 英国王 立憲君主制 1867
グレナダの旗 グレナダ 英国王 立憲君主制 1974
ジャマイカの旗 ジャマイカ 英国王 立憲君主制 1962
セントクリストファー・ネイビスの旗 セントクリストファー・ネイビス 英国王 立憲君主制 1983
セントビンセント・グレナディーンの旗 セントビンセント・グレナディーン 英国王 立憲君主制 1979
セントルシアの旗 セントルシア 英国王 立憲君主制 1979
ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島 英国王 立憲君主制 1978
ツバルの旗 ツバル 英国王 立憲君主制 1978
ニュージーランドの旗 ニュージーランド 英国王 立憲君主制 1907
バハマの旗 バハマ 英国王 立憲君主制 1973
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア 英国王 立憲君主制 1975
ベリーズの旗 ベリーズ 英国王 立憲君主制 1981

現存しない

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19世紀以前に君主制から共和制に移行した国

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20世紀に君主制から共和制に移行した国

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21世紀に君主制から共和制に移行した国

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脚注

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注釈

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  1. ^ 世界大百科事典 第2版』原文:
    くんしゅせい【君主制 monarchy】
    一人の支配者によって統治される国家形態。ギリシア語のモナルケスmonarchesに語源があり,モノスmonos(alone)+アルコarcho(rule),すなわち,〈ただ一人の支配〉を意味する。[2]
  2. ^ 百科事典マイペディア』原文:
    共和制【きょうわせい】
    一国を代表する象徴あるいは元首が,人民の中から一定の任期間選ばれる国家の体制。英語でrepublic,君主制の対。主権が人民にあることから民主制と同義語に用いられる場合があるが,実質的には独裁的統治が行われる場合も少なくない。多くの国が共和制の形態をとっている。[5]
  3. ^ 『百科事典マイペディア』原文:
    民主主義【みんしゅしゅぎ】

    支配の権威民衆に由来し,その意味で支配者と被支配者が同一であるという主義,あるいはその原則にたつ政治体制(民主制)。君主制,神政政治などと対照的。〈民衆の福祉のために〉という啓蒙専制主義民本主義も民主主義ではない。[6]
    日本国憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し」ているとある[7]
  4. ^ 『精選版 日本国語大辞典』原文:
    みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】
    人民権力を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。権力が単独の人間に属する君主政治や少数者に属する貴族政治区別される。狭義には、フランス革命以後に私有財産制を前提とした上で、個人の自由万人の平等法的に確定した政治原理をさす。[8]
  5. ^ 帝国」は「古代より、皇帝の支配する統治体や、複数の政治単位を統治する広域的支配を指し」ている[9]。「」という漢字の意味は「最高の神[10]天下の「きみ[10]

    日本語の「皇帝制[11]・「皇帝制度」[12]・「帝制」[13]・「帝政」[14]・「帝国主義[14][13]・「広域支配主義」は[15]英語の「インペリアリズム」(imperialism)に当たる[11][12][13][14][15]。なお、ある学術論文は「エンパイアを帝国と訳すか,広域支配と訳すか,インペリアリズムを帝国主義と訳すか,広域支配主義と訳すかは,当該国の違いと訳者の政治的立場の違いによる」としている[15]

  6. ^ 湊晶子は学術論文において、「皇帝」という語には「一般に,専制君主制理念」が盛り込まれていると述べている[16]。皇帝は、英語でエンペラー(emperor)、ドイツ語でカイザー(Kaiser)という[16]。エンペラーやカエサルの語源はローマの《インペラトルカエサル》(Imperator Caesar)である[16]

    ただし、「皇帝」という語は「もともとローマのものではない」[16]アウグストゥスにおける「皇帝」という語に専制君主的・現人神的要素を含めることは「誤りだと思う」と湊は述べている[16]。「アウグストウスが初代ローマ皇帝に就任した時,アウグストウス的皇帝制を樹立したと結論して良いと思う。 … すなわち,一個人に権力が集中しないローマ的統治概念を,初代皇帝は継承した」[16]。アウグストゥス的皇帝制はプリンキパトゥス(プリンチパーツス)と呼ばれるものであり、「共和制時代元老院を取り込んだ君主制」だったと同氏は言う[16]

  7. ^ サモアを君主制に分類するかどうかについては定まっていない[要出典]
  8. ^ 連合王国独自の解釈がされる非常に独特な国家連合体[要出典]
  9. ^ 各国の総督はイギリス政府とは完全に無関係であり、実際には各国の首相の推薦により、その国の市民権を持つ人間が選ばれる[要出典]
  10. ^ 天皇が君主かは議論がある[要出典]
  11. ^ 王室評議会によって2つの王室から選出される。
  12. ^ 各州のスルタンが輪番で国王を務める[要出典]

出典

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  1. ^ 岡田 2015, p. 19.
  2. ^ a b c 平凡社 2019.
  3. ^ ブリタニカ・ジャパン 2019.
  4. ^ Weblio 2019, p. 「monarchism」.
  5. ^ a b c 平凡社 2023, p. 「共和制」.
  6. ^ a b 平凡社 2019b, p. 「民主主義」.
  7. ^ 荻野 2021, p. 81.
  8. ^ a b 小学館国語辞典編集部 2019, p. 「民主主義」.
  9. ^ 知恵蔵「帝国」の解説”. Kotobank. 2022年4月5日閲覧。
  10. ^ a b 小川 et al. 2017, p. 415.
  11. ^ a b 淡路 1980, p. 104.
  12. ^ a b 大澤 2006, p. 51.
  13. ^ a b c https://ejje.weblio.jp/content/imperialism
  14. ^ a b c 竹林 2002, p. 1231.
  15. ^ a b c 中西 2005, pp. 97–98.
  16. ^ a b c d e f g 湊 1991, p. 64.
  17. ^ 『現代世界の陛下たち』, p. 212.
  18. ^ 「サウジアラビア」p41 保坂修司 岩波書店 2005年8月19日第1刷
  19. ^ a b c d e 山田敏之「ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲 : 近年まで又は現在、男系継承を原則とする国の事例」『レファレンス= The reference』第67巻第11号、国立国会図書館、2017年11月、1-27頁、doi:10.11501/10990713ISSN 00342912CRID 15205733310515824642023年6月8日閲覧 
  20. ^ 在アラブ首長国連邦日本国大使館
  21. ^ 「アンドラ基礎データ」 日本国外務省 令和元年12月4日 2020年6月30日閲覧
  22. ^ 「比較政治学」p146 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷
  23. ^ 「比較政治学」p149 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷
  24. ^ 「立憲君主制」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版』 6巻(改訂第2版)、ティビーエス・ブリタニカ、1993年。 
  25. ^ 「立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか」p25-27 君塚直隆 新潮社 2018年2月25日発行
  26. ^ 「代議制民主主義」p50-51 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行
  27. ^ 「物語 ベルギーの歴史」p39-41 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日
  28. ^ 「代議制民主主義」p48-49 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行
  29. ^ 『現代世界の陛下たち』, p. 11.
  30. ^ 『現代世界の陛下たち』, p. 14.
  31. ^ 『イギリス帝国の歴史――アジアから考える』p233-234 秋田茂(中公新書, 2012年)
  32. ^ 『現代世界の陛下たち』, p. 16-18.
  33. ^ 「【王位継承物語】21世紀の君主制と皇室 「継続と安定」もたらす宝」 産経新聞 2019.3.21 2020年6月27日閲覧
  34. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2397063?cx_part=search 「ネパール制憲議会で宣誓式、君主制廃止へ」AFPBB 2008年5月28日 2020年6月27日閲覧
  35. ^ 「豪で君主制廃止論再燃? 首相「女王退位後に共和制移行を」 AFPBB 2016年12月19日 2020年6月27日閲覧
  36. ^ 「カンボジア王国基礎データ」 日本国外務省 令和元年7月29日 2020年6月27日閲覧
  37. ^ 『アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章』pp218-219 細井長編著 明石書店 2011年3月18日初版第1刷発行
  38. ^ 「マレーシアの地方自治」p21-24 (財)自治体国際化協会 2007年12月10日 2020年7月4日閲覧

参考文献

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関連項目

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