「デイズ・オブ・サンダー」の版間の差分
m Bot作業依頼: Apple関連記事の改名に伴うリンク修正依頼(2) (iOS (Apple)) - log |
m Bot作業依頼: iOSの改名提案に伴う内部リンク修正依頼 (iOS) - log |
||
189行目: | 189行目: | ||
=== 1990年版 === |
=== 1990年版 === |
||
{{main|w:Days of Thunder (video game)}} |
{{main|w:Days of Thunder (video game)}} |
||
開発は{{仮リンク|マインドスケープ(ゲーム会社)|en|Mindscape|label=マインドスケープ}}で、最初に[[PC/AT互換機]]版が登場し、その後[[ファミリーコンピュータ|NES]]と[[Amiga]]に移植された。1992年には[[ゲームボーイ]]版もリリースされ、後年[[PlayStation Network]]や[[ |
開発は{{仮リンク|マインドスケープ(ゲーム会社)|en|Mindscape|label=マインドスケープ}}で、最初に[[PC/AT互換機]]版が登場し、その後[[ファミリーコンピュータ|NES]]と[[Amiga]]に移植された。1992年には[[ゲームボーイ]]版もリリースされ、後年[[PlayStation Network]]や[[iOS]]でも遊べるようになった。 |
||
=== 2011年版 === |
=== 2011年版 === |
2021年11月10日 (水) 03:13時点における版
デイズ・オブ・サンダー | |
---|---|
Days of Thunder | |
監督 | トニー・スコット |
脚本 | ロバート・タウン |
原案 |
ロバート・タウン トム・クルーズ |
製作 |
ドン・シンプソン ジェリー・ブラッカイマー |
製作総指揮 | ジェラルド・R・モーレン |
出演者 |
トム・クルーズ ロバート・デュヴァル ニコール・キッドマン |
音楽 | ハンス・ジマー |
撮影 | ウォード・ラッセル |
編集 |
ビリー・ウェバー マイケル・トロニック クリス・レベンゾン |
配給 |
パラマウント映画 UIP |
公開 |
1990年6月27日 1990年6月29日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 フランス語 |
製作費 | $60,000,000 |
興行収入 | $157,920,733[1] |
『デイズ・オブ・サンダー』(Days of Thunder)は、1990年に公開されたアメリカ合衆国の映画。監督はトニー・スコット。脚本はロバート・タウン。トム・クルーズ主演。日本では1990年6月29日に公開された。
2009年4月24日にBlu-ray Disc版を発売。本編の他に特典映像として劇場予告編を収録。
なお、本作は同年に結婚するトム・クルーズとニコール・キッドマンが共演した最初の作品であり、その後2001年に離婚するまでに『遥かなる大地へ』(1992年)と、『アイズ ワイド シャット』(1999年)にて共演している。
ストーリー
才能と野心にあふれ勝利への執念に燃えるドライバー、コール・トリクル。かつて米国自動車クラブ選手権で数々の勝利を収め、インディアナポリス500の勝利を目指しながらもフォーミュラカーのレーサーとしては挫折した経験をもつコールは、シボレーディーラーの大物でNASCARチームオーナーでもあるティム・ダランドによって、ストックカードライバーとしての才能を見出される。コールと同じくかつては伝説的なクルーチーフとして名を馳せながらも、担当ドライバーの事故死により現場を離れていたハリー・ホッジは、ティムによりコールの走りに引き合わされて現役復帰を決意、コールの為にシボレー・ルミナを製作し、コールと共にデイトナ500のウィンストン杯を目指す。ハリーは時にコールと意見を衝突させながらも、クルーが交わすNASCAR特有の用語を理解せぬままトラックを走り続けているコールの実態を見抜き、ストックカー特有のドラフティングの極意を伝授して次第にコールの実力を引き出していき、やがてコールはダーリントンで初の勝利を手にする。しかし、新たなスポンサーを獲得して挑んだデイトナ500の前哨戦、ファイアークラッカー400にて、コールはライバルのロウディと共に激しくクラッシュし、危うく再起不能になりかけてしまう。美しい女医のクレアの介抱によりコールは回復を果たす一方、ロウディには怪我の後遺症が残り復帰が困難となった。ライバルを失った失意が癒えぬまま、ティムのチームに復帰したコールを待っていたのは、コールが欠場中にティムが新たに見出した若手ドライバー、ラスであった。ラスと激しい競争の中でコールは冷静さを失っていき、ノース・ウィルケスボロ・スピードウェイのレースでラスの策略で勝利を逃したコールは、怒りに駆られてウィニングラン中のラスの車体に自らの車体を激突させてしまう。ティムはコールとハリーを共に解雇。自信を失ったコールを支えるクレア、そしてコールに自らの夢を託すロウディ、更にはハリーの奔走によりコールは新たな車体、新たなチームメイトと共にデイトナ500の舞台に立つ。そしてコールはレースに必要な、勝つための、そして生きるための、本当の勇気を取り戻すのである。
キャスト
- コール・トリクル
- 演 - トム・クルーズ
- 主人公の若手NASCARドライバー。ティム・リッチモンドがキャラクター像のモデルであり、ラストネームはディック・トリクルにちなむ[2][3]。車両は#46 シティシェビー・シボレー → #46 スーパーフロー・シボレー → #51 メロー・イエロー・シボレーを乗り継ぐ。
- クレア・ルイッキー
- 演 - ニコール・キッドマン
- コールと恋仲になる脳神経外科医。
- ハリー・ホッジ
- 演 - ロバート・デュヴァル
- コール車のクルー・チーフ。ハリー・ハイドがモデル。
- ティム・ダランド
- 演 - ランディ・クエイド
- 裕福な自動車ディーラーのオーナーで、コールを最初に雇ったチームオーナーでもある。リック・ヘンドリックがモデル。
- ラス・ウィーラー
- 演 - ケイリー・エルウィス
- コールが欠場中にティムが新たに雇ったドライバー。コールのチームメイトであり、後にライバルともなる。#18 ハーディーズ・シボレーを駆る。ラスティ・ウォレスがモデル。
- ロウディ・バーンズ
- 演 - マイケル・ルーカー
- 前年のウインストン・カップ王者で、コールの最初のライバル。車両は#51 エクソン・シボレー。デイル・アーンハートがモデル。
- ビッグ・ジョン
- 演 - フレッド・トンプソン
- 作中のNASCARオーナー。現実にビッグ・ビルと渾名されたビル・フランス・シニアがモデル。
- バック・ブレザトン
- 演 - ジョン・C・ライリー
- コール車のカー・チーフ(車両責任者)。演じるライリーは後に『タラデガ・ナイト オーバルの狼』に主演する。
- ワデル
- 演 - J.C.クイン
- ロウディ車のクルー・チーフ。名前はワデル・ウィルソンに因む。
- ジェニー・バーンズ
- 演 - キャロライン・ウィリアムズ
- ロウディの妻。
- 女性保安官
- 演 - レイラニ・サレル
- コール達を逮捕するハイウェイ・パトロールを装ったストリッパー。ハリーがコールにイタズラする為に雇った女性。
- ハーレム・フーガハイド
- 演 - クリス・エリス
- コール車のガス・マン(給油手)。チョコレート・マイヤーズがモデル。
- アルド・ベネデッティ
- 演 - ドン・シンプソン
- カメオ出演する本作の脚本家。マリオ・アンドレッティがモデルで、ファーストネームはマリオの双子の兄弟であるアルド・アンドレッティに因む。
- 上記キャストの他、リチャード・ペティ、ラスティ・ウォレス、ニール・ボンネット、ハリー・ガント、ドクター・ジェリー・パンチらが本人役でカメオ出演。PAアナウンサーとボイスオーバー役として、1979年から2000年までナスカー・オン・ESPNを担当したボブ・ジェンキンスも出演。
スタッフ
- 監督:トニー・スコット
- 脚本:ロバート・タウン
- 原案:ロバート・タウン、トム・クルーズ
- 製作:ドン・シンプソン、ジェリー・ブラッカイマー
- 製作総指揮:ジェラルド・R・モーレン
- 撮影監督:ウォード・ラッセル
- 音楽:ハンス・ジマー
日本語吹替
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
---|---|---|---|---|
ソフト版 | TBS版 | 機内上映版 | ||
コール・トリクル | トム・クルーズ | 鈴置洋孝 | 水島裕 | |
ハリー・ホッジ | ロバート・デュヴァル | 中庸助 | 小林修 | |
クレア・ルイッキー | ニコール・キッドマン | 土井美加 | 戸田恵子 | |
ティム・ダランド | ランディ・クエイド | 小林修 | 麦人 | |
ラス・ウィーラー | ケイリー・エルウィス | 森一 | 古田信幸 | |
ロウディ・バーンズ | マイケル・ルーカー | 大塚明夫 | 谷口節 | |
ビッグ・ジョン | フレッド・ダルトン・トンプソン | 今西正男 | 藤本譲 | |
バック・ブレザトン | ジョン・C・ライリー | 辻親八 | 小室正幸 | |
ワデル | J.C.クイン | 清川元夢 | 秋元羊介 | |
ジェニー・バーンズ | キャロライン・ウィリアムズ | 叶木翔子 | 渡辺美佐 | |
ダーリーン | ドナ・ウィルソン | 種田文子 | ||
レン・ドートート | ジョン・グリースマー | 藤城裕士 | 塚田正昭 |
- TBS版:初回放送1993年7月7日『水曜ロードショー』
撮影
主要撮影は1990年早期に、シャーロットとデイトナで行われた。スコットとシンプソン、ブラッカイマーの間でどのような構図で撮影を行うかの議論が度々紛糾し、タウンはスケジュールの遅延に悩まされ、撮影スタッフは長時間手持ち無沙汰となり、後に彼らは割増賃金は四ヶ月間完全な休暇を取得するのに十分だろうと述べた。当初は同年5月初頭の完成を目指していたが、実際の完成期日は三ヶ月以上後で、その間何度も延期が繰り返された[4]。撮影スタジオを統括する制作責任者は三度目の遅延の段階で匙を投げ、シンプソンとブラッカイマーに対して「もはやスケジュールは重要な問題ではない」と告げた[5]。
デイトナでは、シンプソンとブラッカイマーはホテルの空き店舗に「デイズ・オブ・サンダー」の大きなネオンサインを掲げ、内部を私的なジムに改装する為に40万米ドルを費やした。シンプソンは自分のアシスタント達がビーチでナンパした魅力的な女性に提供する為にクローゼットをダナ・キャランのドレスで埋め尽くし、友人とのプライベート・パーティーにはラッパーのトーン・ロックを呼んだりした[6]。タウンは撮影済みのいくつかのシーンの出来映えを不服としてフィルムを破棄し、撮り直しを要求した為にフィルム代が余計に嵩む事態となった。当初約35万ドルの撮影予算はほぼ倍増し、最終的に約1億ドルが必要となった[5]。トム・クルーズが第62回アカデミー賞にて『7月4日に生まれて』の作品賞受賞を逃した事も、一部の予算がカットされる理由とされた[7]。予算超過と遅延にも関わらず、彼らはクランクアップ後のフィルムの多くを放置した。その中にはコール・トリクルのマシンがデイトナのフィニッシュラインを横切るシーンも含まれていた[6]。
レースカー
コール・トリクル、ロウディ・バーンズ、ラス・ウィーラーの車両はヘンドリック・モータースポーツが提供した。スタントドライバーは当時現役NASCARドライバーであったグレッグ・サックス、トミー・エリス、ボビー・ハミルトン、ハット・ストリックリンが担当した。本物のレース映像を提供する為に、実際にNASCARウインストンカップ・シリーズの1989年と1990年シーズンの3つのレースイベントの予選中に撮影が行われた。最初に1989年のオートワークス500(フェニックス・インターナショナル・レースウェイ)でハミルトン(#51エクソン・シボレー)とサックス(#46シティシェビー・シボレー)の運転で撮影され、ハミルトンは予選を5位で通過し、本戦ではエンジンブローでリタイヤするまでに5周のラップリードを取ったりもした[8]。1990年に入り、年初のエキシビションであるデイトナのブッシュ・クラッシュにて、サックスとエリスの運転でデイトナ500のシーンの撮影が行われ[9]、その後サックスは#46シティシェビー・シボレーでエキシビジョンにも出走、4周のラップリードを取り2位でフィニッシュした[10]。その後ダーリントンのトランサウス500でサックス(#46シティシェビー・シボレー)とストリックリン(#51エクソン・シボレー)の運転で最後の撮影が行われ、本戦ではサックスがクランクシャフト破損でリタイヤするまで上位と絡む活躍を見せた[11]。
なお、作中のコールの最初の車のスポンサーであるシティ・シェビーは、ノースカロライナ州シャーロットでリック・ヘンドリックが実際に経営しているシボレーの自動車ディーラーである[12]。また、2番目の車のスポンサーであるスーパーフローは、エクソンのエンジンオイルの商標であり、作中エクソンはライバル同士のコールとロウディ双方のスポンサーを行っていたという状況が発生している[13]。
音楽
劇中音楽はハンス・ジマーが編曲し、ギター演奏はジェフ・ベックが担当した。主題歌の"Last Note of Freedom"はトム・クルーズ本人のリクエストにより、ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデールが歌唱した。カヴァデールのボーカルパートの録音はスリップ・オブ・ザ・タングのレコーディングと平行して行われたという。
現実の逸話の参照
エド・ヒントンによると、本作は伝記映画ではないが、主人公コール・トリクルの人物像の多くの部分は、本作の前年にエイズで死去したティム・リッチモンドの経歴と重ね合わせたものとされる[14][15]。また、いくつかのシーンは現実のNASCARの伝承やNASCARの歴史に基づいたものとされている[14]。
ビッグ・ジョンがコールとロウディに語りかけるシーンは、現実に1980年代にビル・フランス・シニアがデイル・アーンハートとジェフ・ボーディンとの間で行った会談のシーンを元にしているし[14]、コールが意図的にエンジンをオーバーレブさせてエンジンブローを起こすシーンは、ティム・リッチモンドが1987年シーズンのチャンピオン・スパークプラグ400(現:ピュアミシガン400)で行った事件に基づいている[16]。
別のシーンでは、コールがピットクルーから「アイスクリームを食べているのでピットインできない」と言われるが、この事件は1987年のサウザン500で、ヘンドリック・モータースポーツのクルーチーフであったハリー・ハイドと、当時エイズの療養で戦線を離脱していたティム・リッチモンドの代役として起用されたベニー・パーソンズとの間で起きた事件を元にしている[17]。また、作中にインスパイアされた事件の一つとして、マーティンズビル・スピードウェイでハイドが慣れないショートオーバルに苦しむパーソンズに皮肉を込めて言い放った「リスタートの直後にペースカーに追突してみろ! 今日お前はトラック上のあらゆるモノに激突したと愚痴ってるが、まだペースカーが残っているだろうが!」という無線通信も参考にされているという[18]。
また作中、コールとロウディが互いのレンタカーをぶつけ合って破壊しながら競争するシーンは、1950年代にジョー・ウェザリーとカーチス・ターナーの間で起きた事件が元となっている[19][20]。
作中のデイトナ500では、ハリーはコールに対して「エンジン交換の必要がある」と述べ、コールに「そのエンジンはどうしたんだ」と聞き返された際に、ハリーは「盗んできた」と答えるが、実際にはそのエンジンは前オーナーのティムから送られた物である事が示唆される。後日これと類似した話が現実に発生している。1990年シーズンはデイル・アーンハート(リチャード・チルドレス・レーシング、シボレー・ルミナ)とマーク・マーティン(ラウシュ・レーシング、フォード・サンダーバード)が僅差でドライバーズタイトルを争っており、決着は最終戦のアトランタ・ジャーナル500(現:フォールズ・オブ・オナー・クイックトリップ500)にもつれ込んだ。マーティンの車のセッティング状態が思わしくないと見た同じフォード系のイエーツ・レーシングを率いるロバート・イエーツは、テスト走行の際に同チームのデイビー・アリソンの車両をマーティンに貸し出した。フォードの勝利を願っていたイエーツはレースでもマーティン車をチームを挙げて支援したが、ポイントスタンディングではマーティンは26ポイント差でアーンハートに敗れ去った。マーティンはシーズン序盤のデイトナ500でキャブレターに1/2インチのスペーサーを挟んでいた[注 1]為に-46ポイントのペナルティを受けており、これによりアーンハートの最終戦での逆転を許してしまったのである。
公開
本作は1990年6月27日(水曜日)[4]に米国で公開され、$157,920,733の興行収入で成功を収めた[21][22]。ビデオ販売でも成功を収め[23]、レンタルビデオでは4000万ドルを稼ぎ出す人気作となった[24]。
現実のNASCARとのリンク
2013年のNASCARネイションワイド・シリーズの第16戦サブウェイ・ファイアークラッカー250にて、カート・ブッシュが搭乗するフェニックス・レーシングの#1シボレー・SSが本作の#46シティシェビーのカラーリングで出走し[25]、4位入賞を果たした[26]。このイベントはブッシュの発案が発端で、フェニックス・レーシングにエンジンを供給していたヘンドリック・モータースポーツ及びオーナーのリック・ヘンドリックの了解が得られた事で実現した。レースでは作中同様にピットクルーにアイスクリーム・サンドが振る舞われ、クルーチーフのニック・ハリソンは「レースは映画の結末のようにはならなかったが、ブッシュはコール、私はハリーの役になりきってレースを楽しめた。」とコメントした[27]。
また、作中の最終戦でコール車が身に纏ったメロー・イエローのスポンサードカラーは、翌91年のシーズンにて現実のものとなる。SABCOレーシングの#1ポンティアック・グランプリ、カイル・ペティ車に実際にスポンサーとして付き、1991年から94年のシーズンに掛けて、映画のカラーリングが再現された。また、メロー・イエローは1990年から94年までシャーロットの500マイルレースの冠スポンサーも努めた。2015年、チップ・ガナッシ・レーシングは2015年のボージャングルズ・サザン500にて、#42シボレー・SS、カイル・ラーソン車をメロー・イエローカラーで出走させる事を明らかにした[28]。ラーソンは予選を16位で通過し、本戦では8位入賞を果たした。
評価
米国では多くの批評家が本作について、本作の4年前に大成功を収めたトップガンの大筋のプロットをストックカーの世界観に焼き直したものだとして否定的な評価を下した。作中の特殊効果もトップガンと類似しており、「トップガン・オン・ホイール」や「トップガン・イン・レースカー」などといった蔑称さえ付けられた[29][30]。レスリー・ハリーウェルは「ありふれたファミリー向け物語の域を出ない」と評し[31]、マンスリー・フィルム・バレッティンは「派手で騒がしいスター、トム・クルーズの乗る車が、ストックカーに似た道路をただグルグルと回っているだけの単純な映画」と評した[31]。Rotten Tomatoesの批評では58人のレビュー中支持率は38%であり、「トム・クルーズを引き立たせる演出は多いが、他のキャラクターの説明や、使い古されたプロット、稚拙なシナリオを補うには至らない」といった意見が多くを占めた[32]。NASCAR史上の無数のネタを織り込んだ要素はあったものの、NASCARが決してメジャーではない地域ではそうした方向性もあまり理解されず、日本でも概ね米国の批評と似た論評が多くを占めている。
本作について肯定的な評価を下したロジャー・イーバートは、以下のように指摘している。「本作はある意味でトム・クルーズ映画と呼べる様式に正確に則った作品である。トップガン、ハスラー2、カクテルで同じ様式が用いられており、一部では嫌悪の声も挙がり始めているが、本作の成功はクルーズ映画の主要成分がまだ有効と言うことを示している。それは以下のようなものが含まれているであろう。」
- (作中のコール)クルーズが演じる若者の性格は、常に作中最高の実力を持つ可能性のある、素朴で自然な才能のある「子供」である。
- (作中のハリー)「指導者」となる壮年男性は、若者が来る遙か以前からその世界で働いており、若者の才能を見抜く。時として若者の自由な精神が彼の許容を上回り、きつく叱る事もあるが、基本的には親が子を信じるような信頼関係の中にある。
- (作中のクレア)「特別な女性」の存在。大概は若者よりも年上で落ち着いた性格。指導者が若者を身体面で指導する傍ら、若者の精神面の指導を行い、支えていく事になる。
- (作中のドラフティング技術)若者が習得しなければいけない「技能」の存在。
- (作中のNASCAR)若者の実力が試される「舞台」の存在。
- (作中のNASCARネタ)神秘的な伝承や「専門用語」の類が作中に無数に存在し、若者も視聴者も映画を通じてそれを学ぶ事になる。
- (作中のウインストン杯)聖櫃のような絶対的な「目標」の存在。それは指導者と若者、その他の人物全てが目指す共通の目標である。
- (作中のロウディ)「序盤の悪役」の存在。決まって不良じみた男性で、若者を挑発して鍛錬に向かわせる原動力となる。若者とははじめ激しく反目し合うが、火の洗礼のような出来事を経て、友情関係となる。
- (作中のラス)「真の悪役」の存在。若者の才能、学習能力、ヒロインとの愛、得られた成果の全てを試す為に舞台に立ち、目標の最大の障壁となる、悪意を持つ強い男性である[33]。
1990年のシスケル&イーバートのクルーズ特番の中で、イーバートはクルーズ映画の構成要件として、上記の9項目に加えてクルーズ演じる若者が感情的に試練に立ち向かう切っ掛けとなる存在として「瀕死の友人」の存在を追記した[34]。
一方、本作は1990年の第63回アカデミー賞において、録音賞(チャールズ・M・ウィルボーン、ドナルド・O・ミッチェル、リック・クライン、ケヴィン・オコネル)にノミネートされている。また、否定的な評価が多い一方で本作は同年の第11回ゴールデンラズベリー賞には候補作としても入っていない。
2012年にスコットの死に際して、雑誌「スレート」のライターであるスティーブン・メトカーフは本作を「アメリカの映画産業の歴史の中で重要な転換点となった」と主張した。メトカーフはスコットの撮影した最高の作品がクリムゾン・タイドである事は疑いようもなく、トップガンの途方も無い大成功により、本作の10年前にアメリカの映画産業に破壊的な影響を及ぼしたマイケル・チミノの天国の門のショックから映画産業を立ち直らせた功績はあったものの、ある意味ではチミノの行為と変わらない事を行っていたシンプソンとブラッカイマーのような制作者を抱えながらも、本作が一定の成功を収めてしまった事で、それまでチミノの事例を教訓としていたハリウッドの業界人の風潮を変えてしまう悪い影響を残したとしている[6]。
なお、クエンティン・タランティーノは本作をお気に入りの作品と述べており、「(本作に否定的な論者である)あなた方は嘲笑するかもしれないが、本作はグラン・プリや栄光のル・マンと並ぶ程大好きだ。大きな予算、大スター、大監督であるトニー・スコットの存在ばかりが注目されるが、本作は初期のアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ作品の良い面を引き継いでいると思う。作中の何もかもを真剣に受け止めてしまって論ずる事がばかりが正しい事とは私は思わない。」とコメントしている[35]。
ゲームソフト化
本作は2度に渡りコンシューマーゲーム向けのゲームソフト化が行われている。
1990年版
開発はマインドスケープで、最初にPC/AT互換機版が登場し、その後NESとAmigaに移植された。1992年にはゲームボーイ版もリリースされ、後年PlayStation NetworkやiOSでも遊べるようになった。
2011年版
開発はパラマウント・デジタル・エンターテイメントで、2009年にiOS版がリリースされた後、2011年にPlayStation 3、Xbox 360、PlayStation Portable版が制作された。プレイヤーはコール、ロウディ、ラスの中から操作キャラクターを選択し、デイトナやタラデガを含む12のNASCAR公認トラックでレースを行う。PS3版は「NASCAR Edition」と副題が付いており、デニー・ハムリン、ライアン・ニューマン、トニー・スチュワートを含む12人のNASCARスプリントカップ・ドライバーから操作キャラクターを選択できるようになっている。
脚注
注釈
- ^ 溶接であれば問題とはされなかったが、着脱可能なボルト止めであった事から問題にされた。
出典
- ^ “Days of Thunder (1990)”. Box Office Mojo. Amazon.com. 2009年11月29日閲覧。
- ^ Rees, Ryan (1990年6月27日). “Alan Kulwicki's View From the Cockpit”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ Mathews, Jack (1990年7月7日). “Hollywood Knows Fakin', Not Racin'”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ a b Van Gelder, Lawrence (June 26, 1990). “'Days of Thunder' Set for Wednesday Release”. スポークスマン・レビュー. ニューヨーク・タイムズ March 2, 2013閲覧。
- ^ a b Brady, Celia (August 1990). “Fast Cars, Fast Women, Slow Producers: Days of Thunder”. スパイ (雑誌): 40 September 3, 2012閲覧。.
- ^ a b c Metcalf, Stephen (August 24, 2012). “How Days of Thunder Changed Hollywood”. スレート (ウェブサイト) September 3, 2012閲覧。
- ^ Hall, Steve (May 8, 1990). “'500' voice calls action in new film”. The Indianapolis Star: p. 20 April 20, 2016閲覧。
- ^ 1989 Autoworks 500
- ^ Glick, Shav (1990年2月17日). “Motor Racing Daytona 500”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ 1990 Busch Clash
- ^ 1990 TranSouth 500
- ^ Citron, Alan (1990年7月17日). “Lumina Hopes to Hitch a Ride With Tom Cruise”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ 劇中車のプラモデルを製作してシーケンス毎組み合わせに並べている写真
- ^ a b c “The Summer That Nascar Received Its Close-Up”. AP (ニューヨーク・タイムズ). (2010年6月26日) 2012年9月27日閲覧。
- ^ ヒントン, エド (2009年8月17日). “More than Tim Richmond died in 1989”. ESPN.com 2012年9月27日閲覧。
- ^ Poole, David (2005): TIM RICHMOND: The Fast Life And Remarkable Times Of NASCAR's Top Gun (Sports Publishing LLC, Champaign, IL), pp. 155–8
- ^ Parsons, Benny (2009年). “NASCAR Scrapbook: NASCAR Legend Benny Parson Reveals Some of His Most Poignant Racing Memories”. Pause that Refreshed (Circle Track Magazine) 2012年9月27日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 2007年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月16日閲覧。
- ^ “Curtis Turner Story Challenges Hollywood”. Sarasota Journal. (1966年6月19日) 2012年9月27日閲覧。
- ^ “Joe Weatherly”. (2012-08-00) 2012年7月27日閲覧。
- ^ Broeske, Pat H. (1990年7月10日). “Die Hard 2 Mows Down the Competition”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ Mathews, Jack (1990年7月2日). “Thunder Sputters in Box-Office Race”. The Los Angeles Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ Hunt, Dennis (1991年2月21日). “VIDEO RENTALS : Three New Players Enter the Top Five”. ロサンゼルス・タイムズ 2011年1月11日閲覧。
- ^ https://www.imdb.com/title/tt0099371/
- ^ Kurt Busch brings 'Thunder' back to Daytona - NASCAR、2013年7月4日。
- ^ 2013 Subway Firecracker 250
- ^ 'Cole Trickle' just short of Hollywood ending - NASCAR、2013年7月5日。
- ^ Kyle Larson's Darlington paint scheme revealed - NASCAR、2015年8月19日
- ^ Maslin, Janet (1990年6月27日). “Review/Film; Tom Cruise and Cars, and a Lot of Them”. The New York Times 2010年10月24日閲覧。
- ^ Maslin, Janet (1990年6月27日). “Review/Film; Tom Cruise and Cars, and a Lot of Them”. The New York Times 2010年11月8日閲覧。
- ^ a b Halliwell's Film Guide, Halliwell's Film Guide Leslie Halliwell, John Walker. HarperPerennial, 1996 (p. 288).
- ^ Rotten Tomatoes – Days of Thunder
- ^ “Days Of Thunder”. Chicago Sun-Times
- ^ Ebert, Roger; Siskel, Gene. Siskel & Ebert – Tom Cruise: The Star Next Door (Television production). イリノイ州シカゴ、WLS-TVスタジオ: ディズニー-ABC・ドメスティック・テレビジョン.
- ^ "QUENTIN TARANTINO: MY FAVOURITE RACING MOVIES" F1 Social Diary 21 August, 2013 Archived 2014年7月7日, at Archive.is accessed 5 July 2014
関連項目
- ラスト・アメリカン・ヒーロー - 1973年。ジュニア・ジョンソンの実話が元になった映画。
- ストローカーエース - 1983年のコメディ映画。本作同様に大規模なレースロケが行われた。
- ザ・レーサー/栄光のデイトナ500 - 2004年。デイル・アーンハートの伝記的作品。
- ハービー/機械じかけのキューピッド - 2005年のディズニー映画。ヒロインがVW・ビートルでNASCARに参戦するという一見荒唐無稽な筋立てだが、1953年に実際に参戦した記録が残っている。
- タラデガ・ナイト オーバルの狼 - 2006年の映画。デイトナ500やタラデガ・スーパースピードウェイが舞台。
- カーズ - 2006年のピクサー映画。第1作は架空の世界であるが、明らかにNASCARが舞台となっている世界観であり、本作同様多数の小ネタが盛り込まれ大ヒットした。