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2021年11月4日 (木) 22:50時点における版
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名前 | ||||||
本名 | アリウ・シセ | |||||
ラテン文字 | Aliou Cissé | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | セネガル | |||||
生年月日 | 1976年3月24日(48歳) | |||||
出身地 | ジガンショール | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF/DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1997 | リール | 6 | (0) | |||
1997-1998 | スダン | 0 | (0) | |||
1998-2001 | パリ・サンジェルマン | 43 | (1) | |||
2001-2002 | モンペリエ | 17 | (1) | |||
2002-2004 | バーミンガム・シティ | 36 | (0) | |||
2004-2006 | ポーツマス | 23 | (0) | |||
2006-2008 | スダン | 21 | (1) | |||
2008-2009 | ニーム | 7 | (0) | |||
通算 | 153 | (3) | ||||
代表歴 | ||||||
1999-2005 | セネガル | 35 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2013 | セネガル U-23(アシスタント) | |||||
2013-2015 | セネガル U-23 | |||||
2015- | セネガル | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アリウ・シセ(Aliou Cissé、1976年3月24日 - )は、セネガル・ジガンショール出身の元サッカー選手・サッカー指導者[1]。現役時代のポジションはDF(センターバック)、MF(ボランチ)[1]。2015年3月4日よりセネガル代表監督[2]。
サッカー選手としての経歴
シセは、1999-2000年のシーズンにおいてフランス国内リーグのディヴィジオン・アンで準優勝したパリ・サンジェルマンFCのチームの一員であった[1]。次シーズンのパリ・サンジェルマンFCはチャンピオンズリーグ 2000-01に参加し、シセは同リーグにおいて4試合に出場した[1]。なお、チームは4位入賞でシーズンを終えた[1]。だが、シセはその次のシーズンで出場機会を失い、モンペリエHSCと契約した[1]。その後の2002年から2006年にかけてはイングランド・プレミアリーグのバーミンガム・シティFC、ポーツマスFCに在籍した。2006年から2008年はCSスダン・アルデンヌと契約していたが次シーズンからフランス2部リーグで戦うことを決心し、ニーム・オリンピックに2008年9月1日から参加した。しかしシーズン終了時に再契約はなかった。
セネガル代表チーム選手としては、シセは2000年から2005年まで「テランガのライオン」の愛称で知られるセネガル代表チームの選手であった[1]。日本と韓国が共催した2002年のFIFAワールドカップにおいてシセは、セネガル代表チームのキャプテンを務めた[1]。なお、この時シセのいるセネガルはワールドカップ初出場でしかもデンマーク、フランス、ウルグアイと同じAグループに入り、勝ち上がりが厳しいと考えられていたがデンマークとウルグアイに引き分け、前回優勝チームのフランスに勝利して決勝トーナメントへ勝ち進んだ[3]。決勝トーナメント1回戦ではスウェーデンにゴールデンゴールで競り勝ったものの、準々決勝のトルコ戦では逆にイルハン・マンスズにゴールデンゴールを入れられチームも敗退した[3]。
なお、2002年の9月にガンビア沖で発生した旅客船ジョラ号沈没事故でシセも親族12人を失った[4]。
サッカー指導者としての経歴
シセは、2012年1月にオリンピックにおけるセネガル代表チームの監督補佐に推薦された。シセのセネガル代表チーム入りには、シセの持つ豊富な国際的サッカー経験が期待された。2013年のフランコフォン大会の際は、23歳以下セネガル代表チームの監督を務めた。
2015年、当時のセネガル代表チームの監督であったアラン・ジレスは2014-2015年のアフリカ・ネイションズ・カップでセネガルが1次予選で敗退したことの責任を取り、監督を辞任した[2]。2015年3月4日、セネガル・サッカー連盟(FSF)はジレスの後任にシセを指名した[2]。2016-2017年のアフリカ・ネイションズ・カップにおいてシセは監督としてセネガル代表チームを率い、チームは決勝トーナメントで優勝国のカメルーンにPK戦で敗退するが、8強入りに導いた[5]。
2018年のFIFAワールドカップ・アフリカ予選において、シセが率いるセネガル代表は本選への出場権を得た[6]。2017年12月1日、シセは組み分け抽選会のためロシアの首都モスクワを訪れ、くじを引いた[6]。抽選の結果、セネガルがポーランド、コロンビア、日本と同じグループHに入ったことを知るとシセは、まず「バランスはいいが厳しい」グループだと感想を述べた[6]。コロンビア代表チームについては「好みのチームだ」と言った[6]。また、別のインタビューでシセは「セネガルにとって厳しいグループになるだろう。ポーランドは皆さんご存知の通り。コロンビアは国際試合の経験が豊富だ。日本はやれることは何でもやる(努力を惜しまない)だろう」と述べ、それゆえ「セネガルらしさを保ったままの代表チームで、ここ(ロシア)に再び来ようと思う」と語った[7]。
日本代表チームの監督であったヴァイッド・ハリルホジッチは抽選会直後のインタビューで、「私はセネガル代表チームをよく知っている、約2メートルの長身選手たちを前に動揺せず、私たちの流儀を貫くことが重要だ」と述べた[6]。シセはセネガルに帰国後、ハリルホジッチのコメントへの感想を問われ、「サッカーに確定的なことは何一つない、シンプルに、たくさんのことを議論し、決断するだけだ」と述べた[6]。セネガルのメディアなどでは、セネガル代表チームにとって16年ぶりの出場となる2018年のワールドカップが2002年の躍進の再来となることを期待する論調が見られている[5][7]。
出典
- ^ a b c d e f g h “Aliou CISSÉ, Sélectionneur de l`équipe nationale de football du Sénégal”. dakar.com Qui est qui?. 2018年5月19日閲覧。
- ^ a b c “Aliou Cissé nommé sélectionneur”. Le Equipe Football (2015年3月5日). 2018年1月20日閲覧。
- ^ a b “Whatever happened to Senegal’s 2002 World Cup squad?” (2013年6月20日). 2018年5月19日閲覧。
- ^ “Blues fans open their hearts to Senegal's grieving captain”. Guardian, The (London). (26 October 2002) 2018年5月19日閲覧。
- ^ a b Achache, Farid (2017年1月29日). “CAN 2017: le Sénégal bute encore sur le Cameroun”. rfi - voix du monde. 2018年1月20日閲覧。
- ^ a b c d e f Achache, Farid (2017年12月1日). “Mondial 2018: le Sénégal d’Aliou Cissé devra batailler”. rfi - voix du monde. 2018年1月20日閲覧。
- ^ a b “Aliou Cissé: « Je pense que c’est un groupe qui va être difficile »”. footempo.com (2017年12月1日). 2018年5月19日閲覧。