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1997年、{{仮リンク|富平高等学校|ko|부평고등학교}}に入学。この頃から既に将来を嘱望されていた。1999年の[[ニューイヤーユースサッカー]]に韓国U-18ユース代表として出場。[[高麗大学校]]時代から海外志向が人一倍強く[[ |
1997年、{{仮リンク|富平高等学校|ko|부평고등학교}}に入学。この頃から既に将来を嘱望されていた。1999年の[[ニューイヤーユースサッカー]]に韓国U-18ユース代表として出場。[[高麗大学校]]時代から海外志向が人一倍強く[[リールOSC|リール]]、[[ブレシア・カルチョ|ブレシア]]の入団テストを受けている<ref>http://www.chosunonline.com/article/20010621000010</ref><ref>http://www.chosunonline.com/article/20010727000008</ref>。 |
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2002年、[[高麗大学校]]から20歳で韓国[[Kリーグクラシック|Kリーグ]]の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]に入団し頭角を現す。同年に[[2002 FIFAワールドカップ|自国開催されたワールドカップ]]のメンバーにも選出され、韓国のベスト4進出に貢献。 |
2002年、[[高麗大学校]]から20歳で韓国[[Kリーグクラシック|Kリーグ]]の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]に入団し頭角を現す。同年に[[2002 FIFAワールドカップ|自国開催されたワールドカップ]]のメンバーにも選出され、韓国のベスト4進出に貢献。 |
2021年11月4日 (木) 22:13時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ミレニアムエキスプレス | |||||
カタカナ | イ・チョンス | |||||
ラテン文字 | LEE CHUN SOO | |||||
ハングル | 이천수 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||
生年月日 | 1981年7月9日(43歳) | |||||
出身地 | 仁川広域市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | 富平高等学校 | |||||
2000-2001 | 高麗大学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2003 | 蔚山現代FC | 36 | (15) | |||
2003-2005 | レアル・ソシエダ | 13 | (0) | |||
2004-2005 | → CDヌマンシア (loan) | 15 | (0) | |||
2005-2007 | 蔚山現代FC | 48 | (17) | |||
2007-2009 | フェイエノールト | 12 | (0) | |||
2008 | → 水原三星ブルーウィングス (loan) | 3 | (0) | |||
2009 | → 全南ドラゴンズ (loan) | 7 | (4) | |||
2009-2010 | アル・ナスル | 16 | (3) | |||
2010-2011 | 大宮アルディージャ | 43 | (8) | |||
2013-2015 | 仁川ユナイテッドFC | 67 | (5) | |||
代表歴2 | ||||||
2000-2007 | 韓国 | 78 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2009年3月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
李 天秀(イ・チョンス、이천수、1981年7月9日 - )は、大韓民国出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
経歴
1997年、富平高等学校に入学。この頃から既に将来を嘱望されていた。1999年のニューイヤーユースサッカーに韓国U-18ユース代表として出場。高麗大学校時代から海外志向が人一倍強くリール、ブレシアの入団テストを受けている[1][2]。
2002年、高麗大学校から20歳で韓国Kリーグの蔚山現代に入団し頭角を現す。同年に自国開催されたワールドカップのメンバーにも選出され、韓国のベスト4進出に貢献。
2003年にスペインのレアル・ソシエダに完全移籍。2004年にCDヌマンシアに期限付き移籍した。しかしレアル・ソシエダでのデビュー戦でアシストを決めたもののスランプに陥り、「クラブ史上最低の契約選手の一人」とも言われ、ヌマンシアでも「おだてるとスパイクをくれる選手」と蔑まれるなど評価は低く[3]、スペインでは2年で28試合出場無得点に終わった。2005年途中より蔚山現代に復帰。シーズン途中の加入ながら11試合に出場し8得点を挙げ、Kリーグの年間MVPを獲得した。
2006年のドイツW杯にもグループリーグ3試合に出場。初戦のトーゴ戦ではフリーキックを直接蹴り込みゴールを決めた。
2007年、オランダのフェイエノールトへ移籍。移籍金は200万ユーロ(約3億2000万円)。10月21日のエクセルシオール戦でオランダデビューを飾った。2007年の夏にはチェルシーFCへの入団を希望していたが叶わなかった[4]。しかし、2008年1月に足首を負傷して戦線を離脱。その後復帰するも、故障の再発により無得点という不本意な成績のままシーズンを終えた。国内で手術後のリハビリに努めている間、クラブは新監督G・ファーベクのもとでの来季構想を発表。李は戦力外となり、移籍を余儀なくされた。
2008年7月、フェイエノールトから水原三星ブルーウィングスへレンタル移籍。期間は1年、レンタル料は50万ユーロ(約8400万円)。しかし、わずか3試合に出場したところで試合から遠ざかり、同年12月、水原はプロサッカー連盟に対し、李への任意脱退の公示を要請した。任意脱退とは、クラブが選手との契約を一時ストップする制度であり、当該選手はすべての活動資格をはく脱され、復帰するまで給与も支払われない。水原が明らかにした任意脱退公示要請の理由は、李の練習不参加および指示不履行。水原は「チャンピオン戦を控え、11月16日から23日にかけて行われた慶州キャンプで、李が負傷を理由に練習を軽視し、その後コーチ陣によるリハビリ治療の指示にも従わなかった」と明らかにした。
2009年2月25日、Kリーグの全南ドラゴンズへレンタル移籍。3月7日Kリーグ開幕戦にて レフリーのジャッジを不服とし「銃で撃つジェスチャー」での威嚇・暴言等で警告。6試合出場停止・罰金600万ウォンの処分を受ける。さらにKリーグ賞罰委員会による社会奉仕命令が下され、プロサッカー選手として初めて試合前のフェアプレーフラグ旗手としてピッチに立った経験も持つ。同年7月、コーチ陣と衝突した末にチームを無断で離れ、任意引退選手となる。全南とのレンタル契約が終了するまでKリーグでは活動できないこととなり[5]、 同月、サウジ・プロリーグのアル・ナスルへ移籍した。しかし給与未払い等の不満もあり、翌年3月には韓国へ帰国した。
2010年6月から大宮アルディージャに練習生としてキャンプに参加し、同年8月に大宮と2011年1月1日までの正式契約を結んだ[6]。同年12月には1年間の契約延長が発表された。2012年1月、契約満了により退団[7]。
2013年よりKリーグ・仁川ユナイテッドFCと契約。10月14日、仁川広域市南洞区の飲食店で暴行事件を起こし、書類送検され[8]、10月25日、罰金2000万ウォンとシーズン残り試合の出場停止などの処分を受けた[9]。
2015年11月、現役引退を表明[10]。2016年以降は韓国のテレビ局でサッカー解説者として活動する。
所属クラブ
- 水原三星ブルーウィングス 2008-2009
- 全南ドラゴンズ 2009
- アル・ナスル 2009.7-2010
- 大宮アルディージャ 2010.8-2011
- 仁川ユナイテッドFC 2013-2015
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 蔚山 | Kリーグ | 18 | 10 | |||||||
2003 | 9 | 18 | 8 | ||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | レアル•ソシエダ | 19 | プリメーラ | 13 | 0 | ||||||
2004-05 | ヌマンシア | 22 | 15 | 0 | |||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 蔚山 | 10 | Kリーグ | 11 | 8 | 1 | 0 | ||||
2006 | 18 | 9 | 0 | 0 | |||||||
2007 | 8 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 9 | 5 | |||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
2007-08 | フェイエノールト | 16 | エールディヴィジ | 12 | 0 | ||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 水原 | 28 | Kリーグ | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 |
2009 | 全南 | 9 | 7 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 9 | 4 | |
サウジアラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | アル・ナスル | 7 | サウジ・プロ | 15 | 3 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 大宮 | 16 | J1 | 16 | 2 | - | 3 | 2 | 19 | 4 | |
2011 | 7 | 27 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | 28 | 6 | ||
通算 | 韓国 | Kリーグ | 83 | 43 | |||||||
スペイン | プリメーラ | 28 | 0 | ||||||||
オランダ | エールディヴィジ | 12 | 0 | ||||||||
サウジアラビア | サウジ・プレミア | 15 | 3 | ||||||||
日本 | J1 | 43 | 8 | 0 | 0 | 4 | 2 | 47 | 10 | ||
総通算 | 181 | 54 |
タイトル
個人
- 2002年 - Kリーグ 新人王
- 2002年 - Kリーグ ベストイレブン
- 2002年 - Kリーグ アシスト王
- 2002年 - アジア年間最優秀ユース選手賞
- 2004年 - ソリア市選定年間最優秀選手[11]
- 2005年 - Kリーグ 年間MVP
- 2005年 - Kリーグ ベストイレブン
- 2006年 - A3チャンピオンズカップ MVP
- 2006年 - A3チャンピオンズカップ 得点王
クラブ
- 2005年 - Kリーグ
- 2006年 - A3チャンピオンズカップ
- 2008年 - KNVBカップ
代表歴
出場大会
- 2000年 - オリンピックサッカー
- 2002年 - FIFAワールドカップ 4位
- 2002年 - アジア大会 3位
- 2004年 - オリンピックサッカー
- 2006年 - FIFAワールドカップ
- 2006年 - アジア大会 4位
- 2007年 - AFCアジアカップ 3位
脚注
- ^ http://www.chosunonline.com/article/20010621000010
- ^ http://www.chosunonline.com/article/20010727000008
- ^ スポーツライター小宮良之の「フットボールビジネス・インサイドリポート」第8回
- ^ http://www.chosunonline.com/article/20060627000036
- ^ <サッカー>李天秀、Kリーグから「退場」 2011-05-13閲覧
- ^ 【大宮:李天秀選手 移籍加入】李天秀選手コメント J's Goal 2010.08.11
- ^ 李 天秀選手契約満了のお知らせ 大宮アルディージャ公式サイト 2012-01-13閲覧
- ^ イ・チョンスの証言は虚偽と判明、暴行容疑で書類送検 Qoly.jp 2013年10月18日
- ^ 暴行事件で書類送検のイ・チョンス、懲戒が決定 Qoly.jp 2013年10月26日
- ^ Jでも活躍、元韓国代表FW李天秀が現役引退 ゲキサカ - 2015年11月6日
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2009年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月3日閲覧。
外部リンク
- 李天秀 - J. League Data Siteによる選手データ
- 韓国のサッカー選手
- サッカー韓国代表選手
- 蔚山現代FCの選手
- レアル・ソシエダの選手
- CDヌマンシアの選手
- フェイエノールトの選手
- 水原三星ブルーウィングスの選手
- 全南ドラゴンズの選手
- 仁川ユナイテッドFCの選手
- アル・ナスルの選手
- 大宮アルディージャの選手
- FIFAワールドカップ韓国代表選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- AFCアジアカップ2007出場選手
- オリンピックサッカー韓国代表選手
- 2000年シドニーオリンピックサッカー出場選手
- 2004年アテネオリンピックサッカー出場選手
- 韓国のアジア競技大会選手
- 高麗大学校出身の人物
- 在スペイン韓国人
- 在日韓国人
- オランダの外国人
- 仁川広域市出身の人物
- 1981年生
- 存命人物