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=== 日本の類似例 === |
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{{詳細記事|日系フィリピン人#フィリピン残留日系人問題}} |
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*衆議院予算委員会第二分科会 1957年3月29日 ○海野三朗 私が一昨年ビルマに参りまして、向うのミョウマ・スクールの校長に会っていろいろ話を聞いたんですが、日本の軍人の落し種が約三万人ビルマにおるんです。○政府委員(中川融君)日本軍が戦争中に滞在しておりました各国におきまして、いわゆる落し種と申しますか、現地人との間に混血児が相当におるいうことは想像にかたくないのでありまして、御指摘のビルマの例も三万人という数が果して正確であるかどうか、これはわかりませんが、相当の数の混血児がおるのではないかと思います。カンボジア等におきましても、混血児がおることは現地調査に行った人が現に見てきておるのであります。インドネシアにおきましてもこれは相当数の混血児がおる、フィリピンまたしかりであります。これらの混血児の現在の待遇と申しますか、あるいは環境はどうかということになりますと、父親はほとんど皆あるいは戦死、あるいは内地に帰って来ておるということで、母親だけで育てられている。あるいは母親もいなくてみなしごになっているというケースが相当あるのでありまして、いかにも気の毒な状況であります。<ref>{{Cite web|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102615272X00119570329|title=第26回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号 昭和32年3月29日|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立国会図書館}}</ref> |
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*衆議院・海外同胞引揚に関する特別委員会 1951年3月20日 ○菊池委員 たとえばヤツプの離れ島、パラオの離れ島というようなところにはたくさんの同胞があるはずです。そして日本人の残した混血児が大分あるわけですが、<ref>{{Cite web|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101003932X00719510320|title=第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号 昭和26年3月20日|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立国会図書館}}</ref> |
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*衆議院決算委員会 1965年4月13日 ○吉野説明員(吉野文六) 東南アジアの文化友好協会は、なるほど設立以来日も浅い協会ではありますが、従来相当実績がありまして…戦争混血児の日本留学生優先受け入れの寄宿舎建設運動として、今度約二億円目標の運動を起こしており、<ref>{{Cite web|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=104804103X02219650413|title=第48回国会 衆議院 決算委員会 第22号 昭和40年4月13日|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立国会図書館}}</ref> |
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*参議院・本会議 1992年1月30日 ○千葉景子 諸外国の人々との信頼関係は、単にアジアだけではありません。例えば、日本占領下のインドネシアで日本兵とオランダ国籍の現地女性との間に生まれた推定八百人もの混血児が今オランダで生活しています。○国務大臣(宮澤喜一総理大臣) オランダ国籍のインドネシア女性と日本兵の子供たちの父親捜しというお話がございまして、オランダ政府からの要請がございまして、従来から誠意を持って対応してまいったところでございますけれども<ref>{{Cite web|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=112315254X00319920130|title=第123回国会 参議院 本会議 第3号 平成4年1月30日|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立国会図書館}}</ref> |
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== モニュメント == |
== モニュメント == |
2021年10月26日 (火) 14:35時点における版
ライダイハン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 라이따이한 |
漢字: | - |
発音: | ライタイハン |
2000年式・MR式: | Raittaihan |
ライダイハン | |
---|---|
各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Lai Đại Hàn |
漢字・チュノム: | 𤳆大韓 |
北部発音: | ライダイハン |
ライダイハン(ベトナム語: Lai Đại Hàn)とは、ベトナム戦争時韓国人と現地ベトナム人で生まれた子供を指す。韓国人兵士による性的暴行[1][2]により産まれた子供、民間の韓国人父親から生まれた子供がベトナムに置き去りにされた[3]問題となっている。『京郷新聞』によれば、その数は少なくとも3000人、最大2万人とみられ、ベトナム社会で冷遇され、経済的に困窮している[4]。
ライ「𤳆」(𤳆=「男」偏に「來」旁[5][注 1])はベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない[6]。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。なお、韓国系ベトナム人(한국계 월남인/韓國系越南人)と呼ばれている。
概要
ライダイハンの数
ライダイハンの正確な数は、依然として、はっきりとは分かっていない。1500人(『朝日新聞』・1995年5月2日)、2千人(野村進)、500万人(『産経新聞』)[要出典]、最小5千人・最大3万人(『釜山日報』)、7千人、1万人以上(名越二荒之助[7]など)など諸説ある。
彼ら(彼女ら)の中には父親の記憶を持たず、朝鮮語も話せず、写真だけが唯一残された思い出という者もいる[8]。韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある[7]。韓国政府およびベトナム政府による調査が行われないまま、長期間、問題が放置されてきたことにより、被害者数の正確な把握が困難になったという批判もある[9]。
ライダイハン問題に携わる民間団体らは600から1500人と見積もっておりベトナムに暮らしているのは500人程を確認している。
ライダイハンの原因
原因については兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて韓国に帰国したこと」とする現地婚[注 2]、サイゴン陥落による国外脱出の失敗がある[11]。日本・フィリピン間のジャピーノと同様に、ベトナムに残された子どもが韓国の父親を捜し認知を求めた。2002年報道によるとベトナムに残された子どもが韓国で父親相手に認知訴訟を起こして認められ、国籍の取得が相次いだ[12]。
野村進は、ベトナム現地のライダイハン向けの職業訓練校を取材している[13]。野村によると「この職業訓練学校の授業料や寮費は、すべて無料である。一九六五年から七五年のあいだに生まれた韓越混血児で、そのことの証明書がありさえすれば、誰でも入学できる」[14]。また同校運営者の韓国人牧師は野村に「父親探しをしたのは、これまでに五十人くらいですか。でも、実際に韓国で父親に会って見たら、すでに家族もあるし子供もあるしで、会わないほうがよかったとなる場合も結構ありまして」[15]と語った。さらに野村は四人姉妹がその訓練校で学んだ家庭の母親にも話を聞いている。その母親はサイゴン陥落で韓国企業駐在員の夫と生き別れたが、「主人は、やさしくて本当にいい人。あの頃が一番幸せだったねえ」[16]と懐かしみ、新婚時代の思い出の品として東芝の扇風機を出してきたという。母親は野村に「ぜひ書いてもらいたいことがあるんだけど」「韓国に帰ったきり、会いにも来なければ手紙もよこさない父親が、多すぎるんですよ。子どもたちに会いに来なさい。それができないなら、手紙ぐらい書きなさい……『元気だ」って知らせて。それだけでいいんです」[17]と訴えたという。
ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていた[7]ことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている[18]。
ただし「拷問・虐殺の生き残りである」と証言しているライダイハン及びその母親は存在しない。また強姦で仮に妊娠したとしても、堕胎等も考えられる(例 第二次大戦後の二日市保養所で引揚者の日本女性が堕胎)。堕胎は場合によってはそれほど高額・高等な技術ではなく、例えば日本では「大正から昭和初期にかけての堕胎罪対象となった年平均228人女性の堕胎原因の大半が私通か貧困が原因の堕胎であり,しかも堕胎施術者の大半が所謂取上婆によるものであった」[19]。
戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団、青龍旅団、白馬師団などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している[注 3]。他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている[注 3]。
ライダイハンの状況
ベトナム戦争集結から時が経ちライダイハン達は中年となった。ベトナムでは資本主義の敵、韓国では共産主義者と迫害された[11]。
背景
当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としての共感を訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している[22]。南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近く[23]がベトナムに赴いた。
ベトナムでは韓国軍に抹殺された村ごとに「『ダイハン』の残虐行為を忘れまい」と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っている[24]。
こうした中でライダイハンは、これら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた[注 2]。
兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の韓国の外貨収入の2割に達した[23]。65年から72年までのベトナム特需の総額は10億2200万ドルにのぼる[25]。これはアメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。
韓国政府の対応
韓国の民間団体や韓国のキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され[注 4]、無償での職業訓練と朝鮮語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある[9]。
国籍法の改正前にはライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きがあった[27]。
2013年9月の朴槿恵大統領のベトナム訪問では、ホー・チ・ミン廟の参拝や献花の時を含めてベトナム戦争についてまったく触れず、ベトナム戦争時に韓国軍兵士に性的暴行されたベトナム人女性や虐殺されたベトナム人遺族に対して謝罪をしなかった、ハンギョレに韓国が日本に対してしきりに「歴史直視」を要求していることと矛盾していると批判を受けた[28]。ベトナム戦争の際の謝罪をベトナム側から求められなかったことに関して、韓国政府高官は「過去に対する韓国とベトナムの成熟した立場と誤った歴史認識に閉じ込められている日本と自然に比較されないか」として、「日本への圧迫」になると日本とベトナムの違いを述べた[29]。
韓国マスメディアの反応
後の韓国大統領である全斗煥は白馬師団第29連隊長として[30]、盧泰愚と同様にベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した[31]。しかし後年、徐々に国民の意識が変わり、SBSでライダイハンをテーマとしたドキュメンタリー『大韓の涙』が放送された[32][33]。
リベラル紙を発行するハンギョレ社は、1999年5月に自社の週刊誌『ハンギョレ21』にて掲載した記事を皮切りに、ベトナムでの韓国の戦争犯罪やライダイハン問題をたびたび取り上げ、韓国の世論に衝撃を与えた[31]。これに対し、韓国の海兵隊の退役軍人にて組織される「枯葉剤戦友会」などの団体は、2000年6月27日に2400名という大集団を率いてハンギョレ社を襲撃した。彼らは同社内のあらゆる事務機器を破壊し、同社幹部を監禁し、同社の従業員十数名を負傷させた[31][34]。これだけの不当かつ大規模な暴力事件が生じたにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名に留まり、身柄を拘束された者は4名のみであった[34]。
フィクションでは、2007年に同じくSBSで、新ライダイハンがヒロインの連続テレビドラマ『黄金の新婦』が放送された[35]。
ベトナム政府の反応
韓国政府に対する批判は控えめでライダイハンの積極的な救済、名誉回復より二国間の友好関係維持を原則的立場とており謝罪の要求はしていない[36]。また国交正常化の際には他の問題も含め補償の請求を行わなかった[37]。
二国間関係以外の理由としては北ベトナムによる戦争犯罪、弾圧などの批判を避ける事と見られている[36]。
2018年に文在寅大統領が公式の謝罪を出そうとした時には水面下での交渉で文大統領の謝罪は流れることになった[38]。
ライダイハンらが国連人権委員会でDNA鑑定を文大統領に要求する公開書簡をイギリス大使館に送り親子関係が証明された際にはロンドンに像を建てると行動を起こしたケースでは「両国関係の未来志向に基づく発展をする努力をしてきた」と回答、韓国軍の性暴力の存在をベトナム政府は認識しているのかの問には「今後も友好関係の発展に努める」と明言を避けた[39]。
韓国国内の動き
ライダイハンの支援団、韓国軍の行為を批判する団体が活動している[40]。
2019年、慰安婦問題で活動している正義連は韓国政府の消極的な姿勢に遺憾の意を示した[41]。
父親の認知による国籍取得をするライダイハンの動きがあったが[27]韓国の法律が変わり親子関係があった場合でも成人していた場合は国籍の取得が出来なくなり現在ライダイハンの韓国国籍取得は他のベトナム人と同じく帰化によるものとなっている[42]。
ベトナム社会におけるライダイハン
敵国の子供とベトナム社会から差別を受け貧困に苦しんだ[43]。またライダイハンの母親は敵国と通じていたなどの理由で財産の没収や投獄をベトナム政府の勝利者であるベトナム社会主義共和国政府から受けた[44]。
ライダイハンの類似例
アメラジアン
戦時下のベトナムにおいては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世(越:Lai Mỹ/ 𤳆美、ライミー)が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人とも推計されている。
南北統一後のベトナムでは、当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年にアメリカ政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なおベトナムに留まる者も多かった[45][46][47]。しかし、その後、越中戦争(中越戦争とも)において中華人民共和国と敵対した関係から西側諸国とベトナムとの関係改善が割合早期に行われたことなどから、ライダイハンほど激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。
日本の類似例
- 衆議院予算委員会第二分科会 1957年3月29日 ○海野三朗 私が一昨年ビルマに参りまして、向うのミョウマ・スクールの校長に会っていろいろ話を聞いたんですが、日本の軍人の落し種が約三万人ビルマにおるんです。○政府委員(中川融君)日本軍が戦争中に滞在しておりました各国におきまして、いわゆる落し種と申しますか、現地人との間に混血児が相当におるいうことは想像にかたくないのでありまして、御指摘のビルマの例も三万人という数が果して正確であるかどうか、これはわかりませんが、相当の数の混血児がおるのではないかと思います。カンボジア等におきましても、混血児がおることは現地調査に行った人が現に見てきておるのであります。インドネシアにおきましてもこれは相当数の混血児がおる、フィリピンまたしかりであります。これらの混血児の現在の待遇と申しますか、あるいは環境はどうかということになりますと、父親はほとんど皆あるいは戦死、あるいは内地に帰って来ておるということで、母親だけで育てられている。あるいは母親もいなくてみなしごになっているというケースが相当あるのでありまして、いかにも気の毒な状況であります。[48]
- 衆議院・海外同胞引揚に関する特別委員会 1951年3月20日 ○菊池委員 たとえばヤツプの離れ島、パラオの離れ島というようなところにはたくさんの同胞があるはずです。そして日本人の残した混血児が大分あるわけですが、[49]
- 衆議院決算委員会 1965年4月13日 ○吉野説明員(吉野文六) 東南アジアの文化友好協会は、なるほど設立以来日も浅い協会ではありますが、従来相当実績がありまして…戦争混血児の日本留学生優先受け入れの寄宿舎建設運動として、今度約二億円目標の運動を起こしており、[50]
- 参議院・本会議 1992年1月30日 ○千葉景子 諸外国の人々との信頼関係は、単にアジアだけではありません。例えば、日本占領下のインドネシアで日本兵とオランダ国籍の現地女性との間に生まれた推定八百人もの混血児が今オランダで生活しています。○国務大臣(宮澤喜一総理大臣) オランダ国籍のインドネシア女性と日本兵の子供たちの父親捜しというお話がございまして、オランダ政府からの要請がございまして、従来から誠意を持って対応してまいったところでございますけれども[51]
モニュメント
平和少女像で知られるキム・ウンソン&キム・ソギョンが制作したもの。チェジュにあり韓国軍による民間人虐殺被害者の母親と名もなき赤子の鎮魂のために作成。韓国・ベトナム平和財団の寄付活動により2017年除幕された[52]。
ライダイハンのための正義
創立者 | ピーター・キャロル |
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設立 | 2017年9月12日 |
所在地 |
Suite D0172 London 265-269 Kingston Road Wimbledon London SW19 3NW |
活動内容 | ベトナム戦争において韓国兵から苦痛を受けたベトナム女性と結果生まれたライダイハンの救済と周知 |
ウェブサイト |
https://laidaihanjustice.org/ ライダイハン (LDHJustice) - Facebook ライダイハン (@LDHJustice) - X(旧Twitter) |
ライダイハンのための正義(英: Justice for Lai Dai Han)は、2017年9月12日にイギリスで設立された市民団体[53]。「ベトナム戦争において韓国軍兵士からの性的暴行に遭った女性たちが苛酷な人生を送っていること」を知らしめる目的で、イギリスの市民活動家であるピーター・キャロルが呼びかけ人となって設立された[53]。
ロンドンで開かれた設立イベントには労働党のジャック・ストロー元英外相も参加している[53]。団体のメンバーの英国人フリージャーナリスト、シャロン・ヘンドリーは、ライダイハンを育てたというベトナム人女性7人に聞き取り調査を行っており、「韓国兵は多くのベトナム女性に性的暴行を加えたり、慰安婦として強制的に慰安所で働かせていた」と報告している[53][54][55]。
こういった事実関係究明のため、イギリス議会に調査委員会設置を求めると共に、イギリス人彫刻家のレベッカ・ホーキンスが被害女性とその子供たちのために制作した「ライダイハン像」を披露した[56]。等身大ライダイハン像を制作し、在ベトナム韓国大使館前などに設置し世論喚起することを検討することを発表している[56]。
2020年3月27日にBBCが、「1968-何百人もの女性を苦しめた年」という記事で、ベトナム戦争における韓国軍兵士によるベトナム人女性への性的暴行を特集し、「韓国人に何が起きたのかを認めてもらう必要がある」とのベトナム人被害女性の訴えを紹介し、ジャック・ストロー元英外相と「ライダイハンのための正義」が、国連人権理事会による調査や韓国の謝罪を求めていることを伝え、「韓国は、第二次世界大戦中に、何十万人もの韓国人女性が性奴隷として働かされたことをめぐり、謝罪をするよう何十年も日本に働きかけてきた」と指摘し、日本に謝罪を求めながら、自らの問題には頬かむりする韓国のダブルスタンダードを批判した[2]。
脚注
注釈
- ^ 「𤳆」の表示にはチュノム文字フォントを参照
- ^ a b 野村進の取材を受けたホーチミン市の「人間職業訓練学校」女子寮の金永寛牧師は「この子の父親の90パーセントは韓国のビジネスマンなんです。兵隊として来ていた人の子供は、そんなにいないんですよ」と語り[10]、野村は「ベトナム戦争中に技術者や労働者として南ベトナムに来ていた韓国人男性がベトナム人女性とのあいだに子供をもうけ、そのまま母子を置き去りにして帰国してしまった例が圧倒的に多いという」と述べた[10]。
- ^ a b 亀山旭 『ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京』の第五章「ベトナムの韓国軍」[20]では、戦時下の南ベトナムと、韓国軍や韓国人の関わりを知ることができる。『週刊アンポ No.6』[21]の版がベ平連のサイト[1]で読めるが、岩波版と記述に一部差異あり。
- ^ 野村進 『コリアン世界の旅』[26]より。第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」で韓国のキリスト教団体が設立した「職業訓練学校」を訪問している。
出典
- ^ “「ライダイハンための正義」が性暴力被害者に敬意を表する歴史的な像を除幕”. SankeiBiz. フジサンケイ ビジネスアイ (2019年6月12日). 2021年7月10日閲覧。
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- ^ http://glyphwiki.org/wiki/u24cc6
- ^ Trọng Dật Dương 300 câu hỏi, 300 năm Sài Gòn TP. Hò̂ Chí Minh 1998 "Nhũng bộ Phim như "Người tình" (Pháp), “Lai Đại Hàn" (Hàn Quốc), "Miền Nam Xa Xưa" (Pháp), “Ba mùa" (Mỹ)... từng được thực hiện ở đây. 211. llạll chiêu hong llill nllãt Trước 1975, cả thành phố có 51 rạp chiếu bóng. Trong số này, có rạp ..."
- ^ a b c 名越 2002, p. 672.
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- ^ a b c d 「ベトナム戦争に派兵された韓国兵士の女性暴行「韓国政府に謝罪要求」英国で団体設立、混血児問題で像制作」『産経デジタル』産業経済新聞社、2017年9月19日、1面。2017年9月20日閲覧。
- ^ “Vietnamese women raped in wartime seek justice for a lifetime of pain and prejudice”. インデペンデント. (2017年9月11日) 2018年3月17日閲覧。
- ^ “韓国兵は3回も私を襲った…ベトナム戦争の残虐を英紙が報道、欧米で怒り・驚き噴出”. 産経新聞. (2018年1月8日) 2018年3月17日閲覧。
- ^ a b “ベトナム戦争に派兵された韓国兵士の女性暴行「韓国政府に謝罪要求」英国で団体設立、混血児問題で像制作”. 産経新聞: p. 2. (2017年9月19日) 2017年9月20日閲覧。
参考文献
- 書籍
- 伊藤千尋『たたかう新聞―「ハンギョレ」の12年』岩波書店〈岩波ブックレット No.526〉、2001年1月22日。ISBN 978-4-00-009226-5。
- 亀山旭『ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京』岩波書店〈岩波新書 F 35〉、1986年5月1日。ISBN 978-4-00-415035-0。
- 木村幹『韓国現代史―大統領たちの栄光と蹉跌』中央公論新社〈中公新書 1959〉、2008年8月23日。ISBN 978-4-12-101959-2。
- 金完燮 著、荒木和博・荒木信子 訳『親日派のための弁明』草思社、2002年7月。ISBN 978-4794211521。
- 池東旭『韓国大統領列伝―権力者の栄華と転落』中央公論新社〈中公新書〉、2002年7月25日。ISBN 978-4121016508。
- 名越二荒之助『日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる』明成社、2002年5月、670-675頁。ISBN 978-4-944219-11-7。※なお、同著は『日韓2000年の真実 -写真400枚が語る両国民へのメッセージ』(1997年)を改題改訂したもの。
- 野村進『コリアン世界の旅』講談社、1996年12月26日。ISBN 978-4-06-208011-8。
- 松岡完『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』中央公論新社〈中公新書 1596〉、2001年7月25日。ISBN 978-4-12-101596-9。
- その他
- 小田実「週刊アンポ No.6」『週刊アンポ』第6号、アンポ社、1970年1月26日。
- 『世界』、岩波書店、1993年8月。
- 宮崎真子「『ホワイト・バッジ』にみる韓国社会」
- 『ニューズウィーク 日本版』2000年4月12日号、阪急コミュニケーションズ(当時)。
- ロン・モロー「私の村は地獄になった」、p. 24.