「知床 (給油艦)」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
|||
26行目: | 26行目: | ||
|満載排水量 = 15,422.8トン<ref name="特務艦要目表" /> |
|満載排水量 = 15,422.8トン<ref name="特務艦要目表" /> |
||
|総トン数 = 7,621[[総トン]]<ref name="特務艦要目表" /> |
|総トン数 = 7,621[[総トン]]<ref name="特務艦要目表" /> |
||
|全長 = {{ |
|全長 = {{Convert|470|ft|9|in|m|2|abbr=on|lk=on}}<!--m--><ref name="特務艦要目表" /> |
||
|水線長 = |
|水線長 = |
||
|垂線間長 = {{ |
|垂線間長 = {{Convert|455|ft|0|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--138.684m--><ref name="特務艦要目表" /> |
||
|全幅 = {{ |
|全幅 = {{Convert|58|ft|2+3/4|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--17.748m--><ref name="特務艦要目表" /> |
||
|水線幅 = |
|水線幅 = |
||
|深さ = 計画 {{ |
|深さ = 計画 {{Convert|35|ft|0|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--10.668m--><ref name="計画要目" /> |
||
|吃水 = 計画 {{ |
|吃水 = 計画 {{Convert|26|ft|6|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--8.077m--><ref name="計画要目" /><br />軽荷平均 {{Convert|10|ft|1+3/8|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--3.083m--><ref name="特務艦要目表" /><br />満載平均 {{Convert|26|ft|6+1/8|in|m|2|abbr=on|lk=off}}<!--8.080m--><ref name="特務艦要目表" /> |
||
|高さ = |
|高さ = |
||
|推進 = 1軸<ref name="海軍造船技術概要p1726">[[#海軍造船技術概要]]p.1726</ref> x 82[[rpm (単位)|rpm]]<ref name="KawasakiAnnex1959p231">[[#川崎社史別冊1959]]p.231</ref>(計画80rpm<ref name="海軍造船技術概要p1726" />)<br />直径5.486m、ピッチ5.943m<ref name="海軍造船技術概要p1726" /> |
|推進 = 1軸<ref name="海軍造船技術概要p1726">[[#海軍造船技術概要]]p.1726</ref> x 82[[rpm (単位)|rpm]]<ref name="KawasakiAnnex1959p231">[[#川崎社史別冊1959]]p.231</ref>(計画80rpm<ref name="海軍造船技術概要p1726" />)<br />直径5.486m、ピッチ5.943m<ref name="海軍造船技術概要p1726" /> |
2021年9月18日 (土) 07:20時点における版
知床 | |
---|---|
1933年、横須賀に停泊中[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 川崎造船所[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
給油船[2] 運送艦[3](給油艦[4]) |
級名 | 知床型[5] |
建造費 | 成立予算 1,500,000円[6] |
母港 |
佐世保(1923年時)[7] 横須賀(1938年時)[8] |
艦歴 | |
計画 | 大正6年度(1917年)成立(八四艦隊完成案)[9] |
起工 | 1920年2月16日[10] |
進水 | 1920年7月17日[11] |
竣工 | 1920年9月20日[12] |
最期 | 1945年2月1日着底 |
除籍 | 1945年4月10日[13][注釈 1] |
その後 | 1946年11月29日浮揚後、解体 |
要目(1924年) | |
基準排水量 | 公表値 14,050トン[14] |
常備排水量 | 計画 15,400トン[14][15] |
満載排水量 | 15,422.8トン[4] |
軽荷排水量 | 5,241トン[4] |
総トン数 | 7,621総トン[4] |
全長 | 470 ft 9 in (143.48 m)[4] |
垂線間長 | 455 ft 0 in (138.68 m)[4] |
最大幅 | 58 ft 2+3⁄4 in (17.75 m)[4] |
深さ | 計画 35 ft 0 in (10.67 m)[15] |
吃水 |
計画 26 ft 6 in (8.08 m)[15] 軽荷平均 10 ft 1+3⁄8 in (3.08 m)[4] 満載平均 26 ft 6+1⁄8 in (8.08 m)[4] |
ボイラー |
片面煙管戻火式缶 4基(1924年時)[4] 宮原式缶 6基(1931年時)[16] |
主機 | 直立3気筒3段レシプロ1基[8] |
推進 |
1軸[17] x 82rpm[18](計画80rpm[17]) 直径5.486m、ピッチ5.943m[17] |
出力 | 5,115馬力[4] |
速力 | 13.3ノット[4] |
燃料 |
重油満載 1,000トン[4] 石炭満載1,350トン +庫外324トン[4] |
航続距離 | 8,221カイリ / 10ノット[4] |
乗員 | 定員 157名[19][注釈 2] |
搭載能力 |
重油庫内満載 8,195.5トン + サマータンク1,180トン[4] 石炭924トン[4] 缶水368トン、清水600トン[4] 獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[4] |
兵装 |
45口径3年式12cm単装砲 2基[4] 40口径三年式8cm単装高角砲 2基[4] (戦時のみ搭載) |
搭載艇 | 内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[4] |
その他 | 便乗者用寝台2[4] |
トンはすべて英トン 計画要目は知床型給油艦を参照 |
知床(しれとこ)は日本海軍の給油艦、給炭油艦とも呼ばれる。知床型給油艦の1番艦で[5]、艦名は北海道知床岬による[20]。戦艦の主砲塔を運べるよう改装された特務艦である。
艦歴
1917年(大正6年)度計画の八四艦隊案で「能登呂」と共に計画された。当初は給油船として起工されたが、建造途中で運送艦(給油艦)とされ、川崎造船所で1920年(大正9年)9月20日に竣工、佐世保鎮守府籍となる。
「能登呂」が後に水上機母艦に改装されるなどこのクラスには多くのバリエーションが生まれたが、「知床」の場合は竣工直後(『日本海軍史』によると1928年(昭和3年))に油槽の半分を船倉とし、長門型戦艦の主砲塔と砲身を運搬出来るように改装された。実際に廃艦となった加賀型戦艦「土佐」の主砲塔の運搬に用いられている[21]。最上型軽巡洋艦の60口径15.5cm3連装砲塔5基を一度に運ぶことも可能である[22]。通常の任務ではその船倉にドラム缶入りの重油や石炭を搭載して運搬したので給炭油艦とも呼ばれた。もっとも九五式陸上攻撃機[23]や航空隊の自動車や人員など[24]、燃料以外の物資も運搬している。
本クラスは平時においては海外からの重油輸送に活躍した。1924年(大正13年)3月19日に「第43潜」(後の呂25潜、呂16型)が軽巡洋艦「龍田」との衝突で沈没した際には、4月までその引き揚げ作業に当たった。また1937年(昭和12年)からの日中戦争には中国各地への輸送任務に当たった。
太平洋戦争は第四艦隊付属としてクェゼリン環礁で開戦を迎える[25]。トラック、グアム、ウェーク島などへの輸送任務に就いた。その最中の1942年(昭和17年)10月9日に第二海堡で座礁し、横須賀海軍工廠で修理後、再びトラック、ジャルート環礁方面へ進出した。1943年(昭和18年)1月24日にトラックを出港、その翌日に潜水艦の雷撃を受ける。ジャルート、クェゼリン方面への輸送任務の後は2月21日に横須賀に帰投。播磨造船所に回航され6月30日まで修理を行った。修理完了後は7月14日に横須賀を出港し、トラック、クェゼリンへの輸送任務に就いた。
9月11日、6113船団に加入して[26]クェゼリンを出港するが、9月12日未明に北緯08度23分 東経165度12分 / 北緯8.383度 東経165.200度の地点でアメリカ潜水艦パーミット (USS Permit, SS-178) の雷撃を受ける。パーミットは6113船団の出航直後から追跡をしていた[27]。雷撃により航行不能となり、クェゼリン在泊中の軽巡洋艦「那珂」や特設砲艦「香取丸」(日之出汽船、1,923トン)などが救援隊として送り込まれる[28]。曳航作業の準備中にパーミットからの二度の攻撃を受けるが被害なく[29]、9月13日15時、「香取丸」により曳航が開始され[30]、北回りのリートにより9月15日13時にルオットに到着した[31]。応急修理の上、輸送船「桃川丸」(川崎汽船、3,829トン)に曳航されルオットを出港し、日本本土までおおよそ4,300キロの航海を行う[32]。その途中の11月13日朝、北緯18度22分 東経142度50分 / 北緯18.367度 東経142.833度のパガン島近海で、アメリカ潜水艦スコーピオン (USS Scorpion, SS-278) に発見される。スコーピオンは魚雷を4本発射して1本を命中させるが[33]、小破に留まり航海に影響はなかった。以後、三度にわたって潜水艦との接触および攻撃に遭遇するが被害なく、11月25日に佐世保に帰投。佐世保海軍工廠と三菱長崎造船所で修理が行われた。
修理完了後の1944年(昭和19年)5月29日、ヒ65船団に加入して門司を出港[34]。台湾東岸を経てマニラに到着し、ヒ65船団と別れてタラカン島、バリクパパン、昭南(シンガポール)の各方面で行動した。7月6日付で南西方面艦隊付属に編入。10月7日、北緯13度39分 東経119度24分 / 北緯13.650度 東経119.400度の地点でアメリカ潜水艦コッド (USS Cod, SS-224) の雷撃により損傷[35]。昭南に回航されて修理されるが、セレター軍港の5万トン浮きドック[36]に入渠中の1945年(昭和20年)2月1日、アメリカ陸軍航空軍第20爆撃集団のB-29による爆撃で[37]浮きドックもろとも沈没着底した。4月10日に除籍[13][注釈 1]。船体は1946年(昭和21年)11月29日に浮揚され、その後解体された。
特務艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。
- 艤装員長
- (心得)中島晋 中佐:1920年8月1日 - 1920年9月18日
- (兼・心得)中島晋 中佐:1920年9月18日 - 1920年12月1日
- 特務艦長
- (心得)中島晋 中佐:1920年9月18日 - 1920年12月1日
- 中島晋 大佐:1920年12月1日 - 1921年5月30日
- 高橋武次郎 大佐:1921年5月30日[38] - 1922年5月15日[39]
- 駒林次郎 大佐:1922年5月15日[39] - 1922年11月10日[40]
- (兼)橋本才輔 大佐:1922年11月10日 - 1922年12月1日
- (心得)門司鉄 中佐:1922年12月1日[41] - 1923年11月10日[42]
- (心得)鹿野弘 中佐:1923年11月10日[42] - 1924年5月7日[43]
- (心得)白木豊 中佐:1924年5月7日[43] - 1924年10月20日[44]
- (兼)高原半 中佐:1924年10月20日[44] - 1924年12月1日[45]
- 徳広佐吉 中佐:1924年12月1日[45] - 1926年12月1日[46]
- 津田威彦 大佐:1926年12月1日[46] - 1927年5月14日[47]
- 谷井末吉 中佐:1927年5月14日[47] - 1927年12月1日[48]
- 奥名清信 大佐:1927年12月1日[48] - 1928年2月10日[49]
- 久保忠道 大佐:1928年2月10日[49] - 1928年12月10日[50]
- 片原常次郎 中佐:1932年6月10日 - 1932年11月1日
- 堀江亥之吉 中佐:1932年11月1日[51] - 1933年11月15日[52]
- 田村直文 大佐:1933年11月15日[52] - 1934年11月15日[53]
- 友成佐市郎 大佐:1934年11月15日 - 1935年10月25日
- 原鼎三 中佐:1935年10月25日 - 1936年11月2日
- 石川信吾 中佐:1936年11月2日 - 1937年12月1日
- 鳥越新一 大佐:1937年12月1日 - 1938年3月10日
- 八木秀綱 大佐:1938年3月10日 - 1938年5月25日
- 渡辺清七 大佐:1938年5月25日 - 1938年12月15日
- 木山辰雄 大佐:1938年12月15日 - 1939年4月20日
- 木村昌福 大佐:1939年4月20日 - 1939年12月5日
- 曽爾章 大佐:1939年12月5日 - 1940年11月1日
- 高木伴治郎 大佐:1940年11月1日[54] - 1941年8月16日[55]
- 杉本道雄 大佐:1941年8月16日 - 1941年11月1日
- 藤田元成 大佐:1941年11月1日 - 1941年12月30日[56]
- 溝畠定一 中佐:1941年12月30日[56] -
- 有村不二 中佐:1942年9月21日 - 1943年12月10日
- 清水正心 大佐:1943年12月10日 - 1944年4月28日[要出典]
- 石坂竹雄 大佐:1944年4月28日[要出典] -
脚注
注釈
- ^ a b 除籍日は『世界の艦船』、『日本海軍史』では1945年4月1日、『写真 日本の軍艦 第13巻』では同年4月10日としている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」によると1923年3月調べで142名(石廊157名)
出典
- ^ #写真日本の軍艦第13巻pp.10上写真と解説
- ^ a b #海軍制度沿革巻八pp.398『大正七年四月十七日(達四七) 軍備補充費ヲ以テ株式會社川崎造船所ニ於テ製造ノ八千噸積給油船三隻ニ左ノ通命名ス 能登呂ノトロ(第一隻目) 知床シレトコ(第二隻目) 襟裳エリモ(第三隻目)』
- ^ #海軍制度沿革巻八pp.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
- ^ a b #海軍制度沿革巻八pp.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:知床型、特務艦名:知床、能登呂、襟裳、佐多、鶴見、尻矢、石廊。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.250
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.249-255
- ^ #T9公文備考21/給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像12『艦政船第一二一號 大正九年二月十六日 川崎造舩所 艦政局長 給油舩知床本日午前九時半起工致シマシタ 御届ケス (了)』
- ^ #T9公文備考21/給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像14『大正九年七月十七日 川崎造船所 艦政局長宛 特務艦知床今朝午前七時三十分無事進水致シマシタ 御届申上グ 了』
- ^ #T9公文備考21/給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像18『大正九年九月二十日 川崎造舩所社長 艦政局長 特務艦知床今朝八時無事御引渡致シマシタ (了)』
- ^ a b #S20.1-8秘海軍公報/4月(2)画像42-43、マル秘海軍公報第4989号 昭和20年4月19日(木)『内令第312号(中略)横須賀鎮守府在籍 特務艦 知床 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和二十年四月十日 海軍大臣』
- ^ a b #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
- ^ a b c #T7公文備考20/特務艦製造画像27、(参考)能登呂級給油船 Particulars of 8,000 Ton Oil Steamer. July 12th, 1918.
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その三「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、特務艦、掃海艇」
- ^ a b c #海軍造船技術概要p.1726
- ^ #川崎社史別冊1959p.231
- ^ #海軍制度沿革巻十の2pp.645『大正九年八月一日(内令二七七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其四ヲ加フ(附表略)』能登呂定員表の計欄、士官11人、特務士官2人、准士官3人、下士官26人、兵115人。同書p.647大正9年9月18日内令335知床追加、p.649同年12月16日内令497襟裳追加、p.651大正10年2月24日内令57佐多追加、p.658大正11年2月8日内令42尻矢追加、p.659同年3月14日内令77鶴見追加、p.663同年10月30日内令364石廊追加。#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(13)画像50、#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(14)画像1などから昭和19年まで戦時増員を除き定員の合計人数に変化はない。
- ^ #日本海軍艦船名考pp.226-227
- ^ 「官房第734号 8.4.12 旧土佐3番砲塔運搬の件」
- ^ 「軍艦熊野用砲塔輸送の件」pp.11
- ^ 「軍艦熊野用砲塔輸送の件」pp.14、16
- ^ 「軍艦熊野用砲塔輸送の件」pp.12
- ^ 『第四艦隊戦時日誌』C08030018200, pp.6
- ^ 『知床救援任務報告』pp.2
- ^ 「SS-178, USS PERMIT, Part 2」p.83
- ^ 『知床救援任務報告』pp.2,3
- ^ 『知床救援任務報告』pp.3、「SS-178, USS PERMIT, Part 2」p.95,96,97,98,99
- ^ 『知床救援任務報告』pp.4
- ^ 『知床救援任務報告』pp.4,5,6,10
- ^ 駒宮, 101ページ
- ^ 「SS-278, USS SCORPION」p.25,23,20
- ^ 『第七護衛船団司令部戦時日誌』pp.37、駒宮, 183ページ
- ^ "U.S.S. Cod (SS-224)" 171、203、204ページ
- ^ 田村, 121ページ
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ 『官報』第2648号、大正10年5月31日。
- ^ a b 『官報』第2934号、大正11年5月16日。
- ^ 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
- ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
- ^ a b 『官報』第3510号、大正12年5月8日。
- ^ a b 『官報』第3650号、大正13年10月22日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ a b 『官報』第111号、昭和2年5月16日。
- ^ a b 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ a b 『官報』第335号、昭和3年2月13日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第1754号、昭和7年11月2日。
- ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第550号 昭和15年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第693号 昭和16年8月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第785号 昭和16年12月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083500
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 省副官『官房機密 第1414号の2 11.11.21 軍艦熊野用砲塔輸送の件』レファレンスコード:C05035374300
- 『標題: 知床機密第16号の41 8.4.21 昭和8年度知床輸送報告』レファレンスコード:C05023305200
- 『軍需2第165号 8.5.1 工事用材料輸送に関する件』レファレンスコード:C05023303900
- 『軍需2機密第324号 8.4.22 官房機密第734号訓令に依る40糎砲塔運搬に関する件』レファレンスコード:C05023304000
- 『佐鎮機密第10号の14の2 8.1.19 知床の行動に関する件』レファレンスコード:C05023303800
- 『官房第734号 8.4.12 旧土佐3番砲塔運搬の件』レファレンスコード:C05023304100
- 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。
- 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件』。Ref.C08021556800。
- 『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
- 第四艦隊司令部『自昭和十六年十二月一日至昭和十六年十二月三十一日 第四艦隊戦時日誌』(昭和16年12月1日〜昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(1)) レファレンスコード:C08030018200
- 第十四戦隊司令部『昭和十八年九月十七日 知床救援任務報告』(昭和18年4月1日〜昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) レファレンスコード:C08030052400
- 第七護衛船団司令部『昭和十九年六月十三日 第七護衛船団司令部戦時日誌 第二号ノ一』(昭和19年4月9日〜昭和20年1月19日 第7護衛船団司令部戦時日誌戦闘詳報(1)) レファレンスコード:C08030707500
- 第五艦隊司令部『自昭和二十年一月一日至昭和二十年二月五日 第五艦隊(第二遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(4)) レファレンスコード:C08030020100
- 『自昭和20年1月.至昭和20年8月 秘海軍公報/4月(2)』。Ref.C12070504600。
- 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(13)』。Ref.C13072049000。
- 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(14)』。Ref.C13072049100。
- SS-178, USS PERMIT, Part 2(issuuベータ版)
- SS-278, USS SCORPION(issuuベータ版)(注・マイクロフィルムの収録順序が逆なので、閲覧の際は最終ページより)
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 川崎重工業株式会社社史編さん室谷本秋次/編 編『川崎重工業社史(別冊)-年表・諸表-』川崎重工業株式会社、1959年10月。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』海人社、1997年3月号増刊
- 田村俊夫「昭和20年の「妙高」型」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ57 帝国海軍 艦載兵装の変遷』学習研究社、2007年、ISBN 4-05-604599-2
- 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- J. T. McDaniel(編)"U.S.S. Cod (SS-224) American Submarine War Patrol Reports" Riverdale Books Naval History Series、2005年、ISBN 1-932606-04-1
- 牧野茂、福井静夫/編 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部/編 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6。