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「アイルランドに平和を」の版間の差分

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| Name = アイルランドに平和を
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2021年9月6日 (月) 10:41時点における版

「アイルランドに平和を」
ウイングスシングル
B面 アイルランドに平和を(ヴァージョン)
リリース
録音 1972年2月1日
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル・レコード
作詞・作曲
プロデュース
  • ポール・マッカートニー
  • リンダ・マッカートニー
チャート最高順位
  • 16位(イギリス)
  • 21位(アメリカ)
ウイングス シングル 年表
  • アイルランドに平和を
  • (1972年 (1972)
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アイルランドに平和を」(原題:Give Ireland Back to the Irish)は、1972年ウイングスが発表した楽曲、及び同曲を収録したシングル。ウイングス初のシングルとして、同年2月25日に発売された。

解説

この曲はポール・マッカートニーには珍しいプロテストソングで、タイトルを直訳すると「アイルランドをアイルランド人に返せ」となる。

北アイルランド1922年アイルランド自由国分離後もイギリス領として残され、カトリック系の住民と、スコットランドやイングランドからの移民の子孫を中心とするプロテスタント系の住民との間で対立が続いていた(詳細は北アイルランド問題を参照)。そんな中、1972年1月30日ロンドンデリーで非武装の市民権デモ隊にイギリス軍が発砲、13人の死者を出す「血の日曜日事件」が発生した。

ポールはこの事件に衝撃を受け、1日でこの曲を書き上げ、翌日にはレコーディングを行った。当初ウイングスとしての初シングルは「ラヴ・イズ・ストレンジ」(『ワイルド・ライフ』収録、ミッキー&シルヴィアのカヴァー)にする予定だったが、急遽差し替えた。同年にウイングスがイギリスで行ったツアーでも披露している。

かつてのビートルズの仲間であり、当時マッカートニーと確執のあったジョン・レノンは、この曲について「歌詞が幼過ぎる」と批判する一方、「歓迎すべきだ」との肯定的コメントも残している[1]

ヘンリー・マカロック加入後、最初にレコーディングされた曲でもある。オリジナル・アルバムには収録されなかったが、「ポール・マッカートニー・コレクションシリーズ」のCD『ワイルド・ライフ』に、ボーナス・トラックとして収録された。

「血の日曜日事件」当事国のイギリスでは、BBCをはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受けた。チャートはイギリスで16位[2] 、アメリカで21位[2]、当然ながらアイルランドでは1位。他に日本(洋楽チャート)、スペインで1位を記録している。

収録曲

7インチシングル
全作詞・作曲: ポール・マッカートニーリンダ・マッカートニー
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.アイルランドに平和を(Give Ireland Back To The Irish)ポール・マッカートニーリンダ・マッカートニーポール・マッカートニーリンダ・マッカートニー
2.アイルランドに平和を(ヴァージョン)(Give Ireland Back To The Irish (version) ※インストゥルメンタル)ポール・マッカートニーリンダ・マッカートニーポール・マッカートニーリンダ・マッカートニー
合計時間:

演奏者

脚注

  1. ^ 自らがアイルランド系であるレノンも、後に「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を発表する。
  2. ^ a b チャートはイギリスが『ミュージック・ウィーク』、アメリカが『ビルボード』での最高位を示す。

参考文献

  • 『Paul McCartney: Recording Sessions (1969-2013)』 Luca Perasi著 出版社:L.I.L.Y. Publishing 2013年10月 ISBN 978-88-909122-1-4

関連項目