「設楽郡」の版間の差分
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[[画像:Aichi Shitara-gun.png|frame|愛知県設楽郡の位置]] |
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'''設楽郡'''(したらぐん)は、[[愛知県]]([[三河国]])にあった[[郡]]。 |
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2021年9月6日 (月) 10:05時点における版
郡域
概ね現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
当該区域の面積は990.78km2、51,298人(平成22年国勢調査)[1]
歴史
903年(延喜3年)に宝飯郡より分離して誕生。郡名の由来に関しては、以下のような説がある。
- 稲穂の垂れる有様を『垂(しだれ)る』と呼び習わしたことから付いたという説
- 豊穣で万事充足している「シ(発語)・タル(足る)」という形容詞から付いたという説
- 新羅(しんら)人が移住してきたことに因み「シンラ」と呼ばれたのが転訛したという説
- 麻織物の古語「シトリ(シドリ)」の転訛という説
- 羊歯(シダ)が生い茂っていたことから「シダ原」と呼ばれたという説
郡北部(稲武・名倉・津具・豊根・富山)は、16世紀(寛永 - 延宝頃)以前は賀茂郡に所属していた。これらの地域は現・豊根村域(天竜川水系)を除き矢作川水系に属している。
以下の4郷が存在した。
- 設楽郷 - 旧東郷、新城、千郷(ちさと)と東栄町にわたる地域
- 多原郷 - 作手村田原を中心とする姉川流域
- 黒瀬郷 - 鳳来町玖老瀬(くろぜ)を中心に旧海老、鳳来寺、長篠(大部)
- 賀茂郷 - 作手村南部から千郷山添の地
近世以降の沿革
- 所属町村の変遷は北設楽郡#郡発足までの沿革、南設楽郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は中泉代官所が管轄。(230村)
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年11月27日(1872年12月27日) - 愛知県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、田口村ほか91村の区域に北設楽郡が、新城村ほか116村の区域に南設楽郡がそれぞれ行政区画として発足[1]。同日設楽郡消滅。
脚注
- ^ 明治初年の町村の再編により、町村数の合計は「旧高旧領取調帳」の記載とは一致しない。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4040012305。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 宝飯郡 |
行政区の変遷 903年 - 1878年 |
次代 北設楽郡・南設楽郡 |