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「多紀郡」の版間の差分

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'''多紀郡'''(たきぐん)は[[兵庫県]]([[丹波国]])にあった[[郡]]。

2021年9月6日 (月) 06:58時点における版

兵庫県多紀郡の位置

多紀郡(たきぐん)は兵庫県丹波国)にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の丹波篠山市にあたる。

歴史

古代

小野駅址碑(丹波篠山市小野新)

郡内を山陰道が通り、小野駅と長柄駅が置かれた。また、丹波篠山市雲部にある陵墓参考地雲部車塚古墳は、古墳時代中期前半の築造と推定されており、この地に中央と直結した大きな勢力が存在したことを示している。

和名類聚抄』に記される郡内の。括弧内は訓読み

  • 草上郷 (久佐乃加美)
  • 宗部郷
  • 真継郷
  • 河内郷
  • 神田郷
  • 榛原郷
  • 餘戸郷
  • 日置郷

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
多紀郡 9座(大2座・小7座)
櫛石窓神社 二座 クシイハマトノ 並名神大 櫛石窓神社 兵庫県丹波篠山市福井 [1]
神田神社 カムタノ
川内多々奴比神社 二座 カハチタタヌヒノ
カフチ-
川内多々奴比神社 兵庫県丹波篠山市下板井
大売神社 オホヒメノ 大賣神社 兵庫県丹波篠山市寺内
佐々婆神社 ササハ 佐々婆神社 兵庫県丹波篠山市畑宮
二村神社 フタムラノ
熊桉神社[注 1] クマクラノ
凡例を表示
  1. ^ 2字目は「木偏に安」。

中世から近世

平安期以降、東寺領大山荘・東大寺領後河荘をはじめとして多くの荘園がおかれた。鎌倉時代には荘郷地頭として酒井氏が武家勢力として最も初めに扶植した。戦国期には、波多野氏八上城を拠点に支配していたが、明智氏に滅ぼされた。近世には、八上城に代え篠山城が築城され、多紀郡一円を篠山藩が支配した。

近世以降の沿革

野中村、《北村》、谷山村、小枕村、小多田村、池上村、《松ノ木村》、八上下村、《西八上村、善左衛門村、八上内村》、奥谷村[2]、八上上村、《八上新村、西荘村》、野々垣村、曽地村[3]、後川村[4]、波々伯部村[5]、小野之奥谷村、福住村、本明谷村、川原村、安田村、幡路村、藤之木村、二之坪村、小野新村[6]、栃梨村、向井村、貝田村、井串村、細工所村、塩岡村[7]、草ノ上村、小田中村、福井村、中村、宮代村、市野々村、《奥山村》、三熊村、大藤村、《立金村》、小原村、《小倉村》、藤坂村、草山村、《川坂村、遠方村、桑原村》、奥畑村、《火打石村、丸山村、瀬利村》、里畑村[8]、新荘村、沢田村、《北沢田村》、大熊村、野間村、般若寺村、泉村、春日江村、《倉谷村、佐貫谷村》、本庄村[9]、県守村、奥県守村、小立村、《垂水村》、山田村[7]、笹見村[10]、黒岡村[11]、《風深村》、寺内村、熊谷村、佐倉村[7]、鷲尾村、大谷村[7]、知足村、郡家村、藤岡村、浜谷村[12]、今福村、野尻村、大野村、《矢代村(現・丹波篠山市矢代)》、西谷村、東岡屋村、西岡屋村、《有居村》、川北村、《川北新田村》、坂本村(現・丹波篠山市口坂本)、黒田村、高屋村、《川西村》、宮田村、板井村[13]、小坂村、乗竹村、打坂村、垣屋村[7]、高坂村、倉本村、《坂本村(現・丹波篠山市坂本)》、栗柄村、木之部村[14]、大山下村、《北野新田村、北野村、東河地村》、大山中村[15]、大山上村、《石住村、大山宮村、荒子新田村》、追入村、東吹村[16]、岩崎村、宇土村、網掛村[7]、古佐村[17]、西吹村、味間村[18]、大沢村、《大沢新村》、犬飼村、《初田村、牛ヶ瀬村》、真南条村[19]、栗栖野村、当野村、矢代村(現・丹波篠山市南矢代)、《矢代新村》、波賀野村、《古市村、波賀野新田村、見内村》、油井村、《草野村、古森村》、不来坂村、《住山村》、小野原村[20]、《辰巳村、四斗谷村、休場村》、本庄村、黒石村、市原村、《今田村、今田新田村、佐曽良新田村、芦原新田村》、木津村、立杭村[21]、《東荘村、釜屋村、間新田分》、安口村[7]、西野々村[7]、下原山村[7]、中原山村[7][22]、奥原山村[7][23]、箱谷村[24]
  • 明治4年(2町185村)
  • 明治初年(1町207村)
    • 草山村が改称して本郷村となる。
    • 宮之前の一部(波々伯部神社の境内地)が分立して波々伯部分となる。
  • 明治2年(1869年) - 今田村の一部が分立して荻野分となる。(1町208村)
  • 明治4年(1871年) - 八上下村の一部が分立して糯ヶ坪村となる。(1町209村)
  • 明治5年(1872年) - 宮村が改称して畑宮村となる。
  • 明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により兵庫県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年
    • 1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、行政区画としての多紀郡が発足。郡役所が篠山に設置。
    • 坂本村(現・丹波篠山市口坂本)が口坂本村、矢代村(現・丹波篠山市南矢代)が南矢代村にそれぞれ改称。

町村制以降の沿革

1.篠山町 2.八上村 3.日置村 4.福住村 5.大芋村 6.村雲村 7.雲部村 8.畑村 9.城北村 10.岡野村 11.南河内村 12.北河内村 13.草山村 14.大山村 15.味間村 16.城南村 17.古市村 18.今田村(紫:丹波篠山市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。▲は飛地を除く。△は飛地のみ。全域が現・丹波篠山市。(1町17村)
    • 篠山町 ← 篠山[25]、△黒岡村
    • 八上村 ← 糯ヶ坪村、池上村、小多田村、西八上村、松ノ木村、善左衛門村、八上下村、奥谷村、八上内村、△沢田村、△和田村
    • 日置村 ← 八上新村、△泉村、八上上村、△般若寺村、西荘村、野々垣村、曽地口村、曽地中村、曽地奥村、上宿村、井之上村、宮之前村、畑市村、畑井村、北島村、小中村、辻村、波々伯部分、後川上村、後川中村、後川下村、後川新田村、後川奥村
    • 福住村 ← 福住村、小野新村、小野之奥谷村、▲箱谷村、△栃梨村、▲二之坪村、▲藤之木村、幡路村、安田村、本明谷村、川原村、安口村、西野々村、下原山村、中原山村、奥原山村
    • 大芋村 ← 中村、福井村、小原村、藤坂村、三熊村、小倉村、市野々村、奥山村、大藤村、立金村、宮代村
    • 村雲村 ← 向井村、▲栃梨村、△藤ノ木村、△二ノ坪村、△箱谷村、貝田村、井串村、細工所村、塩岡村、草ノ上村、小田中村、小立村、垂水村、山田村、上笹見村、下笹見村
    • 雲部村 ← ▲泉村、倉谷村、春日江村、佐貫谷村、西本庄村、東本庄村、県守村、奥県守村
    • 畑村 ← 畑宮村、今谷村、火打岩村、奥畑村、丸山村、瀬利村、菅村、大淵村、▲和田村、▲般若寺村、大上村
    • 城北村 ← 新荘村、野間村、▲沢田村[26]、北沢田村、大熊村、▲黒岡村、▲郡家村、熊谷村、寺内村、佐倉村、大谷村、鷲尾村、知足村、藤岡村[27]、△西浜谷村
    • 岡野村 ← 野尻村、東浜谷村、▲西浜谷村、今福村、▲大野村、▲矢代村、西岡屋村、東岡屋村、有居村、風深村、△郡家村、△西谷村、△口坂本村、△吹上村、△黒岡村
    • 南河内村 ← 黒田村、川北村、川北新田村、▲口坂本村、▲西谷村、▲東木ノ部村、高屋村、川西村、西木ノ部村、△大野村、△矢代村、△東河内村、△下板井村、△宮田村、△大山下村
    • 北河内村 ← 上板井村、▲下板井村、小坂村、乗竹村、▲宮田村、打坂村、垣屋村、高坂村、倉本村、坂本村、栗柄村、△東木ノ部村
    • 草山村 ← 本郷村、川坂村、遠方村、桑原村
    • 大山村 ← 長安寺村、町ノ田村、一印谷村、高倉村、石住村、追入村、大山宮村、大山上村、大山新村、徳永村、北野新田村、北野村、▲大山下村、▲東河地村、明野村、荒子新田村、園田分[28]
    • 味間村 ← ▲吹上村、吹中村、吹下村、吹新村、網掛村、▲杉村[29]、東古佐村、西吹村、西古佐村、△宇土村、味間北村、味間南村、味間新村、味間奥村、中野村[30]、大沢村、大沢新村、△牛ヶ瀬村
    • 城南村 ← 小枕村、▲栗栖野村、真南条上村、真南条中村、真南条下村、野中村、北村、谷山村、岩崎村、▲宇土村、△杉村
    • 古市村 ← 古市村、不来坂村、住山村、油井村、草野村、古森村、当野村、波賀野新田村、波賀野村、見内村、矢代新村、犬飼村、初田村、▲牛ヶ瀬村、南矢代村、△栗栖野村
    • 今田村 ← 上小野原村、辰巳村、四斗谷村、下小野原村、休場村、上立杭村、下立杭村、東荘分、釜屋村、荻野分、今田村、佐曽良新田村、本荘村、黒石村、今田新田村、市原村、芦原新田村、木津村、間新田分
  • 明治25年(1892年1月8日 - 日置村の一部(後川上村・後川新田村・後川中村・後川下村・後川奥村)が分立して後川村が発足。(1町18村)
  • 明治29年(1896年7月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は375.26平方km、人口は48,748人(男24,569人・女24,179人)[31]
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 南河内村・北河内村・草山村が合併して西北村が発足。西北村が即日改称して西紀村となる。(1町16村)
    • 4月10日 - 日置村・後川村・雲部村が合併して城東村が発足。(1町14村)
    • 4月15日(2町8村)
      • 福住村・大芋村・村雲村が合併して多紀村が発足。
      • 味間村・城南村・古市村・大山村が合併して丹南町が発足。
    • 4月20日 - 篠山町・八上村・畑村・城北村・岡野村が合併し、改めて篠山町が発足。(2町4村)
  • 昭和35年(1960年
    • 1月1日(5町1村)
      • 多紀村が町制施行して多紀町となる。
      • 城東村が町制施行して城東町となる。
      • 西紀村が町制施行して西紀町となる。
    • 4月1日 - 今田村が町制施行して今田町となる。(6町)
  • 昭和50年(1975年3月28日 - 篠山町・城東町・多紀町が合併し、改めて篠山町が発足。(4町)
  • 平成11年(1999年)4月1日 - 今田町・篠山町・西紀町・丹南町が合併して篠山市が発足。同日多紀郡消滅。20世紀最後の郡消滅となった。

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和24年 昭和25年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和50年 昭和50年 - 平成11年 平成11年 - 平成31年 令和元年 - 現在 現在
篠山町 篠山町 昭和30年4月20日
篠山町
篠山町 昭和50年3月28日
篠山町
平成11年4月1日
篠山市
令和元年5月1日
改称 丹波篠山市
丹波篠山市
八上村 八上村
畑村 畑村
城北村 城北村
岡野村 岡野村
日置村 日置村 昭和30年4月10日
城東村
昭和35年1月1日
町制
明治25年1月8日
分立
後川村
雲部村 雲部村
福住村 福住村 昭和30年4月15日
多紀村
昭和35年1月1日
町制
大芋村 大芋村
村雲村 村雲村
北河内村 北河内村 昭和30年1月1日
西北村
同日改称
西紀村
昭和35年1月1日
町制
西紀町
南河内村 南河内村
草山村 草山村
大山村 大山村 昭和30年4月15日
丹南町
丹南町 丹南町
味間村 味間村
城南村 城南村
古市村 古市村
今田村 今田村 今田村 昭和35年4月1日
町制
今田町

脚注

  1. ^ 旧高旧領取調帳」は丹波国多紀郡・氷上郡分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書11 旧高旧領取調帳 近畿編」(近藤出版社、1975年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. ^ 記載は八上奥谷村。
  3. ^ 奥曽地村・口曽地村・中曽地村の総称。本項では3村に数える。
  4. ^ 記載は「後川村・古者《後川上村/後川中村/後川下村》三ヶ村」。後川上村・後川中村・後川下村・後川新田村・後川奥村の総称。本項では5村に数える。
  5. ^ 記載は「波々伯部村・古者《波々伯部・上宿村/波々伯部・畑市村/波々伯部・北島村/波々伯部・畑井村/波々伯部・宮之前村/波々伯部・井之上村/波々伯部・小中村/波々伯部・辻村》八ヶ村」。本項では8村に数える。
  6. ^ 記載は小野村。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 「『篠山封彊志』ニ村名ナシ」との注記あり。
  8. ^ 記載は「里畑村・古者《里畑・今谷村/里畑・宮村/里畑・大淵村/里畑・大上村/里畑・菅村/里畑・和田村》六ヶ村」。本項では6村に数える。
  9. ^ 東本庄村・西本庄村の総称。本項では2村に数える。
  10. ^ 記載は「笹見村・古者《下笹見村/上笹見村》弐ヶ村」。本項では2村に数える。
  11. ^ 記載は「黒岡村・古者《黒岡村/篠山城廻》弐ヶ村」。本項では篠山・黒岡村の1町2村に数える。
  12. ^ 東浜谷村・西浜谷村の総称。本項では2村に数える。
  13. ^ 記載は「板井村・古者《上板井村/下板井村》弐ヶ村」。本項では2村に数える。
  14. ^ 東木之部村・西木之部村の総称。本項では2村に数える。
  15. ^ 長安寺村・町ノ田村・一印谷村・高倉村・徳永村・大山新村の総称。本項では6村に数える。
  16. ^ 吹上村・吹中村・吹下村・吹新村の総称。本項では4村に数える。
  17. ^ 記載は「古佐村・古者《東古佐村/西古佐村》弐ヶ村」。本項では2村に数える。
  18. ^ 味間南村・味間北村・味間奥村・味間新村の総称。本項では4村に数える。
  19. ^ 真南条上村・真南条中村・真南条下村の総称。本項では3村に数える。
  20. ^ 上小野原村・下小野原村の総称。本項では2村に数える。
  21. ^ 下立杭村・上立杭村の総称。本項では2村に数える。
  22. ^ 記載は「下原山村枝郷・中原山村」。
  23. ^ 記載は「下原山村枝郷・奥原山村」。
  24. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
  25. ^ この時点では篠山東新町、篠山西新町、篠山南新町、篠山北新町、篠山乾新町、篠山山内町、篠山河原町、篠山小川町、篠山立町、篠山呉服町、篠山二階町、篠山魚屋町、篠山西町が存在。
  26. ^ 明治22年に東沢田を分離。
  27. ^ 明治22年に藤岡口・藤岡奥に分割。
  28. ^ 大山宮村・大山上村・大山新村・高倉村・石住村などのうち園田氏の所有地。本項では村数に数えない。
  29. ^ 大沢村・味間新村・中野村のうち。本項では村数に数えない。
  30. ^ 大沢村・味間村(味間4村のどの村かは不明)のうち。本項では村数に数えない。
  31. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。

参考文献

関連項目