「B円」の版間の差分
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{{出典の明記|date=2014年1月10日 (金) 03:10 (UTC)|ソートキー=沖縄ひいえん}} |
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[[File:Various types of B Notes 1945 1958.jpg|thumb|400px|B型軍票]] |
[[File:Various types of B Notes 1945 1958.jpg|thumb|400px|B型軍票]] |
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'''B円'''(ビーえん)は、[[1945年]]から[[1958年]]9月まで、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|米軍占領下]]の[[沖縄県]]や[[鹿児島県]][[奄美群島]]([[トカラ列島]]含む)で、[[通貨]]として流通したアメリカ軍発行の[[軍票]]。[[1948年]]から1958年まで |
'''B円'''(ビーえん)は、[[1945年]]から[[1958年]]9月まで、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|米軍占領下]]の[[沖縄県]]や[[鹿児島県]][[奄美群島]]([[吐噶喇列島|トカラ列島]]含む)で、[[通貨]]として流通した[[アメリカ軍]]発行の[[軍用手票]](軍票)。これらの地域においては、[[1948年]]から1958年まで唯一の[[法定通貨]]だった。日本国内で法定通貨とされた唯一の外国軍票であり、[[本土#日本|本土]]地域でも1945年から1948年にかけて短期間ではあるが少量流通している<ref name="boj">{{Cite Web|url=https://www.boj.or.jp/announcements/education/data/are02q.pdf |title=「軍票」とは… |work=お金の話あれこれ |publisher=日本銀行 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。 |
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[[琉球列島米国軍政府]](のちの[[琉球列島米国民政府]])による正式名は'''B型軍票'''<ref name="that_day">{{Cite Web|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4578 |title=1958年9月16日 B円からドルへ法定通貨の切替え |work=あの日の沖縄 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}}</ref><ref name="gri6">{{Cite Web|url=https://www3.archives.pref.okinawa.jp/GRI/ryukyu_documents/%e5%b8%83%e5%91%8a%e3%83%bb%e5%b8%83%e4%bb%a4%e3%83%bb%e6%8c%87%e4%bb%a4%e7%ad%89%ef%bc%886%ef%bc%89%e9%80%9a%e8%b2%a8%e3%81%ae%e5%a4%89%e9%81%b7%ef%bd%9eb%e5%86%86%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%b5%b1%e4%b8%80/ |title=布告・布令・指令等(6)通貨の変遷~B円への統一 |work=琉球政府の時代 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。[[日本政府]]の[[官報]]公示上は'''B号円表示補助通貨'''と称していた<ref name="yoshiki">昭和20年9月24日大蔵省告示360号「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962114?tocOpened=1 聯合國占領軍ノ發行ニ係ル「B」號圓表示補助通貨ノ見本略圖]」</ref><ref name="haishi">昭和23年7月15日大蔵省令第63号「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962982/19 連合國占領軍の発行する「B」号円表示補助通貨に関する省令廃止]」</ref>。'''B式軍票'''{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}、'''B号軍票'''<ref>昭和28年12月24日政令第408号「[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=328CO0000000408 奄美群島の復帰に伴う通貨及び債権等の措置に関する政令]」</ref>、'''B円軍票'''{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}、'''B軍票'''<ref>{{Cite Web|url=http://rca.open.ed.jp/city-2001/his/50/50_10.html |title=B円からドルへ |work=写真・映像で見る沖縄の歩み |publisher=沖縄県立総合教育センター |accessdate=2021-11-03}}</ref>と呼ばれることもあるが、全て同じものを指す。英語表記は'''Type "B" Military Yen'''で<ref name="gri6"/>、'''Type "B" Yen'''<ref name="gri7">{{Cite Web|url=https://www3.archives.pref.okinawa.jp/GRI/ryukyu_documents/%e5%b8%83%e5%91%8a%e3%83%bb%e5%b8%83%e4%bb%a4%e3%83%bb%e6%8c%87%e4%bb%a4%e7%ad%89%ef%bc%887%ef%bc%89%e9%80%9a%e8%b2%a8%e3%81%ae%e5%a4%89%e9%81%b7%ef%bd%9e%e3%83%89%e3%83%ab%e5%88%87%e6%9b%bf/ |title=布告・布令・指令等(7)通貨の変遷~ドル切替 |work=琉球政府の時代 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}}</ref>、'''Yen B type'''、'''B-yen'''などとも表記される。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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正確には |
正確には[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の共通軍票であるAMC([[:en:Allied Military Currency|Allied Military Currency]])軍票の1種であり他の連合国にも発行権があったが、日本に駐留した占領軍はアメリカ軍主体だったため、他国の軍は円建ての軍票は発行されなかった。当初のB円は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]国内で印刷されたが、千円券などの末期に製造されたものは日本の[[国立印刷局|印刷局]]で印刷されたものもある<ref name="jiten">{{Cite book|和書|author=|year=2005|title=日本紙幣収集事典|page=416-421|publisher=原点社|isbn=}}</ref>。[[硬貨]]はなく全て[[紙幣]]であり、デザインは人物[[肖像]]や[[風景]]などの具象的なものではなく彩紋模様のみであったが、これは主に[[朝鮮半島]]のアメリカ軍占領地域で使用された[[A円]]の軍票と共通したものであった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。 |
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紆余曲折を経て、1958年9月16日 |
後述の紆余曲折を経て、[[1958年]][[9月16日]]に琉球列島米国民政府[[アメリカ施政権下の沖縄の法令#高等弁務官布令(High_Commissoner_Ordinances)|高等弁務官布令]]第14号「[[通貨_(高等弁務官布令)|通貨]]」によって廃止された<ref name="that_day" />。同日から通貨交換が実施され(レートは1ドル = 120B円)<ref name="that_day" />、数度の期間延長の後に最終的に同年[[11月29日]]まで通貨交換が行われた<ref name="gri7"/>。 |
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なお、これ以前に日本国内で流通した軍票には |
なお、これ以前に日本国内で流通した軍票には[[西南戦争]]で西郷軍が発行した通称[[西郷札]]がある<ref name="boj"/>。 |
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== 規格 == |
== 規格 == |
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[[File:100B-yen.JPG|thumb|236px|B型軍票 百円券(表面)]] |
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デザインは人物肖像や風景などの図柄は無く表面・裏面ともに[[唐草模様]]と彩紋模様のみで構成されており、寸法が同じ券種については、文字色が異なることを除きほぼ同じ図案となっている。表面には日本語と英語で「'''軍票'''」「'''MILITARY CURRENCY'''」、裏面には日本語と英語で「'''軍事布告に基き發行す'''」「'''ISSUED PURSUANT TO MILITARY PROCLAMATION'''」という文言が記載されており、額面表記は英語表記、漢字表記、[[アラビア数字]]表記の3種類の表記となっている。発行者や兌換保証、製造者を示す表記は一切無く、[[透かし]]も入っていない<ref name="yoshiki">昭和20年9月24日大蔵省告示360号「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962114?tocOpened=1 聯合國占領軍ノ發行ニ係ル「B」號圓表示補助通貨ノ見本略圖]」</ref>。 |
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[[File:Japanese_One_Yen_WWII_Military_Note.jpg|thumb|117px|B型軍票 壱円券]] |
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* 千円券(サイズ[mm]:66×155) - [[1951年]][[12月24日]]発行開始 |
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=== 券種 === |
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* 百円券(サイズ[mm]:66×155) |
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下表の通り、千円券から拾銭券までの8種類の券種が製造発行された<ref name="jiten"/>。 |
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* 弐拾円券(サイズ[mm]:66×155) |
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* 拾円券(サイズ[mm]:66×112) |
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百円券から拾銭券までの7券種については、後述の通り終戦直後の[[1945年]][[9月24日]]に[[日本銀行券]]、[[小額政府紙幣]]、[[日本の補助貨幣|補助貨幣]]、[[臨時補助貨幣]]と等価に通用する日本の法定通貨の1種として大蔵省告示第360号「聯合國占領軍ノ發行ニ係ル「B」號圓表示補助通貨ノ見本略圖」で様式が公示されている<ref name="yoshiki"/>。 |
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* 五円券(サイズ[mm]:66×112) |
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* 壱円券(サイズ[mm]:66×78) |
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千円券については、[[1951年]][[12月24日]]から米軍占領下の沖縄県・鹿児島県の一部(奄美群島・トカラ列島)のみで発行されており本土地域では流通していない{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=302-306}}。 |
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* 五拾銭券(サイズ[mm]:66×78) |
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* 拾銭券(サイズ[mm]:66×78) |
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{| class=wikitable |
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!名称!!額面!!寸法<ref name="yoshiki"/><br />([[ミリメートル|mm]])!!文字色<ref name="yoshiki"/>!!発行!!廃止!!製造国<ref name="jiten"/> |
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|千円券||千圓(1000円)||align=center|67×157||align=center|[[黒|黒色]]||[[1951年]][[12月24日]]{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=302-306}}||[[1958年]][[9月20日]]<ref name="gri7"/>||日本 |
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|- |
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|百円券||百圓(100円)||align=center|67×157||align=center|[[群青色]]||rowspan="7"|[[1945年]][[9月24日]]<ref name="hoka">昭和20年9月24日大蔵省令第79号「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962114/1 昭和二十年勅令第五百四十二號ニ基キ聯合國占領軍ノ發行スル「B」號圓表示補助通貨ニ關シ定ムル件]」</ref><br />(実質的な使用開始は1945年[[6月11日]]<ref name="jiten"/>)||rowspan="8"|1958年9月20日<br />(本土では[[1948年]][[7月15日]]<ref name="haishi"/>)||米国 |
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|- |
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|弐拾円券||貳拾圓(20円)||align=center|67×157||align=center|[[赤紫|赤紫色]]||米国 |
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|拾円券||拾圓(10円)||align=center|67×111||align=center|[[萌黄|萌黄色]]||米国 |
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|五円券||五圓(5円)||align=center|67×111||align=center|群青色||米国・日本 |
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|壱円券||壹圓(1円)||align=center|67×78||align=center|[[緑|緑色]]||米国・日本 |
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|五拾銭券||五拾錢(50銭)||align=center|67×78||align=center|群青色||米国 |
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|拾銭券||拾錢(10銭)||align=center|67×78||align=center|赤紫色||米国 |
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|} |
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=== 図柄 === |
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いずれの券種ともデザインは人物肖像や風景などの図柄は無く表面・裏面ともに[[唐草模様]]と彩紋模様のみで構成されており、寸法が同じ券種についてはほぼ同じ図案となっている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。 |
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表面には[[日本語]]と[[英語]]で「'''軍票'''」「'''MILITARY CURRENCY'''」、裏面には日本語と英語で「'''軍事布告に基き發行す'''」「'''ISSUED PURSUANT TO MILITARY PROCLAMATION'''」という文言が記載されており、B型軍票であることを示す「'''B'''」の袋文字が表面に大きく印刷されている<ref group="注">対して、同時期に発行された[[A円]]についてはA型軍票であることを示す「'''A'''」の袋文字が印刷されている。</ref>{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。また額面表記は英語表記、[[漢字]]表記、[[アラビア数字]]表記の3種類の表記となっている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。発行者や兌換保証、製造者を示す表記は一切無く、発行権者の[[印章]]や[[署名]]等の記載もない<ref name="yoshiki"/>。 |
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記番号についてはは、千円券以外の券種はいずれも[[ラテン文字|英字]]1文字+アラビア数字8桁+英字1文字の形式となっており、千円券のみ英字1文字+アラビア数字6 - 7桁+英字1文字である<ref name="jiten"/>。弐拾円券以上の券種は2箇所、拾円券以下の券種は1箇所に黒色で印字されている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。 |
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=== 用紙・透かし === |
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券面の寸法は[[アメリカ合衆国ドル]]紙幣<ref group="注">アメリカ合衆国ドル紙幣の寸法はおよそ66mm×156㎜。</ref>と類似した規格のものとなっている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。[[透かし]]は入っていないが、これも当時のアメリカ合衆国ドル紙幣と同様である{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}。 |
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=== 版式刷色 === |
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使用色数は、千円券以外の券種はいずれも表面5色(内訳は輪郭1色、文字1色、地模様2色、記番号1色)、裏面2色(内訳は輪郭1色、地模様1色)となっており{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}、千円券に限り表面5色(内訳は[[凹版印刷]]による輪郭・文字1色、地模様3色、記番号1色)、裏面2色(内訳は輪郭1色、地模様1色)となっている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=302-306}}。百円券以下の券種については、表面の文字色を除き同じ刷色で印刷されている{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=297-298}}{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=302-306}}。 |
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== 沖縄県、奄美群島とB円 == |
== 沖縄県、奄美群島とB円 == |
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[[明治]]以降[[第二次世界大戦]]末期まで、本土地域と同じく[[円 (通貨)|日本円]]の[[通貨]](紙幣・硬貨)が用いられていた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=447-449}}。しかしながら沖縄への米軍進攻開始以降、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島(トカラ列島含む)では世界的にも例のない27年間に5回もの頻度で通貨切替と通貨制度の変更が行われることとなった{{Sfn|川平成雄|1991|pp=87-103}}。本項ではB円を中心に前後の通貨制度の変遷も含めて記述する。 |
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アメリカが占領した直後、沖縄では[[沖縄戦]]による荒廃によりどの通貨も流通せず、配給と物々交換による取引が行われていた(無通貨時代)<ref name="that_day" />。その他の地域では旧日本円や、[[久米島紙幣]]などの[[地域通貨]]が若干流通していた。 |
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=== 無通貨時代 === |
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1946年4月15日、アメリカ軍は自らが発行するB円を公式通貨とした。その後、1946年8月5日からは若干の条件付きで新旧日本円の流通も認めた。そのため終戦直後の沖縄県や奄美群島においては、これらの通貨が混合して流通していた。 |
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[[沖縄本島]]周辺では[[沖縄戦]]による甚大かつ壊滅的な被害と[[インフラストラクチャー|社会基盤]]の荒廃が原因で[[経済活動]]が完全に破壊されて消滅していたため、1945年4月以降のアメリカが占領した直後にはいずれの通貨も流通せず、アメリカ軍による無償の[[配給 (物資)|配給]]と[[物々交換]]による取引が行われていた(無通貨時代){{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。生き残った住民はアメリカ軍により[[強制収容所|収容所]]に収容されて[[食品|食糧]]や[[被服|衣類]]など必要最低限の物品の配給を受ける代わりに、アメリカ軍の雑役作業に駆り出されることとなり、アメリカ軍の政策により一切の金銭[[取引]]や[[企業]]活動が凍結された{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=17-26}}。これにより長年定着していた[[貨幣経済]]が完全に停止されて原始的とも言える物々交換を余儀なくされたが、これは[[近現代]]では極めて異例のことである{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=17-26}}<ref group="注">他には[[クメール・ルージュ]]による[[民主カンプチア]]での極端な[[原始共産制]]の実践によって貨幣を廃止した例が見られる程度である。</ref>。 |
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当初アメリカ軍は、従前から流通していた日本円(旧円)と併用して占領後にB型軍票を補助的な法定通貨として発行する計画を進めており、事前に大量のB型軍票をアメリカ国内で製造して日本周辺に持ち込んでいた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=17-26}}。1945年6月以降、[[慶良間諸島]]の[[座間味島]]においてB型軍票が実験的に使用されたものの{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=27-34}}、沖縄本島周辺では前述の通り実態として通貨が機能しない状況に陥っていたためこの時点では発行には至らなかった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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アメリカ軍が恒久的な統治を考えるようになると、[[1948年]][[7月21日]]に新旧日本円の流通は禁止され、B円が流通する唯一の通貨となった<ref>{{Cite Web|url=http://www2.archives.pref.okinawa.jp/kouhou/PDF/okinawamin/1948-08-18.pdf|title=「標準通貨の確立」米国軍政府特別布告第30号(『沖縄民政府公報』第10号、1948年8月18日、p.1)|publisher=沖縄県公文書館|accessdate=2017-06-06}}</ref>。このときは、7月16日から21日にかけて、日本円とB円の交換が行われた<ref>{{Cite Web|url=http://www2.archives.pref.okinawa.jp/kouhou/PDF/okinawamin/1948-06-28.pdf|title=「通貨の交換と新通貨の発行」米国軍政府特別布告第29号(『沖縄民政府公報』第7号、1948年6月28日、pp.1-2)|publisher=沖縄県公文書館|accessdate=2017-06-06}}</ref>。 |
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沖縄本島と比較すると戦争の被害が幾分小さかった[[八重山列島]]や[[久米島]]などその他の地域では貨幣経済が継続しており<ref name="ryugin">{{Cite Web|url=https://www.ryugin.co.jp/common/uploads/70history1.pdf |title=創立から35年の歩み |work=琉球銀行七十年史 |publisher=琉球銀行 |accessdate=2021-11-03}}</ref>、日本円(旧円)やそれと等価の[[台湾銀行券]]・[[朝鮮銀行券]]と{{Sfn|川平成雄|1991|pp=87-103}}、その他に[[久米島紙幣]]などの[[地域通貨]]が若干流通していた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=27-34}}。また八重山列島では従来から使用されていた日本円(旧円)に所定の印章を押印したもの以外は無効化する政策が取られるなど、地域ごとに異なる通貨政策が取られていた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=27-34}}。 |
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当初は 日本[[円 (通貨)|円]]1 円 = 1 B円 が公定レートだったが、1950年4月12日に日本円 3 円 = 1 B円(1ドル=120 B円)となり、B円が廃止されるまでこのレートが使われた。このレート変更は物価の上昇を招き、奄美群島の[[本土復帰]]運動を加速させる結果にもなった。 |
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=== 第一次通貨交換 === |
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B円だけを使用させることにより、[[琉球列島米国民政府|米国民政府]]は、通貨の流通量を統制することができた。当時の公定レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という、日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている。これにより日本本土から安価で資材を調達することができたかわりに、沖縄県周辺の経済は空洞化した。また、本土系企業の進出をも遅らせる理由になった。 |
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[[1946年]][[3月25日]]に公布された琉球列島[[アメリカ施政権下の沖縄の法令#米国軍政府特別布告(United_States_Military_Government_Special_Proclamations)|米国軍政府特別布告]]第7号「紙幣両替、外国貿易及び金銭取引」により、1946年[[4月15日]]からアメリカ軍が自らが発行するB型軍票、日本銀行券(新円)、新円と見なされる日本銀行券(旧円)の[[日本銀行券#証紙|証紙]]貼付券の3種類を法定通貨とした<ref name="gri6"/>。そのためこの時期の沖縄県や奄美群島においては、これらの通貨が混合して流通していた<ref name="gri6"/>。 |
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これにより、同年4月15日から[[4月28日]]までの期間に台湾銀行券・朝鮮銀行券ならびに5円以上の日本銀行券(旧円)は回収されて1人当たり一定金額を上限にB型軍票に交換のうえ、上限超過分は強制預金させたうえで[[預金封鎖]]された{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。実質的に、本土において同年[[2月16日]]に実施された[[新円切替]]と類似した対応が行われたこととなる{{Sfn|丸山真人|1992|pp=51-57}}。新円ではなくB型軍票に交換された理由は、新円の日本銀行券<ref group="注">日本銀行券[[A号券]]。</ref>が本土地域でも供給不足状態であり<ref>{{Cite book|和書|author=植村峻|year=2019|month=1|title=日本紙幣の肖像やデザインの謎|page=166-169|publisher=日本貨幣商協同組合|isbn=978-4-93-081024-3|ref = harv}}</ref>、通貨交換での必要量を確保できなかったためとされる{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=47-65}}。日本円とB円の交換比率は1日本円 = 1B円とされた{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。 |
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当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日において実際の通貨としての価値は1 B円=1.8 日本円程度だったという。 |
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次いで、同年[[4月29日]]からは上記に加えて5円未満の日本銀行券(旧円)、補助貨幣(硬貨)の2種類も法定通貨に追加された{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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1958年9月16日から20日にかけて、[[USドル|アメリカドル]]への通貨切り替えが行われ、廃止された<ref>{{Cite Web|url=http://www2.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/kouhou/HTML/ryukyu/12428.html|title=「通貨交換」1958年9月20日高等弁務官布令第15号(『琉球政府公報』号外第50号、1958年9月20日、pp.1-3)|publisher=沖縄県公文書館|accessdate=2017-06-06}}</ref>。アメリカドルの導入によって外国資本を積極的に呼び込み、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとする政策であった<ref name="that_day" />。なお、この時点で奄美群島は既に本土復帰していた。 |
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これらの対応と共に[[賃金]]制度が復活し配給制度も有償化され、およそ1年振りに貨幣経済が再開した{{Sfn|川平成雄|1991|pp=87-103}}。 |
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[[A円]]もあり、これは南朝鮮(現在の[[大韓民国|韓国]])の法定通貨<ref>終戦まで日本円と等価の[[朝鮮銀行]]券が流通していた</ref>とされていたが、日本国内ではアメリカ軍基地間での決済のみで使用され、外部への流出は禁止された。ただし、一時的に[[八重山諸島]]などで使用される<ref name="by">『終戦直後の日本 教科書には載っていない占領下の日本』(2020年8月20日、彩図社発行)p146 - 147『ごく短期間だけ流通した幻の通貨・B円』より。</ref>等、多少は流出したものがあり、残っている。アメリカ軍の軍票は、このほかドル建てのものも存在した。 |
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=== 第二次通貨交換 === |
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1946年8月には、琉球列島米国軍政府特別布告第11号「通貨、両替、外国貿易及び金銭取引」により[[沖縄諸島]]に限って1946年[[8月5日]]から[[8月25日]]までの期間に{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}B型軍票を回収し日本銀行券(新円)を流通させることとなった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。これにより同年[[9月1日]]から法定通貨は日本円のみに改められた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=65-84}}。B円と日本円の交換比率は1B円 = 1日本円であり、今回の通貨交換では預金封鎖等による交換額の上限は設定されなかった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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その他の地域(奄美群島、[[宮古列島]]、八重山列島)は当初この通貨交換の対象外とされ、引き続きB型軍票も併用されていた{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。同年[[9月15日]]以降は沖縄諸島以外の地域にも通貨交換の対象地域が拡大される予定であったが、依然として新円の日本銀行券の供給が不足していたために通貨交換は行われず、従前通り複数通貨が併用され続けた{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。 |
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しかしながら約1年後の[[1947年]][[8月1日]]に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第21号「法定通貨」により、同日以降はB型軍票が法定通貨に再び追加され、地域毎に使用される通貨が異なる状況は解消された{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=84-95}}。 |
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なお1947年7月以降、本土に居住していた沖縄出身の[[疎開]]者等の引揚げが開始されて大量の円通貨が持ち込まれたことや、この時期に日本本土において発生していた戦後の猛烈な[[インフレーション]]の影響を受け、沖縄でも急激にインフレーションが進むこととなった{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。 |
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=== 第三次通貨交換 === |
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アメリカ軍が沖縄の恒久的な統治を考えるようになると{{Sfn|丸山真人|1992|pp=51-57}}、[[1948年]][[7月21日]]に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第30号「標準通貨の確立」により同日以降日本円(旧円・新円)の流通は全面的に禁止され、B型軍票が流通する唯一の法定通貨となった<ref name="gri6"/>。これにより[[本土復帰]]までの間、事実上日本本土の経済圏から切り離される形となった{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。これに先立ち同年5月には[[中央銀行]]としての機能と一般の[[商業銀行]]との機能を併せ持つ[[特殊銀行]]として[[琉球銀行 (特殊銀行)|琉球銀行]]が米国軍政府令に基づき設立されている<ref group="注">但し、独自通貨の発券権などは行使されなかった。</ref>{{Sfn|小野一一郎|1968|pp=1-21}}。 |
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この時は、琉球列島米国軍政府特別布告第29号「通貨の交換と新通貨の発行」により同年[[7月16日]]から[[7月20日]]にかけて日本円の通貨(紙幣・硬貨)とB型軍票を全量回収して現金保有高の証書を発行し、翌7月21日以降に改めてB型軍票<ref group="注" name="newByen">実態は回収されたB型軍票(旧B円)と同一のものである。</ref>を交付する形式で交換が行われた<ref name="gri6"/>。このような複雑な手順が取られたのは、法定通貨の変更と同時に市中での通貨の流通量を確認することが目的であったためである{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。新通貨として引き続き従来と同一のB型軍票が使用されることが一般大衆に知られると、既にB型軍票を保有している場合に交換に応じない可能性があるため、新通貨の内容は伏せられたまま旧通貨の回収が行われており<ref name="gri6"/>、今回に限り交換逃れに対しては罰則が科される措置までもが取られた{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=115-131}}。 |
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B円だけを通貨として使用させることにより、琉球列島米国民政府は通貨の流通量を統制することができるようになり、インフレーションの進行は終息することとなった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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当初は1日本円 = 1B円 が公定レートだったが、[[1950年]][[4月12日]]に3日本円 = 1B円(1アメリカドル = 120B円 = 360日本円)に改定されB円が廃止されるまでこのレートが使われた{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。このレート変更は物価の上昇を招き奄美群島の[[本土復帰]]運動を加速させる結果にもなった。当時の公定レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている<ref name="shimpo">{{Cite Web|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-918251.html |title=27年で5回も通貨が変わった沖縄 つくられた基地依存経済と3次産業の拡大 |publisher=琉球新報 |accessdate=2021-10-13}}</ref>。なお当時の朝日新聞によれば、[[1953年]][[12月25日]]において実際の通貨としての価値は1B円 = 1.8日本円程度だったという。 |
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これにより日本本土から安価で資材を調達することができた代わりに、沖縄県周辺の経済は空洞化して本土系企業の沖縄進出を遅らせる理由になり、後にこの地域の経済構造が極端に[[第三次産業]]に依存し、域外からの輸入に頼らざるを得ない状況となった一因ともされる<ref name="shimpo"/>。 |
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=== 第四次通貨交換 === |
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[[1958年]][[9月15日]]に公布された米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」により、1958年[[9月16日]]から[[9月20日|20日]]にかけてアメリカドルへの通貨切り替えが行われて、B型軍票は廃止された<ref name="gri7"/>。のちに高等弁務官布令第15号「通貨交換」および同第16号「通貨交換期間の延長」により交換期限が2度にわたり延長され、最終的に同年[[11月29日]]まで通貨交換が行われた<ref name="gri7"/>。 |
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これはアメリカドルの導入({{仮リンク|通貨代替|en|Currency substitution}})により外国資本を積極的に呼び込み、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとする政策であった<ref name="that_day" />。B型軍票を軍票から通常の通貨に転換して沖縄独自の通貨とすることも検討されていたが、前述の理由や手続きの簡便性も考慮しアメリカドルをそのまま導入することとなった{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。その反面、アメリカドルの発行権はアメリカ合衆国にあるために沖縄独自の通貨政策を取ることは困難となった{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=339-357}}。 |
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なお、この時点で奄美群島(トカラ列島含む)は既に本土復帰していたため、アメリカドルの導入範囲は沖縄県内のみに限られている。 |
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=== 第五次通貨交換 === |
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{{see also|[[ニクソン・ショック#沖縄の通貨交換]]}} |
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[[1972年]][[5月15日]]の[[本土復帰#沖縄県|沖縄県本土復帰]]に伴い法定通貨が日本円に復し{{Sfn|丸山真人|1992|pp=51-57}}、同日から[[5月20日]]にかけてアメリカドルから日本円への通貨切替が行われた{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。なお5月20日まではドルも併用が認められていた<ref name="yogawari">{{Cite Web|url=https://ryukyushimpo.jp/photo/entry-1321323.html |title=【写真特集】世替わり前後の沖縄は…アメリカから日本へ 写真で振り返る復帰 |publisher=琉球新報 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。交換用の日本円の紙幣・硬貨は[[海上自衛隊]]の[[海上自衛隊艦艇一覧#輸送艦_(LST)|輸送艦]]により本土から輸送され、同年[[5月2日]]から[[5月3日|3日]]にかけて沖縄に搬入された<ref name="yogawari"/><ref group="注">第五次通貨交換用に準備された日本銀行券[[C号券]]4種([[一万円紙幣#C号券|C一万円券]]、[[五千円紙幣#C号券|C五千円券]]、[[千円紙幣#C号券|C千円券]]および[[五百円紙幣#C号券|C五百円券]])については特別な記番号のものが充当されており、記番号の英字の組み合わせのうちごく一部の特定のものがこれに当たる。</ref>。 |
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1ドル = 305円とする交換が行われたが{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}、前年の[[1971年]][[8月27日]]に実施された[[ニクソン・ショック|変動為替相場制への移行]]にともないドル下落が発生し、この影響で保有する現金資産が目減りすることになる沖縄県内では1972年2月に通貨[[ストライキ|スト]]が発生するなど混乱がみられた為、[[琉球政府]]と日本政府により極秘に準備が行われ<ref group="注">事前に外部に情報漏洩すると本来補償されるべき対象ではない投機的な資金が流入し混乱が拡大する恐れがあるため、ごく限られた人員のみで準備が行われ、通貨確認の対象となる住民のみならず、通貨確認の作業に当たる政府職員や金融機関職員、さらに実質的に琉球政府の上部組織である琉球列島米国民政府にも当日まで一切知らされないなど徹底したものであった。</ref>1971年[[10月9日]]実施の通貨確認の時点で個人が保有するドル現金および預金については本土復帰後に差額分(1ドルあたり55円)を日本政府が補償することで1ドル = 360円とされた<ref group="注" name="5th_exchange">但し、法人が保有する資産や、通貨確認以降に得た収入分などについてはこの補償の対象外とされた。</ref><ref name="okiso">{{Cite Web|url=http://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/Soumu/muribushi/back/2018/20180910/0910nakayukui.pdf?la=ja-JP&hash=F0A077BFE8EABDB65F7107280E2836F3EA9036F6|title=県民のドル資産を守った物語 |publisher=内閣府沖縄総合事務局 |accessdate=2021-11-03}}</ref>。 |
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様々な対策が取られたものの[[変動為替相場制]]への移行の影響に加えて法定通貨の変更に伴う便乗値上げが相次いだため、第五次通貨交換の前後には[[物価]]が高騰し[[日用品|生活必需品]]の[[買い占め]]が発生するなど<ref name="yogawari"/>、沖縄県内において経済的な混乱が発生することとなった{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=418-440}}。 |
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=== 変遷 === |
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下表は前述の法定通貨の変遷を表に纏めたものである{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=447-449}}{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。表中の○印は法定通貨として認められていたもの、△印は該当区分の通貨の一部種類が法定通貨として認められていたもの、▼印は法的には法定通貨ではないが一部地域で事実上の通貨として流通していたものを示す。 |
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{| class=wikitable style="font-size:80%;" |
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!区分!!交換期間!!流通期間!!日本円<br />(旧円)!!日本円<br />(新円)!!B型軍票<br />(B円)!!アメリカ<br />ドル!!通貨交換比率!!備考 |
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|米軍占領開始以前||align=center| - || 1945年春頃以前 ||align=center| ○ ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| - || |
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|無通貨時代||align=center| - || 1945年春頃 - <br />1946年4月15日 ||align=center| ▼<sup>※1</sup> ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| - |||<sup>※1</sup>:沖縄本島以外のみ日本円(旧円)、地域通貨等が一部で流通 |
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|rowspan="2"|第一次通貨交換|| 1946年4月15日 - <br />1946年4月28日 || 1946年4月15日 - <br />1946年4月28日 ||align=center| △<sup>※2</sup> ||align=center| ○ ||align=center| ○ ||align=center| - || 1日本円 = 1B円 ||<sup>※2</sup>:証紙貼付券 |
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|- |
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|align=center| - || 1946年4月29日 - <br />1946年8月31日 ||align=center| △<sup>※3</sup> ||align=center| ○ ||align=center| ○ ||align=center| - ||align=center| - ||<sup>※3</sup>:証紙貼付券、5円未満の日本銀行券(旧円)、補助貨幣 |
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|- |
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|rowspan="2"|第二次通貨交換|| 1946年8月5日 - <br />1946年8月25日 || 1946年9月1日 - <br />1947年7月31日 ||align=center| - ||align=center| ○ ||align=center| ▼<sup>※4</sup> ||align=center| - || 1B円 = 1日本円 ||<sup>※4</sup>:沖縄諸島以外のみB型軍票(B円)が流通 |
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|- |
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|align=center| - || 1947年8月1日 - <br />1948年7月20日 ||align=center| - ||align=center| ○ ||align=center| ○ ||align=center| - ||align=center| - || |
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|- |
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|第三次通貨交換|| 1948年7月16日 - <br />1948年7月20日 || 1948年7月21日 - <br />1958年9月19日 ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| ○ ||align=center| - || 1日本円 = 1B円 || |
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|第四次通貨交換|| 1958年9月16日 - <br />1958年11月29日<sup>※5</sup> || 1958年9月16日 - <br />1972年5月20日 ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| - ||align=center| ○ || 120B円 = 1米ドル ||<sup>※5</sup>:当初は1958年9月20日までの予定だったが延長された |
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|- |
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|第五次通貨交換|| 1972年5月15日 - <br />1972年5月20日 || 1972年5月15日以降 ||align=center| - ||align=center| ○ ||align=center| - ||align=center| - || 1米ドル = 305日本円<br />(1米ドル = 360日本円<sup>※6</sup>) ||<sup>※6</sup>:1971年10月9日時点の現金・預金保有確認分に限る<ref group="注" name="5th_exchange"/> |
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|} |
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== 日本本土とB円 == |
== 日本本土とB円 == |
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沖縄を除く本土地域でも、敗戦直後の1945年[[9月24日]]に[[大蔵省]](現在の[[財務省 (日本)|財務省]])がGHQの要請([[三布告]])を受けて発行を承認し、占領軍によってB円も日本円と同じく正式な通貨とされ支払が開始された。 |
沖縄県と奄美群島を除く本土地域でも、敗戦直後の[[1945年]][[9月24日]]に[[大蔵省]](現在の[[財務省 (日本)|財務省]])が[[GHQ|連合国軍総司令部]]の要請([[三布告]])を受けて発行を承認し、占領軍によってB円も日本円と同じく正式な通貨とされ支払が開始された。法定通貨として日本円(日本銀行券、小額政府紙幣、補助貨幣、臨時補助貨幣)と等価交換が可能と定められ<ref name="hoka"/>、日本銀行券などと同様の形式でB型軍票の様式も公示された<ref name="yoshiki"/>。 |
||
しかし占領軍が本土でB |
しかし当時の日本は終戦直後の猛烈な[[インフレーション]]の昂進に悩まされている時期でもあり{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=205-208}}、万一占領軍が本土でB型軍票を濫発すればインフレーションを一層助長し戦後の日本経済の混乱が更に拡大する懸念が出て来たため<ref name="boj"/>、日本政府が占領経費を日本円で支弁することを交換条件として軍票支払の停止を要請し、占領軍に承認されたため出回った量は極めて少ない<ref name="by" />。<!--ただし{{要出典範囲|当時、東京でB型軍票は受け取り拒否できず困った、という記述がされているので|date=2020年9月}}、若干は流通したと考えられている。-->[[1948年]][[7月15日]]をもって本土ではB型軍票の流通は廃止されたが<ref name="haishi"/>、ほとんど流通していなかったため混乱はなかった。本土で回収されたB型軍票は沖縄で再利用された<ref name="boj"/>。 |
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== A円 == |
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{{main|[[A円]]}} |
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B円の他にA円(A型軍票)も存在しており、これは南朝鮮(現在の[[大韓民国|韓国]])の法定通貨<ref group="注">終戦まで日本円と等価の朝鮮銀行券が流通していた。</ref>とされていたが{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}、日本国内ではアメリカ軍基地間での決済のみで使用され外部への流出は禁止された。ただし一時的に八重山列島などで使用される<ref name="by">『終戦直後の日本 教科書には載っていない占領下の日本』(2020年8月20日、彩図社発行)p146 - 147『ごく短期間だけ流通した幻の通貨・B円』より。</ref>等、多少は流出したものがあり現存してている。アメリカ軍の軍票はこのほかドル建てのものも存在した{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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*[[1945年]]6月 初めてB円が使用される。レートは1ドル=10B円。 |
*[[1945年]]([[昭和]]20年)[[6月11日]] 初めてB円が使用される<ref name="jiten"/>。レートは1ドル = 10B円{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*1945年9月24日 大蔵省がB円の発行を承認<ref name="by" />。この時点で1ドル=15B円。B |
*1945年(昭和20年)[[9月24日]] [[大蔵省]]がB円の発行を承認<ref name="by" />。この時点で1ドル = 15B円{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。B型軍票が日本の[[法定通貨]]として通用し、[[円 (通貨)|日本円]]の[[紙幣]]・[[硬貨]]と等価と定められる<ref name="hoka"/>。あわせてB型軍票(千円券除く)の様式を[[官報]]にて告示<ref name="yoshiki"/>。 |
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*[[1946年]](昭和21年)[[4月15日]] - [[4月28日|28日]] '''第一次通貨交換'''。日本円(旧円)を回収し、B円に交換{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=447-449}}。B円・日本円(新円)・日本円(旧円)の証紙貼付券が米軍占領下の[[沖縄県]]・[[奄美群島]]([[吐噶喇列島|トカラ列島]]含む)の法定通貨となる{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*[[1946年]]4月15日 第一次通貨交換。B円が公式通貨となる。 |
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*1946年(昭和21年)[[4月29日]] 米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨に5円未満の日本銀行券(旧円)と補助貨幣が追加される{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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*1946年8月5日 第二次通貨交換。新旧日本円との併用となる。 |
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*1946年(昭和21年)[[8月5日]] - [[8月25日|25日]] '''第二次通貨交換'''。B円を回収し、日本円(新円)に交換{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*[[1947年]]3月 1ドル=50B円。 |
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*1946年(昭和21年)[[9月1日]] 第二次通貨交換の実施を受け、米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨は日本円(新円)のみとなる{{Sfn|牧野浩隆|1987|pp=65-84}}。ただし実施は[[沖縄諸島]]のみ{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*[[1948年]][[7月16日]] - 21日 第三次通貨交換。日本円、旧B円の流通が禁じられ、新B円に交換される。 |
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*[[ |
*[[1947年]](昭和22年)3月 1ドル = 50B円{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*1947年(昭和22年)[[8月1日]] 新円紙幣の不足から米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨にB円が再度追加される{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*[[1951年]][[12月24日]] B円軍票のうち千円券を追加で発行<ref>{{Cite book|和書|author=日本銀行金融研究所|title=日本貨幣年表|publisher=日本銀行金融研究所|date=1994年|page=97|isbn=9784930909381}}</ref>。 |
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*[[1948年]](昭和23年)[[7月15日]] [[本土#日本|本土]]でのB型軍票通用停止<ref name="haishi"/>(ただし米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)では引き続き流通)。 |
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*[[1952年]][[2月10日]] トカラ列島本土復帰。 |
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*1948年(昭和23年)[[7月16日]] - [[7月20日|20日]] '''第三次通貨交換'''。日本円、旧B円を回収して流通が禁じられ、翌[[7月21日]]から新B円<ref group="注" name="newByen"/>に交換される{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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*[[1953年]][[12月25日]] 奄美群島本土復帰。 |
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*[[ |
*[[1950年]](昭和25年)[[4月12日]] 1ドル = 120B円 = 360日本円(1B円 = 3日本円)に改定{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。以後、B円廃止までこのレートが使われる{{Sfn|山内昌尚|2004|pp=4-5}}。 |
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*[[1951年]](昭和26年)[[12月24日]] B型軍票のうち千円券を追加で発行<ref>{{Cite book|和書|author=日本銀行金融研究所|title=日本貨幣年表|publisher=日本銀行金融研究所|date=1994年|page=97|isbn=9784930909381}}</ref>。 |
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*[[1972年]][[5月15日]] 沖縄県本土復帰。第五次通貨交換。1ドルから305円とする交換が行われる。ただし、前年の[[1971年]]に実施された変動為替相場制への移行にともないドル下落が発生、この影響に対して1972年2月には通貨[[ストライキ|スト]]が発生するなど混乱がみられた為、1971年に確認されていた個人が保有するドル現金分については政府が補償し360円とされた。また、5月20日まではドルも併用が認められていた。 |
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*[[1952年]](昭和27年)[[2月10日]] [[本土復帰#トカラ列島|トカラ列島本土復帰]]。 |
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*[[1953年]](昭和28年)[[12月25日]] [[本土復帰#奄美群島|奄美群島本土復帰]]。 |
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*[[1958年]](昭和33年)[[9月16日]] - [[9月20日|20日]] '''第四次通貨交換'''。B円が廃止されて[[アメリカ合衆国ドル]]が米軍占領下の沖縄県の法定通貨となり、120B円を1ドルとする交換が行われる{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。2度にわたり交換期限が延長され、最終的に同年[[11月29日]]まで通貨交換を実施<ref name="gri7"/>。 |
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*[[1971年]](昭和46年)[[8月27日]] [[ニクソン・ショック]]により[[変動相場制]]に移行<ref name="okiso"/>。 |
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*1971年(昭和46年)[[10月9日]] ドル現金および預金保有額を確認する通貨確認を実施<ref name="okiso"/>。 |
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*[[1972年]](昭和47年)[[5月15日]] [[本土復帰#沖縄県|沖縄県本土復帰]]。 |
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*1972年(昭和47年)5月15日 - [[5月20日|20日]] '''第五次通貨交換'''。1ドルから305円とする交換が行われ、沖縄県の法定通貨が日本円に復する。ただし1971年10月9日実施の通貨確認の時点で個人が保有していたドル現金および預金については、1ドルあたり360円とされた<ref group="注" name="5th_exchange"/>{{Sfn|日本銀行調査局|1975|pp=299-302}}。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<div class="references-small"><references /></div> |
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=== 注釈 === |
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{{Notelist2|2}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|25em}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書|author=山内昌尚|year=2004|title=戦後沖縄通貨変遷史 ―米軍統治時代を中心に|publisher=琉球新報社|isbn=9784897420585 |ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=日本銀行調査局|year=1975|title=図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨|publisher=東洋経済新報社|isbn= |ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=牧野浩隆|year=1987|title=戦後沖縄の通貨|publisher=ひるぎ社|isbn= |ref=harv}} |
|||
* {{Cite Web|url=https://www3.archives.pref.okinawa.jp/GRI/ryukyu_documents/%e5%b8%83%e5%91%8a%e3%83%bb%e5%b8%83%e4%bb%a4%e3%83%bb%e6%8c%87%e4%bb%a4%e7%ad%89%ef%bc%886%ef%bc%89%e9%80%9a%e8%b2%a8%e3%81%ae%e5%a4%89%e9%81%b7%ef%bd%9eb%e5%86%86%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%b5%b1%e4%b8%80/ |title=布告・布令・指令等(6)通貨の変遷~B円への統一 |work=琉球政府の時代 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}} |
|||
* {{Cite Web|url=https://www3.archives.pref.okinawa.jp/GRI/ryukyu_documents/%e5%b8%83%e5%91%8a%e3%83%bb%e5%b8%83%e4%bb%a4%e3%83%bb%e6%8c%87%e4%bb%a4%e7%ad%89%ef%bc%887%ef%bc%89%e9%80%9a%e8%b2%a8%e3%81%ae%e5%a4%89%e9%81%b7%ef%bd%9e%e3%83%89%e3%83%ab%e5%88%87%e6%9b%bf/ |title=布告・布令・指令等(7)通貨の変遷~ドル切替 |work=琉球政府の時代 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}} |
|||
* {{Cite Web|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4578 |title=1958年9月16日 B円からドルへ法定通貨の切替え |work=あの日の沖縄 |publisher=沖縄県公文書館 |accessdate=2021-11-03}} |
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* {{Cite Web|url=http://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/Soumu/muribushi/back/2018/20180910/0910nakayukui.pdf?la=ja-JP&hash=F0A077BFE8EABDB65F7107280E2836F3EA9036F6|title=県民のドル資産を守った物語 |publisher=内閣府沖縄総合事務局 |accessdate=2021-11-03}} |
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* {{Cite Web|url=https://www.ryugin.co.jp/common/uploads/70history1.pdf |title=創立から35年の歩み |work=琉球銀行七十年史 |publisher=琉球銀行 |accessdate=2021-11-03}} |
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* {{Cite Web|url=https://www.boj.or.jp/announcements/education/data/are02q.pdf |title=「軍票」とは… |work=お金の話あれこれ |publisher=日本銀行 |accessdate=2021-11-03}} |
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* {{Cite journal |和書|url=https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/133288/1/eca1021_001.pdf |author=小野一一郎 |authorlink= |title=沖縄における日本円の消滅 ―B円軍票のメカニズム― |journal=經濟論叢 |volume=102 |issue=1 |publisher=京都大学経済学会 |date=1968-07 |page=1-21 |ref=harv}} |
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* {{Cite journal |和書|url=https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1095&file_id=18&file_no=1 |author=丸山真人 |authorlink= |title=高度成長と沖縄の通貨・為替政策 ―牧野浩隆著『戦後沖縄の通貨』を読んで― |journal=明治学院論叢 国際学研究 |volume=9 |issue= |publisher=明治学院大学国際学部 |date=1992-03 |page=51-57 |ref=harv}} |
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2021年11月27日 (土) 14:52時点における版
B円(ビーえん)は、1945年から1958年9月まで、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島(トカラ列島含む)で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍用手票(軍票)。これらの地域においては、1948年から1958年まで唯一の法定通貨だった。日本国内で法定通貨とされた唯一の外国軍票であり、本土地域でも1945年から1948年にかけて短期間ではあるが少量流通している[1]。
琉球列島米国軍政府(のちの琉球列島米国民政府)による正式名はB型軍票[2][3]。日本政府の官報公示上はB号円表示補助通貨と称していた[4][5]。B式軍票[6]、B号軍票[7]、B円軍票[8]、B軍票[9]と呼ばれることもあるが、全て同じものを指す。英語表記はType "B" Military Yenで[3]、Type "B" Yen[10]、Yen B type、B-yenなどとも表記される。
概要
正確には連合国の共通軍票であるAMC(Allied Military Currency)軍票の1種であり他の連合国にも発行権があったが、日本に駐留した占領軍はアメリカ軍主体だったため、他国の軍は円建ての軍票は発行されなかった。当初のB円はアメリカ国内で印刷されたが、千円券などの末期に製造されたものは日本の印刷局で印刷されたものもある[11]。硬貨はなく全て紙幣であり、デザインは人物肖像や風景などの具象的なものではなく彩紋模様のみであったが、これは主に朝鮮半島のアメリカ軍占領地域で使用されたA円の軍票と共通したものであった[6]。
後述の紆余曲折を経て、1958年9月16日に琉球列島米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」によって廃止された[2]。同日から通貨交換が実施され(レートは1ドル = 120B円)[2]、数度の期間延長の後に最終的に同年11月29日まで通貨交換が行われた[10]。
なお、これ以前に日本国内で流通した軍票には西南戦争で西郷軍が発行した通称西郷札がある[1]。
規格
券種
下表の通り、千円券から拾銭券までの8種類の券種が製造発行された[11]。
百円券から拾銭券までの7券種については、後述の通り終戦直後の1945年9月24日に日本銀行券、小額政府紙幣、補助貨幣、臨時補助貨幣と等価に通用する日本の法定通貨の1種として大蔵省告示第360号「聯合國占領軍ノ發行ニ係ル「B」號圓表示補助通貨ノ見本略圖」で様式が公示されている[4]。
千円券については、1951年12月24日から米軍占領下の沖縄県・鹿児島県の一部(奄美群島・トカラ列島)のみで発行されており本土地域では流通していない[12]。
名称 | 額面 | 寸法[4] (mm) |
文字色[4] | 発行 | 廃止 | 製造国[11] |
---|---|---|---|---|---|---|
千円券 | 千圓(1000円) | 67×157 | 黒色 | 1951年12月24日[12] | 1958年9月20日[10] | 日本 |
百円券 | 百圓(100円) | 67×157 | 群青色 | 1945年9月24日[13] (実質的な使用開始は1945年6月11日[11]) |
1958年9月20日 (本土では1948年7月15日[5]) |
米国 |
弐拾円券 | 貳拾圓(20円) | 67×157 | 赤紫色 | 米国 | ||
拾円券 | 拾圓(10円) | 67×111 | 萌黄色 | 米国 | ||
五円券 | 五圓(5円) | 67×111 | 群青色 | 米国・日本 | ||
壱円券 | 壹圓(1円) | 67×78 | 緑色 | 米国・日本 | ||
五拾銭券 | 五拾錢(50銭) | 67×78 | 群青色 | 米国 | ||
拾銭券 | 拾錢(10銭) | 67×78 | 赤紫色 | 米国 |
図柄
いずれの券種ともデザインは人物肖像や風景などの図柄は無く表面・裏面ともに唐草模様と彩紋模様のみで構成されており、寸法が同じ券種についてはほぼ同じ図案となっている[6]。
表面には日本語と英語で「軍票」「MILITARY CURRENCY」、裏面には日本語と英語で「軍事布告に基き發行す」「ISSUED PURSUANT TO MILITARY PROCLAMATION」という文言が記載されており、B型軍票であることを示す「B」の袋文字が表面に大きく印刷されている[注 1][6]。また額面表記は英語表記、漢字表記、アラビア数字表記の3種類の表記となっている[6]。発行者や兌換保証、製造者を示す表記は一切無く、発行権者の印章や署名等の記載もない[4]。
記番号についてはは、千円券以外の券種はいずれも英字1文字+アラビア数字8桁+英字1文字の形式となっており、千円券のみ英字1文字+アラビア数字6 - 7桁+英字1文字である[11]。弐拾円券以上の券種は2箇所、拾円券以下の券種は1箇所に黒色で印字されている[6]。
用紙・透かし
券面の寸法はアメリカ合衆国ドル紙幣[注 2]と類似した規格のものとなっている[6]。透かしは入っていないが、これも当時のアメリカ合衆国ドル紙幣と同様である[6]。
版式刷色
使用色数は、千円券以外の券種はいずれも表面5色(内訳は輪郭1色、文字1色、地模様2色、記番号1色)、裏面2色(内訳は輪郭1色、地模様1色)となっており[6]、千円券に限り表面5色(内訳は凹版印刷による輪郭・文字1色、地模様3色、記番号1色)、裏面2色(内訳は輪郭1色、地模様1色)となっている[12]。百円券以下の券種については、表面の文字色を除き同じ刷色で印刷されている[6][12]。
沖縄県、奄美群島とB円
明治以降第二次世界大戦末期まで、本土地域と同じく日本円の通貨(紙幣・硬貨)が用いられていた[14]。しかしながら沖縄への米軍進攻開始以降、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島(トカラ列島含む)では世界的にも例のない27年間に5回もの頻度で通貨切替と通貨制度の変更が行われることとなった[15]。本項ではB円を中心に前後の通貨制度の変遷も含めて記述する。
無通貨時代
沖縄本島周辺では沖縄戦による甚大かつ壊滅的な被害と社会基盤の荒廃が原因で経済活動が完全に破壊されて消滅していたため、1945年4月以降のアメリカが占領した直後にはいずれの通貨も流通せず、アメリカ軍による無償の配給と物々交換による取引が行われていた(無通貨時代)[8]。生き残った住民はアメリカ軍により収容所に収容されて食糧や衣類など必要最低限の物品の配給を受ける代わりに、アメリカ軍の雑役作業に駆り出されることとなり、アメリカ軍の政策により一切の金銭取引や企業活動が凍結された[16]。これにより長年定着していた貨幣経済が完全に停止されて原始的とも言える物々交換を余儀なくされたが、これは近現代では極めて異例のことである[16][注 3]。
当初アメリカ軍は、従前から流通していた日本円(旧円)と併用して占領後にB型軍票を補助的な法定通貨として発行する計画を進めており、事前に大量のB型軍票をアメリカ国内で製造して日本周辺に持ち込んでいた[16]。1945年6月以降、慶良間諸島の座間味島においてB型軍票が実験的に使用されたものの[17]、沖縄本島周辺では前述の通り実態として通貨が機能しない状況に陥っていたためこの時点では発行には至らなかった[18]。
沖縄本島と比較すると戦争の被害が幾分小さかった八重山列島や久米島などその他の地域では貨幣経済が継続しており[19]、日本円(旧円)やそれと等価の台湾銀行券・朝鮮銀行券と[15]、その他に久米島紙幣などの地域通貨が若干流通していた[17]。また八重山列島では従来から使用されていた日本円(旧円)に所定の印章を押印したもの以外は無効化する政策が取られるなど、地域ごとに異なる通貨政策が取られていた[17]。
第一次通貨交換
1946年3月25日に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第7号「紙幣両替、外国貿易及び金銭取引」により、1946年4月15日からアメリカ軍が自らが発行するB型軍票、日本銀行券(新円)、新円と見なされる日本銀行券(旧円)の証紙貼付券の3種類を法定通貨とした[3]。そのためこの時期の沖縄県や奄美群島においては、これらの通貨が混合して流通していた[3]。
これにより、同年4月15日から4月28日までの期間に台湾銀行券・朝鮮銀行券ならびに5円以上の日本銀行券(旧円)は回収されて1人当たり一定金額を上限にB型軍票に交換のうえ、上限超過分は強制預金させたうえで預金封鎖された[18]。実質的に、本土において同年2月16日に実施された新円切替と類似した対応が行われたこととなる[20]。新円ではなくB型軍票に交換された理由は、新円の日本銀行券[注 4]が本土地域でも供給不足状態であり[21]、通貨交換での必要量を確保できなかったためとされる[22]。日本円とB円の交換比率は1日本円 = 1B円とされた[8]。
次いで、同年4月29日からは上記に加えて5円未満の日本銀行券(旧円)、補助貨幣(硬貨)の2種類も法定通貨に追加された[18]。
これらの対応と共に賃金制度が復活し配給制度も有償化され、およそ1年振りに貨幣経済が再開した[15]。
第二次通貨交換
1946年8月には、琉球列島米国軍政府特別布告第11号「通貨、両替、外国貿易及び金銭取引」により沖縄諸島に限って1946年8月5日から8月25日までの期間に[23]B型軍票を回収し日本銀行券(新円)を流通させることとなった[18]。これにより同年9月1日から法定通貨は日本円のみに改められた[24]。B円と日本円の交換比率は1B円 = 1日本円であり、今回の通貨交換では預金封鎖等による交換額の上限は設定されなかった[18]。
その他の地域(奄美群島、宮古列島、八重山列島)は当初この通貨交換の対象外とされ、引き続きB型軍票も併用されていた[8]。同年9月15日以降は沖縄諸島以外の地域にも通貨交換の対象地域が拡大される予定であったが、依然として新円の日本銀行券の供給が不足していたために通貨交換は行われず、従前通り複数通貨が併用され続けた[8]。
しかしながら約1年後の1947年8月1日に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第21号「法定通貨」により、同日以降はB型軍票が法定通貨に再び追加され、地域毎に使用される通貨が異なる状況は解消された[25]。
なお1947年7月以降、本土に居住していた沖縄出身の疎開者等の引揚げが開始されて大量の円通貨が持ち込まれたことや、この時期に日本本土において発生していた戦後の猛烈なインフレーションの影響を受け、沖縄でも急激にインフレーションが進むこととなった[8]。
第三次通貨交換
アメリカ軍が沖縄の恒久的な統治を考えるようになると[20]、1948年7月21日に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第30号「標準通貨の確立」により同日以降日本円(旧円・新円)の流通は全面的に禁止され、B型軍票が流通する唯一の法定通貨となった[3]。これにより本土復帰までの間、事実上日本本土の経済圏から切り離される形となった[8]。これに先立ち同年5月には中央銀行としての機能と一般の商業銀行との機能を併せ持つ特殊銀行として琉球銀行が米国軍政府令に基づき設立されている[注 5][8]。
この時は、琉球列島米国軍政府特別布告第29号「通貨の交換と新通貨の発行」により同年7月16日から7月20日にかけて日本円の通貨(紙幣・硬貨)とB型軍票を全量回収して現金保有高の証書を発行し、翌7月21日以降に改めてB型軍票[注 6]を交付する形式で交換が行われた[3]。このような複雑な手順が取られたのは、法定通貨の変更と同時に市中での通貨の流通量を確認することが目的であったためである[18]。新通貨として引き続き従来と同一のB型軍票が使用されることが一般大衆に知られると、既にB型軍票を保有している場合に交換に応じない可能性があるため、新通貨の内容は伏せられたまま旧通貨の回収が行われており[3]、今回に限り交換逃れに対しては罰則が科される措置までもが取られた[26]。
B円だけを通貨として使用させることにより、琉球列島米国民政府は通貨の流通量を統制することができるようになり、インフレーションの進行は終息することとなった[18]。
当初は1日本円 = 1B円 が公定レートだったが、1950年4月12日に3日本円 = 1B円(1アメリカドル = 120B円 = 360日本円)に改定されB円が廃止されるまでこのレートが使われた[23]。このレート変更は物価の上昇を招き奄美群島の本土復帰運動を加速させる結果にもなった。当時の公定レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている[27]。なお当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日において実際の通貨としての価値は1B円 = 1.8日本円程度だったという。
これにより日本本土から安価で資材を調達することができた代わりに、沖縄県周辺の経済は空洞化して本土系企業の沖縄進出を遅らせる理由になり、後にこの地域の経済構造が極端に第三次産業に依存し、域外からの輸入に頼らざるを得ない状況となった一因ともされる[27]。
第四次通貨交換
1958年9月15日に公布された米国民政府高等弁務官布令第14号「通貨」により、1958年9月16日から20日にかけてアメリカドルへの通貨切り替えが行われて、B型軍票は廃止された[10]。のちに高等弁務官布令第15号「通貨交換」および同第16号「通貨交換期間の延長」により交換期限が2度にわたり延長され、最終的に同年11月29日まで通貨交換が行われた[10]。
これはアメリカドルの導入(通貨代替)により外国資本を積極的に呼び込み、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとする政策であった[2]。B型軍票を軍票から通常の通貨に転換して沖縄独自の通貨とすることも検討されていたが、前述の理由や手続きの簡便性も考慮しアメリカドルをそのまま導入することとなった[18]。その反面、アメリカドルの発行権はアメリカ合衆国にあるために沖縄独自の通貨政策を取ることは困難となった[28]。
なお、この時点で奄美群島(トカラ列島含む)は既に本土復帰していたため、アメリカドルの導入範囲は沖縄県内のみに限られている。
第五次通貨交換
1972年5月15日の沖縄県本土復帰に伴い法定通貨が日本円に復し[20]、同日から5月20日にかけてアメリカドルから日本円への通貨切替が行われた[18]。なお5月20日まではドルも併用が認められていた[29]。交換用の日本円の紙幣・硬貨は海上自衛隊の輸送艦により本土から輸送され、同年5月2日から3日にかけて沖縄に搬入された[29][注 7]。
1ドル = 305円とする交換が行われたが[23]、前年の1971年8月27日に実施された変動為替相場制への移行にともないドル下落が発生し、この影響で保有する現金資産が目減りすることになる沖縄県内では1972年2月に通貨ストが発生するなど混乱がみられた為、琉球政府と日本政府により極秘に準備が行われ[注 8]1971年10月9日実施の通貨確認の時点で個人が保有するドル現金および預金については本土復帰後に差額分(1ドルあたり55円)を日本政府が補償することで1ドル = 360円とされた[注 9][30]。
様々な対策が取られたものの変動為替相場制への移行の影響に加えて法定通貨の変更に伴う便乗値上げが相次いだため、第五次通貨交換の前後には物価が高騰し生活必需品の買い占めが発生するなど[29]、沖縄県内において経済的な混乱が発生することとなった[31]。
変遷
下表は前述の法定通貨の変遷を表に纏めたものである[14][23]。表中の○印は法定通貨として認められていたもの、△印は該当区分の通貨の一部種類が法定通貨として認められていたもの、▼印は法的には法定通貨ではないが一部地域で事実上の通貨として流通していたものを示す。
区分 | 交換期間 | 流通期間 | 日本円 (旧円) |
日本円 (新円) |
B型軍票 (B円) |
アメリカ ドル |
通貨交換比率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
米軍占領開始以前 | - | 1945年春頃以前 | ○ | - | - | - | - | |
無通貨時代 | - | 1945年春頃 - 1946年4月15日 |
▼※1 | - | - | - | - | ※1:沖縄本島以外のみ日本円(旧円)、地域通貨等が一部で流通 |
第一次通貨交換 | 1946年4月15日 - 1946年4月28日 |
1946年4月15日 - 1946年4月28日 |
△※2 | ○ | ○ | - | 1日本円 = 1B円 | ※2:証紙貼付券 |
- | 1946年4月29日 - 1946年8月31日 |
△※3 | ○ | ○ | - | - | ※3:証紙貼付券、5円未満の日本銀行券(旧円)、補助貨幣 | |
第二次通貨交換 | 1946年8月5日 - 1946年8月25日 |
1946年9月1日 - 1947年7月31日 |
- | ○ | ▼※4 | - | 1B円 = 1日本円 | ※4:沖縄諸島以外のみB型軍票(B円)が流通 |
- | 1947年8月1日 - 1948年7月20日 |
- | ○ | ○ | - | - | ||
第三次通貨交換 | 1948年7月16日 - 1948年7月20日 |
1948年7月21日 - 1958年9月19日 |
- | - | ○ | - | 1日本円 = 1B円 | |
第四次通貨交換 | 1958年9月16日 - 1958年11月29日※5 |
1958年9月16日 - 1972年5月20日 |
- | - | - | ○ | 120B円 = 1米ドル | ※5:当初は1958年9月20日までの予定だったが延長された |
第五次通貨交換 | 1972年5月15日 - 1972年5月20日 |
1972年5月15日以降 | - | ○ | - | - | 1米ドル = 305日本円 (1米ドル = 360日本円※6) |
※6:1971年10月9日時点の現金・預金保有確認分に限る[注 9] |
日本本土とB円
沖縄県と奄美群島を除く本土地域でも、敗戦直後の1945年9月24日に大蔵省(現在の財務省)が連合国軍総司令部の要請(三布告)を受けて発行を承認し、占領軍によってB円も日本円と同じく正式な通貨とされ支払が開始された。法定通貨として日本円(日本銀行券、小額政府紙幣、補助貨幣、臨時補助貨幣)と等価交換が可能と定められ[13]、日本銀行券などと同様の形式でB型軍票の様式も公示された[4]。
しかし当時の日本は終戦直後の猛烈なインフレーションの昂進に悩まされている時期でもあり[32]、万一占領軍が本土でB型軍票を濫発すればインフレーションを一層助長し戦後の日本経済の混乱が更に拡大する懸念が出て来たため[1]、日本政府が占領経費を日本円で支弁することを交換条件として軍票支払の停止を要請し、占領軍に承認されたため出回った量は極めて少ない[33]。1948年7月15日をもって本土ではB型軍票の流通は廃止されたが[5]、ほとんど流通していなかったため混乱はなかった。本土で回収されたB型軍票は沖縄で再利用された[1]。
A円
B円の他にA円(A型軍票)も存在しており、これは南朝鮮(現在の韓国)の法定通貨[注 10]とされていたが[18]、日本国内ではアメリカ軍基地間での決済のみで使用され外部への流出は禁止された。ただし一時的に八重山列島などで使用される[33]等、多少は流出したものがあり現存してている。アメリカ軍の軍票はこのほかドル建てのものも存在した[18]。
歴史
- 1945年(昭和20年)6月11日 初めてB円が使用される[11]。レートは1ドル = 10B円[23]。
- 1945年(昭和20年)9月24日 大蔵省がB円の発行を承認[33]。この時点で1ドル = 15B円[23]。B型軍票が日本の法定通貨として通用し、日本円の紙幣・硬貨と等価と定められる[13]。あわせてB型軍票(千円券除く)の様式を官報にて告示[4]。
- 1946年(昭和21年)4月15日 - 28日 第一次通貨交換。日本円(旧円)を回収し、B円に交換[14]。B円・日本円(新円)・日本円(旧円)の証紙貼付券が米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨となる[23]。
- 1946年(昭和21年)4月29日 米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨に5円未満の日本銀行券(旧円)と補助貨幣が追加される[18]。
- 1946年(昭和21年)8月5日 - 25日 第二次通貨交換。B円を回収し、日本円(新円)に交換[23]。
- 1946年(昭和21年)9月1日 第二次通貨交換の実施を受け、米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨は日本円(新円)のみとなる[24]。ただし実施は沖縄諸島のみ[23]。
- 1947年(昭和22年)3月 1ドル = 50B円[23]。
- 1947年(昭和22年)8月1日 新円紙幣の不足から米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)の法定通貨にB円が再度追加される[23]。
- 1948年(昭和23年)7月15日 本土でのB型軍票通用停止[5](ただし米軍占領下の沖縄県・奄美群島(トカラ列島含む)では引き続き流通)。
- 1948年(昭和23年)7月16日 - 20日 第三次通貨交換。日本円、旧B円を回収して流通が禁じられ、翌7月21日から新B円[注 6]に交換される[18]。
- 1950年(昭和25年)4月12日 1ドル = 120B円 = 360日本円(1B円 = 3日本円)に改定[23]。以後、B円廃止までこのレートが使われる[23]。
- 1951年(昭和26年)12月24日 B型軍票のうち千円券を追加で発行[34]。
- 1952年(昭和27年)2月10日 トカラ列島本土復帰。
- 1953年(昭和28年)12月25日 奄美群島本土復帰。
- 1958年(昭和33年)9月16日 - 20日 第四次通貨交換。B円が廃止されてアメリカ合衆国ドルが米軍占領下の沖縄県の法定通貨となり、120B円を1ドルとする交換が行われる[18]。2度にわたり交換期限が延長され、最終的に同年11月29日まで通貨交換を実施[10]。
- 1971年(昭和46年)8月27日 ニクソン・ショックにより変動相場制に移行[30]。
- 1971年(昭和46年)10月9日 ドル現金および預金保有額を確認する通貨確認を実施[30]。
- 1972年(昭和47年)5月15日 沖縄県本土復帰。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 20日 第五次通貨交換。1ドルから305円とする交換が行われ、沖縄県の法定通貨が日本円に復する。ただし1971年10月9日実施の通貨確認の時点で個人が保有していたドル現金および預金については、1ドルあたり360円とされた[注 9][18]。
脚注
注釈
- ^ 対して、同時期に発行されたA円についてはA型軍票であることを示す「A」の袋文字が印刷されている。
- ^ アメリカ合衆国ドル紙幣の寸法はおよそ66mm×156㎜。
- ^ 他にはクメール・ルージュによる民主カンプチアでの極端な原始共産制の実践によって貨幣を廃止した例が見られる程度である。
- ^ 日本銀行券A号券。
- ^ 但し、独自通貨の発券権などは行使されなかった。
- ^ a b 実態は回収されたB型軍票(旧B円)と同一のものである。
- ^ 第五次通貨交換用に準備された日本銀行券C号券4種(C一万円券、C五千円券、C千円券およびC五百円券)については特別な記番号のものが充当されており、記番号の英字の組み合わせのうちごく一部の特定のものがこれに当たる。
- ^ 事前に外部に情報漏洩すると本来補償されるべき対象ではない投機的な資金が流入し混乱が拡大する恐れがあるため、ごく限られた人員のみで準備が行われ、通貨確認の対象となる住民のみならず、通貨確認の作業に当たる政府職員や金融機関職員、さらに実質的に琉球政府の上部組織である琉球列島米国民政府にも当日まで一切知らされないなど徹底したものであった。
- ^ a b c 但し、法人が保有する資産や、通貨確認以降に得た収入分などについてはこの補償の対象外とされた。
- ^ 終戦まで日本円と等価の朝鮮銀行券が流通していた。
出典
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