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{{by|2004年}}、[[日産自動車硬式野球部|日産自動車]]に入社。{{by|2005年}}は[[第23回アジア野球選手権大会日本代表|アジア選手権]]、9月の[[第36回IBAFワールドカップ日本代表|W杯]]で日本代表に選出。W杯では5試合で14回2/3を投げ[[防御率]]0.61を記録した。{{by|2006年}}の[[都市対抗野球大会]]では日産の2年連続の準優勝に貢献。同年、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に大学生・社会人[[2006年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]][[希望入団枠制度|希望枠]]で指名を受け、入団。[[佐々木主浩]]の背番号'''22'''を引き継ぐ。 |
{{by|2004年}}、[[日産自動車硬式野球部|日産自動車]]に入社。{{by|2005年}}は[[第23回アジア野球選手権大会日本代表|アジア選手権]]、9月の[[第36回IBAFワールドカップ日本代表|W杯]]で日本代表に選出。W杯では5試合で14回2/3を投げ[[防御率]]0.61を記録した。{{by|2006年}}の[[都市対抗野球大会]]では日産の2年連続の準優勝に貢献。同年、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に大学生・社会人[[2006年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]][[希望入団枠制度|希望枠]]で指名を受け、入団。[[佐々木主浩]]の背番号'''22'''を引き継ぐ。 |
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=== プロ入り後 === |
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[[File:20120503 Kentaro Takasaki, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG|230px|right|thumb|高崎の投球フォーム(2012年5月3日、横浜スタジアム)]] |
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{{by|2007年}}、二軍で10勝5敗、防御率2.46で、[[イースタン・リーグ]]最多勝。シーズン終盤に一軍昇格し、[[先発投手|先発]]で2勝。 |
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{{by|2010年}}、先発2試合を含む7試合に登板、防御率は7.80。2010年度シーズン終了後、結婚。 |
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{{by|2011年}}、開幕カード3戦目の[[中日ドラゴンズ]]戦に先発し、7回1失点に抑えシーズン初勝利、球団で唯一[[規定投球回]]をクリアして5勝で[[三浦大輔]]と並んでチーム最多勝利、リーグワーストの15敗。防御率は3.45を記録し1年間ローテーションを守ったものの援護率はリーグワーストの2.20と投高打低の影響もあり無援護に苦しみ勝ち星を伸ばすことができなかった。 |
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{{by|2012年}}、初の[[開幕投手]]を務め7勝10敗。防御率3.20と自身最高の防御率を記録したが、昨年と同じように無援護に苦しみ、自責点0ながら勝ち星がつかない試合が6試合あった。 |
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{{by|2013年}}、二年連続の開幕投手に指名されたがオープン戦で[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]の放った打球を足に受け、開幕投手の座を[[藤井秀悟]]に譲った。4月5日に神宮球場で7回1失点に抑えシーズン初勝利。セ・パ交流戦中は中継ぎとなり、7月27日の[[阪神タイガース]]戦を最後に一軍での登板は無く、2勝5敗。 |
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{{by|2014年}}、開幕は二軍で迎えたが、4月4日に一軍登録されリリーフとして起用された。7試合に登板し防御率5.14の成績で同月21日に二軍降格となる。7月23日に先発として一軍に復帰し、復帰戦で6回被安打8、1四球、自責2で勝敗はつかなかった。翌日登録抹消されるも、8月に再び復帰、10試合連続2桁安打を放っている[[東京ヤクルトスワローズ]]打線を相手に6回を投げ、自責点2と好投。ヤクルトの連続2桁安打を止め、シーズン初勝利を手にした。最終的に先発では7試合に登板し、2勝3敗、防御率4.01。 |
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{{by|2015年}}、開幕ローテーション入りを果たし、2試合目までは防御率0点台と安定していたが、それ以降は炎上を繰り返し二軍落ち。8月の復帰戦では勝利投手になるなど好投をしたが、次の試合では炎上。{{by|2016年}}、[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ中]]に起こした[[痛風]]による左足人さし指付け根の[[炎症]]に苦しみ、プロ入り後初の一軍登板なしに終わった。 |
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=== 引退後 === |
=== 引退後 === |
2021年5月18日 (火) 11:16時点における版
2012年5月3日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県上益城郡甲佐町 |
生年月日 | 1985年6月24日(39歳) |
身長 体重 |
176 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 希望入団枠 |
初出場 | 2007年4月25日 |
最終出場 | 2017年3月31日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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高崎 健太郎(たかさき けんたろう、1985年6月24日 - )は、熊本県上益城郡甲佐町出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は横浜で10年間プレーし、DeNAが親会社になった横浜DeNAベイスターズではDeNA球団初の開幕投手も努めた。
来歴・人物
プロ入り前
熊本県上益城郡甲佐町出身。小学3年で野球を始め、鎮西高では「九州のドクターK」と呼ばれる。3年夏の熊本大会ではベスト4まで勝ち進む。
2004年、日産自動車に入社。2005年はアジア選手権、9月のW杯で日本代表に選出。W杯では5試合で14回2/3を投げ防御率0.61を記録した。2006年の都市対抗野球大会では日産の2年連続の準優勝に貢献。同年、横浜ベイスターズに大学生・社会人ドラフト希望枠で指名を受け、入団。佐々木主浩の背番号22を引き継ぐ。
プロ入り後
2007年、二軍で10勝5敗、防御率2.46で、イースタン・リーグ最多勝。シーズン終盤に一軍昇格し、先発で2勝。
2008年、二軍で16試合に登板し防御率2.08だったが、一軍では11試合登板で防御率7.94。
2010年、先発2試合を含む7試合に登板、防御率は7.80。2010年度シーズン終了後、結婚。
2011年、開幕カード3戦目の中日ドラゴンズ戦に先発し、7回1失点に抑えシーズン初勝利、球団で唯一規定投球回をクリアして5勝で三浦大輔と並んでチーム最多勝利、リーグワーストの15敗。防御率は3.45を記録し1年間ローテーションを守ったものの援護率はリーグワーストの2.20と投高打低の影響もあり無援護に苦しみ勝ち星を伸ばすことができなかった。
2012年、初の開幕投手を務め7勝10敗。防御率3.20と自身最高の防御率を記録したが、昨年と同じように無援護に苦しみ、自責点0ながら勝ち星がつかない試合が6試合あった。
2013年、二年連続の開幕投手に指名されたがオープン戦で西岡剛の放った打球を足に受け、開幕投手の座を藤井秀悟に譲った。4月5日に神宮球場で7回1失点に抑えシーズン初勝利。セ・パ交流戦中は中継ぎとなり、7月27日の阪神タイガース戦を最後に一軍での登板は無く、2勝5敗。
2014年、開幕は二軍で迎えたが、4月4日に一軍登録されリリーフとして起用された。7試合に登板し防御率5.14の成績で同月21日に二軍降格となる。7月23日に先発として一軍に復帰し、復帰戦で6回被安打8、1四球、自責2で勝敗はつかなかった。翌日登録抹消されるも、8月に再び復帰、10試合連続2桁安打を放っている東京ヤクルトスワローズ打線を相手に6回を投げ、自責点2と好投。ヤクルトの連続2桁安打を止め、シーズン初勝利を手にした。最終的に先発では7試合に登板し、2勝3敗、防御率4.01。
2015年、開幕ローテーション入りを果たし、2試合目までは防御率0点台と安定していたが、それ以降は炎上を繰り返し二軍落ち。8月の復帰戦では勝利投手になるなど好投をしたが、次の試合では炎上。2016年、キャンプ中に起こした痛風による左足人さし指付け根の炎症に苦しみ、プロ入り後初の一軍登板なしに終わった。
2017年、リリーフに転向し、オープン戦で7試合に登板し防御率0.00で2年ぶりに開幕一軍入りしたが、開幕戦で1回3失点と炎上し、二軍降格。その後は二軍でも精彩を欠き、同年9月26日に戦力外であることが報じられ[1]、10月1日に引退発表した[2]。12月2日付で、自由契約選手として公示された[3]。
引退後
現役引退後は、同球団で球団職員(スコアラー)を務める[4]。
選手としての特徴
平均球速約143km/h[5]、最速152km/hのストレートとスライダー、カーブ、チェンジアップを投げる。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 横浜 DeNA |
9 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 140 | 30.0 | 35 | 3 | 14 | 0 | 2 | 23 | 1 | 0 | 24 | 18 | 5.40 | 1.63 |
2008 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 90 | 17.0 | 30 | 3 | 9 | 0 | 0 | 17 | 1 | 0 | 17 | 15 | 7.94 | 2.29 | |
2009 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 5 | 1.000 | 312 | 74.0 | 81 | 5 | 16 | 3 | 1 | 59 | 2 | 0 | 36 | 33 | 4.01 | 1.31 | |
2010 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 70 | 15.0 | 23 | 3 | 4 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 13 | 13 | 7.80 | 1.80 | |
2011 | 29 | 29 | 0 | 0 | 0 | 5 | 15 | 0 | 0 | .250 | 739 | 177.1 | 182 | 9 | 36 | 0 | 2 | 127 | 3 | 0 | 71 | 68 | 3.45 | 1.23 | |
2012 | 24 | 24 | 2 | 0 | 0 | 7 | 10 | 0 | 0 | .412 | 643 | 151.2 | 155 | 9 | 40 | 0 | 4 | 97 | 2 | 0 | 63 | 54 | 3.20 | 1.29 | |
2013 | 20 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 4 | .286 | 298 | 66.1 | 76 | 10 | 31 | 0 | 0 | 54 | 0 | 0 | 44 | 43 | 5.83 | 1.61 | |
2014 | 14 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 2 | .400 | 213 | 49.2 | 54 | 6 | 14 | 0 | 0 | 30 | 0 | 0 | 26 | 23 | 4.17 | 1.37 | |
2015 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | .400 | 149 | 34.1 | 46 | 1 | 10 | 0 | 0 | 19 | 1 | 0 | 19 | 19 | 4.98 | 1.63 | |
2017 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 8 | 1.0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 5.00 | |
NPB:10年 | 178 | 84 | 2 | 0 | 0 | 25 | 40 | 1 | 11 | .385 | 2662 | 616.1 | 686 | 49 | 175 | 3 | 9 | 435 | 10 | 0 | 316 | 289 | 4.22 | 1.40 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
タイトル
- イースタン・リーグ最多勝:1回(2007年)
表彰
- フレッシュオールスター優秀選手賞(2007年、2番手として登板、2回無安打4奪三振)
記録
- 投手記録
- 初登板:2007年4月25日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、6回裏に3番手で救援登板、2回4失点[6]
- 初奪三振:同上、6回裏に小笠原道大から空振り三振[6]
- 初先発:2007年7月29日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、5回5失点で敗戦投手[7]
- 初勝利・初先発勝利:2007年10月2日、対阪神タイガース24回戦(横浜スタジアム)、7回無失点[8]
- 初ホールド:2009年4月30日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点[9]
- 初セーブ:2009年8月22日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、11回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点[10]
- 初完投:2012年6月29日、対広島東洋カープ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回2失点で敗戦投手[11]
- 打撃記録
背番号
- 22 (2007年 - 2017年)
登場曲
- 餓鬼レンジャー/YOKA YOKA BABY
アマチュア時代の戦績・記録
- 2006年アジア競技大会野球日本代表(銀メダル)
脚注
- ^ “【DeNA】高崎、林、下園ら5人が来季構想外”. スポーツ報知. (2017年9月27日) 2018年2月16日閲覧。
- ^ “【DeNA】高崎、大原が引退”. スポーツ報知. (2017年10月2日) 2018年2月16日閲覧。
- ^ 2017年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2017年12月4日閲覧。
- ^ 週刊ベースボールONLINE (2018年2月16日). “高崎健太郎が築いたDeNAの礎 「強い気持ちだけは忘れませんでした」”. 2017年12月29日閲覧。“【中日】ジー、来日初の打撃投手でヒット性ゼロ!森監督はナックルカーブ称賛”. スポーツ報知. (2018年2月15日) 2018年2月16日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、177頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ a b 神奈川新聞、2007年4月26日。
- ^ 神奈川新聞、2007年7月30日。
- ^ a b 神奈川新聞、2007年10月3日。
- ^ 神奈川新聞、2007年4月31日[要検証 ]。
- ^ 神奈川新聞、2009年8月23日。
- ^ 神奈川新聞、2012年6月30日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 高崎健太郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 高崎健太郎オフィシャルブログ 若武者#22